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イエコイ  作者: 我有一轍
四章
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二十一話

 美奈星と瑠璃が用意した食事は、光誠の好評価を得た。


 葵も褒めた。


 褒められた美奈星は、終始はにかんだ笑みを浮かべてくすぐったそうだった。


 瑠璃は、料理を褒められることが初めてで、家事をするのも悪くないと思った。

 こういう場で、歌や音楽は不似合いなのは重々承知していた。

 得意なことが無力であることに息苦しさを感じる。

 心血を注いできたことが実際には人の役に立たてなくて、空しかった。


 紫織が無感情に食事を済ませ、早々に席を立つ。

 会話をする精神状態ではなかった。



「このあとなんだが、避難準備も整ったし、アレについて話をしようと思う」



 光誠は、居間に掲げられた家庭内恋愛禁止と書かれた張り紙を見て言った。



「そうですね。結論を出しましょう」



 葵が賛同する。紫織の苦しむ姿が見ていられなかった。



「私も賛成」


「ルリも!」



 食卓にいる人間から賛成をもらい、紫織を残すのみとなった。


 重苦しい雰囲気を消すために点けたテレビからは、台風の目が列島を縦断していると解説する気象予報士の疲れ切った声が流れている。

 相変わらず、頭上の様子や近所の様子を知るのに不便な番組だった。



「片付けを任せていいか?」


「いいですよ。紫織をお願いします」



 葵は光誠の意図をよく察していた。

 まるで雲雀のようだと思ったが、言えば怒ると思って言わなかった。


 光誠はごちそうさまでしたと手を合わせてから、席を立ち紫織の部屋へ向かう。


 紫織の部屋の扉をノックする。しばらく待っても反応はなかった。



「紫織、話がしたい。下に集まってくれないか?」



 返事はない。



「入るぞ」



 光誠が扉を開けようとすると、取っ手が回らない。鍵が掛かっていた。



「紫織」


「兄さんは」



 光誠が再び呼びかけると同時に反応があった。ドアのすぐ向こう側に紫織がいる。



「兄さんは、なぜ美奈星さんに告白なんてしたのだ?」



 質問だった。


 質問は交換条件にもできる。相手の反感を買うことになるが。


 光誠は逡巡し、ただで答えることにした。

 紫織のワガママに付き合うことが最善だと考えた。



「家族以外で怖がらずに相手をしてくれたのが、美奈星なんだ」



 紫織は、扉越しに光誠の恥ずかしそうな顔が思い浮かんではらわたが煮えくり返りそうだった。


 思い当たることもあった。

 紫織もまた、家族だとわかるまで光誠に態度を硬くしていた。

 学校での女子ウケはすこぶる悪かった。

 そんな中、一人だけ光誠から逃げずに話を聞く女子がいたら、それは惚れるのも仕方ないと納得できた。

 納得したくないことなのに腑に落ちた。


 紫織の中にあるわだかまりは、美奈星へと矛先を向ける。

 なぜ美奈星なのか。

 なぜ美奈星は光誠に対して隔てなく接したのか。

 それさえなければ、紫織はこんなめちゃくちゃな状態にはならなかったと考えていた。



「答えたぞ。出てきてくれないか?」



 光誠が紫織を部屋から出そうとする。


 紫織は出たくなかった。

 光誠の気持ちを聞いて、美奈星が同じような気持ちだったら、相思相愛になってどうにもならなくなるからだ。

 いや、そうであると根拠のない確信がある。

 紫織は、外堀をすでに埋められているのではないかと感じていた。



「わかった」



 紫織の予想通り、相思相愛だとすれば、抵抗は無意味だった。

 ドーパミンの特性で、邪魔をされればされるほどドーパミンは分泌量を増す。

 三ヶ月ほどで効果がなくなるものをだだをこねて延長する必要はなかった。

 ドーパミンが切れれば、一緒にいるのも苦痛になるという。

 それを待つのも一つの作戦だと思った。

 その間、紫織は光誠との恋を邪魔されていることになり、ドーパミンを分泌し続けることが期待された。

 後追いの恋であれば、そういう戦略もありだと思った。

 注意すべきは既成事実だ。

 取り返しのつかないことさえなければチャンスは巡ってくる。


 扉を開けると、光誠はなにも言わずに紫織の頭へ手を乗せた。

 初めてされたのは、家族だと言われた日だった。

 それ以来、このスキンシップは紫織にとって特別なことだった。

 家族の証だった。

 光誠に彼女ができて、こういうスキンシップがなくなるのは嫌だった。

 本当は、たったそれだけなのかもしれないとも思った。


