十三話
二人してアトラクションに戻ると、吉崎が不愉快そうな顔をしていた。
「おい、どこ行ってたんだ!」
ぶつかるように近づいてきて、光誠に小声で言いつのる。
「アトラクションの途中で退場させられたから暇を潰してたんだ」
「なにやってんだよ! ぶち壊す気か?」
吉崎に言われて、それも良いかもしれないと思った。
美奈星の手を取り、無理矢理にでも家へ連れ帰ることも悪くなかった。
「すまん。気をつけるよ」
光誠は、バツの悪さで暴走するのを抑える。
大人になろうと努めた。
気になって美奈星を見ると、光誠と少しズレた所を見て目つきを鋭くし、表情を殺していた。
美奈星の視線の先には、中村がいる。
当の中村は、質問は受け付けないとばかりに、ニコニコとしていた。
美奈星と中村、別の戦いが始まってしまった。
「ね、ねぇ! そろそろお昼にしない? 混雑する前に座っちゃおうよ!」
事態を察したのは、光誠だけではなかった。
このトリプルデートの真の主役である西田も、美奈星と中村の間で交わされる尋常ならざる火花に気づいていた。
「そうだな。よし、少し早いけど飯にしよう!」
西田の提案を受けて、吉崎が昼食を取ろうとレストランを探す。
西田や浅野がなにを食べるかと相談し、雰囲気が重くならないようにしていた。
美奈星と中村は目を合わすことも言葉を交わすこともない。
光誠は、そんな二人の板挟みにあっているようで胃のあたりが重くなった。
「あそこにしよう!」
吉崎が家族連れの少なそうなレストランを選ぶ。
女性受けを狙った華やかな内装のレストランでデザートが充実していた。
リボンや花束で飾られたファンシーな世界にでかくて怖い顔の男が居座ることになった。
「似合わないね」
「うるせー」
この会話を中村としたことが気に入らないのか、美奈星はレストランに入ってから光誠のことをずっと睨んでいた。
「ちょっと席を外すね。ほら、美奈星と依乃里も!」
席が決まるとすぐに、西田が行動に出る。
作戦の確認と美奈星と香苗の諍いを仲裁するのだろうと想像できた。
「トイレかな?」
「バカ! 当たり前だろ」
浅野の発言に吉崎は苛立ちを隠さなかった。
女性向けの店内で、男三人が並んで座っていると、店のスタッフも思わず笑みを零す。
中学生くらいの女子たちも光誠たちを見て、ひそひそと話していた。
「なぁ、なんでここ選んだ?」
「しかたないだろ。親子連れで賑やかな所だと雰囲気が出ないんだから」
光誠の苦言に、吉崎は溜め息を吐いた。
「ん、雰囲気って」
ここまで上手く行かない原因は、光誠自身のせいだと思っていたが、違うことに気づく。
ずっと吉崎はわかりやすい行動を取っていた。
エスコートで美奈星を指名し、美奈星の言うことは即採用していた。
「お前、岡田を」
吉崎は、美奈星を狙っていたのだ。
「日高」
光誠の言葉を遮り、吉崎が取っ組み合いも辞さない顔で言う。
「俺が気づいてないと思ったか?」
友人の恨みのこもった目に、光誠は息を呑んだ。
吉崎は、光誠と美奈星が付き合っていることを知っていて、このトリプルデートに挑んでいる。
並々ならぬ恋心を美奈星に抱いていた。
「いつからだ?」
「岡田の両親が亡くなったあとだ」
光誠が吉崎に教えたことはない。
あるとすれば美奈星だった。
光誠の告白したあとに吉崎が美奈星となんらかの関わりを持っていた。
「なになに? 二人も喧嘩するの?」
浅野が不穏な空気を読み取り、うんざりした声を出す。
「はぁ、女子も揉めてるみたいだし、俺は帰りたいよ」
浅野も鈍感ではなかった。
一緒にいて楽しくないことは感じていたらしい。
「吉崎、お前はなにを考えてるんだ? 俺も黙っちゃいないぞ」
恋人に手を出されると分かっていて付き合うバカなどいない。
光誠は、浅野も巻き込んでこのデートをぶち壊すことを考えていた。
「俺はまだフラれてねぇ」
吉崎は言いにくそうだった。
光誠の頭の中に、姉妹たちへ告白して玉砕していった男たちが思い浮かんだ。
