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2:夏(1回目)/これはギルタブリルです

 その日、ウガルルムはいつも通り、白亜の神殿の畔の小さな湖に、過去の人間の世界を映してぼんやりと眺めていた。王と呼ばれる人間を最高位に、序列を作り、下位に置かれた人間達がその道具として、石造りの巨大な三角形の建築物を作る様子を。ウガルルムは、この過去の映像と現代の映像を交互に見るのが好きだった。徐々に技術を発展させ、いつの間にか、過去とは似ても似つかない世界を構築する、不思議な生き物。

 殺される日までの暇つぶしにはもってこいだった。

 できれば、近くに行って見たかったが、こちらがわと人間の世界の間を、創造主であるティアマトが強力な魔術でふさいでいたので、ウガルルムの力ではすり抜けることができなかった。

 人間の世界の時間で、後2年後。

 ウガルルムは、ティアマトの指示で、魔獣ムシュマッヘと戦うこととされていた。

 「あれは、無理なのよね」

 ムシュマッヘは、ウガルルム以外の8体の魔物達を殺していた。ムシュマッヘはティアマトそのものだとの噂だった。

 実際、そうなのだろうと、ウガルルムも思っていた。いくら何でも強すぎる。

 他の魔獣との闘いで負けると、スクラップになる。つまり、存在を消されて、再構築される。

 ティアマトは、ここ数千年、来るべき戦争に備えて、10の魔物を戦わせ、その強さを磨き続けていた。負けて再構築された魔物も、記憶は無くすが、戦いの技術は継承され、明らかに強くなるからだった。そうして、最強の魔物の軍団を作り、なにやら果たしたい復習があるらしかった。

 私には、どうでもいいことだけど。

 ウガルルムも、過去にもムシュマッヘに殺されている、らしかった。死ぬまでの記憶について、ウガルルムは思い出せずにいた。


 今回の意識が生じてから、思うことは、ただただ、戦いたくない、それだけだった。


 「ルル」 

 湖の畔に、澄んだ高い声が響いた。

 「またここに居たの」

 蝙蝠の翼をはためかせ、蠍の尾をくねらせながら、湖の畔に長い黒髪の女性が降り立つ。

 ふわりと、その真っ白な裾の長いドレスが揺れる。

 「ギルタブリル! 神殿、抜け出せたの? やった! 今日は一緒に果物食べよう。」

 「ティアマト様のお使いだから……呼び出しよ」

 「また、ギルタブリルと戦いの練習しろって、お説教でしょ。適当に誤魔化しておいて」

 「そんなこと言ってると、ティアマト様、来るわよ」


 「それなら、それよ。今回の寿命が縮むだけ。たいしたことじゃないわ」


 ウガルルムはギルタブリルから、視線を湖に戻す。

 それを見たギルタブリルは、唇をかみしめ、ドレスの裾をぎゅっと掴む。


 「たいしたことじゃない、わけないじゃない。また、何百年も一人にする気?」


 ぼそりと、小さくつぶやく。

 「え?」

 「私は、ルルに勝ってほしい」

 絞り出すように、ギルタブリルが言う。

 「……でもさ、ムシュマッヘよ? 無理でしょ。それに、さ。勝っても、最後は戦争に連れてかれるんでしょ?どっちにしろ、嫌なのよね。私戦いたくないの。だから…」


 「そんなこと言わないで!」


 ギルタブリルが珍しく声を荒げたのに、ウガルルムは目を丸くした。

 「まだ分からないわ。ルル。まだやりたいこともあるでしょ? もし、何か……。勝てる可能性があるなら、やってみる気はない?」

 肩を掴み、必死に訴えかけるギルタブリルに、ウガルルムはたじろいだ。

 「…まぁ、人間のこの先は興味あるけど……何か方法があるの?」

 「これ」

 ギルタブリルが虚空に両手をかざすと、辺りに一瞬光が散らばり、黄金色の天秤が姿を現す。

 「ティアマト様の神殿からこっそり持ってきたの。私は魔獣の審判だから使えないけど……」

 「なんなの、これ。どう使うの?」

 ウガルルムは、黄金色に輝く天秤に目を奪われる。

 そして、ギルタブリルは、すらすらと、少しの嘘を混ぜながら説明した。

「これはテュケーの天秤。公平の象徴。片方に乗せたものと釣り合うものをもたらしてくれる。そう、例えば、もし、考えられる限りの不可能な事象を片側に捧げれば、それに釣り合うもの……ムシュマッヘを超える力を得ることも……」

