7 秋(二度目)/さよなら
家の中に居ても落ち着かない近嵐は、玄関を開けて外の空気を吸おうとした。
ドアポストに、黒い封筒を見つけた。
なんだ、この趣味の悪い封筒……。
裏面には何も記載されておらず、差出人は不明。表には、赤字で「契約内容の確認」と日本語で記載されている。
電気代も、ガス・水道代も払ってるよな……。携帯代でもないし……。
近嵐は、台所の椅子に座って、恐る恐る開封する。
中には、黒い紙に、手書きと思われるが流麗な白い文字で、次のように記載されていた。
近嵐は書面に目を走らせる。
―契約内容の確認― 11月24日付け
注意:本契約書の内容は他言してはいけません。他言した場合、敗北となり、敗北時の罰が課されます。
賭博期間:12月24日まで(1か月後)
賭博契約者:近嵐明人
賭博立会者:ギルタブリル
賭博内容:近嵐明人がウガルルムへの好意に基づく婚姻要求をせず、近嵐ハナがウガルルムを母と認定せずに、賭博期間を経過すること。
勝利時景品:生存期間中の金銭的保証(近嵐明人)
敗北時罰:賭博契約者の死亡
近嵐明人の死亡によりウガルルムが得る対価:ムシュマッヘを凌駕する能力 及びーー。
裏返そうとした瞬間。
「他言無用よ。まぁ、言ったら言ったで、死ぬだけだけど。」
背後の声に振り向くと、いつの間にか、ギルタブリルが立っていた。
「これ。どういうこと?」
「記載のとおりよ。あなたの賭博の内容」
「……。死亡ってなんだよ」
「命を失うってことね」
「そうじゃない。こんなの、聞いてないぞ」
「聞いていたら、受けてくれなかったでしょう」
「騙したな。人間の世界なら、契約は無効だぜ」
「残念ね。これは、人間の世界の契約じゃないから」
「ギルタブリル。詳しく聞かせてくれる?」
「……。」
いつの間にか、ギルタブリルの後ろに険しい顔をしたウガルルムが立っていた。
「え?! おい、ちょっと……」
ギルタブリルは台所の窓ガラスに向けて飛びこんだ。
窓ガラスが割れる、そう思った瞬間、ギルタブリルはガラスをすり抜けて、窓の外へ消えていった。
「ちょっと、行ってきます」
ウガルルムは、玄関を開け、翼の生えたライオンの姿になると、ギルタブリルのアパートの方へ飛び立った。
***
ギルタブリルのアパートに、鍵は掛かっていなかった。
ウガルルムは、気配を探りながら、ドアを開けて一歩踏み入れる。
「!」
踏み入れた足に力を込めて、後ろに飛んだ瞬間、目の前にギルタブリルの両手が現れ、ウガルルムの頭があった場所を挟み込む。
「記憶がどれだけ大切か、あなたが一番よく分かっているでしょう? いくらギルタブリルでも、怒るわよ」
ウガルルムは、右手を腰に当てて、ギルタブリルを見つめた。
「ルル、あなた……。記憶が戻ったの?」
「うん、ごめんね。今回は少し早かったけど。でも遅いよね。ギルタブリル」
ギルタブリルはアパートの廊下にへたり込むと、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「……こんなことになるなんて、思ってなかったの。ごめんなさい……ごめんなさい……。そんなにあの人間達が……近嵐とハナが、あなたにとって大切になるなんて」
「私もびっくりした。人間の世界に来ちゃいけないって、こういうことだったのね」
ウガルルムは、涙を流すギルタブリルの横に座った。
「近嵐とハナについての記憶を消す。近嵐に求婚させる」
「ルルが……近嵐が死んでも、悲しまなければ……それが最後の道だと思った」
「じゃあ、本気でやれば良かったのに」
「……」
