|東方光誕録《とうほうこうたんろく》
かつて世界には巨大な一つの国と、世界を照らす神があった。
しかし、愚かな人々が己の利益のみを求め争いを始めた為、世界は四つに分断されてしまった。
世界は一つに戻らねばならぬ。
それが世界の定めだ。
『かつて世界には巨大な一つの国と、世界を照らす神があった』
『しかし、愚かな人々が己の利益のみを求め争いを始めた為、世界は四つに分断されてしまった』
『大国が四つに分断された時、神も分裂し、それぞれの国に生まれた』
窓から差し込む光だけが部屋を照らしている王家の書庫で、一人の少女が床に座りながら一冊の本を読んでいた。
少女がページをめくる音だけが響く部屋の中は、神聖な空気に包まれており、窓際で日の光を受けながら本を読んでいる少女の姿は、神話に残る天使の姿を描いた絵画の様でもあった。
無論、少女は人間である為、天使では無いのだが……日の光を受けてより一層輝く白銀の髪や、光の中に溶けてしまいそうな白い肌も、全てを見通す様な空のごとく蒼い瞳も、ただの人間というにはいささか説得力に欠けるのも確かであった。
しかし、そんな神聖な空気も無粋な乱入者によって壊されてしまう。
「こんな所に居たのか。月鈴」
「……お兄様」
「そんな所に座り込んでいては折角の綺麗な髪が汚れてしまうだろう?」
月鈴の兄である星宇は微笑みを浮かべたまま月鈴の近くまで行き、月鈴の手を取って立ち上がらせる。
そして、入り口に控えていた女官を呼び寄せると、乱れた髪を整える様に命じるのだった。
「お兄様。そこまでなさらなくても」
月鈴は女官が髪を整えやすいようにと近くの椅子に座り兄に抗議したが、星宇は笑みを返すばかりでまともに受けようとはせず、月鈴の抗議を柳のように受け流してしまう。
「お兄様……!」
「良いじゃないか。私は美しく着飾ったお前が見たいんだ」
「私はお兄様の妹です」
「知っている。だが……その様なもの、私にとっては何の障害にもならんよ。お前を私に嫁がせる方法などいくらでもあるのだからな」
「その様な世迷言を……! 民が耳にしたらどうします!」
「ならば仕方ない。その者の首を落とさねばならんな」
「なっ……!」
笑みを浮かべたまま放たれた星宇の言葉に月鈴は驚き、目を見開きながら怒りをその目に宿した。
しかし、星宇はその程度では止まらず、笑みを深めながら腰に差した剣を抜くのだった。
「ふむ。そういえば、この部屋には私とお前以外にも『人間』が居るな」
「ひっ、お、お許しください……! 私は何も……」
「おや? 誰に断って言葉を発している。無礼者め」
「っ!」
「お兄様!」
星宇の暴走に、月鈴は怒りを露わにし、女官を庇うべく椅子から立ち上がって両手を広げた。
震える女官を庇う姿は、神の時代を描いた絵画の1シーンとよく似ている。
民を守る為、大いなる悪と対峙した天使の姿と……。
「……すまない。冗談だ」
「この様な冗談。許される事ではありません」
「お前が、火の国に奪われると聞いてな。少々気が立っていた。許せ」
「お兄様」
「まったく。腹立たしい話だ。父上も耄碌した。そうは思わないか? 月鈴」
「……」
「あぁ、本当に。まったく! 話にならないな! 世界を一つにする為に? 火の国と同盟? その証として、月鈴と火の国の王子との婚姻など! ふざけている!」
「お兄様。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! 月鈴は私の物だ。お前が生まれ、この手に抱いたその時より、お前は私の物だったのだ。それをこの様な形で奪われるとはな……!」
「……」
「だが、まぁ良い。お前を送り込めば護衛の名目で兵を送り込める。そうなれば、火の国を内部から崩壊させる事も可能だ」
「それは争いを呼びます! お兄様」
「それこそ望むところだ。私がこの世界の全てを支配しよう。そしてお前に捧げよう。月鈴」
「私はその様な物、望みません」
「気に食わぬというのであれば、お前が喜ぶ物を私が得られるまで民を使うだけさ。飢えようが、命が尽きようが、関係なく、な」
「……っ」
「が……しかし、今はその時では無いようだ。ならば、待つさ。その時までな」
星宇の言葉に、日の光の当たらぬ陰の世界から金色の光を宿しジッと獲物を狙う様な目で実の妹を狙うその瞳に、月鈴は寒気を感じ僅かに身を震わせながら身を強張らせるのだった。
だが、星宇は月鈴が怯えている事を察したのか、穏やかな笑みを浮かべ手を伸ばす。
「怯えさせて悪かったね」
「……いえ」
