第一章 赫の芽吹き・生贄
1
帝都、南麻布・仙台坂――
都会の繁華をひそめて、路地の奥に鬱蒼と茂った林に囲まれて、ひっそりと構えた白亜の聖堂がある。
外交官邸の垣根を抜け、高級住宅の並ぶ坂を下れば、仄かな月影に浮かぶそれは、慈愛と静謐を体現したごとき美しさで佇んでいる。
邪馬統神勅教会――人々の尊敬を集め、清廉潔白を旨とする団体である。
表の顔は慈善の極み、無垢の美徳を謳う。
されど、その地下深く、知られざる礼拝堂に踏み入ることのできる者は、多くはない。
地下堂は、冷えた石と血の如き紅硝子に覆われていた。
石壁には、歪んだ神話を描いた巨大な壁画が連なり、禍々しい彫刻が柱を取り巻いている。
高い天井から下がる紅い燭台の火が揺れるたび、壁画の人物は息を吹き返したかのように微かに動く錯覚を与えた。
礼拝堂の奥には豪奢な玉座が置かれ、その背後には巨大な紅硝子に封じ込められた龍の姿が不気味なまでに鮮明に浮かんでいる。
床の黒い石は長年にわたる儀式と贄の血によって染められ、深い色を帯びていた。
石畳には、湿った影が広がっている。
かすかな呻きが、無慈悲な静寂を破った。
「な、なぜこんな事を……!天に仇名す者だと?僕はジャーナリストだ。……僕には関係ない!」
うつ伏せに倒れた若い男は、切れた唇から血を滴らせながら震える声を絞り出した。
男は『週刊文創』の契約記者、夏木正人。
三十歳になるかならぬかの若者であった。
邪馬統神勅協会には、実は怖ろしい闇がある、
世間の一部では、そう囁かれている。
勿論、協会は闇があるとは認めはしない、ならば潜入して……。
と、特ダネ欲しさにその闇を暴こうと、危険を承知で踏み込んだ結果がこれであった。
夏木の背中に、磨かれた革靴の踵が音もなく乗せられた。
「マスゴミ……な、そんなことは承知している」
男を見下ろすのは法衣に身を包んだ、齢五十を過ぎ、髪に僅かな白を帯びるその男、名を陣幕源治という。
天下をたいらげる政権与党である神勅党代議士にして、邪馬統神勅協会を統べる総司令官であった。
源治は整った顔に冷笑を浮かべ、淡々と言葉を紡ぐ。
「貴様が何者か、それは問題ではない。下衆な志を抱いて、我らに触れ、我らを知ろうとした。それだけで十分、制裁に値する」
「ま、待ってくれ……僕は誰にも何も話してない……!」
源治の目が、残酷な愉悦に細められる。
「当然だ。話されては困る。下衆な心で神勅の影に触れた者は、生きては還さぬ」
夏木の瞳に死の色が浮かんだ。
源治が指を鳴らすと、背後に控えていた従者が滑らかに動いた。
銀色の細い鋼糸が、夏木の首筋に絡まる。
夏木が絶叫しようとした刹那、糸が肉を裂き、声は泡立つ血潮に呑まれた。
2
生贄を屠った後の地下堂は、仄暗く、蝋燭の火が風もなく揺らめいていた。
堂内に侍る八つの影がある。
彼らはすべて選ばれし者たち、古より邪馬統神勅の民が殲滅させんとする赫の一族狩りを使命とした精鋭、八傑衆であった。
八人の視線が、堂奥の陣幕源治へと注がれていた。
源治は冷たく澄んだ声で言った。
「主より勅命あり。帝都之西、蒼なる丘の聖苑より風くだるところ、赫き鼓動の気配あり――」
一拍の間があった。
八傑衆は微動だにしない。ただただ、静寂を乱すことなく、源治の言葉を待った。
「赫、即ち穢れなり。その息吹、覚めぬうちに消し去れ」
言い終えて、源治は視線を動かし、八人の中心に侍る一人の巫女装束の少女を見た。
「娘よ」
少女が進み出た。
年齢は十七、黒髪は艷やかに肩に流れ、その瞳には氷のごとき冷気が宿っている。
彼女こそ陣幕弥生、邪馬統神勅の会でも、もっとも冷酷に赫を狩る者の一人である。
弥生は、静かに頷いて父を見返した。
「赫の息吹、その源を必ずや暴き出しましょう。暴いた後は……何時ものように、父上の仰せどおりに」
その言葉に、僅かに父の口元が緩んだ。
次の瞬間、弥生の指先から白い式符が風に舞い散った。
弥生の姿が、八傑衆の姿が、闇の中に掻き消えた。
赫の眠りは、今宵をもって終わりを告げる。
その赫き鼓動が、次第に――目覚め始めていた。
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