登校
馬車が揺れ、景色が明るくなる。
森を抜けると開けた視界に王城が映る。8年前、城下町を離れて以来だが、その風格ある佇まいは依然として変わらない。
王立魔法学園はその城下町、貴族街にある。ふと窓に反射する自分と目が合い、堪らずため息が出た。
「外では御自身に見惚れるのもお控えなさった方が宜しいかと」
横からクリスが眉ひとつ動かさず皮肉を垂れる。
「うるさい!僕が今どういう気持ちでいるか分かっているくせに」
クリスは僕の従者になった時からずっとこんな調子だ。有能であるのは認める。武芸も勉学もマナーも、僕の教育係はクリスだった。
今も無表情で隣に座るその顔をじっと睨みつける。昔から見ていて何の欠点も無いように思えるクリスだが、ただ一つ疵がある。主であるはずのこの僕には、慇懃かつ無礼な言葉が飛び出す。二人きりの時は特にそう。
「坊ちゃん……その様に物欲しそうな目で見つめられましても、身長や風貌といったものは流石に物理的な意味でお譲りしかねます」
このように。煽ってんのかコノヤロウ。
……彼くらいの身長、大人びた出で立ち。僕がどうしても努力で手に入れられなかったモノだ。
もう一度窓に映る自分を見る。女性用の制服が、胸元のリボンが、全く違和感なく似合ってしまっている。
辺境伯家令息シャルル・フレイユ。外見が可愛いのが最大の悩みである。
だが、似合うからというだけでわざわざコンプレックスを助長するような格好を晒したりはしない。僕が男の矜恃を捨ててまでこの格好をする理由――それは僕と同様、今年学園に入学してくるであろう想い人リーナにある。
***
全ては幼馴染のリーナが手紙で魔法学園に入学することを告白してきたことから始まった。
幼少から恐らく僕の前世かなにかであろう異世界の情景が記憶に残っていた僕は、この手紙を読んだ夜、その異世界の夢を見た。姉か妹だろう女性の背後から異世界の利器――画面を覗いている夢だった。
内容は……リーナが知らない男と楽しそうに笑っている絵、知らない男に守られている絵、知らない男とき、きキ……!
「はァーーーーーー!?!?」
この夢を見た僕は悲鳴を上げ飛び起きた。怒りと悲愴のままに壁を殴った。そして起きてきたクリスに絞められた。
その後冷静になって考えて、夢の中のアレは確か何かの作品で、つまり作られた物だから今僕の生きるこの世界とは無関係、そう思い込もうともした。でもそうして忘れ去るにはあの景色、登場人物……なんかとても見覚えがある。
結局その出来事が忘れられず、居てもたってもいられなくなった僕は学園に入学してリーナに言い寄る男どもの邪魔をすることにした。
仮に夢の事が杞憂だったとしても、まさに恋物語のヒロインのように優しく可愛いリーナが学園の男達の目を引くのはわかりきってるからね。
なら女装なんてしなくても堂々とリーナの婚約者に立候補すればいいじゃないか。それはそうなんだ。なんだけど……。
辺境伯家に引き取られて約8年。クリスの鬼畜指導のもと、胸を張ってリーナを迎えに行ける立派な男を目指して自分を磨いてきた。
ウチは他家との交流が極端に少ないから、他の子息令嬢がどのような教育を受けているのか知らない。しかし教養、剣術、魔法のどれも7年の遅れを感じさせないくらいには力を付けたと思っている。
だけど見た目――男にしては華奢で小柄な体格と垢抜けない顔付きだけはどうにもならなかった。
一度だけ魔法学園の男性用制服を合わせたことがある。顔自体は悪くはないと思ってるから、単体で見ればそれなりにまとまって見える。だが共に鏡に映るクリスと比べると僕の見目はとても頼りない。
あの夢で見たリーナを取り巻く男達……その誰もが高身長で涼し気な目元、通った鼻梁という”見目麗しい青年”だった。
結局のところ、僕は自身のありのままの姿に自身が持てなかったんだ。
「もうすぐ到着しますよ。ご準備の程は」
クリスの声で物思いから現実に引き戻された。そうだ、この世界が物語の中だろうがなんだろうが関係ない。これが今の僕の現実だ。僕は僕のやり方で戦う。
「……ええ、万全でしてよ」
手にある鉄扇を口元に当て上品に微笑んでみせる。
お忍びで街に行く時はいつも女装だったから女性の仕草を演じるのは慣れている。
今回は”しがない商家の娘”ではなく、”謎多きフレイユ辺境伯家の深窓の令嬢”となるわけだが……貴族令嬢の振る舞いも練習したし大丈夫だろう。
屋敷にはあまり人が訪ねてこないから、ここ8年あまりの人前での姿はスカートなわけで。正直学園でもこの姿で居られることに安堵さえ覚える。僕もまだまだ弱いな。
乗っていた馬車が停まる。
扉が開かれ、クリスが手を差し伸べる。
「お手をどうぞ、お嬢様」
靱やかな動きでその手を取る。
「ありがとう、クリス。さて、参りますわよ」
待ってろリーナ!僕は君を超健全かつ何不自由ない学園生活で卒業させてみせる!