彼らには思いを告げずにはいられないほどの衝動があった。
光誠という護衛がついてからも告白は繰り返された。
なぜか。
殴られるのも覚悟で犬死ににも等しい屈辱を舐めてなお潔く生きたいと行動で示していた。
認めるのも不快だが、光誠は吉崎の意志を読み取れてしまい、頭を抱える。恋人への告白をみすみす許すのは彼氏としてどうかと思うものの、吉崎の切望も叶えてやりたいと感じた。
「わかった。目をつぶる」
きちんと討ち死にさせるべきだと思った。
討ち取られれば前向きになるはずだという希望と、もしかしたら美奈星が受け入れるかもしれないという恐怖もあった。
自分だけ恋愛の勝者でいるのは情けない気がした。
美奈星が吉崎を選ぶなら、殴って追い返してきた勇気ある男たちと同様に失恋にむせぶべきだと覚悟を決めた。
「邪魔はしないが、乱暴は許さん。どこでする気だ?」
「つ、ついてくるのか?」
「俺は力づくで詰め寄る奴らをかなりの数見てきたんだ。お前がそうならないとも限らない」
「まぁ、信用ないもんな。夕方のちょっとしたイルミネーションのイベントのとき、人が少なくなる観覧車の前でするつもりだ」
吉崎は、予め告白する場所まで練りに練っていた。
「俺だったら邪魔するけどなー」
「おいやめろ。日高の気が変わったらどうするんだ」
浅野が当たり前の感情を言うと、吉崎が迷惑そうに言い返した。
光誠だって、浅野の言うとおりにしたかった。
姉妹たちに言い寄る男子を数多く見てきただけに、吉崎だけその機会を奪うのは不公平だと思った。
「本当にいいのかなぁ?」
浅野が不安そうに光誠を見る。光誠の判断を暗に否定していた。
「お待たせ」
西田が戻ってきて、話は中断となる。
光誠はさっそく美奈星と中村の様子をうかがった。
二人とも気まずい顔をしており、西田の説得が利いたのか冷静さを取り戻しているようだった。
「それじゃ注文しよう」
吉崎も気を取り直して幹事役に戻る。
「そうだね」
西田は少し影のある微笑みを浮かべて雰囲気を良くしようと努めていた。
その健気な態度に光誠は吉崎を殴り飛ばしたくなる。
かいがいしく尽くしてくれる女子に好かれて羨ましいと思えた。
美奈星の頼みとはいえ、吉崎と西田をくっつけようとする作戦がバカバカしくなってきた。
微妙な空気の中、吉崎と西田が懸命に雰囲気を明るくしようと会話を盛り上げる。
浅野もそれに協力した。
その努力を踏みにじるように光誠と美奈星、中村は会話に参加もせずにモクモクと食事をする。
気分を転換するのに食後のアトラクションを三つほどこなさなければならなかった。
食後にこなしたアトラクションは、鏡だらけの迷路と落下したときの水しぶきが売りのジェットコースター、それとフリーフォール系のものだった。
組み合わせは変わらずで、光誠と中村は微妙な距離感のまま過ごした。
吉崎と美奈星を見ると、二人も午前中のような楽しんでいる雰囲気ではない。
安心しつつも、この催しが失敗になったという嫌な確信だけはあった。
「最後にイルミネーションを見てこうぜ」
「うん、いいね」
吉崎の提案に西田の顔がパッと明るくなる。
光誠はその嬉しそうな顔を見てられなかった。
吉崎の提案は西田のためのものではない。
午後になってから、美奈星も中村も作戦の通りに行動した。
西田と吉崎を近づけるように三人席へ一緒になるよう押し込んだり、西田と吉崎が隣り合うようにしたりと細かい調整をする。
西田もそれに応えて、精一杯に吉崎へ愛嬌を振りまいた。
ただ、その西田の一所懸命なところを見るのは辛かった。
「はぁ」
「なに? 疲れた?」
距離を保ちつつ、すっかり親しくなった中村が光誠の体調を気遣う。
「いや、なんでもない」
「ふーん」
なにか思い当たるようで、光誠の視線の先を辿った。
「香苗を見てた?」
中村は、光誠を軽蔑した目で見る。
「私や美奈星では飽き足らず、香苗まで?」
「そんなわけないだろ?」
