4 冬(1度目)5/鈍感
ケーキは6人分ということもあり、一番大きなサイズだった。
ビニール越しに伝わるずっしりとした重みは、アルコールが入ったウガルルムの楽しい気持ちを更に高揚させた。
まず、近嵐さんのシチューを食べて、ギルタブリルの持ってくるハムを食べて、ツムギちゃんたちも何か美味しい物を持ってくるに違いない。
最高じゃない。
楽しいなぁ。
人間って、毎年こんな楽しいことしてるの?ずるいなぁ。
……。
あれ?
何だろう。
こんなに楽しいのに。
ウガルルムは、ふと、足を止めた。
この気持ちは、なんだか苦しい。違う。悲しい?。
いや……寂しい? だっけ?
右手を胸元に当てた、その瞬間。
周囲が急に暗くなる。
「?」
「理由は分からぬが、ずいぶんと力が失われているな」
背後から不意に響いた暗く低い声。ウガルルムの背筋を冷たい汗が伝う。
視界が極採色の曼陀羅に包まれる。
結界。
閉じ込められた。
振り向いた瞬間。
トン、と僧侶の突き出した錫杖の先がウガルルムの胸元に当たる。
「!」
錫杖から放たれた光がウガルルムを包み込むと、全身に重りが乗せられたように、体が重くなり、ウガルルムはその場に座り込む。
「人間の世界から、消え去れ。人外」
「うぁぁぁぁぁあっ!」
ウガルルムを包む、青白い清らかな光が力を増し、全身に激痛が走る。
締め付けられる、押し潰される。
存在ごと。
これは……魔獣を滅ぼす祈り。祈りの結界。
「ここは、人の世界だ。人間以外に居場所はないのだ。異物は去れ」
清らかな光が、僧侶の言葉とともにさらに力を増していく。
人の世界。
居場所。
アパート。
小さな、近嵐さんの家。
ハナちゃんの卵焼き。
あ、嫌だ。
やだ。
止めて。
消えたくない。
帰りたい、近嵐さんの家に。
帰りたい。
***
「ルル!」
スマホのGPSは、この路地裏を指している。
居る、絶対に。見えないけど、ここに居る。
勘弁してくれ。
ハナが泣くだろ。
こんな居なくなり方、するなよ。
「ルル!! ルルを返せ!!!」
虚空に向かって、近嵐は絶叫した。
***
近嵐の声が、結界の中に響き渡ると、光がわずかに歪む。
「声?」
僧侶が顔をしかめた。
響決壊が緩んだ瞬間、ウガルルムは僅かに残った力を右手に込めた。
「近嵐さん!」
「!」
ウガルルムが伸ばした手が、結界にヒビを入れる。
「そんな……!」
ひび割れた結界の隙間から差し出された近嵐の手が、ウガルルムの手を掴んだ。
「うおぉぉぉっ!」
近嵐は、路地裏の風景に現れたひび割れから、両手でウガルルムの右手、右腕を掴んで、結界の中からウガルルムを引っ張りだす。
「わっ……!」
結界から引きずり出した勢いで、近嵐は後ろに倒れこみ、ウガルルムが近嵐に覆いかぶさる。
「……近嵐さん、近嵐さん、近嵐さん!」
ウガルルムは、そのまま近嵐に抱き着いた。
「お、お前、ルル! ちょっと……!!」
近嵐は、ウガルルムの金色の髪の毛の、柔らかな香りに安堵した。
が、視界の端に映った光に気付くと、ウガルルムを左手で引き寄せ、その背中の方をかばう様に右腕と肩を伸ばす。
「っ! 痛っ!」
右肩を襲う激痛に顔をしかめる。
僧侶の振り下ろした錫杖が、近嵐の肩にめり込んでいた。
近嵐は、僧侶を睨みつけると、力任せに錫杖を振り払い、よろけた僧侶の腹の辺りを押し返すように蹴り飛ばした。
僧侶はよろめき、尻もちをつく。
「何をする!もう少しでお前の呪いを消し去ることができたものを……」
「頼んでねぇ! 娘がこいつとケーキを待ってるんだ。邪魔すんなよ!」
近嵐は僧侶を睨みつけた。
「お前、その化け物に魅入られておるな?」
「は?!み、魅入られてる?!」
ふんわりとした、ウガルルムの髪の毛の匂いを感じた。
「そんなわけねーだろ! 俺は、こんなライオン何て……!」
「そやつはいずれお前の命を奪うぞ。これを……」
袖の下に僧侶が手を差し込む。
近嵐は危険を察知して、ポケットから唐辛子の粉末入りの瓶を取り出す。
「ごめん、すまん。」
近嵐は蓋を開けて、唐辛子粉末をバサッと僧侶の顔に振りかけた。
「ぬがっ!」
突然、目や鼻に唐辛子が付着した僧侶は、顔を覆って膝をつく。
