終章(5) ライオンなんか好きにならない
「あなた……一体何を言ってるの……」
呆然とするギルタブリルに、近嵐は背を向けて走り出す。
その後ろをハナが追う。
「ハナ、これ!」
ツムギが四葉のクローバーのヘアピンをハナに投げた。
「ありがとう、ツムギちゃん」
ハナはヘアピンをキャッチすると、自分の前髪を挟み込み、ギルタブリルの指さした水たまりに向かって走る。
二人が水たまりに飛び込もうとした瞬間。
「!」
近嵐が踏みつけた砂浜から巨大な太い釘が突き出し、近嵐の右足の裏から甲まで貫通する。
近嵐は激痛に悲鳴を上げながら、砂浜に倒れ込んだ。
「お父さん?!」
ハナは水たまりに飛び込みながら、振り返る。
巨大な犬の化物が、にやにやしながら、近嵐の後ろで涎を垂らしていた。
***
気付いた時には、ハナはごつごつとした岩肌の水たまりに立っていた。
立ち上がって辺りを見渡す。
視線の端に、何か銀色の光が目に留まる。
「ウガちゃん!」
ハナは全力でその光の方に走る。近づくにつれ、光っていたものが何なのか分かり、ハナは心臓がわしづかみにされるような恐怖を感じた。
「ウガちゃん!」
ウガルルムの腹部に銀色の太い槍が突き刺さり、神々しい光を放っていた。傷口から、口元から、ウガルルムは血を流して、目を閉じている。
「ウガちゃん! 起きて! 死なないで!」
ハナは、ウガルルムの肩を掴んで目を閉じたウガルルムに向かって叫ぶ。
「お母さんになってくれるんでしょ! ダメ! 死んじゃ嫌だ!」
ハナの涙がウガルルムの頬にぽたぽたと落ちる。
「……何……で……。ハナちゃん。駄目じゃない。こんな……ところに来ちゃ……」
うっすらと、ウガルルムが目を開ける。
「思い……出してくれたの? ギルタブリルでも止められなかったなんて。ああ、そのピン。そうか……」
青い空に、一筋の光が煌めく。
「!」
光がウガルルムとハナに降り注いだ瞬間、ウガルルムが手をかざすと、四葉のクローバーのヘアピンが輝き、その光をはじき返した。
「ハナちゃん……逃げて……。もう……守る力が……ないの」
「嫌だ! 離れない!」
「近嵐さんを……一人に……しないで……。お願い」
「……」
ハナはウガルルムに抱き着いたまま、涙を流す。
青い空に、再び、銀色の光が放物線を描いた。
***
「お前は……」
近嵐は、血塗れの右足で立ち上がると、クー・シーを睨みつけた。
「俺に絶望して欲しいんだろうけど……」
右の拳を固めて、握りしめる。
クー・シーの笑みが、近嵐の剣幕に凍り付く。
「俺はもう昔の俺じゃないからさ……」
右足に力を込める。
「好きな女を待たせてるんだ」
近嵐に睨みつけられ、クー・シーが震えあがった。
「どけよ!!」
近嵐の右ストレートは、近嵐の周りに張られたクー・シーの殻を粉々に割り、クー・シーは悲鳴を上げて消え去った。
***
光の槍に向けて、四葉のクローバーのヘアピンが輝きを放つ。
ヘアピンは、ギリギリと鈍い音を立て、光の槍を弾き飛ばすとともに、砕け散った。
ウガルルムは、かざしていた右手をだらりと下げた。
「ウガちゃん!」
もう、何の力も残っていない。
言葉も、発せない。
ハナちゃん、逃げて。お願い。
あなたが死んだら、近嵐さんがどれだけ悲しむか。
私がどれだけ悲しむか。
ウガルルムの目じりから、一筋、涙が零れ落ちた。
「ルル」
ウガルルムの霞んだ視界に、ぼさぼさの髪の毛の人影が映った。
近嵐さん。
どうして。
何で。
私のことなんて。
忘れて。
こんな、ライオンの化物。
近嵐は、コートの右ポケットから、ビロードの、丸みを帯びた箱を取り出す。
血だらけのウガルルムの隣にひざまずき、その左手を手に取った。
「君のいない毎日なんて、俺は。」
近嵐さん。
私は、あなたが好き。
近嵐は、箱から取り出した指輪を、ウガルルムの左手の薬指にそっと嵌めた。
「君のことが好きだ。結婚してください」
プロポーズとともに、近嵐の全身から血が噴き出し、首が転がり落ちた。




