冥土な彼女との結婚生活について
(この作品にはあらすじはありません)
新幹線で大きく一本。
それから電車を二本。
更にバスを乗り継ぎ、降車後徒歩で三十分ばかり。
里帰りというやつは、本当に同じ国なのかと疑いたくなる程度には、重労働だった。
「まあでも、三年振りか」
夏の長期休み。
実家からの呼び出しに応じ遥々帰ってきた、大学に入って以来一度も帰って来なかった故郷。
当時は退屈だった場所は――今もただの田舎ではあるのだが――存外悪くもない気がした。
がらりと戸を引き、俺――武笠生人は帰郷した。
◆
「生人、お前には結婚してもらうことになった」
実家に帰り、軽く荷解きを済ませた俺に、親父殿は開口一番そう言った。
「はあ? 何言ってんだ」
「大事な話だ。真面目に聞きなさい」
「いや知らんが」
久しぶり。でも、元気だったか。でもなく、そんな言葉を掛けてくる父親相手に、真面目に対応などできるわけもない。
「母さん、親父が何か言ってんだけど」
「……」
「母さん?」
「理子にも話は通ってる。後はお前だけだ」
無言のまま、台所で作業を続ける母への姿勢を遮るように、父は俺の前に立った。
……どうも、笑い話や冗談の類ではないらしい。
「そもそも結婚って……誰とだよ」
「幽良ちゃんだ」
「幽良と?」
幽良は俺ともう一人、冬馬の幼馴染だ。
あの二人とは、この村を出るまでは仲良くしていたものだが、最近は殆ど連絡も取っていない。
「でもあいつ、確か冬馬と結婚するんだろ? 許嫁だって昔言ってたけど。てか、そうだよ。冬馬は最近どうなんだ? あんま連絡取ってなくてさ」
「冬馬君は亡くなった。先週だ」
「…………は?」
告げられた言葉は、容易には咀嚼できなかった。
「え……いや、は? なん、亡くなったって、死んだってことか? 冬馬が?」
「……そうだ」
「……何で」
聞き返そうと口を開いたその時、玄関の扉ががらりと開かれた。
俺の家族は今、全員ここに居る。
思わず身構えたが、よく考えればここは実家だ。
久方ぶりの、田舎特有の不用心さ。鍵を掛ける習慣はなく、近所の人間が呼鈴を鳴らさずに入ってくることも、たまにある。
それでも一言くらいは掛けて然るべきだと思うが、こればかりは仕方がない。
溜息を一つ吐いて、来客の予定でもあったのかと、両親に問おうとすると、二人は何故か顔を青白くしていた。
「どう」
したのか、と声を出そうとした瞬間、俺たちのいる居間へと戸が開かれる。
「あっ、いっくんだぁ」
「……幽良?」
一目で分かった。
まあ、最後に会ったのは精々三年前なので、分からなかったら怒られたかもしれない。
「うわぁ、久しぶり。いつ帰ったの?」
「さっき帰ったばっかりだよ」
「そっかそっか。うわぁ、懐かしい! なんかがっしりしたね。背は……別に伸びてないか」
「やかましい。俺は十八で伸び切ったんだよ。そっちだって全然……いや、やけに顔色悪いな。風邪でも引いたか?」
「うーん? 元気だよ?」
「そうは見えないぞ。なあ、二人とも?」
振り返って聞いてみても、両親は何も言わなかった。
それに違和感を覚えるより早く、幽良が口を開く。
「それよりさ、結婚の話。もう聞いた?」
「あ? あぁ、聞いたけど……って、そうだ。冬馬が、死んだ、って……」
気温が、下がった気がした。
「冬馬くんの話するの、わたしはヤダなぁ……」
この辺の地域は気温が高くない方とはいえ、今は夏だ。
それにしては、やけに身体が冷える。
ぶるりと身体を震わすと、父が慌てて立ち上がった。
「ゆ、幽良ちゃん! 生人には私たちから話す! だから……」
そんな父をじろりと見つめて、幽良は仕方ないとでも言いたげに溜息を吐いた。
「……ま、いいや。じゃあ、後でね。いっくん」
「え、あ、おう」
訪れてきた時と同じくらい唐突に、幽良は家から出て行った。
「……」
少なからず、困惑がある。
幽良の態度、両親の態度、冬馬のこと。
俺は、それらを知っているだろう両親へと視線を向ける。
「生人、冥婚って知ってるか?」
◆
冥婚、というものをご存知だろうか。
簡単に言えば、生者と死者が結婚する風習のことだ。
死者同士の結婚を指す場合もあるが、ここでは生者と死者のものを云う。
それは死者を慰めるためであったり、あるいは死後の世界で孤独にならぬように、など。
その意味や由来は様々だ。
この村にも、冥婚の風習があった。
確か俺が幼い頃、一度だけ行われていた覚えがある。
若くして独り身のままに亡くなった者に、同じく独り身の異性があてがい、そのまま一月ばかりを夫婦として過ごす。
故郷の外では気味が悪いと謗られる遺体との生活は、実はそれほど悪いものではない。
そも、結婚とは言うが、これは形だけのものだ。
遺族から礼を受け取り、その対価として遺体と生活する。
俗に、契約結婚とでも言った方が適切かもしれない。