 「……考えられる限りの不可能な事象?」

 ウガルルムは、首を傾げた。

 「今から検索してみるわ。最も起こる可能性が低い事象を」

***

 「で、俺との結婚が、その考えられる限りの不可能な事象だって?」

 こめかみをぴくぴくとひきつかせながら近嵐はギルタブリルを睨みつけた。

 「そう。正確には、あなたが本気でルルを好きになった上で結婚する、そしてハナちゃんがルルを母親認定することね。それが、天秤に乗せる、この世界で一番「重たい」ものですって」

 「……どうして俺なんだよ……」

 「さあ? とにかく、一番「重たい」ものを検索したら、そうなったってこと」

 「なんとなく、馬鹿にされてる気もするが……。まぁ、いいや。実際、ありえないと思うし」

 ハナちゃんは最初から、何故かウガルルムに懐いてるけど……。何でなんだろうな。

 近嵐は、ギルタブリルの淹れた緑茶をズズズと啜った。

 この緑茶、うめーなぁ……。

 近嵐はちらりと、ギルタブリルに視線を送る。

 人間にしか見えないが、これも蠍の化け物だ。

 すっかり、日本の生活に溶け込んでいるようで、今は緑茶と和菓子にハマっているとのこと。近嵐のアパートから徒歩5分ほどの、小綺麗な賃貸マンションに一人で住んでいる。

 近嵐は、ギルタブリルと初めて会った時のことを思い出していた。

 ウガルルムとの同居が始まって、1か月くらい経ったころ、休日の朝に突然、ウガルルムがギルタブリルを連れてきた。

 「…どちら様で?」

 「これはギルタブリルです」

 「それを言うなら、この人はギルタブリルです、じゃない?文法、変よ?」

 「でも、ギルタブリルは人じゃないでしょ?だから、「これ」、じゃない?」

 「……うーん……。人間さん、どう思う?どっちが正しい?」

 「……だから、どちら様ですか……」

 ギルタブリルは、ウガルルムよりほんの少し小柄で、日によって違うが、長い艶やかなストレートの黒髪を二つに束ねたり、三つ編みにしたり、そのまま降ろしたりと、あれこれアレンジしており、不意に遭遇すると、誰だか分からない。

 どうも、女子の制服が気に入っているらしく、市内のいくつかの高校の制服を所有して、日によってはそれを着ていることもある。今日は市内の私立高校の制服を着て、髪型はツインテールである。

 「……今日はその服で出かける気か?」

 「そうよ。最近気に入ってるのよね、これ」

 背中の方からは、ギルタブリルの所有する据置型ゲーム機で遊ぶウガルルムとハナの笑い声が聞こえて、近嵐はいよいよ気が重くなった。

 ウガルルムに加えて、制服姿のギルタブリルまで連れて歩くとなると……行先は徒歩圏内のショッピングセンター。近所に会社の人は住んでいないので、リスクは低いが……万一遭遇した日には、説明が難しい。ウガルルムは、まぁ、親戚、大学生の姪です、で大分苦しいものの押し通すとして、完全に、女子高生姿のギルタブリルは、説明が厳しい。

 親戚です。

 妹です。

 姪の友達です。

 ……。

 どれも、何か駄目だ……。

 警察官とかに会ったら職質を受けそうだな……。30半ばのおっさんが、大学生、高校生、小学生とバラエティ豊かな女性陣を引き連れて…。

 近嵐はため息をつく。

 「一緒に行くのか、買い物」

 「当たり前じゃない。別に、近嵐は来なくていいけど?」

 「化け物2体に、ハナちゃん預けるわけにはいかない」

 「いつも、ルルに預けてるじゃない」

 「……」

 ギルタブリルは、お茶に目を落とした近嵐を見つめた。

 案外、この人間は感性が鋭い。 

 ルルには、悪意がないことを何となく感じ取っているのだろうな。

 私と違って。

 「リルちゃん!そろそろ行く?」

 いつの間にか、ギルタブリルの近くに駆け寄ったハナが、ギルタブリルの制服の裾を引っ張る。

 「うん、行こっか!」

 ギルタブリルは、ハナに向かってにっこりと笑った



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