不遇の犬令嬢、幸せを掴む
長く争い続けていた二つの国。
人間と亜人、異なる種族の暮らす国が同盟を結ぶこととなった。
二国間の同盟が成される象徴として、同盟成立と同時に盛大な結婚式が執り行われる。
王弟の娘、犬の亜人キャサリンと、将軍であり伯爵でもあるグイード・キーフェルングの結婚式であった。
しかし二人の間に愛などなく、全ては国のための結婚。
相容れない二人の心の行先は、神だけが知っている。
私は、犬だ。国の。そして、彼の、犬。
目の前に立つ男は、眉間の皺を隠そうともしない。この日のために完璧にした淑女の礼どころか、こちらに視線を向けることもなく、大きな窓の外を見たままだ。
漆黒の髪を一つに括り、軍服に身を包む彼は、私の結婚相手。将軍であり、伯爵でもあるグイード・キーフェルング。
「この結婚は、契約だ。人間と亜人、種族の異なる二国間で間違いなく同盟が結ばれたのだと内外に知らしめるための結婚。誰かがやらなければならなかったことが、我々に託されたというだけ」
「はい、承知しております」
同じ空間にいるはずなのに、ひどく遠い。
この結婚に愛がないことなど、嫌というほど理解している。
もともとは属国だった亜人の国サリューデが、獅子王の名の元に反旗を翻し、数年間に渡る戦争と対話の末に成された同盟。
その同盟が正式に締結される今日。暗い過去を払拭するように、新たな門出をすべての民が祝えるように、平和の象徴として私たちの結婚式が行われるのだ。
サリューデの王弟の娘である私キャサリンと、戦争で最も活躍した将軍グイードの結婚式が。
チラ、とグイードの目が私の頭上に向いた。そこには、薄茶色の犬耳があった。
私は毛足の長い大型犬で、この国で過ごす時には人間の姿を取るよう厳命されている。
しかし、今回の結婚式では私が亜人であることが一目で分かるようにしておかなくてはならなかった。そのため、完全に人間と同じ見た目になれるにも拘わらず、耳と尻尾は残したままになっている。
さらにこの後、結婚式でグイードと並び立って歩く際には、彼の斜め後ろを完全な犬の姿で歩くことになっていた。
誓いの言葉の前に、国民の前で、犬から人間の姿に変化しろというのだ。
普段であれば、そんなことをすれば一糸まとわぬ私が人目にさらされることになる。そうしないためにと魔術師たちが丹精込めて作った婚礼衣装は、私の姿に合わせて形態を変える機能を持ったのだった。
「準備はできているか」
「ええ、万事つつがなく」
「ふん」
ドレスの他にも、髪飾りやネックレス、腕輪に指輪、グイードの瞳と同じ濃い青の石がふんだんにあしらわれたアクセサリーは全て、魔術が込められている。
彼の色に染まった私は、愛されているように見えるだろう。彼の独占欲がそうさせているのだと、そう思ってくれるだろう。
思わせなくてはいけない。
それが、私たちの役目なのだから。
時間を告げる係の者に促され、私たちは待機のために整えられた部屋を出た。
不自然に思われない程度のエスコートはしてくれるものの、私の自然な歩調に合わせてくれる気はないらしい。少しだけ早足になりながら、しかしそうと悟られないように必死で歩いた。
完全な犬の姿になってグイードの斜め後ろに控え、入場のラッパを待つ。
亜人には到底作れない精緻な装飾がこれでもかと施された荘厳な扉を前に立っていると、その向こうからざわめきが漏れ聞こえてきた。
不安で堪らない。けれど、それを吐露することは許されないし、誰かに勘づかれることすらも許されなかった。
私は音を立てないように深く息を吸い、細く長く吐き出した。
ざわめきを切り裂いて響き渡るラッパに背筋を正され、契約の儀が始まる。
並び立って司祭の待つ祭壇へと歩く中、通路の両側にひしめく国民の視線を浴びる。人間たちの奇異の目が私に注がれた。
「あれが将軍のお嫁様? 犬なの?」
「本当に?」
「大丈夫なのかしら……」