ただ、そんな風習も、時代が流れれば廃れるもので。
医療の発展や、栄養状態の改善によって、そもそも若くして亡くなる者が殆どと言って良いほど居なくなった。
時折、事故などで亡くなる者は居るが、そういう場合でも人ではなく人形をあてがうことが多くなった。
「何で、そんな話を」
「……分からないのか?」
分からない筈はない。
結婚の話を持ちかけられたのは俺で、今この通りピンピンしている。
しかし。
「いやでも、幽良はさっき」
普通に話して、元気に動いていた。
「やけに、顔色が悪かっただろう」
「それは……体調が悪いんじゃ」
「少し前から、ずっとあんな風だ。体は冷たいし、心臓も動いていないらしい」
「そんなわけ」
「あるんだ。どうしても信じられないなら、本人に聞いて確かめろ」
信じられる筈もなかった。
冬馬が亡くなったと聞かされて、久しぶりに幽良に会って話したと思えば、既に彼女も亡くなっているなど。
そもそも、死んだなら何故動いているのだ。
「っ!」
居ても立っても居られなくなり、俺は家を飛び出した。
そして幽良の家へと向かおうとした足は、その直後にぴたりと止まった。
「お話、終わった?」
どうやら俺の家の前で待っていたらしい幽良は、陽の元に照らされ、余計に青白く見える顔を軽く傾げた。
意を決して、俺は幽良に一歩近づく。
「幽良、手出せ」
「え? あぁ……はい、どうぞ」
軽く握った幽良の手は、汗ばむ季節とは思えない程に冷たい。
「どう?」
悪戯でもしでかした後のような、楽しげな声色だった。
「……冷え性か? 生姜湯とか良いらしいぞ」
それに合わせるように、俺はからからになった口で軽口を叩いてみる。
「あはっ。それも良いけど、今お腹とか空かないんだよね」
「何でだよ。ダイエットでもしてるのか」
「あ、デリカシーないなぁ……まあ良いけど。で、何で、だっけ」
軽く触れていた俺の手を掴んだ幽良が、己の胸元へとその手を運んだ。
「ねぇ」
彼女の胸は、ゾッとするほどに冷たく。
「何でだと思う?」
心臓は、ただの一度も鼓動を刻んでいなかった。
◆
用事があるから、なんて言って、幽良はどこかに立ち去った。
しばらく現実を受け入れられなかったが――いや、今も受け入れられてはいないが、ぼんやりしていても仕方がない。
「……つまり、何だ。成仏する手伝いをしろと?」
家に戻り、父から話の続きを聞くと、どうもそういうことらしい。
「成仏って……そもそも生きてるのか、死んでるのかもよく分からないけど」
「結婚すれば成仏するらしい」
「本当かよ」
""武笠生人と結婚できたら成仏する""。
「本人がそう言ってる」
「幽良が……」
しかし、医者も馴染みの坊主も、今の幽良がどういう状態なのかは分からないらしい。
故に、本人の言葉を信じるしかないというわけだ。
「他でもない本人がそう言ってるんだ。信じるしかなかった。お前には、すまないと思ってる」
深々と頭を下げる父。
何とも言えない気まずさだ。
「けど、結婚って言っても、書類を提出できるわけでもないだろ。幽良はそれで満足するのか?」
「だからこその冥婚だ。それなら正式に式も挙げられるし、幽良ちゃんからもそれで良いと同意は取ってる」
「本人に聞けるの、無駄に便利だな」
ホラーにしては親切な状況に、呆れのような感情が湧いてきた。
「冥婚の禁忌は知ってるか?」
「……いや、知らない」
「なら順に話そう。一つ、死者と過度に触れ合ってはならない」
「具体的には?」
「性交渉は禁止だ」
「そらご遺体だもんな」
生憎とそんな趣味はない。頼まれたってごめんだ。
……いやでも、普通に動いて話してるんだよな。
「二つ、死者と食事を共にしてはならない」
「……言われなくてもしないんじゃないか? 腹減らないとか言ってたぞ」
「元々は、黄泉戸喫を避けるための決まりだったらしい。一緒に食わないのもそうだし、幽良ちゃんが用意した食事も口には入れるな。慣例のようなものだったが……」
黄泉戸喫とは、あの世の物を食べると、この世に帰って来られなくなる、という考えのことだ。ある意味では、死者の国に引き摺り込まれるようなイメージが近いかもしれない。
迷信だなんて切って捨てるには、彼女の存在は非現実的過ぎる。
警戒するに越したことはないだろう。
「三つ、死者を愛してはならない」
「……」
「これは、一つ目と二つ目の禁忌を守るためでもある。生者は、死者に惑わされてはならない」
彼女に、まだ温かい血が通っていた頃を思い出す。
許嫁なんて話が無ければ……
「それから、もう一つ」
「まだあるのかよ」
「こっちの方が大事だ」
父は何度か口を開き、言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「冬馬君を殺したのは、幽良ちゃんだ」
気温の所為ではない汗が、背中を伝う。
空気を読まない蝉の声が、耳の奥に響き渡っていた。