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イエコイ  作者: 我有一轍
一章
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四話

 一限の授業が終わると、光誠はさっそく浅野に教えてもらった進路指導室へ向かった。



「今日はどんな相談かな?」



 マッシュルーム岩倉とあだ名される眼鏡を掛けた英語教師、岩倉聡が光誠の相談を受け付けた。

 なぜそんな愛称になっているかというと、髪型がマッシュルームだからだ。



「卒業後は建築業界で働きたいんですけど」


「ほう、就職希望で建築業界ね。そうかー、んー」



 白紙の紙へ光誠の希望をメモに取りつつ、岩倉が芳しくない反応をする。



「難しいんですか?」


「いやまぁ、普通は工業高校の生徒さんとか行く進路だからね。日高君みたいな普通科の生徒が行くには勉強し直さないと採用してくれないかもしれない。なにせ、即戦力を求める時代だからね」



 勉強をし直すと聞いて、やはり大学進学か専門校かと嫌な進路が浮かんだ。

 新しくできた家族が多いとは言え、裕福と言えるのかと言われたら疑問だった。



「オープンキャンパスみたいな制度があると聞いてきたんですけど」


「ああ、インターンね。そうだね。ここで悩んでも仕方ない。建築業界でインターンを受け付けてくれるところを探してみるよ。あと、普通科の生徒でも採用してくれるところも一緒にね」


