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2 夏(1度目)(2)/金堂奈々の休日

 5月下旬、初夏の陽気の中、近嵐の部下である金堂奈々は、休日を利用して自宅のアパートから地下鉄で二駅先の隣の区まで、美容室に行くために足を運んでいた。

 朝10時に予約した美容室で、カットとシャンプー・トリートメントに炭酸スパ。施術を終えた肩ぐらいまでの髪は5月の陽光に照らされて少し栗色に輝く。

 近嵐係長の家、この辺りなんだよな。

 いや、別に、担当美容師さんが、こっちの店に異動になったからと言って、喜んだりはしていない。家から遠くなって面倒だな、と思ったのだ。だから、別に、休日に美容室に行ったら、近嵐係長に道端でばったり会うかも、何て思ってない。全然思ってない。

 ……。

 

 特に用事はないが、金堂は地下鉄の駅の近くのショッピングモールに寄っていくことにした。

 近嵐の部下として働いて3年目。

 民間の調査会社で、入社まもなく、金堂は近嵐とは別のチームで自治体の小規模な統計調査案件を担当した。会社の抱えるモニターと、自治体の要望のあった調査対象からアンケートを回収して、依頼された方針で結果を比較分析し、報告書を継続的に提出する、期間は長いが、比較的シンプルな案件だった。

 それなりに順調に処理を進めていて、三次報告書のメインの処理は、部長の「せっかくだからやらせてみたら」とのお言葉で、金堂が行うことになった。

 データの分析を終え、金堂は納期に向けて着々と報告書を作っていた。せっかく任されたので、綺麗に仕上げてから、上司に見せようと思っていた。

 納期の一週間前、報告書をあらかた仕上げて、データを見直していたとき。コーディングのミスを見つけた。数字の変換が間違っている。初歩的なミス。でも、そのミスは報告書のあちこちに影響する。

 直属の上司は、3日間出張で北海道に行っている。

 間に合わない。

 金堂は血の気が引いて、頭が真っ白に、顔が真っ青になった。

 「ここは、自分が三回チェックしましたから、絶対OKです」

 数週間前の自分の間抜けな声が脳内にリフレインする。二次報告書まで、ミスが少ないね、丁寧だね、とか言われて、調子に乗っていた。

 膝が震えて、目の端に涙が浮かんだ。

 その瞬間。

「手伝うよ。どこ間違った?」

 斜め前の席の近嵐がそう言った。

 まだ、何も言ってないのに、何で分かるの?

 他の班の新人を、ずっと気遣って、見てくれていたの?

 それから、近嵐は他の班からも応援を呼んで、自宅にもリモートワークで持ち帰って、3日ほどで全てのエラーを修正した。 

 「ま、良くあることだよ。俺も似たようなこと何度もあったから。江口課長が帰ってきたら、ちゃんと報告しといてね」

 恐らく睡眠時間を削ったであろう、目にクマを作った近嵐が朝にさらっと、笑顔でそう言った時。

 あれが決め手だったかなぁ。

 金堂はぼんやりと、思い返していた。

 とはいえ、どうやら小学生の娘さんがいる、と聞いていて、これ以上気持ちが膨らまないように気をつけていた、が。

 あ、近嵐はシングルファザーだぞ。大変だからフォローしてやってくれ。

 近嵐係長はいつも定時で帰って凄いなぁと思っていたところ、部長がさらっとそう言ったのを聞いて、 金堂の心拍数は跳ね上がった。

 次の希望で、近嵐の班を志願して、それから2年。

 去年の年末ころから、近嵐が少しだけ残業をするようになった。

 そしてこの間の、大学生の姪が同居するようになったという話。

 え、何それ、羨ましい……。

 率直な感想だった。

 時折部長が「大学生の、姪ねぇ……」

 とニヤニヤするのが非常に不快だった。

 近嵐係長は、そんな若い子に興味なんか無い!とおかしな自信があった。

 根拠もある。以前インターンシップで「あれ、芸能人?アイドルかなんか?」と、他のフロアからも聞かれるほど、超絶にかわいい女子大生が来たことがあった。その子が、近嵐と金堂の班に割り当てられ、しかもかわいいのに性格も素直で明るく、頭も良いという。あまりのまぶしさに、正直、金堂は落ち着かなかった。

 社内の男性陣は、部長以下、完全にちやほや、全力勧誘状態だった。

 が。

 近嵐の対応は、普段とまっったく変わらなかった。

 衝撃だったのは、インターンシップ中、その子がポニーテール、ハーフサイドアップ、三つ編みと、何度か髪型を変え、その度におじさん達は喜び、かわいいね、と声を掛ける中、金堂が近嵐に「今日の髪型もかわいかったですね」と聞いた結果。

 「え?あ、いつもと違ったね。できれば髪型は統一してほしいな。見分けがつかなくて」

 と、困ったような顔でぼんやりと答えたことだった。

 嘘でしょ?

