大精霊セロ1
ライラの最後の声は、カレンには届かない……はずだった。
それは今にもライラの身体が龍顎によりすり潰される直前に起きた。
突然一筋の黒い雷光が天から走り、土と石からなる龍の頭を粉々に砕いた。それにより空中で支えを失ったライラの身体が落下するが、何故か地面に衝突する直前に失速し、ゆっくりと接地する。
それはまるで、誰かがそっと彼女の身体を地面に横たえたかのように。
次にライラの頭上に忽然と蒼色の複雑な魔法陣が展開される。そして、そこから落ちた一滴の雫がライラの頬を濡らすと同時、彼女の黒く変色したはずの腹部は何事もなかったかのように回復してしまった。
「痛みが引いた? どうして……」
何が起こったのかわからず、夢でも見ているかのような気分のライラ。そしてそれはアランとて同じだった。
彼はこな不可思議な現象を、ライラが引き起こしたものと勘違いしていた。
「貴女はいったい何をしたんですか!
少しの傷を癒す回復魔法ですら上級魔法なのに、瀕死の重症を完全回復する呪文など聞いたこともない!!」
アランが取り乱すのも無理はない。
回復魔法、それは水属性であり、体内水分の循環をコントロールして、その人が本来持つ自然治癒力を高めることで傷を癒す魔法だ。
しかし、それにはかなり複雑な特性付与が必要となるため、軽微な切り傷を治癒する場合でも、上級六重特性魔法なのだ。
水精霊の加護を受けた者にしか扱えないこともあり、この世界では回復魔法を使える者は、一代で莫大な財を築くことができると言われるほどに貴重な存在として扱われる。
しかし、アランが目にした魔法はそのレベルを遥かに超越していた。先ほどまでライラの内臓は破裂し、腰の骨は砕け、何もしなくともあと数秒も経たぬうちに絶命しているはずだった。
それが何故か一瞬のうちに完全回復したのだ。その特性付与理論はライラにもアランにもわからなかったが、二人とも一致した見解があった。
『超級魔法』
伝説級とも言われる、歴史上を見ても限られた者しか到達出来ない高み。
それがたった今、行使されたことだけは理解出来た。
それほどの魔法を誰が、と二人はまたしても同じ考えに至る。しかし、視界も魔法により回復したライラが先にその答えを知るのであった。
「カレン!!」
ライラの声に、咄嗟にアランも背後を振り返る。
二人の前にはさっきまで気を失っていたカレンが、静かに目を閉じた状態で立っていた。そしてライラと同じく背中に負った大火傷は、既に跡形もなく消えている。
「まさか貴女が……。解魔の儀式の時といい、学園での成績といい……貴女は何者なんですか!!
飼い猫はおとなしく主人に従えよおおお」
ライラを蹂躙していた時の余裕は今のアランには無かった。それは龍顎が瞬時に砕かれ、二人に負わせた傷も無かったことにされてしまったからだった。
しかし、アランの言葉を無視するように、カレンは何も語らず、それまで閉じていた目をゆっくりと開く。その瞳は普段の彼女のものとは違い、燃えるような紅であった。
次にカレンは左手を天に向かって掲げる。その直後、彼女の全身は紫色の炎に覆われ、それまで纏っていたボロボロに損傷した服と下着が瞬時に消し炭となり消え去ってしまう。
このような異常な状況であるにも関わらず、アランとライラの視線は露になった彼女の美しい裸体に釘付けにされる。しかしそれも束の間、今度は紫色の炎が足元から上半身に向かって衣服へと変化したのだ。
カレンが新たに着ていたもの。それはこちらの世界に来たばかりの時と同じ、セロが変化したものだった。
「ふう。カレンの意識がなかなか完全に落ちなくてね。身体の制御を奪うのに時間がかかってしまったよ。」
やっと開かれたカレンの口からは、いつも通りの彼女の声。それを聞き少し安堵したライラだが、自分の事をどこか他人事のように語る口調に違和感を感じる。
「カレンじゃない……?
アンタはだれ?! カレンはどうなったの!! 」
「落ち着きなよライラ。俺はセロ。彼女を守護する大精霊さ。カレンは今気を失っているだけだ。この状況を片付けたら身体はちゃんとカレンに返すよ」
大精霊と聞き動揺するアランであったが、彼は内なる彼女への欲望により、なんとかセロと名乗るカレンに向かって対峙する。
「カレンは私の所有物だ!!
彼女の身体から出ていけ、この悪魔め!!」
「アハハハハ!! 傑作だよ。お前みたいな三下がカレンのご主人様気取りとはね。禁忌で魔法の素質を得ただけの分際の癖に。ダサすぎて笑いが止まらないよ」
セロはカレンの姿で大笑いしてアランを侮辱する。
それを聞いたアランの顔は、どんどんと怒りで真っ赤に染まっていく。
「誰が……誰が三下だァ!? 大精霊か何か知らないが殺す!! 殺してやります!!」
挑発に激怒するアラン。そんな彼をセロが冷ややかな目で見つめていたのだが、突然アランはズボンのポケットをまさぐり、赤い液体の入った小さな小瓶を取り出した。
「お前、まだそんなものを持ってるんだな。それを使ったら許さないからな。それは精霊への冒涜だ」
「うるさい!!
お前に許されないから何だと言うんだ!!」
セロの制止を無視して、アランは小瓶の蓋を開け、そしてその中身を一気に飲み干した。
「ア"あ"がぁ……」
赤い液体を飲んだアランが突然もがき苦しみだす。顔や手の露出した部分からは血管が浮き出し、目の瞳孔は限界まで開ききっている。
「お前、既に二人分飲んでたんだろ。それで三人目。おめでとう、晴れて狂人化確定だよ」
憎らしい視線を向けつつも、セロの声は冷静さを失わない。それに対してアランは、聞くに耐えない断末魔のような絶叫を撒き散らしながら地面をのたうち回る。
ライラは既に何が起きているのか、いや、セロとアランの会話にすら理解が追い付かず、ただ唖然として二人を見守っていた。
しかし絶叫が静まり、よろけながら立ち上がったアランを見た彼女はその姿に恐怖を覚える。
そこには先程までは確かに人間であった、欲望に支配された獣が佇んでいたのだ。
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