「はい、お願いします」



 髪型がおかしくても頼もしい先生だった。


 光誠も色々と考えないといけないことができた。

 就職するための準備と、もしかする場合の受験の準備だ。

 それらに掛かる費用は、アルバイトでもして稼ぎ出さなければならない。



「あ」



 進路指導室から出ると美人姉妹と噂される八木姉妹とばったり出くわした。



「あら、あっくん」


「兄さんどうしたのだ?」


「そんなの決まってます。進路をどうするか決めたんですね」



 察しの良い葵が、光誠の目的を当てる。



「そうなんだ。父さんと同じ、建築の仕事に就こうと思って」


「素敵です。デザイナーズハウスなんて憧れますね」


「兄さん。核シェルターを作ろう」


「シェルター?」



 妹の申し出に家族が安心して暮らせる家を目指すのなら避けては通れないとも思えた。



「ああ、そうだな。できたら作りたいもんだ」


「おお、その時は私も関わらせ欲しい!」


「あ、ああ」



 目を輝かせてせがむ妹の琴線に、なにが触れたのかいまいちわからないまま了承した。



「それで葵さんはどうして?」


「私は模試の結果を受け取りに来たんです。それでは」



 光誠と入れ違いに葵が進路指導室へと入っていく。


 進路指導室の前で、紫織が残されていた。

 姉妹が一緒に行動するようになったのは、一人でいると恋に恋する男子生徒たちに狙われやすいと統計が取れたからだ。

 統計を取ったのはもちろん紫織である。



「紫織は、将来どうするんだ?」



 紫織を一人残して立ち去る訳にもいかず、光誠は世間話を始めた。



「原子力を学ぶ予定なのだ」


「へ、へー。そうなのか」



 紫織は科学部に所属していた。

 光誠には、なにが楽しいのかわかりにくい分野だった。

 紫織は熱心に勉強しており、その姿勢は光誠も見習いたいと思っていた。


 小柄で細身ながら出るところは出ているし、顔の造形も冷たい感じはあるものの整っていた。

 美人姉妹と呼ばれる葵と比べても、儚い印象の美しさを備えている。

 自慢の妹とも言えるが、危うげな印象もあった。


「ん、なんだ?」


「兄さんは誰か好きな人がいたりするのか?」



 紫織の悪意のない目に思わず反応してしまったのは失敗だった。



「あ、ああ。まぁな」


「そうなのか。んー」



 紫織は、なにかを計算違いを見つけたときのように考え込んだ。


 妙な反応だった。

 まるで兄に好きな人がいたら困るようだった。

 美奈星のことは時期が来たら話したいので、余計なボロを出す前に話を変えることにした。



「紫織の方はどうなんだ? また誰かに告白されて困ってたりするのか?」


「兄さんがだいたい追い払ってくれたのだ」


「だいたい?」


「まだ手紙を送ってくる人はいる。この間もラブレターをもらった。きちんと断りの手紙を書いたから大丈夫なはずだ」


「そうか」



 光誠が納得しかけたとき声が重なった。



「紫織さん! どうして僕と付き合ってもらえないんですか!」



 廊下に響き渡る悲痛な叫びに光誠はうんざりした。



「大丈夫じゃなかった。兄さん、助けて欲しいのだ」


「ああ、任せろ」



 光誠は相手の上履きを見る。

 光誠の通う高校では、上履きのゴムの色で学年がわかるようになっていた。

 ゴムの色は赤で、三年生だった。

 また、紫織へ告白してくる男子は、頭脳派な人材が多い。

 ぱっと見は優秀そうで、兄としても追い返すのは少々気が引けた。

 ただ、紫織が望まない交際を見逃すわけにもいかず、兄として防波堤になるつもりだった。



「おい、妹が断りの手紙を送ったはずだろ? なんでしつこく迫る?」


「こ、こんな手紙で諦められるものか!」



 紫織の彼氏立候補生が、紫織からの返信を突き出した。


 光誠は、手紙に書いてる文面を読みあげる。



「えー、ハビタブルゾーンと直結するワームホールを答えよ。なんだこりゃ?」


「僕が聞きたいくらいだ! それで、結局、僕はフラれたのか!」


「紫織?」



 光誠が紫織の意志を伺うと、うんうんと首を縦に振っていた。



「フラれたらしいぞ」


「そ、そんな!」


「ほら、結果がわかったら帰った帰った」


「こんな、こんな紛らわしい手紙で断るなんて、バカにしてるのか!」


「はぁ、結局こうなるのか」



 紫織の断り方は独特で、振られた男子の神経を逆なですることが多く、最終的に紫織の身が危険に晒されることになる。


 光誠は、紫織が高校へ入学してからというもの、兄妹になる以前から紫織を襲う暴漢たちをたびたび退けていた。

 当時の紫織は、それを快く思っていなかったが、兄妹だと理解してからは積極的に助けを求めるようになった。

 嬉しい反面、妹の将来に不安が増すばかりだった。