「立てるか?」
近嵐は、ぐったりとした様子で座り込んでいるウガルルムの横で膝をつく。
「すみません……ちょっと無理……」
「ぬぬ……」
「え、あっ……」
近嵐はウガルルムの背中に手を添え、膝裏に両手を差し込み、いわゆるお姫様抱っこで、ウガルルムを持ち上げた。
そのまま、苦悶の声を上げる僧侶を背に、走り出す。
僧侶の足元には、大きめの手鏡が転がっていた。
そこには、血塗れになり、四肢が切断された近嵐が横たわっていた。
その傍に立つのは、輝く金髪の、美しい女性。
近嵐の背中が、僧侶の瞳にぼんやりと映る。
「お前の未来だ。その化け物の呪いで、お前はそう遠くないうちに、死ぬぞ……」
「そんな物まで持ってるの?」
「!」
僧侶の後ろに、不意にギルタブリルが姿を現すと、ほんのりと光を放つ両手を僧侶の頭にかざす。
僧侶は、糸の切れた操り人形のように、地面に崩れ落ちた。
「あんな結界まで用意しているなんて。ほんとに、厄介な人間だったわ」
これで、私たちに関する記憶は全て消えた。
ギルタブリルは、手鏡を踏みつける。
砕け散った鏡面が、刹那、無数のギルタブリルを映し出す。
ちくり、とその心に引っかかった何かを、ギルタブリルは抑圧する。
なるほど、こっちの世界に行ってはいけない、人間と関わってはいけない、という理由が分かった。
この世界で過ごせば過ごすほど、感情が育っていく。邪魔な感情が。
「それでも、やらないと。私はもう、ルルを失いたくない」
***
近嵐に抱きかかえられたウガルルムは、バランスを取るために、近嵐の首筋にしがみつくように両腕を回していた。
自然と、近嵐の胸の辺りに顔を埋めるような態勢で、その温もりと、ほんのりとした近嵐の匂いを感じていた。
「……近嵐さん……。もう、大丈夫です。立てます、その……降ろしてもらって……」
ウガルルムが、か細い声で、自分を抱きかかえる近嵐に対してつぶやく。
「本当か?それならいいけど……。何か顔色赤くないか?」
「何か……さっき受けた攻撃の影響が出てるのかも……でも、大丈夫です……」
変だ、落ち着かない。
近嵐さんの腕のぬくもりが、すぐ傍にある瞳、耳、唇、首筋、髪の毛が。
私の体を、抱きかかえている。
何か駄目だ、私は髪の毛もぼさぼさで、汗もかいていて……。
恥ずかしい。早く、離れなきゃ。
神社も抜けて、人通りも少しずつ増えてきた。
「じゃ、降ろすぞ……よっと……。」
近嵐は、ゆっくりと、ウガルルムを足元から地面に降ろし、立たせる。
近嵐の両腕がウガルルムから離れる。
えっ。
あれ?
何だろう。
嫌だ。
「な、なんだ?どうした?大丈夫か?」
ウガルルムは近嵐に視線を送る。
さっきまで、私を抱きかかえていた、腕。
何だこれ、胸が、苦しい。熱い。
顔が火照って、止まらない。
「あ、ケーキ……ぐしゃぐしゃになっちまったか……また今年も……」
「あ、食べ物は直せますので……また、去年みたいに直しておきます」
ウガルルムは、近嵐に背を向けると、ケーキを抱えてすたすたと歩きだした。
「お、ほんとに大丈夫そうだな……よかった……」
「……」
そのまま、家に帰りつくまで、珍しく黙りこくったウガルルムを心配し、近嵐は何度か声を掛けた。
その度に、ウガルルムは、気持ちが落ち着かなくなるのを感じていた。
「……さっきのダメージが抜けないみたいです……すみません……」
顔を真っ赤にしながら、ウガルルムはそう、つぶやくように言った。
***
「やー、買い込んだねー」
「絶対全部食べ切れないパターンでしょ」
「ま、お酒もいっぱいあるからね」
金堂は、弁当屋で注文したオードブルを手に提げ、女友達二人と並んで歩いていた。
「わ、なんか凄いカップルがいる!」
「え?」
「あれ! ほら! もー、街中で!」
金堂は友人の指した方向に視線を送り、オードブルの入ったビニール袋を落として硬直した。
「え! ちょっと! どうしたの?」
金堂は、網膜に焼き付いた映像を反芻していた。
え、あれ。お姫様抱っこしてたの、近嵐係長。
抱っこされてたの、あの金髪の子。
めっちゃしがみついてたし。
冷たい風が吹いた。
落としたオードブルに手を伸ばす。
