1:春(一度目)(2)
近嵐の髪の毛は、体中を駆け抜けた電撃にチリヂリにされ、パーマをかけたかのように毛先がくるくるになってしまい、水をつけて櫛で梳かすこと数分間、直らないことを確認して、近嵐はあきらめて食卓に戻った。
卵焼き、ハム、キャベツの千切り、納豆、味噌汁。月曜日の定番メニューは、このところウガルルムとハナが分担して作っていた。月曜日は少し憂鬱そうにしていた近嵐を励まそうと、ハナが提案してこの4月から始めた新しいルーティンだった。
正直、月曜日の朝に食事の準備をするのが億劫だったので、綺麗に並べられた朝ごはんを見るだけで気が緩む。そんな自分を、近嵐は引き締めて、先ほど毛髪をチリチリにされたウガルルムをジト目で見つめる。
「で、今日は大学あるんだろ。」
「はい。シンリガクのコウギを聞きに行くのです」
「何かの役に立つのかね」
「それはもう。人間のココロの学問ですから。私の利益に直結するわけです。近嵐さんのココロが分かればこっちのものですから」
「……無駄だと思うけど……」
娘のハナが出汁をとった味噌汁を、近嵐はずずと啜る。魚の出汁が強く効いていて、美味い。
「ハナちゃん、上手くなったね」
「えへへー」
ⅠHヒーターを使うのは、まだ危ないかと思っていたが、小学5年生のハナは、近嵐の心配をよそにどんどん家事を覚えていく。小型の包丁を使って、ネギや豆腐も切って、昆布と、行きつけの魚屋で大量に分けてもらって冷凍しておいたイリコを使ったみたいだ。
びっくりするくらいのスピードで手がかからなくなっていく。
子供の成長って早いんだな。
近嵐は、ご飯にごま塩を振りかける。
そして、当然だけど、俺には似てないんだよな。
ハナの少し茶色がかった明るい髪色を見つめながら、近嵐は卵焼きに手を伸ばす。
じゃりじゃり。
砂糖の塊が不快な口触りとともに、口の中で溶けていく。
甘い。
「どうですか? 近嵐さん、卵焼き好きですよね??。これで私のことも好きに……」
「俺の好きなのはショッパイ卵焼きだっての! 砂糖入れたろ! しかもちゃんと溶けてないし!」
「えー?? 甘いの美味しいじゃないですか。もー……。ニンゲンメンドクサイ」
ウガルルムの金色の髪の毛から、ライオンの耳がぴょこりと飛び出す。
こいつ、不機嫌になったり、逆に喜んだりすると、時々耳が飛び出すよな。犬のしっぽみたいなものなのかな。
そんなことを思いながら、近嵐は甘い卵焼きに醤油をかける。こうすれば、まぁ、食べられないとまでは言わない。貴重な卵、貴重なたんぱく質だ、味わって食べよう。給料日まであと二週間もあるんだから。
ウガルルムは、醤油をかけた卵焼きを一切れ、無造作に手でつかみ、放り込む。
「あ、箸使えってば!」
「あ、美味しいですねぇ。ショーユも。人間ってほんと、いろんなもの作りますねぇ」
卵焼きをほおばるウガルルムは心底、その味わいを楽しんでいる。
満面の笑みを浮かべていることは、近嵐にも分かった。
ハナに言わせると、ウガルルムの顔は、ミディアムボブくらいの長さの、少しウェーブのかかった金色の髪と、艶々した白い素肌。二重の大きな黒い瞳は光を受けると少しオレンジ色に光る、らしい。
背格好は、十代の少女にも、二十代の女性にも見える、すらりとしているが女性らしい凹凸はくっきりとしているその姿は、端的に言うと、「かわいい」と「綺麗」を混ぜて二で割らない具合の、要するに、不思議な魅力のある美人なのだ、そうだ。
ハナの他、何人かの証言を組み合わせると、そう推察できる。
そういう風に見えるように化けているんだろう。
近嵐は味噌汁と、ごま塩ご飯に意識を戻す。
炊き立てのお米はほんのり甘い。安物のごま塩を振りかけただけで、何杯も食べられそうなご馳走になる。
「あ、今日も18時に、ジドウカンに迎えに行くね」
「ありがとう! 待ってるね!」
「あ、お迎え、よろしくお願いします……助かります……」
ウガルルムはハナが小学校の放課後に通う児童館に迎えに行く約束をする。
近嵐はこれに関しては味噌汁を啜りながら、急に敬語になって頭を下げる。
4か月前の12月にウガルルムが同居を始めてから、大きく変わったのが、このハナのお迎えだった。 それまでは、19時30分の閉館時間間際に滑り込むように迎えに行っていた近嵐だったが、ウガルルムが代理で迎えをするようになり、生活には相当な余裕が生まれていた。
もう4か月も経つのか。そういや、お迎えに行ってもらうようになる前は、一悶着あったっけな。
近嵐はよくかき混ぜた納豆を残りのご飯にかけながら、そのときのことを思い出していた。