九話
学校にダメな兄として報告された後、一限の終わった教室へと入った。
「おいおい、遅刻なんて珍しいな」
「ああ、寝坊した」
吉崎の挨拶代わりの質問に妹と作った嘘で答える。
「あんだけの美女や美少女に囲まれちゃしょうがねーよな」
下品な妄想を巡らせた吉崎が顔をにやつかせた。
「一限は数学だったよな。どこまで進んだ?」
「かー、真面目だねぇ。ちなみに、俺はほとんど寝てたからわからん」
自信に満ちた清々しい顔で吉崎が言う。
寝坊してもしなくても遅刻と同じ結果だとしたら、なんのために学校へ来ているのかと光誠は問い詰めたくなった。
「それよりよ、夏休みにどっかに行って遊ぼうぜ」
「進路に関わる数学よりも夏休みか。気が早すぎないか?」
「ソフトテニス部の女子と話はつけてある」
口ぶりからすると、予定の中に光誠が入っているようだった。
「なにをするんだ?」
「三対三で遊びに行くんだ。行くだろ?」
夏休みは、進路のことを真剣に考えたいと思っていた。
「いや、俺は」
「日高くん」
光誠が断ろうとすると、美奈星が会話に割り込んだ。
「遅かったね」
「あ、ああ。ちょっと寝坊をしてね」
「あ、あー、そうだったんだ」
美奈星は、事情を察したようで大げさに頷いてみせた。
「そうそう、岡田も来るんだ」
「なに?」
吉崎の言葉に、思わず美奈星を見る。
「あ、あははは。部活の子に誘われちゃって」
光誠も納得した。吉崎の誘いを断るタイミングで声を掛けてきたのはこの為だったのだ。
恋人があまり乗り気でない集まりに参加するのなら、乗り込まない選択はなかった。
「吉崎、俺も行くぞ」
「お、よかった。お前が来なかったら変な連中に絡まれたときに面倒だと思ってたんだ」
吉崎の中では、光誠はガードマンか何かだと思われていた。
「日高と浅野で三人確定だな」
「浅野も?」
「ああ、意外だろ? 真面目な奴かと思ったんだが、日高が行くかもと言ったら、参加するって言うんだ。お前たち、デキてたりする?」
「そんな訳ないだろ」
光誠は不愉快を全開にした顔で抗議した。
「だよな。だったら俺が気づくし。ただなぁ」
「ただ、なんだ?」
「いや、まぁ、知らないならいい」
「おい」
「まぁ、大丈夫だって。じゃあな」
吉崎は言いたいだけ言って自分の席へと戻っていった。
「夏休み、楽しみだね」
美奈星は、愛想笑いのような作り笑いをして、クラスメイトに気取られないように他人行儀な話し方をする。
本来なら、こんなこそこそとした恋人関係をする必要もない。
すべては間が悪かったとしかいいようがない。
「そうだな」
美奈星の両親に起きた不幸を恨む訳にもいかず、光誠はただただ窮屈な恋愛をしなければならなかった。
「それじゃ」
美奈星が席に戻ろうとする。
元から、クラスでも親しげに話す間柄ではなかった。
クラスで人気者というわけでもなく、体育会系の部活に所属しているからと言って、ムードメーカーな女子という訳でもなかった。
岡田月乃の妹という立場もそこまでプラスに働いていない。
端的に言えば地味な存在だった。
八木姉妹や大山瑠璃と比べてしまうと、さらにかすんでしまう。
だからこそ、光誠は声を掛けずにはいられなくなる。
「岡田」
「え?」
教室で話し掛けられるのは珍しいことで、美奈星は驚いて固まった。
クラス一と言っても過言ではない強面で、中学で起こした数々の暴力沙汰を知らない者はない。
光誠は、まともを気取る女子たちから避けられていた。
吉崎や浅野とつるむようになり、クラスの一部として受け入れられつつも居場所がなさそうだった。
美奈星は、そんな光誠が葵や紫織、瑠璃を助けているところを何度か目撃していた。
美奈星は誰かに告白されたこともなければ、誰かに守ってもらったこともない。
学校で有名な三美人を羨ましく思っていた。
「今日の数学がどこまで進んだか教えてくれ」
「あ、うん。いいよ」
美奈星は、光誠から告白されるとは思いもしていなかった。
未だにどういう理由で告白されたのか知らない。
勢いで返事をしてしまったことを後悔してもいない。
三美人のように守ってくれるなら受け入れてもいいと直感した。
光誠が教科書を開き、美奈星がそのページをめくって授業の範囲と内容をかいつまんで教える。
美奈星の友人たちは、美奈星の身を案じながら盗み見ていた。
吉崎は、つまらなさそうに二人を眺めていた。
クラス全体に緊張のようなものが走り、誰も彼も上の空となるほどだった。
両親を失った美奈星が、光誠の家で世話になっていることは周知の事実であり、二人がどんな関係になるのか気にしている。
「そうか。助かる」
「追いつけそう?」
「実は、予習済みだったりする」
「え、予習してるんだ。すごいね」
美奈星は、部活の疲れなどもあり、復習と課題を仕上げるので手一杯だったので、素直に光誠の努力を賞賛する。
「あ、ああ。たまたまな。昨日からだけど」
光誠は、今朝のキス未遂が尾を引いており、真正面から褒められたときに思わず美奈星の唇へ目が行ってしまう。
「あ」
それに気づいた美奈星もとっさに口元を隠してから、不自然な振る舞いだと気づいた。
「そ、それじゃ、もう行くね」
美奈星は、取り繕って席へと戻った。
光誠は、反省しつつもなんとかして美奈星と二人きりになれる瞬間はないものかと思考を巡らせる。
休み時間や放課後、家に帰ってからの時間には、必ず姉妹たちがいるので二人きりにはなれない。
その現実を踏まえた上で、姉妹たちのようにどこかへ呼び出すことはできないかと考えた。
光誠はこの日、そんなことばかりを考えて過ごした。