2、このノート、渋いおじさまの声がする
侍女が淹れてくれた紅茶の香りがかぐわしい。
公爵邸の自室にて、私はノートに向かい合った。
拾ってそのまま持ってきたノートだ。そのノートが変なのだ。
『……て、みろ……っ』
ノートから、あやしい声がきこえる。
それも、渋いおじさまの声だ。
重低音で、格好良い声をしている。
「はいっ……?」
『書いてみろ……っ!』
「は、い……?」
ノートは「書いてみろ、書いてみろ」と繰り返している。
え~っ? 気味が悪い。
小説にこんなノートあったかしら。
『かけーーーーー!!』
「ひっ? は、はい~~~っ!?」
真新しいノートのページを見つめていると、だんだんと「描いてみよう」という気持ちが湧いてくる。すっごく「書け書け」って言ってくるし!
不気味なのだ。これ、魔法のアイテムか何かかしら。
「そ、そんな魔法に負けるわけが……ああっ、手が止まりません!?」
私はとっても疑っているのだ。
なのに、手が! 手が勝手に羽ペンを握って!
「ま……まるっ!」
私の手は、ノートの真ん中にぐるっと丸い線を描いた。そして、丸の中にニコニコ顔を書いた。
顔の下に棒線のからだを付け足せば、棒人間のできあがり!
次はお友達を描きましょう、手をつないで、仲良しな感じに。さらさら~っ、はい、できあがり!
絵を描いていると、なんだかとても楽しくて懐かしい気持ちになった。
そういえば私、前世でも絵を描くのが好きだった。
上手か下手かでいうと下手寄りだったけど、頭の中にあるイメージを音楽を聴きながら描いたりするのが楽しくて。
「ららら♪ 私の推しは~、王子様~♪」
気付けば、私は夢中でお絵描きをしていた。
「お、お嬢様……!? だ、旦那様ぁー! お嬢様が変ですっ!!」
侍女が慌てて報告に走っている。
私が侍女の立場でもそうすると思う。我ながらなかなかの奇行だ。
「エヴァンジェリン!? どうした、何かあったのか!?」
当然、血相を変えたお父様がやってくる。
心配してくださったのね、と思うと、胸がきゅんっとなった。
「だ、大丈夫です。お父様」
悪役顔のお父様は、世間では「冷酷」とか噂されることもある。でも、優しくて娘想いの良いお父様なのだ。
帰宅した私が「王子殿下との婚約を破棄したいのですが」と相談したときも、「王子殿下に嫌なことをされたのか? 暗殺するか?」と二つ返事でこたえてくれた。
娘に甘々だ。もちろん、暗殺はしなくていいと返事しましたっ!!
「王子か! 王子に何かされて、傷心なのか!」
「ちちち違いますっ、私、元気です。今も、とても楽しんでいました!」
周囲のみんなは心配してお医者様を呼んだりしたけれど、数日も経てばそれも落ち着いた。
「よくわからないがエヴァンジェリンは絵を描くという趣味に目覚めたのかな?」
……と、認識してくれたようだった。
1日、1日。
時間が過ぎる。
自分の中で前世と今世がゆっくり、ゆっくりと溶けてひとつになっていく。
こうして私は、前世と今世が混ざった新しい「お絵描き好きの公爵令嬢エヴァンジェリン」となったのだった。