ウガルルムは、ギルタブリルを抱きしめた。
「ギルタブリルは、優しすぎる」
「私は……」
「多分そうよ、きっと、どこかで私はその記憶も、いつか思い出してしまう」
「次の命、その次の命も、近嵐が賭けのせいで死んでしまったことを思い出すのは、きっと、辛い」
ギルタブリルは、涙を拭った。
「私、近嵐にも、ハナにも嫉妬してるの。人間なんて、どうせ死ぬ生き物よ。ほんのわずかな時間で。早いか遅いか、それだけなのに。こんなにも、ルルの気持ちを奪って行って」
ウガルルムはため息をついた。
「生きられる限りの時間。近嵐さんには、ハナちゃんと、生きて欲しいの。」
ギルタブリルは、唇をかみしめた。
「ごめんね、ギルタブリル」
「あの二人じゃなければ良かった。最悪よ。人間なんかどうでも良かったのに……」
ギルタブリルは、ウガルルムの胸で、嗚咽を漏らした。
「……ごめん。ありがとう。また、別の方法を探そう」
ウガルルムは、ギルタブリルを抱きしめた。
「ギルタブリル、お願いがあるの」
***
近嵐は、契約書を裏返した。
勝者には三つの願いの成就。
? これは。
険しい顔をした近嵐の顔を、ハナが心配そうにのぞき込む。
「お父さん……」
近嵐はハナの方を向いた。
「ハナちゃん。これから、少し大変なことがあるかも知れない。驚くことや、辛いことがあるかも知れない。でも、お父さんと、ルルを信じてくれないか? ハナちゃんのところに戻ってくるって」
ハナは、近嵐の目を見つめた。
「……うん」
玄関のカギを回す音がした。
「ハナちゃん、少しだけ、寝室の方に行ってて」
「……うん」
ハナは、台所から寝室に向かった。
玄関のドアが開き、ウガルルムがゆっくりと近嵐に近づいていく。
「ルル。ルルは、その神様ってのと、どうしても戦わないといけないのか?」
「はい。それがずっと、私たちの運命。そのために生み出されているものなので。私たちは神様の戦争の道具なんです。何度も作り直して、作り直すたびに少しずつ強くなって。神様の納得がいくまで、戦争に役立つようになるまで、作り直し続ける。何千年もかけて」
「馬鹿げた話だな。本当に、何の意味もないよ。そんなの。そして、作り直すために殺されちゃうってのか?」
「さぁ。それは分かりませんよ?」
ウガルルムが微笑む。
「もしかしたら、奇跡が起きて、圧勝しちゃうかも知れません。そしたら、私は神様を追い払って、ギルタブリルと一緒に自由になる。近嵐さんは大金持ち。みんな幸せですね」
近嵐は、ウガルルムの右手が震えているのを見逃さなかった。
「ルル、俺は、君に感謝してる。最初は、変なことに巻き込まれたって思ってた。でも、今は……」
近嵐は、言葉を詰まらせた。
「俺には、君が必要だ」
「もしルルが殺されると分かってて、もう会えないと分かってて、それを見過ごすなんて、そんなこと、ありえない。だから……」
ウガルルムの頬を、涙が一筋伝った。
ウガルルムは近嵐の顔に両手を添えた。
「好きよ。近嵐さん。大好き」
「……!ルル、待……!」
ウガルルムの唇が、近嵐の唇を塞いだ瞬間。
ぼんやりとした光が、近嵐の頭部を包み、消えていった。
「ありがとう。私、絶対に忘れない。さよなら、近嵐さん」
***
寝室の襖が開く音に、ハナは振り向いた。
「ウガちゃん……」
「ハナちゃん、楽しかった。ハナちゃんのことも本当に大好き。お母さんって感じには、なれなかったかも知れないけど」
ウガルルムは、ハナをそっと抱きしめた。
「もっと、一緒に居たかった。ごめんね」
ぼんやりした光が、ハナの頭部を包み、消えていった。




