7 秋(2度目)(2)/対象範囲
「もー、恋ってホント、周りが見えなくなるのね。いい勉強になったわ」
「うぅ、ちょっと恥ずかしい……」
ハナが両手を顔に添えて、俯く。
「でも……良かった」
「?」
「多分、近嵐さんプロポーズする気よ」
「ええええ!」
ハナは目を丸く見開いてツムギの前で歓声を上げる。
「私、唇で話してること、だいたい分かるのよね。読唇術」
「ツムギちゃん、ほんとすごいね……」
「そうでしょう?色々、同い年の子よりできること、分かること、知ってること、一杯あるわ。一人でたくさん勉強したから。面白いものよ、できることがどんどん増えていくのって。でも……」
ツムギは少しだけ、足取りを速めて、ハナと距離を取る。
金沢は、少し寂しげな顔で、その様子を見つめていた。
「一人じゃやっぱりつまらない。ハナと遊んでいる時が、一番楽しかった。」
チェックのワンピースの裾をくるりと翻して、ツムギがハナの方を振り向き、屈託のない、子供っぽい表情で笑う。
「ツムギちゃん?」
その笑顔は、ハナの胸をぎゅっと締め付けた。
予感がする。
別れの匂いがする。
「ハナ、私、来月転校するわ。アメリカの大学に行く」
「……!」
「本当は、来年の春のはずだったんだけど。手続きの都合で、少し前倒しになっちゃって」
「……。」
ハナは胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。
「もう、会えない?」
「会えるよ! 卒業までは5年とか6年くらいかかると思うけど……ていうか……時々日本には帰ってくるし、その……ハナが嫌じゃなかったら、時差もあるけど、たまにリモート通話も……」
「もちろんだよ! 連絡して! ていうか、私も連絡するし、そうだ、手紙も書く!」
「て、手紙!」
直筆の手紙、文通。
良い、良いわ。ハナの直筆の手紙、一点物……欲しい。
「やっとアメリカ行きのモチベーションが上がってきたわ」
「私も、一つ目標。ツムギちゃんが卒業するまでにアメリカに行く」
「え? 本当に?」
「うん」
ハナは笑顔で、でも、目はしっかりとツムギを見つめてうなずく。
「自分の力で行くから、ツムギちゃんは手伝ったり、金沢さんを迎えによこしたりしなくていいからね」
「え! 駄目なの?」
金沢に送り迎えさせようと思ったのに……。
「私が自分の力で行きたいの。じゃなきゃ、格好悪いじゃん」
「……。」
あ、やっぱり、私、この子のこと、好きだな。
きっとこの先、色んな人と出会うけど、多分、比べちゃうな。
「その時は、必ず連絡して。アメリカに降り立った瞬間、私はそこにいるから」
「うん、楽しみにしてて」
ツムギは、ハナの笑顔を見つめた後、ワンピースのポケットに手を差し込み、手のひらに掴んだ小さな透明の箱をハナに差し出す。
「何?これ」
「受け取って。これ、強く押し込むと、割れて中のボタン押せるから。もし、危険なことに巻き込まれたら、これを押して。1回しか使えないから、よく考えて使うのよ。そしたら、私、どこに居ても、うちの会社の総力を挙げて、ジェットでもヘリでも飛ばして助けに行くから。」
「何それ、すごい。」
「あ、信じてないわね? 本当よ。お父さんからのお礼でもあるの」
「……信じてるよ。ありがとう。大事にするね。あー、もう私今日何も持ってない。」
ハナはふと、前髪を留めるクローバーのピンが光って震えたような気がして、手に取った。
「あ……これ……あげる」
あれ?良いのかな? でも、何でだろう。そうした方が良い気がする。
ハナは、ウガルルムにもらったクローバーのヘアピンをツムギに渡した。
「え、いいの?」
「うん、これね、何かウガちゃんが魔除けの魔法かけてくれてるって。きっと何かあったら守ってくれる」
***
「お引越し……遠いんですか?」
「まぁ……かなり遠いですね。福岡です。」
「福岡……?」
「九州の方です」
「はぁ、きゅうしゅう」
アパートの前に停めた黒のステーションワゴンから、金沢とツムギが顔を出している。
ハナがステーションワゴンに駆け寄った。
「ハナ、またね。アメリカから、必ず連絡するから」
「うん、私も」
「ウガちゃんには……アメリカのことは、中学に上がったら、教えてあげて。一応、ちょっと、うっかりしゃべっちゃいそうだし」
「ふふ、そうだね」
ツムギの前髪に付けられた、四葉のクローバーのピンが秋の日差しを反射して輝く。近嵐とハナとウガルルムは、ステーションワゴンの後ろ姿を見送った。
「ごめんなさい、ウガちゃん、あのヘアピン、ツムギちゃんにあげることにしたの」
「ああ、あれ? いいと思う。あれはどこにあっても、ハナちゃんを守るように宿命づけられているので、何か理由があるんでしょう。誰の手に渡っても大丈夫」
「え、そうなの? ツムギちゃんのことは守ってくれないかな……」
「ハナちゃんの大事な人なら、対象範囲よ」
ウガルルムはウインクをして見せた。
***
近嵐は、少しだけ、仕事を早く切り上げて、高級ブティックや百貨店が並ぶ駅前のアーケード街の一角を歩いていた。
この辺りでは有名な、地元密着型の貴金属店。
窓ガラス越しに、燦然と輝く銀の指輪に視線を注いでため息をつく。
そして、人生で一番分厚く膨らんだ財布に視線を落とした。
「ま、一生に一度の買い物ってことで」




