十話
午後六時過ぎ、通常練習が終わりソフトテニス部の部室へと入った。
「はぁ」
「なーに溜め息吐いてるの? 恋煩いか~?」
「ち、違うよ!」
同じクラスで部活仲間の西田香苗にいきなり核心を突かれて、慌てて否定する。
「全力の否定とか、逆に怪しいでしょ」
別のクラスで、部活仲間の中村依乃里がさらに追求した。
「それなら、練習終わりにも化粧してるのはどういうわけよ?」
「そうそう。彼氏の為でしょ?」
事情を知っている二人は、美奈星の痛いところを容赦なく抉ってきた。
そして、この二人こそが、吉崎の計画する夏休みの予定に美奈星を巻き込んだ張本人たちだ。
「私も色々あるの。それより、二人は誰か好きな人いないの?」
「それは、これから作るのよ」
香苗があっけらかんと答える。
「私もいない。というか高校生は、ガキ過ぎて話にならない」
依乃里は、男子高校生すべてに対し辛辣な言葉を放った。
「そ、そうなんだ」
光誠のことを貶されたようで、なんとなく美奈星は愛想笑いにも力が入らなかった。
「それよりさ、日高はやっぱりアレなのかな?」
「アレって?」
香苗が、三人しかいないロッカーの並ぶ部室で声を潜める。
「知らないの? 浅野と日高のゲイ疑惑」
「は?」
美奈星は思わず、甲高い声が出てしまった。
「そんなに喜ぶことないでしょ?」
依乃里が汗で張り付く練習着を脱ぎながら、美奈星をたしなめる。
「もうね、あの二人が休み時間に話してるだけでおかしくてヤバイの。特に浅野。あいつの日高を見る目はホンモノだって!」
「そ、そんなはずは」
「本当だって! 今度見てみなよ!」
同級生を同性愛扱いして盛り上がる香苗と喜びを分かち合うことは不可能だった。
姉が同性愛でパートナーを作っており、それが真剣なものだと言うことを知っているし、現にそのおかげで美奈星は光誠の家で世話になっている。
それに、盛んにキスを求める光誠を知っているので、同性愛でないと感じていた。
「ごめん。ちょっとついていけないや」
美奈星はきっぱりと言い切る。
こういうのは流されてはいけないと知っていた。
それで失敗してくよくよと悩む姉を見て学んでいた。
「ふむ、美奈星に斬られたね。よしよし」
「ぐぅ、不覚にも」
スコートを脱いだ下着姿の依乃里が、美奈星に拒否された香苗を抱いて頭を撫でる。
「汗かいた後で、それする?」
「がはっ!」
「依乃里! しっかりしろ依乃里!」
美奈星の二の太刀で、依乃里がロッカー前のベンチに倒れ込み、香苗が芝居がかった動きで意識を取り戻そうと胸骨圧迫の真似事をした。
「いくらなんでもひどいぞ美奈星!」
「そうかな? あ、私は朝練で居残り免除だから先に帰るね」
「私たちを見捨てるのか!」
香苗が真剣に演技を続けるのに依乃里の方は笑いを堪えきれずに、ベンチの上で吹き出しそうになる口を押さえている。
二人には感謝していた。
吉崎の提案に美奈星を誘ったのも、光誠の同性愛疑惑で笑わせようとしたのも、両親を失った美奈星を励ますためなのだ。
「それじゃ、お先にー」
「美奈星ー!」
部活仲間の芝居に手を振って別れを告げ、美奈星は部室を後にした。
美奈星が朝練に出るのは早く帰るためだった。
いくら集団で帰るとは言え、女ばかりは不安だからと光誠と一緒に帰ることになっている。
これは美奈星のためではなく、学校でモテて仕方ない八木姉妹や瑠璃のためだった。
同じ女としてなんとなく面白くないものの、家族会議で決まったことだから美奈星はそれに合わせていた。
「あ、来た来た! みなぽん!」
待ち合わせ場所の校門へ来ると、瑠璃が手を振っていた。
「待たせてごめんなさい。瑠璃ちゃん」
「いいよいいよ。ルリも合唱部の練習が終わったばかりだし」
瑠璃は、年下というだけでなく性格に屈託がない。