軽口のやりとりだった。
中村はすぐに笑い、真剣に追求することはない。
イルミネーションの周辺には人が集まり、光誠たちも瞬く間に埋もれて身動きが取りずらくなる。
「あれ、美奈星? 吉崎?」
近くで西田の声が聞こえ、いよいよだと感じた。
光誠は、今日という日が誰にとっても良い日にはならないと思った。
「ねぇ、美奈星と吉崎がいないんだけど?」
「ああ、そうだな」
「そうだなって」
中村は、光誠が慌てていないことに気づいて察した。
「なにか知ってるでしょ?」
「ああ」
「美奈星が連れて行かれたんだよ? どうして冷静でいられるの?」
中村に言われるまでもなく、光誠は胃の痛みと胸のモヤモヤで叫びたいのを我慢している状態だった。
「俺もさっき知ったんだが、吉崎は吉崎で考えがあった。俺は、吉崎を止めなかった」
懺悔のような心持ちで白状する。
美奈星の気持ちを考えなかった。
吉崎の気持ちを優先させた。
恋人として許されるのか。
許されないのか。
中村の反応を待った。
「美奈星は、日高くんを選んだんだよ?」
美奈星の気持ちを優先するべきだったと知り、判断を誤ったと理解する。
「そう、か」
「ほら見ろ。今からでも間に合う。邪魔しに行こう」
浅野が、光誠の背中を叩いた。
西田は、平静を失い、イルミネーションを期待する群衆の中で一人青い顔をしていた。
「西田、今から吉崎を追いかける。ついてきてくれ」
「う、うん」
光誠は罪滅ぼしだと感じる。
確証はないが、美奈星の期待や信頼を裏切ったことに心胆を寒からしめた。
誰も望まない結末を選んでしまった後悔に鈍くなっていた心が焦り出す。
人混みを掻き分けて、後から来る西田や浅野、中村のために道を作った。
イルミネーションを囲む人垣を抜けて、光誠は観覧車に向かう。
メリーゴーラウンドを迂回して、コーヒーカップを横目に突っ走った。
園の端に向かうにつれて薄暗くなり、カップルが並んで歩く姿を見かけるようになる。
光誠は焦りから何度も見ず知らずの二人組を美奈星と吉崎に見間違えた。
恐ろしい結末の幻だと気づいて安心してから、また不安になるというのを繰り返しだった。
「いた」
光誠たちが見つけた二人は、観覧車の前で向き合っていた。
二人の距離は、近くも遠くもない。
吉崎は光誠に気づくと、すぐに背を向けて走り去った。
「ちょっと、吉崎!」
声を上げたのは西田だった。
美奈星は、うつむいたまま立ち尽くしている。
「香苗、プランBよ」
「ええ?」
中村が、西田の手を取り走り出した。
「少しずるいけど、弱ったところを堕とす!」
「え? え? えええええええ!」
「行け! 悪女になって来い! イイ女作戦は諦めろ!」
「う、うん。行ってくる!」
中村というカタパルトのような恋のキューピッドに押し出された西田が、吉崎を追いかけて走って行く。
「浅野くん! ちょっとボディガードして! そっちは日高くんに任せよう!」
「わ、わかった!」
中村に呼ばれた浅野は一瞬怯んだもののすぐに状況を理解して、光誠と美奈星を残し中村へついていった。
中村が粘り強く西田を応援する姿が、唯一の救いだった。
観覧車の前で一人でうつむいている美奈星を放っておけるはずもなく、光誠は近づいた。
「どうしてこうなるのかな?」
美奈星は、光誠の顔も見ないで問いかけた。
怒っているのか悲しんでいるのかわからない声で震えていた。
「吉崎は最初からこうするつもりだったらしい」
「そうなんだ」
美奈星の上げた顔を観覧車から降り注ぐ光が照らす。
晴々としても泣き散らすほどでもない、強ばった顔をしていた。
「怖かったし、告白を断るのも嫌な気分だった」
光誠には相槌を打つ資格がない。
「どうして、私の時は助けに来てくれなかったの?」
強烈な非難の目に、光誠は言葉を失った。
やはり美奈星の期待を裏切っていた。
光誠は、吉崎が暴挙に出ることも考えてここまで来たのだが、美奈星にとっては遅すぎた。
