行き遅れ魔女と始める異世界スローライフ! ~毎日ととのうご飯も一緒!~
29才無職未婚男性、中山健人はある日突然異世界に召喚された。
召喚した魔女エミリィ(32)は、どうやら婚約者を連れ戻すはずだったらしいのだが──
まちがえて異世界召喚の憂き目を喰らった現代日本人が、""帰れなく""なったせいで、行き遅れ魔女との同棲生活を開始する。もちろん建前は「結婚しました」ってテイで……
これは、そんな二人が醸し出す、ゆっくりご飯を食べながら異世界で日常生活する、そんなてんやわんやのお話。
「あ゛~! どうして……こう、わたしってやつはァ!!!」
聞き慣れない金切り声で、おれは目覚めた。母親の声にしちゃ若かったが、妹の声にしては少し低い。けれども女性の声だった。
(なんだ……?)
日差しを警戒しつつベッドをゆっくり這い出る。実家の一室。おれの部屋。六畳間取りは狭くはないが、決して広いわけでもない。
だから、声の主はすぐにわかった。
見知らぬ女だ。
背は高く、黒髪で、顔の彫りも深い。だがそれ以上に気になるのは服装だ。黒いバスローブみたいな服に、三角形のとんがり帽子を被って、ベッドの近くで頭を抱えている。
「あの……」
女がゆっくり振り向いた。
吸い込まれるような青い目だった。
「えっと、あの、どちらさまですか?」
「…………」
あっ、無視した。
「すみません。ここおれん家なんですけど」
反応なし。
さすがにこれはどうかなぁ。
ていうか。
そもそもなんで母さんはこんな人を二階のおれの家まで上がらせたんだ? いくらおれが無職で結婚もしないでぐーたら過ごしているからって、こんな怪しい人を部屋に入れる道理はないじゃないか。
それとも、これは妹のイタズラなのだろうか。いやそれはない。おれとちがって真面目に働いてるあの由加が、おれなんぞのために知り合いを兄貴の部屋に案内するのかね。そんな常識はずれな友人も知人も、由加にはいないはず。
だとしたら、この御婦人はいったい?
おれはベッドから抜け出て、周囲を点検する。学生の頃から使っていたデスクに、積んでる漫画本が山ほどある。傍らの本棚には、映画のディスクと漫画、本でいっぱいだ。
床も散らかっていた。異性として恥ずかしいものはいちおうないのだが、それでも異性を招くには向いていない部屋づくりだ。
ゲームの機器に、かつてテレビだったディスプレイ。
つくりかけのプラモ。箱。脱いだ上衣。それに、まあ、数えればきりがないけど。
とりあえずおれは親を呼ぶためにドアへ向かう。L字型のノブを持って。下向きにひねる。それからぐっと引いて──
青空と、草いっぱいの森。
目の前にあったのは、それだけだった。
「は?」
振り返る。女は床にひざを付けて、うなだれている。
「ねえ、ちょっと」
女はようやく意を決したのか、おれのほうを振り返った。
「まちがえたの」
「なんて?」
「その、まちがえて、呼んじゃったのよ」
「どこに?」
女はとんがり帽子の縁をいじりながら、ためらいがちに、それでも、言うときは勢いよく、ハッキリと言った。
「まちがえて異世界に呼んじゃったの!!」
★
「本ッ当に、すみませんでした」
ゴツン、と頭をぶつけるほど深々と、魔女は謝ってくれた。
部屋を出て、すぐそこにあるログハウス。
そのテーブルに腰掛けて、女とふたり。
頭を下げたときの振動で、まだ手前のハーブティーが波紋を立てていたのだった。
おれはそのカップをもう一回手にとって、ゆっくりすする。
もうすっかり冷めていた。
喉元すぎればなんとやら……いやちがうな、これは。
さてどこから順に理解を進めていけばいいのだろう。
「えーっと、つまりこういうことか?」
おれはいましがた怒涛の勢いで説明してくれたことを思い返し、言葉をたどる。
「ここは異世界で、あんたは魔女で、異世界人の婚約者を連れ戻そうとして……それで、住所をまちがえておれが召喚された、と?」
「その通り! 話が早い! 助かります!」
いやテンション高えよ。
「いや、""異世界""って概念を理解してもらうのにまず苦労するのよ……それを手早く理解してくれるなんて、あなた最高」
「じつはおれの世界ではごくごくありふれたものなんですよね」
「ありふれ、てる?」
「はい、まあ」
割愛。これはおれの部屋にある漫画とかラノベとかの物証で事足りた。
「それで、問題はおれが元の世界に帰れる保証、なんですけど」
「それが……」
魔女の目がすっかり泳いでいる。
「悪いニュースから先に言ってください」
「帰れないんです!」
「え」
もう一度言う。
「え?」
「はい。とても言いにくい……ことだったんですが」
それにしてはスッパリ言いやがったなこのやろう。
「いちおう」
「はい」
「理由を教えて下さい」
「異世界召喚の術は五年に一度の大合致の瞬間にしか行えない大儀式魔法だからです」
「なんて???」
「異世界召喚の術は五年に一度の大合──」
「繰り返さなくて良いから!!」
スラスラ言うな。聞き慣れない用語が多すぎて耳を素通りするだろうが!