美奈星は、新しくできた姉妹が嫌いにはなれなかった。
それぞれに真面目な部分があり、努力も間近で見せつけられている。
彼女たちが美人なのは、美人と呼ばれるだけの苦労があるからだ。
一緒にいることはプラスにはなっても、マイナスになることがない。
悔しいことに、学ぶことが多いほどだった。
「兄さん、揃いました」
「ああ」
紫織に言われて、光誠が美奈星を見る。美奈星の唇を。
「遅くなりました」
声に若干の棘を仕込むと、光誠が怯んだ。
「い、いや、大丈夫だ。行こう」
「なに? あっくんと美奈星ちゃんは喧嘩でもしてるんですか?」
葵が異変に気づいた。
「そういうわけじゃないんだが」
「そう。ならいいですけど」
葵は光誠の言葉ですんなりと引き下がったが、納得はしていないようだった。
年上でもあり、色々と鋭い葵は、美奈星にとっても脅威だった。
今の葵は、家庭内恋愛禁止から解き放たれたことで、十分に恋敵となる存在だった。
美奈星は、毎日が今まで味わったことのない緊張感の連続だった。
恋人との距離の詰め方、それを悟られないようにする演技、そして常に姉妹やクラスメイトの顔色を窺わなければならない煩雑さ。
恋に憧れたものの、その維持に掛かる心労を予想していなかった。
苦しいと言えたらどんなに楽なことかと思う。
今の美奈星は、とにかく隠すことを重視した。
気づかれないことが最大の防御だと思った。
それを崩そうとするキスに取り憑かれた光誠が、目下の所の最大の脅威だったが。
光誠の軽率な行動で関係が露見したら、光誠との恋愛ごっこの火に油を注ぐことになるのは、火を見るより明らかだった。
「はぁ」
思わず溜め息が出る。
光誠とのことを考えると、思い悩むことが増えて自然と出てしまう。
「みなぽん大丈夫?」
姉妹随一のぱっちりとした目の瑠璃が、美奈星の顔を覗き込んだ。
「う、うん。大丈夫だよ」
答えていて、瑠璃の境遇が思い浮かんだ。
父もなく母と二人で暮らしてきて、寂しい思いをしたと聞いていた。
彼女の恵まれない境遇を知ると、天真爛漫とも言える自由な振る舞いは強がりのようにも見える。
学校ではそんな所を一つも見せないので、それこそ見えない努力の筆頭だった。
「あ、そういえば瑠璃ちゃんは今日寝坊したんだよね?」
「う、そうです」
「光誠くんが寝坊したことになってたけど」
「甘えました」
肩を落として落ち込む姿は、女優かと思うほどそれらしかった。
「なんでそうなったのかな?」
「んー、なんか怒ってる?」
「え」
責められていると感じたのか、瑠璃はいじけたような目で美奈星を見上げた。
声の調子や表情から怒りなど出したことはなかったが、なぜか瑠璃には見破られた。
一年のアイドルと呼ばれるだけあって、人の心を掴んだり、読み取ったりする能力が高い。
「お兄ちゃんを遅刻させたから?」
すかさず図星まで突いてきた。
素直に答えてあげられないのが心苦しく、光誠が予習していたことで事なきを得たが、遅刻で進学への道が若干厳しくなった。
彼の進路を危うくしたことに少なからず思うことがあった。
「昨日の話を聞いたら、誰でもそう思うのだ」
紫織が美奈星の代わりに答えた。
「だって、兄妹だからってお兄ちゃんが言ってくれたから」
瑠璃も紫織に言われると反抗する気にはならないようで、さらに肩身を狭くする。
「兄さんが?」
普段は感情を表に出さない紫織が、珍しくはっきりとした形で驚いた。
「そうだよ?」
美奈星と同様に驚いた瑠璃も答えながら、首を傾げた。
「そうだったんだ。兄さんが」
瑠璃への確認を終えた後、紫織がぼんやりとした顔になって、前を歩く光誠の背中を眺めた。
美奈星が見るに、嬉しさと不満が半々といった表情だった。
瑠璃も美奈星も合点がいかず、いきなり呆けた紫織の歩くスピードに合わせながら帰宅した。