「本当に悪かったよ。ただ、これだけは覚えておいてくれ。私にとって君は世界の全てなんだ。月鈴」
星宇は怯える月鈴を抱きしめ、静かなひと時を過ごすのだった。
それから、特に大きな変化も無いまま月鈴は南方にある火の国へと向かう事になった。
月鈴たちの母国である大陸の西方……金の国から、南方にある火の国へ向かう手段は2つある。
一つは陸路をひたすらに馬車で走ること。
そして、もう一つは大陸の外側にある海を船で移動する事である。
それぞれの移動に良い点と悪い点があり、悩んだ末に王は陸路を選択した。
だが、この決断が後の歴史に大きな変化を与えるとは……この時は誰も知る由も無かった。
運命の輪は、ゆっくりと轟音を立てながら回り始める。
月鈴を乗せた馬車は突如降り始めた大雨の影響で、本来の道を外れ、吸い込まれる様に崖へと向かって行った。
宙に投げ出された馬車の中で月鈴に出来る事など殆どなく、近くにいたまだ幼い女官を抱きしめる事しか出来なかった。
だが、結果としてその行動が月鈴を生かす事に繋がる。
崖下に落下した馬車の中で、唯一意識を失わず怪我もしなかった幼い女官小鈴は、頭から血を流す月鈴の腕の中から逃れ、頭の中にある地図から付近の村へと走り、月鈴たちを救出したのだった。
それから月鈴は三日三晩高熱にうなされ、目を覚ました時には小鈴が泣きつき、大変な事になったのだが、問題はその後だった。
そう。月鈴の馬車は大雨の影響で大きく流され国境線を超えてしまったのだ。
落ちた崖先は東方の木の国。月鈴たちの母国である金の国とは終わらぬ争いを続けている敵国であった。
そして、月鈴の前には湖の様に深い蒼い髪を持ち、月鈴の兄と同じ王族の証である金色の瞳を持った男が現れたのだった。
「お初にお目にかかる。西国の美姫。月鈴殿」
「あ、あなた様は……うっ」
月鈴は村のベッドで療養していた所に現れた男に驚き、立ち上がろうとしたが、体が激しい痛みを発し、立つ事が出来なかった。
無理をして礼を尽くそうとしている月鈴に男は寝たままで良いと言いながら近くにある椅子をベッドの傍に置き、座る。
王族とは思えない程、気軽な姿に月鈴はやや驚きながらも、感謝を告げ、体を横にしたまま礼を尽くす。
「ご挨拶が遅れました。私は月鈴。西方、金の国の者です」
「丁寧にありがとう。俺は東方は木の国の王。飛龍。早速で悪いが……一つ質問をしても良いか?」
「……? はい」
「君は何故崖下へ馬車が落ちる際、女官を救おうとした」
「そこに救える命があるのなら、手を伸ばすのは必然ではありませんか」
「君は王族だろう? 言ってはなんだが、そこの女官にそれほどの価値がある様には見えんが」
「価値など見て分かる物ばかりでは無いでしょう」
「確かに」
飛龍が興味深げに小鈴へと視線を移し、人見知りの小鈴はその瞳に怯え、月鈴の傍に駆け寄った。
そんな子供の様な姿に、飛龍は鼻を鳴らし、月鈴へと視線を戻すが、月鈴の態度は変わらなかった。
「なるほど。どうやら思っていたよりも君は面白い存在の様だ。月鈴」
「私は……普通ですよ。どこにでもいる。小娘です」
「ふっ、あくまで自分の価値を認めようとはしないか。まぁ良いだろう。月鈴。一つ私と取引をしないか?」
「取引……ですか?」
「そう。取引だ。お前をこのまま火の国へ送れば再び世界は激しい戦火に巻き込まれる事になるからな」
「っ!」
飛龍の真剣な瞳に、月鈴は覚悟を決めた。
ここで自らの命を散らす覚悟を……。
しかし、飛龍はそんな月鈴の考えとはまるで違う言葉を吐くのだった。
「月鈴。俺と結婚してくれ」
「け、っこん?」
「そうだ。小さな命を消したくないと願う君となら、同じ夢を持てる。愛は無くとも、世界を平和にする為に、共に歩むことが出来る。そう思うのだ」
「……」
「月鈴。君が望まぬ限り、君には手を出さぬと誓おう。君が望むのであれば、神前契約を交わしたって良い。破れば我が命を差し出そうじゃないか」
「どうして……そこまで」
「俺もな。守りたいんだよ。この世界に生きる多くの小さな命を」
飛龍の言葉と、月鈴に初めて見せた優しい表情に、月鈴は口元が緩むのを感じた。
そして、差し出された飛龍の手を取る。
「飛龍様。私はまだあなたの事を何も知りません」
「そうだろうな」
「ですが、この手を取る事で、少なくとも火の国と金の国が同盟を組む事は防げる」
「あぁ」
「であれば、その契約……受けましょう。平和を目指す為に」
二人は手を繋いだまま微笑み合い、一つの契約がここに生まれるのだった。





