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イエコイ  作者: 我有一轍
一章
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六話

 光誠が戸締まりを確認してセキュリティを入れた家には、明かりが点いてた。



「ただいまー!」


「ただいま」



 瑠璃と紫織がなんの躊躇いもなく玄関を開けて帰宅する。


 空き巣かなにかがいたらどうするつもりなのかと、光誠には尽きない心配があった。


 レディファーストなんて身につけた覚えはなかったが、光誠は葵と美奈星を先に家へ入れた。

 見目麗しい年頃の家族が増えたせいで、歩いてきた道を振り返ることが多くなった。



「ああ、今日も平和だ」



 呟いてから、軽くはない違和感を覚える。

 姉妹たちの何かが変わった。

 家族になってから保っていたはずの距離感は失われた。



「これからどうなるんだ?」



 父親とリフォームした我が家が、窮屈な居場所になったことが辛く、悲しかった。



「母さんたちを幸せに、か」



 父親が亡くなる前、死ぬ間際の人間とは思えない力で手を握られて聞き届けた言葉だった。

 姉妹たちと妙なことをしたなどと知ったら、母たちは呆れたり、気味悪がったりすることが容易に想像できた。

 憂鬱だった。

 気が重くて帰るのが嫌になる。


 光誠の父は、二度結婚し、二度失敗した。

 三度目の結婚は死ぬとわかっていて、した。

 父は、どうしても母と娘たちに家庭を味わって欲しかったらしい。


 光誠は、その志を受け継いだ。

 姉妹たちと妙な関係にだけはなるまいと、のけ者にされるようなルールも甘んじて受け入れた。

 それなのに今日という一日で、父の志が汚れきってしまった。



「アキ!」


「あ」



 瑠璃と似た澄んだソプラノが光誠の意識を引き戻す。



「どうしたの?」



 玄関から、血のつながりのない姉であり、母でもある日高雲雀が顔を出して、門の前で棒立ちする光誠を不思議そうに見ていた。

 光誠が小さい頃に長い髪が良いとだだをこねたせいで、姉はずっとロングヘアだった。

 九歳で一歳の光誠を育てると覚悟した尊敬すべき存在だ。



「いや、なんでもない」



 他のなにを置いても心配を掛けたくない相手だった。



「そう。なら入りなよ」


「ああ」



 雲雀の微笑みが、葵と同じで光誠を心を暖かくする。

 葵と違い、緊張も距離感も気にしなくてよい。

 母二人の前では決して言えないが、光誠にとっての家族は、雲雀をおいて他にいなかった。


 雲雀のおかげで、光誠は家に入る気になった。

 呆れるほどのシスコンであることは、中学の時に自覚していた。


 姉の開けた扉を受け取り、家の中へ入る。

 入る前に感じていた憂鬱さは減り、雲雀から放たれる榾火のような明るさに引き寄せられる心地よさがあった。

 身に起きた不可思議な変化に混乱したものの、せめて姉の顔が曇るような真似だけはすまいと気合いが入った。



「大丈夫、そうだね」



 不安そうな雲雀が改めて確認する。



「いつも通りだ」


「ま、なにかあるなら、いつでも聞くからね」


「なにもないって」



 光誠は、雲雀の世話焼きをありがたく思いつつ、姉離れを貫いた。



「なにもない? なら、晩ご飯の支度を手伝いなさいよ」


「問題はないけど宿題とかあるぞ」


「手伝いなさいよ?」



 ニヤニヤとする姉のゴリ押しは、幼い頃から慣れ親しんだもので、懐かしさすら感じる。

 父の死や新しい家族で久しく感じていなかった姉弟の空気が恋しくなり、光誠は観念して頷いた。


 部屋で着替えたあと台所へ行くと、姉が九人分の食事を盛り付けるのに忙しそうだった。



「俺はなにをすればいい?」


「お味噌汁が沸騰しないように見てて」



 光誠は言われたとおりにクッキングヒーターの上の鍋を眺めた。



「今日はお刺身なんだけどさ」


「ああ」


「オサシミって、昔は遊女の仕事だったんだって。あんた、遊女って知ってる?」


「ユウジョ?」


「今でいうキャバ嬢みたいな感じ?」


「そ、そうか」



 姉から飛び出たちょっと大人な言葉に調子が狂う。

 姉は、そういう話をすることがほとんどなかった。

 少なくとも父がいたときは。



「そういう人が刺身を作るっていうのは不思議な話だな」


「バカね。隠語に決まってるでしょ。で、なんの隠語だと思う?」



 光誠は鍋のふたを開けて沸騰していないことを確認して、姉の問いかけを考える。


 隠語というからには、なにか不穏な意味があるのは想像できた。

 夜の世界で起きることを想像し、光誠は答えを決めた。



「刃物による攻撃か?」


