5、私は本当に愚かだな
男爵令嬢ナタリアは、浮かれていた。
「断罪イベントを前に、シルフリット王子殿下から呼び出していただけるなんて! 告白イベントね。きゃー!」
ナタリアには前世の記憶があった。
前世で流行していた「物語の主人公になっちゃった!」というパターンだ。
『やったわ! あたし、ナタリアになってる!』
ナタリアはヒロインキャラだった。悪役令嬢のエヴァンジェリンに嫌がらせをされて、シルフリットという美形の王子に同情されるのだ。そして、最後は結ばれる。
しかし。
『おかしい。エヴァンジェリンが断罪されるような過激な嫌がらせを全然しないじゃない!』
エヴァンジェリンは、いかにも悪役令嬢な雰囲気のある公爵令嬢だった。
公爵家の権勢を鼻にかけた高慢な態度だし、あまり似合わない派手な化粧やドレスの趣味は毒々しいオーラを出していた。
でも、それだけだった。
原作の悪役令嬢がしたような悪事――取り巻きを動かして寄ってたかっていじめたり、悪評をばらまいたり、ナタリアを傷付けて生命を脅かしたりはしなかった。
『このままじゃ、シルフリット殿下に同情してもらえないわ!!』
焦ったナタリアは、前世の知識を活かして味方につけた『友達』――いわゆる『攻略したハーレムメンバー』たちを使って、エヴァンジェリンを悪役にするための工作を始めた。それがなかなかうまくいったので、シルフリット殿下との距離も縮まろうとしているのだろう。
「殿下、お待たせいたしました! あっ、貧血でめまいがぁ……」
シルフリット殿下の好みは、把握している。殿下はエヴァンジェリンという悪役令嬢と真逆の、素朴で癒し系でか弱い女の子が好みなのだ。
「大丈夫ですか? うーん、貧血ではないようです。よかったですね、はい、そこに座ってくださいね」
「えっ」
がっしりと腕をつかみ、体調を診るようにして椅子に座らせるのは、シルフリット殿下の護衛騎士だった。
「やあ、ナタリア嬢。お友達と一緒にいろいろと忙しそうなところをすまないね」
シルフリット殿下は爽やかな笑顔で、一冊のノートを差し出した。
「殿下。このノートはなんですか?」
「うん。いい質問だね。これは、私から君への贈り物。とても貴重な魔法のアイテムだよ」
「まあ、素敵」
「さっきまで魔力不足もあって動作不良を起こしていたようだけど、無事に動くようになったので、はい、どうぞ」
殿下は自分に好意があるのだ。
だって、こんなにキラキラした笑顔を向けてプレゼントをしてくれる。
ナタリアは幸せの絶頂気分でノートを受け取った。
すると。
『お前が「ざまぁみろ」と言いたい相手の名前を書いてみろ。どんな目に遭わせたいのか、書いてみろ。願いをかなえてやろう!』
「!?」
地の底から響くような声が、ナタリアの心をグッと突いた。
「エ、エヴァンジェリンをざまぁしたい」
反射の速度でナタリアは紙に書いた。考えるより先に、手が動いた。
ざまぁしたいざまぁしたいざまぁしたいざまぁしたい。
ひどい目に遭わせたい。悪い女と言わせたい。冤罪で処刑されるといいと思う。
私と殿下の愛の踏み台になってほしいの。
それは、抗いがたい強烈な誘惑だった。湧き上がる衝動のまま、ナタリアは書いた。書いた。書きまくった。
「これはひどい」
「あっ?」
ノートが取り上げられる。
現実に意識を戻すと、目の前には侮蔑の表情をはっきりと浮かべたシルフリット殿下がいた。
「悪意がある点についてはこれが証拠になる。あとは、細かな犯行について洗いざらい調査をして父上に調査書を提出しよう。共犯者も全員逃がさないようにね」
「はっ」
護衛騎士がナタリアをグイッと引き立たせる。
「あ、あっ! い、今のは。今のノートは!」
「君には失望したよ、ナタリア嬢。私の大切な婚約者に、こんなに醜く恐ろしい悪意を抱いていたなんて……」
美しい王子の瞳は、冷え冷えとしていた。
そこには身も凍えるような敵意があった。
「どうして気付けなかったんだろう。私は本当に愚かだな」
「で……殿下! 殿下! 私、悪い事はしていません!!」
調査と言った。
まだ、具体的に何をしたのかは突き詰められていないのだ。
「嫉妬しました。殿下が好きだからです。だから、嫉妬したんです。それだけです。処罰されるようなことは、していませ……」
「連れて行け!」
厳しい声が希望を打ち砕き、有無を言わせずナタリアを連れて行く。