5:春(二度目)(2)桜
美容室の最寄りは、アパート最寄りの駅から地下鉄に乗り、4駅ほど先の、海に近い駅だった。
「この辺はあんまり来たことがないなぁ。」
駅を降りると、目の前に大手チェーンのドラッグストアがあるだけで、道は綺麗に舗装されているが、建物もまばらだ。
ほんの少し、海の匂いがするような。
そういえば、この辺りにライブ会場があるって、テレビのローカル放送で聞いたことがあったな。
「ここ、初めて来たねー」
「広々していて、気持ちいいですねぇ」
薄水色のトレーナーに茶色のスカートのハナは珍しそうに駅の周りを見渡し、黄色いワンピースにグレーのカーディガンを羽織ったウガルルムは、春の暖かな日差しを三つ編みに弾かせながら、心地良さそうに伸びをした。
「綺麗な花ですね。ピンク色」
「桜だ。ちょうど良い花見になったな」
駅前通りは、咲き始めた桜の並木が広がっていた。
そういえば、去年はルルの大学の手続きとか、どたばたしているうちに、桜も散っちゃったっけ。
いや、でも去年だって桜は咲いてただろうに。
アパートの近くとか、大学に行く道とかにも桜並木があっただろう。
桜を初めて見たような感想だな。
近嵐は、ウガルルムに視線を送った。
いや、もしかして。桜を、桜として綺麗だと思ったのが初めてなのか。
ルルの感覚は、どんどん人間に近くなっていっている気がする。1年前は、何ていうか、もっとずれていたというか、喜怒哀楽の感情も、最初は楽しい、美味しい、そのくらいだったのに。
最近、ルルが人間なんじゃないかと、錯覚する。生活をしていて、全然違和感がなくなっている。
「こんな綺麗な花、いつも咲いてないですよね」
ウガルルムは、満面の笑みで近嵐の方に振り返る。
近嵐は、自分の頬が紅潮したのを感じて、たじろいだ。
目の前には、いつものように、記号化された顔と、金色の髪が揺れているだけなのに。
何かとても美しいものをみたような気がした。
「は、春だけだなぁ。二週間もしたら散っちゃうから、次はまた来年だな」
近嵐は、平静を装って、ドラッグストアの方に視線を向けた。
「それは貴重ですねぇ。目に焼き付けておきます」
ウガルルムは、桜をうっとりと見上げる。
そんな大げさな。だから、また来年来ればいいじゃないか。
と、言おうとして、近嵐はふと、落ち着かなくなった。
来年は、あるのか?
この賭の終わりは、次のクリスマス。
その先って、どうなるんだ?
ウガルルムが、近嵐とハナを置いて、一番大きな桜の方に小走りで駆けていく。
少し強い風が吹いて、桜がパラパラと舞い降りる中で、柔らかな光りに包まれたウガルルムが、近嵐とハナの方を振り向いた。
「二人もこっちに来てください! 本当に綺麗ですよ!」
その一瞬。
淡いピンクとベージュの光りが散りばめられた真ん中で、しなやかに輝く三つ編みに、近嵐は胸が苦しくなった。
「ハナちゃん」
「え?」
「ルルとの賭け、その……。ハナちゃん的にはオーケーなのかな?ルルが……母親になるっていうか……」
ハナは、目を丸くして近嵐を見上げた。
「わ、私は……。ウガちゃん、好きだから……。ウガちゃんがお母さんなら…」
え、もしかして。お父さん……。
「こらー! こっち来てくださいってば!」
いつの間にか近づいてきていたウガルルムが、近嵐とハナの手を引いた。
「そ、そんなに引っ張るなよ!」
柔らかく、ほんの少しひんやりした、ウガルルムのしなやかな手の感触に、近嵐はまた落ち着かなくなった。
駄目だ、俺、おかしいぞ。
桜の花びらが、ひとひら、視界に舞い降りる。
もし。
ルルがいなくなったら。
来年の桜はこんなに美しいだろうか。
***
美容室は、駅から15分ほど歩いた、桜並木の先の路地を入ったところにあった。
漆喰の白壁にモスグリーンの樫の木の扉、茶色い木枠の大きめの窓の、かわいらしい建物だった。
一人じゃ、絶対近寄らないな。
近嵐はそう思いながら、二人の後を付いていった。
「あの、電話で申し込んだ、宇賀ですけど……」
ドタン。
ウガルルムとハナの背中しか見えない近嵐は、店内から響いた何かが倒れる音に、びくりとした。
「え? 君? ほんとに素人さん?」
「シロウト? 良く分かりませんが……カットモデル、無料になりますか?」
「なるよ! 勿論! え? これ地毛? 嘘だろ……?ハーフ?」
「ハーフ?」
近嵐はウガルルムのカーディガンの裾を掴んで、一旦店の外に引っ張り出した。
「ちょっと……、すまん。俺が甘かった。設定を伝えるから、その通り受け答えしてくれ」
「また設定ですか……。まぁ、分かりました。身バレしないための方略という奴ですね。やってやりましょう」
ウガルルムのガッツポーズに、近嵐はため息をついた。