 中学の時に取った杵柄で、殴り合いは不本意ながら得意だった。


 光誠は、無防備にも飛びかかってきた男子生徒の腹にスピードを落とした右拳を突き刺した。



「うっ!」



 男子生徒は内蔵に響く衝撃に悶絶し、その場に崩れ落ちた。


 それを待っていたかのように別の男子生徒が二人現れる。



「はい、すいませんでした。あとはこっちで保健室に連れていきますんで。失礼しまーす」



 告白に失敗した男子生徒の友人らしき生徒が、男泣きする生徒を引きずって保健室へと引きずっていく。

 妹のためとはいえ、人の恋路を邪魔するのはあまり気分のよいことではなかった。

 姉や妹たちに告白する男子を追い返していて、せめて潔い男であればといつも後味が悪くなる。



「なぁ、紫織。もう少しわかりやすく断ることはできないか?」


「それは、難しい。私を好きだと言っている人に厳しい言葉を返すのは、まだちょっとできない」


「そうか。まぁ、そのうちできるさ」



 光誠は妹の優しさを頭ごなしに否定する気にはならなかった。

 その代わり、焦らなくてもいいという意味で頭を軽く叩いた。


 紫織は、それが気に入らなかったのか上目遣いで光誠の顔を見上げている。

 その目は、作りたてのシャボン玉の表面に浮かぶ虹色の模様にも似ていて、今にも泣きそうなほどに濡れていた。


 その異様な色合いに気圧されて、光誠は頭に乗せていた手を思わず引っ込めた。


 紫織は、あっと小さな声を発して不満そうにする。



「おまたせー」



 進路指導室から葵が出てきた。


 紫織とは対照的に長身で肉付きも良く、特にその胸元に惹かれる男子は多い。

 かくいう光誠も家で葵が胸を揺らして歩いている姿などを見ると、釘付けになることがあった。



「姉さん、模試はどうだった?」


「うん、まずまずでした。このまま維持できれば、志望校にも行ける気がします」



 紫織の質問に答えて、葵が波打つショートボブを手で払った。

 柔らかそうな髪と柔和な雰囲気で傍にいられると、身も心も温かくなり、安らかになる。

 傍にいるだけで男子の勘違いを引き起こす魔性の存在だった。

 ただ欠点もあった。

 何かに集中していたり、気が散漫なときは、生返事で答えてしまう。

 それで告白が成功したと思い込む男子が多々あり、後で憶えてないと言われて騒動になることがあった。



「葵さん!」



 廊下に響き渡る憤然やるかたない怒声に光誠はまたかと思った。


 上履きを確認すると、一年生だった。

 葵へ免疫がない不幸な後輩だ。

 葵を好きになる男子は、光誠に似てガタイの良い男子が多く、事後処理にもっとも集中力を要するのだ。



「あの時、付き合ってくださいといったのにどうして憶えてないんですか!」


「えっと、興味ないからです」


「なっ」



 それきり男子は絶句した。


 葵は、ぽわっとした雰囲気とは裏腹に言葉の手加減を知らない。



「いや、そんなはずは。あのとき、確かに、『んーそうですね』って言ったんだ。興味ないなんて、認められるか!」



 光誠の予想通り男子は逆上し、光誠の願いを裏切る形で男子生徒が葵に掴みかかろうとした。



「姉に代わって謝る。すまん!」



 光誠は、そう言いつつ男子生徒へボディブローを叩き込む。



「ぐぅ、僕は葵さんと」



 切なる願望を呟くも言葉は途中で潰える。



「失礼します! 保健室へは僕たちがつれてきます!」



 先ほどと同じように、友達思いの友人が現れて恋に破れた男子を引きずっていく。



「いつもありがとうございます。あっくん」


「学校でその呼び方はやめてくれ」


「どうしてですか? あっくんは、一年生の時から私を守ってくれてます」



 一年の頃の光誠は、葵の苗字を知ってから薄々姉弟なのではないかと思っていて、なんとなく葵が困っているときは助けていた。



「お礼はいい。呼び方だけ直して欲しいんだ」


「それは嫌です。あっくんはあっくんです」



 強情な姉は、微笑みながら人の恥ずかしい愛称を連呼する。

 学校では決して見ることのない悪戯っぽい微笑みを浮かべる姿こそ、本来の葵なのだと思った。

 姉弟だとわかってから、こういう態度を多く取るようになっており、その時ほど楽しそうな葵を見たことがない。

 姉が楽しそうな姿というのは、弟冥利に尽きるというものだった。



「あ、いたいたお兄ちゃ、じゃなかった先輩!」



 妙な言い直しで、声の主が誰かすぐにわかった。

 大山瑠璃だ。



「どうし、わかった」



 光誠も進路指導室へと走ってくる瑠璃とその後ろにいる男子二人に気づいて、やるべきことを悟った。



「助けてくれるよね?」



 瑠璃が、この世の終わりに藁を藻をも掴むような顔で両手を合わせて光誠を拝む。



「わかったって言っただろ」



 念押しで確認する瑠璃は、八木姉妹とは違った女子だった。