 光誠と紫織が一階へ降りると、食卓の上はすっかり片付いていた。



「シオリン」



 瑠璃が心配そうにしており、紫織は安心させるように頷いた。



「さぁ、座ってくれ」



 光誠の呼びかけで兄姉妹と一人が席に着く。



「最初に教えて欲しいんだが、どういう経緯であのルールはナシになったんだ?」


「羽歌さんが、落ち込んでいるあっくんを励ましたいといってルールの一時凍結を提案しました」


「羽歌さんだったのか」


「ごめんね、お兄ちゃん」



 葵の説明を受けてうなだれる光誠へ、瑠璃が申し訳なさそうに陳謝する。



「それで賛成したのは?」


「私と紫織と瑠璃ちゃんです」


「反対は?」


「雲雀さんと月乃さんです」



 葵の簡潔な答えに光誠は疑問を持つ。



「ん? 美奈星は?」


「私は反対したかったけど、反対の理由は言えないから棄権した」


「そういうことだったのか」



 美奈星が反対できなかったのは、恋人であることを隠すためだったのだとすぐに理解できた。



「でも、紫織ちゃんの言葉で、あのとき反対するべきだったと後悔してる」



 美奈星は続けて述べた。


 浮気を指摘したときに、紫織に反論されて納得した。

 そもそも浮気できる環境を止めなかったことが悪いと反省していた。

 家庭内恋愛が解禁された瞬間に付き合っていることを宣言すればよかった。

 光誠に無断で行うことへ躊躇したのは間違いなく、まだ光誠のことをそんなに信用していなかった。



「私も一つ確認したいのだ。美奈星さんは、なんで兄さんと付き合っているのだ?」


「え、えっと」



 紫織の質問に思わず葵を見る。

 葵はにこやかに頷いた。

 答えて良いということだと解釈し、美奈星は口を開いた。



「その、美人姉妹やアイドルを守る光誠くんの活躍を何度か見たことがあって、あんな風に守ってもらえるなら嬉しいなって、思ったから、で」



 美奈星はちらちらと光誠を見ながら喋り、尻すぼみになっていく。


 光誠も初めて告白を受け入れてくれた理由を聞いた気がした。


 紫織は、もっとも見たくないもの見て、また部屋に閉じこもりたくなった。



「あっくんはどうして美奈星ちゃんに告白したの?」


「ルリも聞きたい!」



 葵と瑠璃は興味本位で目を輝かしており、紫織は二人の口を直ちに塞ぎたかった。



「家族以外で、俺を怖がらずに接してくれたのが美奈星だけだったからだ」


「え、そうなの?」



 美奈星も光誠の本心を初めて聞いて驚いた。

 お互いによく分からないで付き合っていた。


 それを一番最初に知ったのは、紫織だ。


 科学に運命を説明する力はない。

 結果から式を立てて再現性を調べ尽くすだけだ。


 紫織は、仮に運命があるとして、想い人が憎い相手と相思相愛であることを最初に知る運命を望んでいなかった。

 心臓や胃がねじ切れそうなほどに痛みを発し、吐き気を催した。

 それでも言わなければならない。

 運命を乗り越えると瑠璃と話したから。



「相思相愛なのだ」



 照れて下を向く美奈星と頬を掻いて上を向く光誠に言ってやった。

 二人の間には強固なものがあり、それを引き裂くお邪魔虫は誰か宣言した。

 苦渋の選択だった。

 誰にも咎められるはずのない心に鍵を掛けて鎖で縛り、永遠に光の当たらない暗闇へと沈める行為だ。

 胸の内側から全身が凍えていく。

 体温が下がり生きている熱が消えていった。


 紫織は二人の恋の敵になる。

 それでしか精神の安定を保つことができなかった。



「シオリン」



 紫織の苦悶に気づいた瑠璃が、泣きそうな顔で名前を呼んだ。


 無理矢理に頬を釣り上げて、笑う。


 これは宣戦布告だった。

 光誠や美奈星のドーパミンが切れて破局になるまで、嫉妬で狂おうが憎しみで寝不足になろうが関係ない。

 瑠璃は一生を掛けてでも兄への想いを抱え続けると決めた。



「おほん、話が逸れたな。それで、家庭内恋愛禁止のルールだが」



 光誠がいよいよ本題に入った。


 瑠璃も葵もそのルールを解禁してしまったことが原因だと思っていた。

 一旦落ち着くには、その復活を宣言する必要があった。



「ルール自体を破棄した方がいいと考えている」


「え?」


「は?」



 光誠の言葉に、瑠璃と葵は耳を疑った。

 光誠が、このドロドロで破廉恥な関係を続けたいと言い出して、理解が追いつかずに混乱する。


 驚きの衝撃で紫織も目を開けたまま固まった。



「俺は、家族が感情を殺して生きるのは嫌なんだ。この家でくらい思うままに生活して欲しい。そのために父さんが設計したんだと思う。誰かが我慢しなければならないルールなら、俺はいらない」



