第三十九章 餓鬼の島・綾乃、戦陣に起つ
夜の海は、静かに、大潮の波動にゆらめいていた。
月の光が黒い水面に銀の軌跡を描き、寄せては返す波音が、まるで遥かなる鼓動のように浜辺を撫でる。
台場・帝都近郊――赫の一族が秘密裏に管理するプライベートビーチ。深夜、誰にも知られぬこの地に集ったのは、赫の血を宿す者たち。その力を確かめようとする者たち。
「綾乃……お前は、まだ自分の異能に気づいているのか、否か、教えてもらう」
海風に髪を揺らしながら、斎――日向斎は冷たく言い放った。
戦装束に身を包み、右手には赫き紋を浮かべた小型の三つの扇刀を構えている。
その扇刀は、邪馬統八傑衆の風魔・颶嵐が得意とする奥義『風魔三扇刃』を実際の扇刀に置換したものであった。
オリジナルの技は、真空の刃を三重に重ね、並行・斜行・跳弾として襲わせる殺人技だ、敢えて綾乃の異能力を可視化させるために斎は、白銀の扇刀を手にした。
綾乃は一歩、砂を踏みしめた。
その姿はあくまで慎ましやか。シンプルなメイド服のまま、ただ手袋を外し、風の流れに耳を澄ませていた。
「……風を、切り裂く音。波が、揺らいでる……斎様の刃が、風に、音を与えているのを感じます……」
「では、それをどう受けるか、見せてもらおうか」
斎の手が翻り、扇刀が三交差する。
「いけえ――《三扇刃・乱迅の陣》!」
三刃の空間が歪む。砂煙が巻き上がり、海辺を切り裂くように放たれる白銀の刃。それは殺意そのものだった。
「綾乃、危ない――!」
遥が走り出しかける。
しかしその瞬間、綾乃の足元から、まるで波紋のように柔らかな震動が広がった。
彼女の掌が、夜気を裂くようにふわりと宙を撫でる。
「操波律動・位相反転──無双響波」
綾乃の声音は、囁きのように静かだった。
が、その静けさの直後――
海の音が、消えた。
否、それは音を「打ち消した」のだ。
風が止み、三つの扇刀の刃が綾乃の目前で、まるで水面に溶けるように消滅した。
振動が相殺され、刃を飛ばす音波の位相が反転した。
まさに、ドップラー効果を逆手にとった、波使いの奥義。
風を操る者の刃は、波を操る者の手で、吸収され、打ち消されたのだった。
静寂――その美しさに、斎すら言葉を失う。
そして、遥は小さく息を呑む。
「……すごい……綾乃……あなた……」
夜風が再び吹いた。だが、それはもはや、刃を含まない、ただの風だった。
斎が、顔を綻ばせた。
「やっぱりな。お前は、赫の守りの要……」
綾乃は、静かに頭を下げる。
「闘うことは、怖いです。でも、お姉様を守るためなら――私は、波を起こします」
月光が海面に反射し、綾乃の瞳に揺らめいた。
それは、夜の海に咲いた、赫の調和の波だった。
「……!」
静かに綾乃が呟いた。
「波風の動きが変です。禍々しいうねりの波動を感じます」
綾乃の鋭敏な感覚に、斎とはるかが素早く身構えた。




