大精霊セロ2
「グルルル……」
荒く息を吐きながら獣が敵を威嚇するような声。その声の主であるアラン。彼の背骨は曲がり、犬歯と爪は異常に伸び、髪は所々抜け落ちていた。
口からだらだらと唾液が垂れる様は、まさに獣そのものである。
狂人と化したアランは立ち上がってはいるものの、未だ変化による苦痛で動くことが出来ず、背中を激しく上下させながら息をしていた。
「こんなの、人間じゃない」
思いがけず呟くライラにセロが答える。
「コイツは人間を辞めたのさ。全く馬鹿だね」
「いったい何を飲んだの?」
この直後、セロから語られる真実に彼女は質問したことを後悔することになる。
「魔法使いの血さ。それを飲むことで強制的に精霊の加護を受けることができるんだ。いや、加護を受けるという表現は適切じゃないな。
もともと加護を受けていた人間から精霊を奪って自身に縛り付ける。それが禁忌とよばれる呪法さ」
魔法使いの血。それを飲んだと聞いた瞬間に、ライラの胃から苦いものが上がってくる。そして彼女は堪え切れずに地面に両手をついて嘔吐してしまう。
そんな彼女を見ても、変わらぬ調子でセロは続けた。
「ただ、血を飲むだけでは意味がない。それだと、優しい魔法使いが皆に血を分け与えればすむ話だからね。もうひとつ条件があるのさ。」
もう聞きたくない……。
そう思うライラだが、強烈な吐き気に苦しむ彼女には、それをセロへと伝える余裕は無い。
「血は魔法使いを殺して採取しなければならない、ということさ。そして一人の魔法使いの血は、最初の誰かが使用した時点で、二人目以降には効果がないんだ。
コイツが手を下したのか、それとも闇市場で買ったりしたのかは分からないけど、つまり三人の死の上に今のコイツがあるって訳さ」
ここまで聞けば、なぜそれが禁忌と呼ばれるのかがライラにもハッキリと理解できた。そして、魔法技学園でも習わず、大半の人間に対して秘匿されている理由も……。
この世界において、魔法の素質を持つ者と持たざる者の格差は大きすぎるのだ。
魔法が使える者は苦労することなく報酬の高い職業に就ける。そのため、持たざる者との貧富の差が大きい。
『魔法は特権』
これはこの世界でよく聞く言葉である。しかし、禁忌が広く知れ渡ってしまうとこの言葉が成り立たなくなる可能性があるのだ。
都合よく世界を回して来た持つ者達にとって、それは最も避けたいと思うことなのは自然なことなのだろう。
特権を奪われるかもしれないという点と、命を狙われるかもしれないという、二つの点において。
全てを把握したライラに、セロは最後に一つ補足する。
「ただし、血を飲んだ人間は、本来持つ欲望に執着する。今のコイツは、三人分の血によって理性が完全に崩壊した化け物さ。行動の源は執着の対象……カレンだけだ」
そのアランはというと、セロが話している間に攻撃するに十分な体力が戻ったのだろう。体勢を低くし、いつでも飛び掛かれる状態で膝に力を溜めている。
「さぁ、悪い獣にはお仕置きが必要だよね。俺がきっちり躾てやるからな」
セロの挑発を皮切りに動き出すアラン。彼はセロの左側へと回り込み、赤、黄そして緑の三色の魔法陣を展開した。
その魔法により、カレンの身体を包み込むように旋風が巻き起こり、そしてその中を炎を纏う高温の石礫が舞う。
その魔法に遮られ、一瞬にしてライラの視界からカレン姿が消えた。
「カレン!」
今はセロであることも忘れ、ライラは叫ぶ。
普通の人間ならば、このような魔法に飲み込まれれば、原形を留めることなく焼かれたミンチの如く粉砕されているだろう。
いくらセロが伝説級の魔法が使えるといっても、カレンの生身の身体が耐えられるはずもない。そう考え絶望するライラ。
「グルァぁぁ!!」
勝ちを確信したのか、アランの歓喜による咆哮が虚しく響く。
アランの放った魔法により、路地裏には黒煙が立ち込める。そのためライラは二人の様子を確認することが出来ない。
それに、あの魔法の威力では……。
(終わった……。カレンはもう……)
両手をついてうつむくライラ。彼女の瞳から地面に向かっていくつもの雫が流れ落ちる。もう全て終わってしまったのだと諦めて……。
「ギャぁぁぁアアアアア!!」
次は自分の番だと、死を覚悟していたライラであったが、しかし彼女の耳に聞こえたのはアランの長い断末魔だった。
その声に驚き顔を上げるライラ。ちょうどそのタイミングで、路地裏に風が吹き込んだことで煙が霧散し、中の様子が徐々に鮮明になっていく。
まず彼女の視界に入ったのはアラン。
彼は右手で左肩辺りを押さえ、そこから噴き出す自らの血を必死で止めようとしている。そしてその足元には、左腕が丸ごと転がっていた。
「ア"ア"ア"ア"ア!!よくも腕をお"お"お"!!!」
痛みと憎しみの入り雑じった叫び声を出しながら、自分が放った魔法の震源を睨み付けるアラン。そして、ライラも同じくその場所を見つめている。
「あんな魔法で、カレンの身体を傷付けることは出来ないよ?
なんたって、この服は精霊装だからね」
カレンが死んだという、ライラの勝手な思い込みに反して、そこには彼女が無傷で立っていた。左手は拳銃のような形に握られ、その人差し指はアランに向けられた状態で。
「ワダジのガレ"ン"を返せエ"エ"!!」
「狂人化しているにも関わらず、未だある程度の意思があるなんて凄い執着だね。これもカレンの魅力のせいか……。
そう考えると、お前も案外可愛そうな奴なのかもな。ま、同情なんてしないけど」
セロは冷たく言い放つ。
その意味を理解してなのか、アランは足元に落ちていた自分の腕を広い上げ、カレンの身体に向かって投げつけた。鋭い爪が彼女の身体を目掛け飛んでいく。
「バーン」
セロが人差し指をそれに向けて一言。それと同時に指先に球体状の魔法陣が出現し、そこから細い光線が放たれ、飛来するアランのちぎれた腕に直撃する。
そして、それを受けた腕はジュッっと短い効果音と共に跡形もなく消滅してしまった。
「凄い……。あんな球体形の魔法陣見たことがない……」
ライら達が普段目にするのは、上級魔法と言えど平面上に展開される魔法陣だ。あのような複雑な魔法陣はもう、何重特性なのか彼女には分からない。
そして相当魔力を絞ったであろう、今のか細い光線ですら腕を一瞬で消滅させる威力。それなりの魔力を込めれば戦術級魔法となるだろう。
「次元が違いすぎる」
理解の範疇を超えた魔法の連続。それを目の当たりにし、自分の凡庸さを痛感するライラであった。
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