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第四十一章 餓鬼の島・背徳の弟子

   1


 台場湾岸に聳え立つ超高層タワーレジデンツァ・ヴェラ・ヴィータ――。


 重厚な書斎の一室で、ロムルスはただ一人、頭を抱えて、沈黙の中にいた。


 机上には、冷たく黒光りする拳銃が置かれていた。グロック19、改造済み。


 消音器サプレッサー付き。弾倉には、殺傷力の高いホローポイント弾が込められている。


 ロムルスの指先が、震えていた。


「私に……博士を、殺せるのか?」


 唇の奥かられた呟きは、誰にも届かない。


 ただ、書斎に漂う古い紙の匂いと煙草の灰皿が、男の焦燥を包むように沈黙している。


 ノートパソコンの画面に、ハーヴェスターから届いた指示書きの暗号文のスクリーンショットが映る。


 暗号鍵の語句は──「アナキンよ、フォースの闇の力を以て、オビ・ワンを撃て……」


 そして、脅しの文字。


「お前の妹が、まだ生きていることに感謝しろ。次に目を覚ました時に、彼女の心臓の鼓動が聞こえるとは限らない」


 ロムルスの喉がひくつく。唾を飲むことすら、苦痛だった。


 妹・エスメラルダ。N.Y.大から突然消息を絶ち、以後の足取りは完全に途絶えていた。彼は写真を手にした。拘束され、黒い布で目隠しされながら、怯えた表情を浮かべるエスメラルダ。写真の背景には、ベトナム語の新聞が見えた。


 クイーンマザー号の、監禁ブロックで撮られたものだった。


 拳が震える。だが、その怒りをぶつける相手は、今や自分の「裏切り」でしか守れぬ命を握っていた。


 ロムルスは立ち上がった。グロックをコートの内ポケットに差し込み、ひとつ深く息を吐く。


 お花茶屋博士の書斎へ――行くしかなかった。


    2


 博士の部屋は、同じフロアの西端。厳重なセキュリティと重厚な遮音構造で知られていた。


 ロムルスは無音でドアの前に立ち、右手でインターフォンに触れたが、指が止まった。


 押せない。


 博士の言葉が、何度も脳裏を過る。


「君は、守るべき者を見誤ってはならないよ、ロムルス君。闇は手を変え、品を変えて、本質を隠して、善きものの善き心を(もてあそ)ぶ。」


 博士は、一度は歴史から消えた、赫の一族を再び興し、邪馬統の影から守ろうとしている存在だった。その男を、今、自分の手で殺せば──。


「……俺は、ただの犬以下だ……」


 拳を握りしめた時だった。


 背後で、小さな金属音がした。


 ロムルスは即座に振り返り、壁に背をつけて構える。廊下には誰もいない。


 ただ、天井の監視カメラが、わずかに角度を変えたように見えた。


 (……見られたのか)


 背中に嫌な汗が流れる。


 もはや、二択だった。


 博士を殺すか。あるいは、妹を見捨てて、全てから逃げる……か。


 (……逃げる、なんて無理だ。俺にはもう、どこにも居場所はない)


 再びドアに手をかけようとしたその時、カチャリ、と内側からドアが開いた。


 白いシャツを羽織り、薄く眼鏡をかけた長身の男が姿を現した。


「……ロムルス君。こんな時間に、どうしたんだね」


 お花茶屋博士。その姿は、いつものように静かで、知的だった。


 だが、どこかこちらの動きをすでに察しているような、落ち着きすぎた微笑みがあった。


「博士……お話があります。中に、入れてくれますか」


 博士は、わずかに頷いた。


「もちろんだよ。君の瞳の揺らぎは、すでに"決断を拒んでいる者のそれ"だからね。私でよろしければ、相談に乗ろう」


 ロムルスの肩が、わずかに震えた。


    3


 重い扉が閉まり、二人は向かい合った。


 ロムルスは、ゆっくりとグロックを取り出し、テーブルに置いた。


 博士は、眉ひとつ動かさない。


「撃つつもりだったのかね?孟谷君から話は聞いている、妹さんも、ハーヴェスターに捕らわれていたことはね。彼女を返す条件の一つに私を消せと命じられてても何の不思議もない」


「……ああ、撃つつもりでした。しかし、無理です。恩師の命を奪うなど」


 博士は軽く頷いた。


「妹をハーヴェスターに人質を取られている君の苦悩は、よく分かる」


 博士の言葉に、ロムルスは膝を崩し、ソファに座り込んだ。


「……ああ、畜生……」


 嗚咽が喉を震わせた。


「もう、私には、どうしたらいいかわからない……」


 博士は静かにソファに腰を下ろし、机の上のグロックをゆっくりとこちらに押し返した。


「ならば、私たちと同じ道をすすまないか?」


 ロムルスは顔を上げた。


 博士の瞳には、赫き者たちと同じ、炎のような信念が宿っていた。


「我々はこれから、船に乗る。クイーンマザー号へ向かう準備はできている。ミアも、エスメラルダも、南海の海で助けを待っている。君もすでに決めていたのではなかったか。クイーンマザー号の搭乗券を持っていたのは知っている」


「一度は裏切った、私を、(ゆる)すとおっしゃるのですか?」


「…裏切られたと思っている者は、ここにはいないよ」


 ロムルスは拳を握り、力強く頷いた。


 「私も……行きます。あの連中の正体と、目的、全部(あば)いてやりますよ」


 博士は、わずかに目を細めて笑った。


 

    


 

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