「そもそも大合致って何?」
「んー、そちらで言うところの、皆既日蝕?」
「あー? それが五年に一度?」
「この世界には月がふたつあるんです。それで聖アグリコラの月暦に拠るとですね──」
「いいから。もう、それいったんいいから」
魔女はすっかりうなだれていた。
おれはため息を吐くしかなかった。
「どーすんだよ」
「わたしもどうしたらいいのかわかりません……」
愕然とする男女ふたり。だからといってなにをするわけでもなく、ただ森は静かに突っ立って、おれたちの行動を見守っているだけだった。
「……ていうかあれですね。異世界っていうからにはなんかこう、妖精とか? でかい爬虫類とか? なんかそういうやべえ生き物がたくさんいると思ってたんですけどね」
「あら。たくさんいますわよ。そこの森には」
「……まじすか」
「マジです」
また沈黙があった。
だからどうしたというんだろう。
なんというか、バカバカしい。
そういう空気がぼーっと漂って、おれたちはすっかり脱力してしまっていた。
と、そのとき。
ぐーきゅるるるるるるる。
「あ」「あ」
おれではない。だから、消去法。
すっかり腹の虫が泣きわめいたところで、魔女は赤面しきっていた。
「とりあえずなんか食べましょうか」
「あ、でも」
「なんです?」
「わたし、料理得意じゃなくて」
「じゃあおれやるよ」
「……よいのですか?」
「だって。できる人いないでしょ?」
また、うなだれる。
おまえはいつもそうだ──(以下略)
やれやれ。おれはハーブティーを飲んだ。
★
「わー、すごい!!」
台所の勝手はちがったが、まあ異世界とはいえ、人間の人体構造はそんなに変わらない。ということは、調理器具も食べ物もそんなに変わらないということだ。
近くの町で買い置いていたパンを主食に、燻製肉を異世界の油で炒める。ついでになんかよくわからない生き物の卵を割って、ベーコンエッグトーストもどきをつくった。ついでに菜園から樹の実と葉野菜を数種類採ってサラダを、屑肉と野菜の切れ端、香草を煮込んでつくったスープをも添える。
匂いもそんなに変わらない。
大した料理じゃないが、魔女の家が森のはずれにある一軒家でテラス付きであるため、ムードは満点だった。
さっそくかぶりつく。感覚としては鶏肉の淡白さと豚肉のジューシーさの間くらいの塩梅で、胃もたれしない軽さがやや物足りない。
でもまあ及第点の味だろう。
スープもいい出汁が出ている。
軽いブイヨンといったところだ。
温かいものを食べる──それだけで、さっきの絶望感が薄らいでいた。
すっかりお腹いっぱいになって、おれたちはもう少しましな話をする気分になった。
「ねえ。あなた名前は?」
「中山健人。健人のほうが名前ね」
「ケント、ですね」
「きみは?」
「エミリアンナ・ロマーヌ・アンジェラ」
「えーっと?」
「エミリィで、よろしくお願いします」
フッと微笑む。
キッとにらんでおいた。
もううなだれるのも見飽きた。
「ていうか、なんで結婚を?」
「行き遅れてまして……」
「ふーん。魔女なら結婚しなくても生きていけそうなんだけど」
「それがそうもいきませんの」
彼女の家系は代々魔女だが、その魔力は異世界人との婚姻によって継承される。
だがエミリィの家族はなかなか破天荒で、三人姉妹のうち姉君は政略結婚をし、妹君は駆け落ち同然で行方不明だった。結果的に行き遅れたエミリィだけが未婚となり、家の都合で異世界人との""見合い""をしたらしい。
「ユウスケは……そんなに不誠実そうな方には見えませんでした。しかし『家族と話がしたい』と言って、五年前の大合致の日に""帰省""したのです。いま思えばそれがいけなかった……」
おれも同じことを思った。きっと同じ立場ならそうしただろうしなぁ。
「でも、結婚というのは家同士でするもの……ユウスケもこの世界に慣れていたとはいえ、家族と話をするのは当然だと」
「まあそうかもしれんが」
「もちろん帰るとき約束したのです。次の大合致の日、どこの場所から呼び出すべきかを……しかしそれでやってきたのがあなただったのです」
あっ、いまそのユウスケというやつが許せなくなりました。
「要するにおれは、そいつの言ったデタラメな住所のせいでここにいるのか」
「はい。そうなります」
わかったのは、いい。
でもこのあとどうするのか。
順当に考えても、あと五年。
気の遠くなるほどの時間だった。
「そういえば、エミリィさんの結婚式はいつなんですか」
「明日です」
「明日?!」
「はい……」
「どーすんの?」
「どうにかするしかありません。さいわいユウスケと面識があるのは乳母のみ。実際にかれを知っている人間は家族にはいません」
「そんなんでいいのか魔女」
「そんなんでよかったんです魔女」
おれ、この世界がますますわからなくなったよ……
そんな文化も価値観もちがう世界で、ひとり生き残れる自信ってやつもない。第一この森を出られるとも思ってない。チートスキルのない異世界人をなめんなよ。
選択肢は限られていた。
「「あの」」
声がかぶった。あわてて互いに譲り合う。
が、結局おれから言うことになった。
「なんていうか、その、おれさ、この世界で知り合いがひとりしかいないんですよ……それで」
「ああ、待ってください。おっしゃることはわかります。いまそのことを考えていたんです」
魔女は、困惑しつつも、でもちょっと恥ずかしそうに、こう切り出した。
「住まい等はなんとかします。ただ、こちらも体裁があるのです。ご協力、いただけませんか?」