一話
家庭内恋愛禁止と墨痕鮮やかに書かれた張り紙が居間にデカデカと飾られている。
それを書いた大山羽歌は、仏間で父親の遺影に手を合わせる息子の姿と張り紙とが結びついたような気がした。
「羽歌さん」
二人の息子、日高光誠の母である八木藤華紗が、未熟な長男の先行きを思い悩む声を出す。
藤華紗は、羽歌の肩に癖のある短い髪とこめかみを寄りかからせた。
七月の初め、台風の影響で空一面が雲に覆われた、葬儀から一ヶ月後の昼だった。
忌引きで休みを取り、家族の動揺に一区切りをつけようとしたものの、家族になったばかりの母二人には、長男の励まし方がわからないでいた。
「藤華紗さん。あれ、やめてみようか?」
羽歌は、手首に点けていた髪留めで長い髪を束ねてひっつめにする。
なんとなくだが、髪型でオンとオフを分けていた。
「あれって?」
羽歌は声を潜めて言った。
「あの張り紙よ」
藤華紗は、居間にある唯一の張り紙を見て、羽歌の考えに眉をひそめる。
「良くないと思う」
「もちろん、一時的なもの。それで元気になってくれればいいんだけど」
「なにか間違いがあったら?」
「一緒に暮らしてるんだし、それくらいすぐ気付くわよ。気付いたらやめればいい」
羽歌の提案にもしものときの保障がなく、かといって光誠を元気づける方法も思いつかない。
藤華紗は、羽歌の危険な賭けにしぶしぶ頷いた。
「よし、じゃあそうと決まれば」
羽歌は仏間へ近づき、光誠の背中へ呼びかけた。
「光誠、ちょっとお使いを頼んでもいいかな?」
「ああ」
母親に呼ばれた青年は、正座から直立する。
羽歌は見上げるような格好で、朝見た広告の特売品のお米を一袋買ってくるように息子へ頼んだ。
短髪で目つきが鋭く、中学の時は不良とよく揉めていたと聞いていた。
「わかった」
免許もなにもない息子は部屋へ戻って大きめのリュックサックを背負い、徒歩で出かける。
車を持っている母親が行けばいいなどと、面倒くさがりもしない。
父を失ったショックで不気味なほどに従順になっていた。
光誠は、父と姉の三人暮らしで高校二年生まで生きてきた。
羽歌や藤華紗、その娘たちと暮らすようになったのはつい最近のことで、まだまだうち解けていない。
それに輪を掛けているのが、家庭内恋愛禁止のルールだった。
家族の中で男性は光誠だけで、光誠は必要以上に避けられていた。
羽歌は、それでは光誠を励ませないと思った。
光誠が家から十分に離れたのを確認すると、娘たちの部屋を叩いて集合を掛ける。
「今から会議をするから一階に集まって」
羽歌は、扉や襖を六度ノックして回った。
集まった娘たちは指定の席へと座っていく。
「なんの話をするの?」
一番に口を開いたのは、光誠と幼い頃から過ごしてきた日高雲雀だった。
光誠についで古参の娘で羽歌の実の娘でもあるが、光誠とは血のつながりがない。
羽歌の連れ子だった。
癖のない長い髪は羽歌譲りで、羽歌よりも艶やかだ。
ただ、その目は厳しく、母には容赦がない。
幼い光誠を捨てて逃げ出したことを恨んでいた。
「うん。光誠が元気ないでしょ? だからどうにか励ませないかと思って考えてみたの」
「お母さんが考えることって、いつも普通だよね」
羽歌に対してあけすけな物言いをするのは羽歌の娘である大山瑠璃だった。
雲雀の異父妹であり、光誠の異母妹にあたる。
長い髪をツインテールにしており、スマートホンをいじりながら会議に参加していた。
「家庭内恋愛を一時的に解禁しようと思うの」
羽歌の発表を隣で見守っていた藤華紗は、娘たちの反応に戦々恐々とする。
「本気で言ってるの?」
まっさきに反応したのが雲雀だった。
「ええ。でも、光誠には内緒だし、まして本気で好き合ってもらっても困る。血の繋がったもの同士での婚姻は違法だから、そこはわきまえてちょうだい」
「いや、それ筋が通ってないでしょ? 家庭内恋愛を解禁することと光誠を励ますことになんの繋がりがあるのよ?」
「恋は人を元気するでしょ?」
「だからって兄姉妹恋愛はおかしい!」
羽歌の説明に納得がいかない雲雀は、弟を守るために論理にもなってないことを指摘する。
「いいと思います」
賛成票が割って入り、空気が凍った。
羽歌の提案に乗ったのは、光誠の異父姉にあたる藤華紗の娘、八木葵だった。
癖のあるショートボブのふわっとした雰囲気とは裏腹に、羽歌を思いとどまらせようとする雲雀への対抗心をむき出しにしていた。
「姉さんがいいなら、私も賛成です」
葵と同じく光誠とは異父妹で藤華紗の娘の八木紫織が、姉とは真逆の冷めた表情で賛成する。
癖っ毛を束ねた三つ編みを背中に垂らした背中はまっすぐで堂々としたものだった。
「マジ? シオリンが賛成ならルリも賛成!」
瑠璃は、紫織とは血のつながりのない姉妹だった。
一人っ子として育てられたため、急にできた姉妹が大好きだ。
賛成することに思惑はなく、ただ紫織とノリを合わせたいだけだった。
「これで三票ね。雲雀はどうするの?」
羽歌は優勢に余裕を持ち、雲雀の立場を追求する。
「そんなむちゃくちゃな! 月乃、助けて!」
「ええっ? 私、部外者なんだけど」
雲雀が助けを求めたのは、雲雀のパートナーで学校の教員でもある岡田月乃だった。
切りそろえられたショートは、理知的な性格に似合っていた。
「一般論でいいからなにか言ってやって!」
「一般論って、家庭内のことに意味あるのかな。えーと、日高家と八木家と大山家で複雑な環境だということもありますし、まだまだ慎重な男女の距離感を必要とする時期ですので、拙速なルール変化はあまりよくないかと思います。それに、両親を亡くしたばかりの私たちが言うのもなんですが、こういう落ち込みは時間が解決してくれるものと考えます」
パートナーの求めに応じて、月乃は精一杯に言葉を並べた。
「反対が二票か。美奈星ちゃんは?」
最後に声を掛けられたのは、月乃の妹である岡田美奈星だった。
ソフトテニス部で焼けつつある肌にセミロングの高校二年生だ。
「わ、私はどちらにも投票しません。あの、部外者なので」
美奈星はこの議題に賛成も反対も投じたくなかった。
すでに光誠の告白を受け入れて付き合うことになった恋人関係だった。
両親が死んで、姉とその家族に面倒を見てもらっている。
恋仲になった直後に家庭内恋愛禁止に組み込まれたので、未だに関係を隠している。
どちらに与しても角が立ってしまう。
「ん、なら賛成三、反対二、棄権一で、賛成ね」
力が及ばなかったことにショックを受けた雲雀が頭を抱える。
紫織の表情は読めないが、葵や瑠璃はこの家庭内恋愛解禁を少なからず楽しんでいた。
(えー、なんでこんなことになってるの? たった今から恋敵が姉妹たちになるとか……)
美奈星は、光誠の恋人として大変な状況になったことだけは理解する。
横目で仏間を盗み見て、思わず助けを求めて遺影を拝みたくなった。
月乃と美奈星の両親の遺影もまた、仏壇に飾られていた。