3 秋(1度目)(3)/まだ、心配させてくれ
「まもなく、3年生の演奏が始まります。保護者のみなさんはお席に座ってお待ちください」 体育館では、5年生の演奏が終わり、保護者の入れ替えが終わりつつあった。
ハナは、保護者席の方を見つめていた。
「緊張するね!」
ピアニカを持ってハナの隣に立つ、西園寺ツムギは、わざと明るい声でそう言った。
「うん、でも、ツムギちゃんの次だから。一人のパート。一番最初のツムギちゃんの方が緊張するでしょ?」
「まあね。でも、ハナに良い感じで繋ぐから。緊張なんかしてらんないわ」
ツムギは前髪をさっとかき上げながら、おどけた様子でそう答える。
その様子に、ハナは、この友人が…いや、きっと、親友ってこういう人のことを言うんだろうなと思ったハナは、胸が暖かくなるのを感じた。
お父さんを保護者席に見つけることはできなかった。
私を励まそうとしてくれてる。
「ありがとう、ツムギちゃん。ツムギちゃんとペアになれて良かった」
ハナが笑顔を見せると、ツムギは真っ赤になって顔を逸らした。
「あのビデオ、後からアップで見えるよね、私たちの演奏」
ハナは、教師がセッティングしたビデオカメラを見つめて言った。
「画質、勝手に高めにしてあるから、もちろん大丈夫よ」
ツムギはそう言って親指を立てた。
普段は隠しているけど、機械の扱いが大人より断然上手い。
「ありがとう」
ハナはそう言って笑い、ビデオカメラの方を見つめながら、一年前の保健室を思い出していた。
泣いて、過呼吸気味になり、音楽会に参加できなかったこと。保健室のベッドで横たわり、ぼんやりと、隣の部屋からこぼれてくる光を見つめていたこと。
そして、遅れて駆けつけて来た近嵐が、学年主任の木村先生から怒られていたこと。
お父さんを怒らないでって、言いたかったのに、声が出ず、動けなかったこと。
どこかで転んだのか、お父さんのスーツの膝が破れていたこと。
今日も多分、お父さんは急いで学校に向かってる。
いつだって、ずっとそう。
よく考えたら、そうだったじゃないか。
どれだけ遅くなっても、時間が過ぎてしまっても。
お父さんも、いなくなっちゃうんじゃないかって、思っても。
最後にはちゃんと、迎えに来てくれる。
だから、もう、心配させないように。
一人でも大丈夫だって、しっかり映しておくんだ。
「それでは、これより5年生の演奏が始まりま……!。」
「!」
「何?!」
地鳴りの様な音の後、体育館の校庭側の窓がガタガタと揺れた。
ハナは視界の端に、何か金色に光るものが映った気がして、瞬時に眼を向けた、一瞬。
黄金色に光る、翼の生えたライオンと、その背中に乗る近嵐の姿、そして、
「ハナちゃん!」
と近嵐が叫んだのが、ハナにだけ、確かに聞こえた。
ハナの眼から一筋涙がこぼれた。
***
「お待たせをいたしました。…珍しいですが、突風…?小さな竜巻…が発生したようです。体育館にも異常はありませんでしたので、音楽会を再開させていただきます」
30分ほどの中断の間、あちこち走り回ったのか、少し疲れた様子の教師が、音楽会の再開のアナウンスをするのを、体育館の端っこで壁にもたれて、眺めていた。
せっかく準備していた一眼レフのデジカメは、橋から転げ落ちた時の衝撃のせいか、電源がつかなかった。相変らずスマホも電源が入らない。
撮影道具を全て失った近嵐は、ハナの演奏を眼と耳に焼き付けることにした。
ハナのソロパートは、時間にすればほんの5秒ほどの、ピアニカの独奏だったが、近嵐には実際よりもずっと長く感じられた。