一つ一つは大きな声でなくとも、人々の声はさざなみとなって私を飲み込んでいく。そもそも私は耳がいいのだ。自尊心をメッタ刺しにされる気分のまま、祭壇の前につく。
司祭からの合図があり、私は人間の姿になった。婚礼衣装は問題なく私の身体を飾り立てる。揺れるしっぽは、可能な限り見せ付けろと言われていた。
ざわめきが大きくなり、それを収めるように鐘が鳴る。
隣に立つグイードとの距離は近付いたが、触れ合うほどではない。彼からの気遣いなど期待はしていなかったけれど、二人の間を吹き抜ける風が冷たく感じられた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン……
静けさに包まれたのを確認し、司祭が祈りの言葉を滔々と紡ぐ。私たちも共に祈るよう促された。
亜人の国では祈りの言葉こそなかったが、信じる神は同一だった。だから、全てが偽りに彩られていたとて、この祈りだけは本当だ。
どうか、この先の道行に少しでも光がありますように。
それから宣誓書に揃って署名し、誓いの口付けで終わる。
ヴェールを上げられ、近付いてくるグイードの顔。しかしその唇は私に触れることはなかった。
民からは、口付けたと思われただろう。司祭からは、私の頬に口付けたと思われただろう。ただ私と彼だけが、肌の触れ合いがなかったことを知っていた。
耳が割れそうになるほどの拍手と歓声を浴びながら、そこまで嫌悪する相手と結婚をして、これからどうしていくつもりなのだろうと思う。
この契約が結婚式で完了するかといえばそんなことはなく、世継ぎをもうけることだって織り込まれているはずだ。
口付けすら出来ずに、子など成せるはずがない。
夜になれば、覚悟が決まるとでもいうのだろうか。
結婚式が終わった後のパレードや挨拶の最中も、最低限のエスコートしかしてこないグイードに腹が立つ。
争い合う国の、許されない愛が、ついに叶ったとされている二人なのに。私が必死に仲睦まじく見えるように頑張っているというのに、無骨な軍人という設定を変更貫けばいいと思っているのだろうか。
これからの生活に不安を抱いていた私は、その日の夜、更なる衝撃に襲われるのだった。
「これを」
薄い生地の夜着に身を包み、ベッドに腰掛けていた私に、軍服を一部の隙もなく着込んだままのグイードはガラスの小瓶を差し出したのだ。
「……これは?」
「子種だ」
「はっ……?!」
「床を共にすることはない。お前には毎夜これを届ける」
言っている意味が分からなかった。
受け取ってしまった小瓶を持つ手が震える。
今、この人は何を、言った?
「この瓶に保存したとて、生殖機能に問題がないことは確認済みだ。孕まなければお前の問題ということになる」
「…………こ、んな……ッ」
「言ったはずだ、これは契約だと。もう後戻りは許されない。契約を果たせ」
私の返事を待つこともせず、寝室の扉は閉じられた。
一人残された部屋で、呆然と立ち尽くす。
こんな屈辱があるだろうか。結婚式の最中に飛んできた言葉や視線の刃など、玩具に等しかった。
彼に渡された小瓶が、彼の言葉が、瞳が、私を粉々に砕いてしまった。
「う、うううううッ!」
小瓶を扉に叩きつける。割れると思った瓶は鈍い音を立てて扉にぶつかり、床に転がるだけだった。
まるで瓶にさえも馬鹿にされているような気持ちになった。思わず獣の姿に戻り、叫びそうになる。
契約を果たせ。
「ぐぅううううぅぅう……ッ!」
ダメだ、吼えては。
私の声はきっと、仲間の元へ届いてしまう。
私はグイードに嫁ぎ、幸せに暮らさなければならない。
だから、だから。
私は一人、ベッドの上で激しく転がった。いっそシーツを噛みちぎってやろうかとも思ったが、少しだけ残っていた理性がそれを止めた。
自分の爪で手を傷付け、破瓜の印を残す。
それから、小瓶を。
「………………無理」
無理だ。これは、無理だ。
己の中に入れるだけと、それだけのことかもしれない。
けれど。
私にはまだ、それを受け入れることはできなかった。