 どんだけ眼中にないの?

 呆気にとられた金堂は、「近嵐は、大学生以下の年下には興味がない」、「しかし、娘さんも居るので、女性に興味がない訳ではない」、「社会人の私は、まるっきり可能性がないわけではない」という仮説を瞬時に立てた。

 これが正しければ、「大学生の姪」なる存在は眼中にないはずだし、そもそも法律上もアウトだ。だから、気にする必要はない。

 とはいえ、見たことのない異性が、近嵐係長と寝食をともにしているのはあまり良い気持ちではない。      一度その姿を見ることができたら、少し妄想も晴れるかな……。

 美容室を出たばかりの髪の毛は艶々だった。コーヒーを飲んで帰ろうと、地下鉄の駅の近くのショッピングモールに入った。2階の本屋に立ち寄り、雑誌と漫画を買って、エスカレーターに乗り、3階のコーヒーチェーンに向かう途中。

 金堂の視界の端に、火花が散った。

 そんなに背は高い方じゃない、標準的な少し細身の体つき、少し長めの前髪。会社とは違って、シンプルな七分袖の青いシャツに、黒い細身のジーンズ姿。

 休日の、近嵐係長が下りのエスカレーターに乗って降りてくる。

 金堂の心拍は高鳴り、そして、次の瞬間、別の理由で、心拍がもう一段階跳ね上がった。

 写真で見たことがある、近嵐の娘のハナ…の脇に立つ、近嵐と同じくらいの背丈の、艶やかな金髪の女性。

 美人、なんてものじゃない。

 そこだけ、空気の輝きが違うんじゃないかというレベル。

 ついでに、近嵐係長にはまっっったく似ていない。

 ん?

 その後ろにいる黒髪の女子高生も、何かすごい美人じゃない?何あれ?

 市内の私立高校の制服よね…………。

 じろじろと視線を送っていると、一瞬、近嵐の後ろに立つ金髪の女性と眼があって、金堂はすぐさま視  線を逸らし、身を隠すように買ったばかりの本が入ったビニール袋を顔の方に寄せる。

 下りと上がりのエスカレーターが交差する。

 「ねぇ、近嵐。お昼は何食べるの?」

 「まぁ、一階のフードコートで好きなもの食おうぜ、みんな食べたい物バラバラだろ?ハナちゃんは焼きそばだし、あいつは……」

 「私はたこ焼きが良いです!」

 「ほら」

 「えー、じゃあ、どうしよっかなぁー。あ、でもこの近くにお好み焼きの店あったじゃん。そこにしようよ。焼そばもたこ焼きもあるよ、確か」

 女子高生が!

 近嵐って言った!!

 何?どういうこと?どういう関係?

 思わず、エスカレーターのすれ違いざま、ギルタブリルの方を振り向く。

 えっ?

 ギルタブリルは、一瞬だけ振り返り、金堂に視線を送り、微笑んだ。

 その美しさに金堂は頬が上気し、惚けた表情のまま、ギルタブリルのセーラー服の背中を、その艶やかな長い黒髪が揺れる様子を見つめていた。

 金堂は、3階にたどり着くなり、フロアに置かれたソファに倒れ込むように座る。

 頭の整理がつかない……。

 とにかく、とんでもない美人が、しかも高校生と大学生くらいの若さの二人が、近嵐係長の側にいて、親しげに話していた。これは事実だ。

 姪は女子大生って話だったから、金髪の方が姪で、女子高生は……?姪の……妹?でもそしたら、「近嵐」なんて名字で呼び捨てしないだろうし……姪の友達?大学生と高校生で……?

 ギルタブリルの微笑みが脳裏に浮かび、金堂はまた頬が赤くなる。

 とにかく、綺麗だったな。同性にここまでダメージを与えるとは。

 この世のものとは思えないくらいの、美しさだった。


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