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第三章 赫の芽吹き・覚醒

   1


 田所の骸が運び出された後の神宮寺学院は、息を潜めたように静まり返っていた。


 事件を耳にした生徒たちは、恐怖と不安に押し潰されぬよう、声を落としてささやき合い、ある者は唇を噛みしめて沈黙を保っていた。


 学院側は慌ただしく対応に追われ、臨時のホームルームを設けて生徒たちを教室に拘束し、外部との接触を遮断した。


 教師たちは混乱と動揺を隠しきれず、生徒たちの問いかけに明確な答えを示すこともできずにいる。


 ただ「警察に任せている」と繰り返すばかりで、生徒たちの不安を鎮めることはできなかった。


 遥は、教室の自席に座りながら、心の内に奇妙な既視感と不吉な予感を覚えていた。


 ――それは夢の中で兎となった自身が、群れから逸れ、獣に狩られる瞬間のような感覚だった。


 遥の隣席の小夏は、さっきまでの明るさを失い、不安げにスマホを握りしめている。


 LINEには噂や憶測が飛び交い、事件への怯えが広がっていた。


 学院全体が底知れぬ恐怖に覆われ、生徒も教師も、誰もが目に見えぬ敵意と狂気の影におびえているようであった。


 その影の奥で、学院内でただ一人、一年生の男子生徒だけが冷たい微笑を心の奥底に抱いていた。


 日向斎(ひうがいつき)、恐ろしいまでに整った容姿と、野性と知性を漂わせた美貌を併せ持つ美少年であった。


 彼だけは、この混乱の意味を知っていたのだ――。


 なぜなら、このきっかけを作ったのは、他ならぬ彼であったからだ。


 赫の一族、封ぜられた血潮が自己の身体に流れているのを自覚した時、斎はまだ五歳になったばかりだった。


   2


 琉球諸島の小さな島。焼けつく日差しの下で、斎はひとり、浜辺で砂を弄んでいた。貝殻を並べ、意味のわからぬ模様を描き続ける。


 斎には友達がいなかった。同じ年頃の子供たちは、斎のそばには決して寄らない。大人たちもまた、彼を見る目に奇妙な怯えを宿していた。


 なぜ自分が疎まれるのか、その理由はわからなかった。


 砂に描いた模様が一際大きくなった時、突然、斎の掌が熱を帯びた。

 痛みはない。ただ灼けるように熱い感覚だけがじわりと広がった。


 やがて、斎の指先に炎が灯った。


 小さく、赤々とした火花が生まれた。


 彼は恐れることもなく、穏やかに受け入れるようにそれを見つめた。


 炎はゆっくりと指先から踊るように宙を舞い、斎の周囲を旋回する。


 やがて、斎に忠誠を誓うかのように、彼の掌に礼儀正しく座を成した。


 その瞬間、斎は初めて自分の内に眠る赫の血潮を意識した。


 理解できぬはずの幼い頭の中に、祖先が背負ってきた無念と憤怒の記憶が蘇る。


 斎は小さく呟いた。


「これが、赫の力……」


 その時であった。それまで、平穏だった海面が突然盛り上がり、巨大な波濤とともに、醜悪な海獣が斎に襲いかかった。


 鱗に覆われた太い胴体、鋭い牙が並んだ口腔、その眼には飢えと、獲物に対する殺意が宿っていた。


 斎は憶することなく、静かに炎に視線を向けた。


 無意識のうちに、刀印を結び四縦五横の格子を虚空に描く。


「……我が一族の力、赫の焔よ、『臨』・『兵』・『闘』・『者』・『皆』・『陣』・『列』・『在』・『前』、アシキ イノチニシテムクナルタマヲクラヒシヨコシマナル チカラ フルフモノカムナル ホノヲ モテヤキハラヘ

(悪しき命にして、無垢なる魂を喰らい邪なる力を振るう者、神の焔を以って焼き払え)!」


 幼い口から言霊が放たれた。


 斎が胸に掌を重ねたその時、炎が激しく燃え上がり、猛然と渦巻いて奔流となった。


 意志を持つかのように炎は海獣に絡みつき、その鱗と肉を灼き尽くす。


 海獣は絶叫を上げ、焼け焦げた臭気と煙を撒き散らしながら砂浜に崩れ落ちた。


 斎は、海獣の骸から立ち上る煙を見つめながら、自分の内に眠る赫の血潮が目覚めたことを確かに感じ取った。


 これが、自分の運命なのだと――幼き斎は、五歳の幼児が負うにしてはあまりにも過酷な宿命を、冷徹な覚悟と共に理解したのである。


 幼き彼の瞳には、子供らしからぬ静かで深い闇が宿っていた。それは、しっかりと自らの宿命を受け入れた者の目であった。


 今回、斎が、田所を殺めた動機、それは赫の一族の血が抱える、怒りにも似た宿命的な衝動であった。


 赫の血は古より『けがれ』として追われ、常に迫害と抹殺の対象となってきた。その一族の無念の歴史が、斎の血を燃え上がらせ、怒りを焚きつけていたのだ。


 そして田所という男は、ただの破廉恥漢というだけではなかった。彼はその暴力的な性質と立場を利用して弱者を支配し、虐げてきた。


 女生徒を含む多くの弱者たちが田所の手にかかり、人知れず傷つき泣いていたのだ。


 日向斎にとってそれは、邪馬統(やまと)の末裔である神勅の民が侵し続けてきた赫の一族に対する歴史的な迫害や虐殺と重なるものであった。


 理不尽な暴力と抑圧にさらされる者たちへの同情が、怒りへと転じた。彼の中で、遥か遠い赫の血潮が『粛清』を促したのである。


『穢れ』と蔑まれた赫の血を背負う斎が、現代における邪悪の象徴の如き男、田所を焼き尽くしたことは、彼にとって、赫の一族としての報復であり、同時に、彼なりの聖戦(ジハード)の始まりの狼煙でもあった――。

毎日午前6時に新章追加されます。よろしくお願いします。


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