 なんといっても人を巻き込む天才だった。

 ちょっとしたお喋りができず、必ず集会のような規模になり、うるさいと教員に指導を何度ももらっている。

 笑顔や会話に人を引きつける力があり、人の前や集団の中心にいることが多い。

 合唱部に所属するほど歌が上手く、また兄の贔屓目で見ても綺麗なソプラノだった。

 それでついたあだ名が一年のアイドルだった。


 光誠は、人気者の妹を背に隠し、追ってきた男子二人に対峙する。

 ついでに上履きも確認。

 光誠と同じ二年生だ。

 どちらも少し奥手な印象の男子たちだった。

 相当の勇気を振り絞ってきたのか、怖れるモノはなにもないようだった。



「瑠璃さん!」


「僕たちのうち、どちらかを選んでください!」



 告白がブッキングしたらしい。



「うーんどっちにしようかなーって、だからどっちも嫌だって!」



 瑠璃がノリツッコミを入れた。



「またまた」

「またまた」



 男子たちがニヤけ面で照れている。瑠璃とコミュニケーションを取るだけでも嬉しそうだった。



「ずっとこうなの! 助けてよ先輩!」



 瑠璃は、お兄ちゃんと呼ぶことが恥ずかしいのか、学校では先輩と呼ぶ。

 光誠にとってもありがたい配慮だった。



「また面倒な」



 その面倒は、瑠璃のノリの良さが原因だとわかっているものの可愛い妹を諭す前に、男子を追い払う必要があった。



「おい、お前ら。フラれてるぞ」



 光誠が真実を告げると、男子たちが首を傾げる。



「だから、フラれてるんだって! 諦めろ!」



 光誠は粘り強く事実の受け入れを勧告する。



「フラ、れた?」


「俺たち、が?」



 ようやく現実を理解したのか、男子たちはわなわなと震えだした。



「もてあそんだのか」


「そうだ。僕たちの純情を踏みにじられたんだ」



 二人からは、反転した好意がにじみ出ていた。


 憎悪だ。



「許せない!」


「謝罪しろ!」



 光誠は突進してくる男子二人のボディへ、冷静に一発ずつ拳を入れる。



「ぐっ」


「はぅ」



 二人は膝をついたもののすぐに立ち上がった。

 瑠璃へ告白する男子は、総じて根性のある性格をしていた。



「取り乱しました」


「もう忘れます」



 見ていられないほどしょんぼりとした男子たちは、互いに支え合いながらその場を後にした。



「ふいー、危なかったー」


「瑠璃」


「は、はい! なんでしょう!」


「愛嬌を振りまくのは、ほどほどにしろ」


「えー」


「えー、じゃない! 男はな、そういうの一番辛いんだぞ!」



 自分と一緒にいると笑ってくれる。

 自分なら幸せにできるかもしれない。

 そういう風に思ってしまう生き物だと、光誠にも痛いほどわかってしまった。



「瑠璃ちゃん」


「あ、シオリン! シオリンも告白されたの?」


「うん。兄さんがなんとかしてくれた」


「困っちゃうよねー」



 まったく反省の兆しがない瑠璃にイラッとする。


 光誠は自分の卒業後が一番不安だった。

 紫織や瑠璃が、男子に追いかけ回されたときにどうなるのかと気が気ではないかった。

 就職や進学のことも考えなければならないのに、光誠の心は休まる暇がない。


 そんな光誠の胸中など知りもしない美人で有名な姉妹たちは、口を揃えて言う。



「ありがとう、兄さん」


「ありがとう、あっくん」


「ありがとね、先輩!」



 光誠は、いきなり増えた家族の礼を溜め息一つで受け取った。


 憎めないのは、家族だからだと思う。



「どういたしまして」



 光誠は返礼をすると、教室へ戻るために歩き出す。

 姉妹たちも続いた。



「あっくんは、家で進路の話をするんですか?」


「いや、もう少し煮詰まってから話そうと思う」


「そうですか。でも、こういうのは早いほうがいいですよ。私が協力します。それとは別に、私も進路について悩んでいるんですが、良ければ放課後に話を聞いてくれませんか?」



 葵からの相談事は初めてだった。

 優秀な姉の悩みに答えられるほどの自信はなかった。

 幼い頃に離ればなれになった姉が緊張した面持ちで頼ってくる。

 怖じ気づきそうになる心は消えていた。

 あとどれくらい姉弟でいられるかわからないのだからと、光誠は可能な限り姉の力になりたいのである。



「わかった」


「あっくんなら、そう言ってくれると思いました」



 葵がほっとして嬉しそうな顔になる。


 それだけで空気が華やぎ、夏が増した。


 光誠が葵の笑顔に見蕩れている背後では、紫織と瑠璃がなにやら目配せをしてうなずき合っていた。


 光誠が知ることはない、姉妹だけの悪巧みだった。

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