第三十章 餓鬼の島・仇(かたき)
1
「本国からの使者に報告と、日本警察の捜査状況を確認したいので、丸の内に行ってきます」
そう言い放ち、ロムルスが外出の支度を始めた。
遥は彼を心配そうに見つめていた。
「ロムルスさん、本当に一人で大丈夫ですか?」
ロムルスは軽く微笑みを浮かべて、淡々と答えた。
「問題ないよ。今日はサン・ディオス共和国から来た捜査員と、警視庁の窓口となる、担当官に会って事情聴取を受けるだけだ。危険はない」
遥は眉をひそめると、一歩前に踏み出した。
「でも、念のために私が同行します。ボディーガードとして」
ロムルスは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑を取り戻した。
「遥さん、ありがとう。でも、本当に危険はないんだよ」
その会話を扉の外から聞いていた孟谷が、軽くノックをして部屋に入ってきた。
「いや、遥の言う通りだ。念のためだ。遥と綾乃を同行させる」
ロムルスは困惑した表情を見せる。
「孟谷さん、そこまでする必要が……」
「君には、用心してもらわなければ困る。今は些細なことでも見逃せない状況だ」
孟谷の声音には、ただならぬ緊張感があった。ロムルスは仕方なく同意した。
遥と綾乃が部屋を出て準備を始めると、孟谷は斎をそっと手招きし、耳元で囁いた。
「斎、君はここに残って俺と一緒に、ロムルスの身辺を調べてくれ」
斎は目を細めて頷いた。
「わかりました、孟谷さん。任せてください」
ロムルスは身支度を整え、二人の少女と共に外に出た。ハイヤーに乗り込むと、ロムルスは助手席に座った遥に視線を投げかけた。
遥は自信たっぷりに微笑んだが、内心ではロムルスに対する疑いが晴れないままであった。
約束の場所である丸の内の喫茶店に到着すると、警視庁の警官とサン・ディオス共和国外事警察課のホセ・バルガス警部がすでに待っていた。
日本警視庁の担当警察官とは、あの長谷川栄蔵警視だった。
「ロムルスさん、よく来てくれました。話を聞かせてもらいましょう」
長谷川の重々しい口調に、ロムルスは緊張を隠せなかった。
遥と綾乃は少し離れた席で周囲を警戒しながら、ロムルスと長谷川の会話を耳に集中させた。
バルガスが口火を切った。
「警視、現地の情報によると、ハーヴェスターの手先がサン・ディオスで新たな動きを見せています」
バルガスの声にはかすかな震えが混じっていた。
「具体的に何を掴んだ?」
「サン・ディオスの内閣官房に、ミア農業相が関わっている隠密交渉活動に対して、ハーヴェスター南太平洋支社が、横やりを入れてきました。不倫のあげく失踪したミア農業相の行方など追うのは中止して、さっさと、ハーヴェスター本社と穀物輸入協定を締結せよと。少々高いコミッションを支払わなければならないが、そうしなければ、サン・ディオスは、餓死者が続出して、国中が餓鬼の島となるぞ、と。その背後にはゲーレン・ダストとタロット大統領の影が絡んでいると考えています」
長谷川は顎を撫でながら深く頷いた。
「そういえば、SNSオメガではミア農業相は、餓えた国民をほったらかしにして、妻子持ちの男と秘密の島で不倫三昧……ということになっていますな」
「ちがいます!なんと酷い……」
長谷川の言葉に、ロムルスが色をなして立ち上がった。
「まあ、事件にはこの手のデマはつきものだから、われわれも信じちゃいないよ。ところで、バルガス警部、核心の話に移そう」
ロムルスは落ち着きを取り戻しつつあったが、長谷川はさらに声を落として付け加えた。
「誘拐犯から、我が政府にも連絡があった。敵の目的は、サン・ディオスの穀物市場支配のみならず、やはり、ミア農業省が新開発した陸稲品種ソフィア・グリーンも、だった」
「……」
「現在、オープンになっている情報では、陸稲ソフィア・グリーンの継代育成を行うためには、ミア大臣が開発した、触媒酵素『リージェントα』が必要だ」
「そうです。リージェントα、分子量1272のアミノ酸混合液体。試作品はサン・ディオス国立農学試験場に保管されていますが、その精製法を記した論文は、現時点で彼女だけが所有しているはず」
「ハーヴェスターはリージェントαを手に入れることができれば、ミア農業相の解放にたいして、前向きに検討する、とのことだ。しかしだ、論文をもとにリージェントαを作るには、触媒の培養に1年の期間が必要だということでな、奴らはこの試作品が喉から手が出る程欲している。そこでだ、バルガス警部が、サン・ディオス本国から、リージェントαの試作品を持ってきてくれた。これをハーヴェスターを釣る餌にする」
バルガス警部は、にやりと笑って、ポンと、リージェントαが入っていると思しきアタッシュケースを叩いた。
「これを、くれてやると見せかけ、ぬか喜びをしているハーヴェスターの奴らの裏をかいて、ミア農業相を特殊部隊が奪還するとこういう作戦だ」
「うまく、行くのでしょうか」
「まあ、『特攻』に任せてくれ。これからの事であるが、一つお願いがある。ロムルス君、君にはまだ話していなかったが……警視庁内部にもハーヴェスターに通じる者がいる。君が直接、警視庁に来るのは危険だ。我々は、こうして外で会うことを続けるべきだ」
ロムルスの顔が再び緊張に強張った。
「警視、それは本当ですか?」
「残念だが、信頼できる者は限られている。遥くん、綾乃くん、君たちにも引き続き協力をお願いする」
遥は力強く頷いた。
「もちろんです。ロムルスさんを必ず守ります」
2
その時、彼らの席に、数人のグループが近づいてきた。
「これは、これは、長谷川警視ではないかね」
長谷川は声の方を向いた、声の主は……陣幕源治。
あの、邪馬統神勅の会の法主、そして、赫の一族の宿敵の首魁……。
源治は、現在、内閣法務安全保障委員会の副委員長を務めている。いわば、長谷川の上司。
遥は、封印のウタヒを呟き、即座に、自らの赫の血の匂いを消した。
如何なる霊能力をもってしても、この赫の血の匂いをかぎ分けることが不可能なまでに。
「陣幕先生、アメリカから、近々、ミッキー・タロット大統領と、ゲーレン・ダスト国家行政再構築委員(National Administrative Reform Commissioner:NARC)が来日ということでご準備にお忙しくはなかつたのではないのでしょうか」
「ふっ、心配いらんよ、ミッキーとはツーカーの仲だ」
源治は懐から、喫煙具を出して口に咥えた。
遥がそれを見て、はっと息を呑んだ。
「ルーベン・チャラタン・シュープリーム……」
見覚えのある、いや、決して忘れられない、忘れようのない、失踪した、義父、将吾が後生大事にしていた宝物が……何故この男の手の中に……。
遥の頭の中は真っ白になった。