「なんでそんな物騒なことになるのよ。キスって意味よ」


「き」



 実の姉以上に姉っぽい雲雀の口から飛び出た艶っぽい言葉に閉口する。

 というのも、昔から雲雀は、光誠が意図せずしてそういうことを雲雀に尋ねたとき固く口を閉ざすことがあり、光誠は姉の前で下品な話題を避けるようになっていた。



「なんでそんな話を?」


「月乃に聞いたの。昔の人は、そういうことをお料理みたいに注文したのかしらね」


「知らん」



 雲雀は同性愛者で、美奈星の姉の月乃とパートナーだった。

 月乃は古典の教師で、そういうことにも詳しいのだと想像できた。



「アキはしたことあるの?」


「なにが?」


「おさしみ」



 今日という一日でなにかが変わってしまったのだと、光誠は思い知らされた。


 姉としての雲雀は、光誠にこういうことを聞いてくるような存在ではなかったはずだ。



「なんでそんなことを聞くんだ?」



 なにがなんだかわからず、光誠はぶっきらぼうに尋ねた。

 ふて腐れてもいる。

 からかわれるのか、姉妹たちのようにもっと恐ろしい感情が潜んでいるのか知りたくもなくて、雲雀の顔を直視できなかった。



「んー、まぁ、なんとなく。アキも恋をする時期でもいいかなと思って」


「そうか。もう味噌汁は十分だ」



 光誠は、沸騰寸前の鍋を確認し、ヒーターの電源を止めた。


 台所から出て、少しでも課題をしようと思った。



「するなら急ぎなさいよ」


「なにが?」


「おさしみ。好きな人とね」



 光誠は思わず振り向いた。


 見たくないと思っていた雲雀の真意を知りたくなった。


 雲雀は、何食わぬ顔で夕飯の支度を続けている。



「どういう意味だ?」


「どうって、そのままの意味よ。こういうのは早い者勝ちよ。誰かに取られてしまうかもねって話。まぁ、アキに恋人がいたらってことだけど。いるの?」


「な、なにが?」


「好きな人」


「姉さんには関係ないだろ」


「美奈星ちゃんなんてどう? 可愛いと思うけど」


「はぁ?」



 美奈星の名前が出たことで反射的にとぼけて、光誠は姉へ背を向けた。


 光誠が美奈星とのことを言い出しにくい最大の原因が、雲雀と月乃の関係だった。

 この二人がパートナーだと知ったのは、美奈星に告白してオーケーをもらった後だった。

 姉弟そろって、同じ家系を好きになることがどうにも気まずく、また同性婚の関係で美奈星と義理の兄姉関係になってしまったことも光誠の真理を圧迫していた。

 義理の姉弟である雲雀への感情を抑制し続けていたため、義兄姉になった美奈星への感情が複雑化した。


 光誠は、雲雀へのこんがらがった不満を抱えて部屋へ戻った。


 それを見送っていた雲雀が、意地の悪い笑みを浮かべたことには気づかなかった。



「へー、好きな人がいるんだー」



 雲雀は、光誠の成長を喜びつつ、自身のファーストキスを思い出していた。


 相手は、光誠だった。


 小学二年生になった光誠が、友人からキスという言葉を仕入れてきて、どういうことかと聞いてきた。

 当時高校二年生だった雲雀は、ちょっとした悪戯心が出てしまい、光誠にファーストキスをあげた。

 直前につまみ食いしたイチゴが甘かったのがいけないと今でも思っている。

 それで妙に機嫌が良くなっていた。

 可愛い弟だったので悔いはないが、それで光誠が気を失ったことは反省していた。

 それのせいか、それ以降の光誠は、雲雀へ下ネタを聞かなくなった。

 それまで何でも聞いてきただけに寂しくもあった。



「ま、良かった良かった」



 過去の過失を光誠が乗り越えてくれたようで、雲雀としても安心できた。


 雲雀は、光誠のシスコンに気づいていた。

 このままずっとシスコンだったらどうしようかと思っていたくらいだ。



「待てよ」



 ただ、一人だけ警戒している人物がいた。

 新しく光誠の姉となった葵だ。


 認めるのも癪だが、スタイルや振る舞いは所帯じみた雲雀よりも断然可愛らしかった。

 それに葵からの対抗心もひしひしと感じていた。

 家庭内恋愛解禁の今、光誠が葵に籠絡されたのではと嫌な想像が浮かぶ。


 父が死んでからの光誠の落ち込みようは、初めて経験することだった。

 雲雀も手を尽くしていたが、立ち直らせることはできなかった。

 なにか新しい刺激が必要であることは理解しつつも、光誠と葵が過ちに満ちた繋がりを持つことだけは度し難いと思っていた。



「そのときは」



 盛りつけしていた刺身が一つ余っている。

 それを美奈星の皿へと乗せた。

 家族の中で、美奈星だけ刺身が多くなった。

 未来の恋人への先行投資だった。

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