その感覚のズレを埋める言葉も行動もわからずに沈黙する。
「すまん」
やっと出たのは謝罪の言葉だった。
美奈星は、光誠の言葉に満足できないでいる。
なにをしてもらったら許せるのかもわからない。
遡れば、中村と楽しそうに話をしているときの光誠の顔が気に入らなかった。
それから二人で抜け駆けしたことも。
ふつふつと不満ばかり沸き上がり、どうにもならないことが憎かった。
「あ」
中村から美奈星へ電話が掛かってきた。
「もしもし。そっか。良かった。うん。そうする。じゃあね」
中村からの報告では、西田が当初の予定通り吉崎と仲良くなれたとのことだった。いきなり付き合うことは無理との判断で、友達から始めると。
美奈星は、光誠にいきなり告白されたことを思い出し、友達から始めれば結末は変わったのかと想像する。
両親が死ぬ前と後で、光誠の存在は大きすぎた。
告白がされてなければ、ずっと赤の他人の居候になっていた。
このイベントも楽しく過ごすことができたはずで、吉崎の告白も西田のために胸を痛めることもなく断れた。
「香苗と吉崎くんは上手くいったみたい。今日はもう現地解散だって」
「そうか」
美奈星の事務的な声に、光誠の疲れ切った声が応じる。
二人の会話はもっと秘密めいていて楽しいものだったことを思い出し、美奈星はショックだった。
なにかが色あせてしまい、二度と元に戻らない。
大事なものを失ったことが重くのしかかり辛かった。
その辛さは両親の死を思い出させた。
生きた繋がりを失う恐ろしさを思い出させ、キスの温かさを連想させる。
光誠は、美奈星の内部に起きた衝動に気づかない。
ぼんやりと観覧車を見上げていた。美奈星にどうやって許してもらおうかと考えていた。
「ねぇ」
「ん?」
「観覧車、乗ってみない?」
美奈星の要望を受けて観覧車を見ると、カップルばかりがずらりと並んでいて、夕暮れの個室で何が起きているか想像するのも容易かった。
「え、アレに乗るのか?」
「え?」
光誠がうろたえるので、美奈星は観覧車を確認する。
体を寄せ合う長蛇の列と二人きりの個室にはっとなった。
願望がもろに伝わってしまったことに恥ずかしくなる。
「あ、やっぱりやめとこう」
「そ、そうだな」
付き合って間もないことと、まだ恋人らしくもないこともあり、二人の意見は一致した。
光誠は、美奈星が怒りや不満を持っているだけでないことがわかり、関係の修復になにをすべきか頭を働かせる。
これから帰らなければならない。
家に帰れば、またコソコソと関係を隠さなければならない。
その前に恋人としてできることはないかと考えた。
「よ、よし、帰るか」
光誠としてはさりげないつもりで、美奈星の手を取った。
「え」
美奈星は予期せぬ接触に頭が真っ白になった。
「帰ろう」
美奈星のほっそりとしつつも、テニスラケットを握ってできた豆のある手を握る。
怖じ気づいて離すなんてことはしなかった。
吉崎の告白を断った恋人を離したくなかった。
「うん」
光誠の手から感じる熱がキスの時のような暖かさだった。
美奈星は、求めていたものとは違うサプライズに嬉しくなる。
二人は手を繋いだまま遊園地を出て、電車に乗り、家のすぐ傍に来るまで離さなかった。
家が近づくにつれて、姉妹たちの目から逃げ回る生活が思い出される。
恋人でいられたのは、ほんのわずかな時間だった。
それでも貴重な時間を過ごせたことに二人は満足していた。
恋人であることを確かめられたのだ。
「もうついちゃうね」
「そうだな」
名残り惜しい気持ちが強まれば、触れあっていたい気持ちも強まった。
光誠と美奈星は玄関の前で立ち止まり、人感センサーで点灯する光が消えるのを待つ。
待つ意味を知っているのは、二人だけだった。
消えるのを待つ間、見つめ合う。
光誠の中にもう二度と一人にしないと誓う炎が燃え続け、美奈星の瞳は光誠のすべてを受け入れようと潤んでいた。
光が消えたとき、二人は二度目の口づけを交わした。