隣に立つウガルルムは眼を閉じて演奏に聞き入っていた。
「人間の音楽は、良いですね。飛んできたかいがあったってもんですよ」
近嵐は、ちらりと、ウガルルムに眼をやった。
自分をわざと怒らせて。あきらめていた自分を引っ張り出した。
ウガルルムに手を引かれた瞬間。胸が暖かくなったのを思い出して、近嵐は焦った。
何て感情を抱いてるんだ、俺は。
近嵐は、慌てて首を振った。
***
「お父さん……今日はありがとう」
「へ?どうしたんだよ……」
近嵐におんぶされたハナの言葉に、近嵐は驚いた。
音楽会終了後、学校の下校口で近嵐とウガルルムを見つけ、思わず駆けだしたハナは、足がもつれて転んでしまい、近嵐がおんぶし、ランドセルはウガルルムが持って歩くこととなった。
「大変だったのに、来てくれたから。ウガちゃんも、ありがとう……」
「チョコのお礼です」
「ん?チョコ……。何だ……ルル、ハナちゃんからチョコもらったのか?」
「ルル?あ、私か。あれ、そう呼ぶんですか?「こいつ」か「お前」かと思ってましたが。ギルタブリルみたいですね」
「フルネームは長いし、俺が「ウガちゃん」呼びするのもしっくりこないから。」
「はぁ。まぁ、別に何でもいいですけど……。あ!!!」
ウガルルムは急に大声を出し、近嵐の顔を覗き込む。
「うわ、びっくりした! なんだよ!」
「すっごい高速で! 空飛んで! ドキドキしました?! もしかして好きになったんじゃないですか?!」
「ば……!」
そんなわけねーだろ、と即座に言い放つのを躊躇った自分に、近嵐は動揺していた。
「……そんなわけ、ないだろ……」
ぼそっと言うと、ウガルルムは、「ですよねー、空飛んで急降下してドキドキ……これは駄目なんですよねー」とため息をついた。
ハナは、二人のことを見つめていた。
誰も信じないよ、ライオンが、お母さんになってくれるなんて。そんなこと。
「お父さん」
「ん?」
「私、もう大丈夫だよ」
「いや、一応今日は家に帰って湿布して、様子見なきゃ。それでまだ痛かったら病院も……」
「足じゃなくて……その、音楽会とか、行事、来れないこともあるでしょ。もう、心配しなくても、去年みたいに泣いたりしない、もう絶対ない、絶対ないから。5年生だもん。だから、もう心配しなくて良いから……」
「え、それは嫌だ。」
近嵐は顔をしかめた。
「え?」
予想外の言葉に、ハナは驚いた。
「まだ、もうしばらく、心配させてくれ」
そんな早く、大人にならないでさ。
俺が治る前に、君の顔が見えなくなるのも困るんだ。
「………」
続く言葉を飲み込んだ近嵐は、首筋に柔らかい水滴が落ちるのを感じた。
「?」。
「ぅうううう。うわああああああああん」
「ど、どうした、ハナちゃん、足痛いか?!」
「ぢがう~……!うぅううう」
背中で大泣きするハナにうろたえる近嵐を、ウガルルムは不思議そうに見つめていた。
首にかけたカメラが、こつんと手首に当たる。
電源ボタンが押し込まれ、画面が点灯した。
「あれ、これ、動くじゃないですか。えい」
ウガルルムは、近嵐とハナを画角に納めて、シャッターを切った。
カシャリと、シャッター音が響いて、再びカメラは電源が落ち、沈黙した。
***
海岸沿いの国道を、近嵐の運転する安物のレンタカーは、先を急ぐいかつい車達に次々と抜かれながら、のんびりと走っていた。
「カメラ、戻ってきたらルルにやるよ」
「え?良いんですか?」
「ああ、その代わり、行事の時は、ハナちゃんを撮ってくれよな」
後部座席で眠るハナに、近嵐はバックミラー越しに視線を送った。