 光誠の言葉にただ一人だけ、美奈星だけが頷いていた。

 光誠が有言実行するのは好ましいとさえ思っていた。


 美奈星を除く姉妹たちは、別の意味に捉えていた。


 葵は光誠の裸体を描いたときのことを思い出した。

 葵にとっての本当の自由。

 絵の題材にもならない家族から逃げ出すことだった。

 光誠を描いて、初めて人の顔の美しさに気づいた。

 その美しい顔を全員にさせるという光誠の願い、それが父からの願いだと知り、葵の中だけにあったはずのキャンバスが家一軒にまで拡大した。

 美しいものがないと絶望していたのに、美しいものばかりが集まっていることに気づかされた。


 瑠璃は光誠に頼られたときのことを思い出していた。

 わがままを言うだけの存在だったのに誰かを支える喜びを知った。

 一人を退屈だと思っていた。

 わがままを演じることに飽き飽きしていた。

 光誠や紫織がそこから引っ張り出してくれた。

 それは歌のレパートリーを増やすようなものだった。

 寂しいだけの人間じゃなくなったことで、たくさんの歌を歌える理想の人間になれる気がした。


 本来の自分を捨てて、我慢に我慢を重ねて、親に気を遣って生きてきた姉妹たちは、光誠の言わんとしていることをそれぞれに理解する。


 これまでの人生を慮ってくれたのだと。


 もっとわがままになれと。


 大胆にもルールを破壊するという方法で示していた。


 葵は感極まり、熱い溜め息と共に目端の涙を拭う。


 瑠璃も唇を噛みながら涙をこぼした。



「でも、そんなことをしたら私は兄さんに色々してしまうかも」



 紫織はうっすらと涙の筋を作りながら、感情の暴走した未来を警告する。


 警告しながら、胸の内に鎖で繋いだはずの秘めた想いが暴れていた。

 解放されたいと雄叫びを上げて鎖を引きちぎろうとしている。


 不倫でデキた望まれない命。

 想い人を取られる運命。

 本当の自分を押しつぶす重い枷を大きな心で取り除いてくれた。

 その喜びで涙は止めどなく流れる。



「あー、くっつくくらいなら家族でもする。その、キスとか変なことさえしなければ受け入れる。でも、家の外では禁止だ。一般の兄姉妹として振る舞って欲しい。だけど、この家は、俺と父さんが葵姉さんや紫織、瑠璃のために作ったんだからもっとくつろいで欲しい」



 亡き父の遺言が、光誠の中で確固たる信念を支えていた。

 家族を幸せにするという難題には真正面から取り組む所存だった。

 父が叶えられなかった目標からブレていないことが誇らしかった。

 母や姉に何を言われても譲る気はない。


 ふと、美奈星の反応が気になる。少し不機嫌そうな顔をしていた。



「どうだ?」


「いいよ。光誠くんがちゃんとそのルールを守るなら」



 兄姉妹でベタベタとくっつくのは、まだ我慢できることだった。


 日高家に集まる兄姉妹の境遇を考えれば、我慢すべきだった。

 それが、光誠の恋人である条件にさえ思えた。



「お風呂は?」



 瑠璃が聞いた。


 姉妹とのお風呂を制覇した瑠璃は、家族の中で唯一お風呂を一緒にしていない光誠と裸の付き合いがしてみたかった。いやらしくない意味で。



「いや、さすがにそれは」



 光誠が難色を示すと、瑠璃はがっくりとうなだれる。

 女優なのだと理解しているが、父親のいない生活で男の身体を見ないで育ったことを考えると、今後の参考になるかもしれないようが気がしてきた。



「一回だけなら」


「ホント!」


「一回だけだぞ!」


「やったー!」



 喜ぶ瑠璃を見て、美奈星は奥歯を噛みしめた。

 瑠璃は純粋だと言い聞かせようとして、追求すべきことを思い出した。



「光誠くん。私も聞きたいことがあります」


「ん?」


「結局、光誠くんは誰とキスをしたの?」



 怒気をはらんだ美奈星の目から、光誠は思わず目をそらした。



「あ、このまま隠すつもり?」


「いや、そんなことはないぞ」


「じゃあ、誰としたの?」



 美奈星が追求していると、葵と紫織、瑠璃が手を上げた。



「あまりあっくんだけを怒らないでください」


「兄さんからはしてないのだ」


「ルリなんて唇にもしてない」



 八木姉妹と瑠璃が自首し、美奈星は深呼吸する。

 聞きたくないけど確かめておかなければならないのだ。



「まず、葵さんから。どんなキスを何回したんですか?」


「え、そこまで聞きます?」


「はい」


「できれば二人だけの秘密にしたいのですが」


「なに乙女なこと言ってるんですか!」



 姉のピンチに妹が動いた。



「ディープキスを一回なのだ」


「シオリンすげー!」



 紫織は誇らしく思っていた。

 兄とキスしたことは、感情の証明だった。

 秘密にするのはもったいない気がした。

 盟友の瑠璃が、賞賛してくれるのも嬉しかった。

 葵と美奈星が、明らかに先を越されたとか負けたというような顔をしていて優越感が芽生える。



「今後はしない」



 光誠が申し訳なさそうに頭を下げた。



「うん。気をつけてね」



 葵に食ってかかっていた美奈星もディープキスのインパクトでなりを潜めた。


 話すべきことはなくなり、台風が通り過ぎるのと大人たちが帰ってくるのを待つばかりだった。

 帰ってきたら家族会議を開き、未成年で話し合ったことをぶつけるつもりだった。


 光誠たちは停電や断水を警戒して順々に風呂へ入り、暴風と大雨の音を聞きながら昼を過ごした。

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