「あ、あはは。 衝撃的過ぎて……。な、何あれって感じ! 本当、ムカつくよね! よーし! 飲むぞ! 今日はほんと、朝まで飲むから! クリスマスを吹っ飛ばす!」
「おお! 盛り上がってきた! ワインたくさん用意したから!」
あー。
やっぱりなぁ。
そりゃ、そうだろうと思ってたけど、さ。
「カップルなんて全滅しろー!」
金堂の絶叫が夜の街に吸い込まれていった。
***
家に戻った後、ケーキを見て大喜びのハナに加え、ギルタブリルにツムギ、金沢も合流し、ウガルルムもすっかり元気になったので、女子会の様相を呈したリビングから近嵐は脱出し、右肩に湿布を貼った後、いつのまにやら寝室で眠り込んでしまった。
目を覚まして、リビングに行くと、パーティの後はきちんと片付けられていて、むしろパーティ前より綺麗になっていた。
こりゃ、金沢さんがやってくれたんだろうな……と近嵐は、テーブルに置かれた「申し訳ありません。ご馳走様でした」との、すさまじい達筆な書置きを見ながら推察した。
こたつでもぞもぞと動く物体に目が行く。
猫はこたつで丸くなる。
と思わず口ずさみそうになった近嵐は、「ルル、そんなとこで寝てると、風邪ひくぞ?」と言ってから、そもそも風邪とかひくのかな、と思った。
近嵐の声が届いた瞬間、ウガルルムがびくっと反応した。
「?」
こたつから顔を出すウガルルム。
「……!」
近嵐の顔を確認すると、ウガルルムは、こたつ布団を引き上げて顔を隠した。
鼓動が早くなる。
顔が熱くなって、落ち着かない。
「こ、こっち見ないでください!」
「な……なんだよ……。」
「パジャマなんです!寝起きで顔色も悪いし……」
「え……あ……。あ!ほんとだ!まだ顔が赤い……! やっぱり風邪じゃないのか?」
「へ?あ……!」
心配した近嵐は、無造作にウガルルムの額に右手の手のひらを添える。
「……!やっぱ熱いじゃないか!……ってか、え?風邪とかひく……」
「きっ……きゃああああああ!!」
「うおっ!」
顔が沸騰するくらいに赤くなったウガルルムは、悲鳴を上げると近嵐の右手を左手で払おうとした。焦って上げた手がこたつ毛布に引っかかり、こたつ毛布に膝を載せていた近嵐がバランスを崩し、ウガルルムの方に倒れこむ。
「ど、どうしたのウガちゃ……!」
キッチンの方から駆け寄ってきたハナは、目の前の光景に両手で顔を覆いつつ、しかし指の隙間から視線を確保した。
「あ、あの……。あ……。あうあう……」
「ち、違う!違うぞハナちゃん!こ、転んだだけ!転んだだけだから!」
ウガルルムに覆いかぶさったような態勢で、近嵐は首をねじってハナに向かって叫ぶ。
「は……離れてください!」
「言われなくても離れるっての!もう……風邪じゃないのかよ?」
「私は人間みたいにカゼなんてひきません!」
するすると、滑るように近嵐の下から這い出すと、ウガルルムは壁を背にして、毛を逆立てて威嚇する猫のようなポーズで近嵐を睨みつける。
「……わ……私に何かしましたか?」
「は?」
「さっきから……近嵐さんが……近嵐さんに見られたり、近づかれたり、……さ、触られたりすると……変ですよ!これ! 毒ですか?呪いですか?魔法ですか? 熱くなって苦しくなって……つらいんですっ!」
ウガルルムの訴えが、狭いアパートのリビングに響いた。
ハナは一拍置いて、両手を顔に添え、「わぁ……」とつぶやきながら、頬を赤くする。
その脇で近嵐は眉間にしわを寄せる。
「いや、俺は何もしてない。まじか……くそ!やっぱりこないだの奴の呪いか?」
「……え、お、お父さん……。ちょっと……。」
「どうすりゃいいんだ?とりあえず、ギルタブリルを……」
「だ、だから! 近づかないでくださいってば!」
「あ、おい!」
近嵐がウガルルムに歩み寄ろうとすると、ウガルルムは猫のように四つんばいで駆け出し、玄関を開けて飛び出していった。
「……大丈夫かよ……あいつ……」
ウガルルムが開け放った玄関を、近嵐は呆然と見つめる。
そんな近嵐の背中を、ハナは若干白い目で見つめていた。
「……お父さん……、鈍感って言われたことある?」
「え? 何て?」
「ううん、何でもない……」




