第二十一章 餓鬼の島・サン・ディオス、緑の奇蹟
暗い研究室の机の上で、ノートパソコンの液晶画面だけが青白く光っている。
遥はその画面を食い入るように見つめながら、小さく息を吐いた。
隣に座る斎も無言のまま、険しい表情で記事を読み進めている。
表示されたウェブページは、農学専門誌アグリ・ワールド2024年12月号に掲載された、世界的に著名な科学ジャーナリスト、アマンダ・シャーウッドによるコラム記事だった。
見出しには大きく『サン・ディオスの奇蹟――砂漠を緑に変える新たな陸稲』という表題が躍っている。
「これか……」
遥がつぶやくと、斎も軽く頷いて画面を指さした。
「ここを読んでくれ」
遥はうなずき、声に出して記事の内容を読み始めた。
『……サン・ディオス共和国農業相ミア・マリエッタ・ミズキ博士は、長年の研究の末、ソフィア・グリーンという画期的な新品種の陸稲を完成させた。
この陸稲は、従来品種とはまったく異なる特性を持ち、過酷な環境下でも自立して成長することが可能だという。
ミア農業相が公式に明かした情報によると、この新種の陸稲は苗自体が内部で水分を産生し、外部からの水供給に依存せず自律的に成長する能力を備えているという。
研究機関による予備試験では、摂氏50度を超えるような砂漠地帯でも問題なく成長し、通常の陸稲品種と比べても著しい耐乾燥性を示した。
この稲が世界的に普及すれば、地球上の砂漠化した地域の多くが再び農耕可能な土地に変わり、食糧不足を劇的に解消する可能性が高い。
特に、近年深刻化する世界規模の食糧危機において、サン・ディオスの稲がもたらす恩恵は計り知れないであろう。
だが問題は、この革新的な品種の育成と維持には、極めて高度な管理技術が必要とされることである。ミア農業相は、研究チーム以外には、現状の技術では特に継代栽培が困難であることを明らかにした。
具体的な理由は非公表だが、専門家筋では苗が内部で水分を生成する機構に極めて繊細なバランスが求められ、外部環境の変動に過敏であるため、わずかな環境変化でも継代が困難になると推測されている。
つまり、この新品種を世界規模で展開するためには、ミア農業相自身が掌握する特定の技術、または未公開の遺伝子情報が必須である可能性が高い』
遥はそこで声を止めて、斎の方を見た。
「ハーヴェスターの狙いは、ミア自身というより、彼女が掌握するその技術そのものだとすると、少なくとも、すぐに彼女の生命が脅かされることはないかもですね……」
斎が静かな声で続けた。
「そういうことだな。奴らはミア大臣を傷つけるどころか、むしろ絶対に生かしておかなければならないはずだ。彼女を失えば、その秘密は永遠に失われてしまうからな」
博士が部屋の奥からゆっくりと近づいてきた。
「その通りだ。これは朗報でもあるが、逆に言えば、ハーヴェスターは絶対に彼女を手放さないとも言える」
「しかし、時間稼ぎにはなる」
孟谷がドアから現れて低く告げる。その口元には苦笑が浮かんでいた。
「この苗の特性を最大限利用して、ミア大臣が生きたまま取り返せるチャンスを探ろう」
博士が目を細めた。
「ハーヴェスターがこれを狙うのは当然だ。彼らは砂漠や荒野の安価な土地を買い占め、現在の農業経済を一変させるつもりだろう。新種の陸稲があれば、世界中の食糧市場を完全に支配できる。そのためにはミア大臣が持つ秘密を奪い取る必要があるというわけだ」
遥は拳を握り締めて深呼吸をした。
「なら、尚更、私たちが急ぐ必要があります。ハーヴェスターに技術を奪われる前に、大臣を助け出さないと」
「同感だ。だが敵も用心深い。確実に勝てるような情報をもっと集める必要がある。特に彼女が今、どこにいるかだ」
孟谷は鋭い目で遥たちを見回した。
「幸い、まだ時間的猶予がある。今は焦らず、確実な救出計画を立てよう、俺は心当たりを回る」
孟谷が立ち上がった。
「了解しました」
斎も静かに頷いた。
「……救出が成功すれば、ハーヴェスターの野望を挫けるだけでなく、世界中の食糧問題を根本から解決できるかもしれない」
遥は希望に満ちた表情で呟いた。その言葉に孟谷が深く頷く。
「そうだな。そのためにも絶対に負けられない」
博士は静かにモニター画面に映った記事を見つめていた。
「灼熱の砂漠を緑に変える奇跡の稲か……。ミア・マリエッタがこの世界にもたらす希望の苗だな」
遥は再び画面に映った記事の最後の一文を静かに読み上げた。
『ミア農業相がもたらしたこの奇跡が、世界を飢餓の鎖から解き放つ日は、もうすぐそこまで来ている――』
その言葉は静かな研究室の中に深く響き渡った。餓える人々を救おうとする、高潔な魂を穢すものは許されない。
遥はきつく唇を噛む……。
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