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レディースウォー  作者: 定秋
3/3

彼女たちの戦争3

「ハジメ、お前アドネを逃がしたそうじゃな」

 ネーヴェからことのあらましを聞いたマイアは、大分お怒りのようだ。

「ああ、逃がした」

「敵の戦頭を逃がすとは、どういうつもりじゃ!やっぱりお前、フィエダの回し者じゃろ!」

「ちげーよ。それどころじゃなさそうだったからな」

 そもそも殺すつもりもないし、殺せたかも分からんし。

「そんなことより、フィエダ族の集落が燃えてどうするのかって話だろ。で、どうすることにしたんだ?」

「そんなことじゃないわ!……まあええ、その話は後じゃ。ハジメ、お前さっき言ってたじゃろう。今日の戦いにおかしな奴らが加わってくるかもしれないと。その話があってこの状況じゃからな。お前の意見が聞きたい」

 おお、こいつにも一応考える頭があったのか。

 考え無しに突っ込まれてたら相当危なかったかもしれないな。

「多分だが、今フィエダ族の集落は攻撃を受けてる。俺が言った鎧の奴らにな」

「どうしてそいつらがフィエダを襲うんじゃ。フィエダの仲間じゃなかったんか」

「あくまで予想だが、森の外の奴らは、フィエダ族とウルカ族、両方滅ぼそうとしてたんだろう。ただ、二つの集落を同時に敵に回すにはリスクが大きい。だから片方を懐柔して、二つの集落をぶつけ合わせて弱らせようとした。そんなとこだろうと思う」

「リスク?カイジュウ?なんじゃ?」

 俺に施された翻訳機能は、相手にない知識には効果がないようだ。

「敵はウルカ族とフィエダ族を戦わせて、弱らせた所を全滅させようとしたってことだ」

「ハジメの話だと、そいつらの使ってる物は強くて歯が立たないんじゃないの?どうしてそんなまわりくどいことすんの?」

「強いと言っても無敵じゃないからな。ウルカ族の攻撃力にフィエダ族の器用さが合わさると相当な戦力になる。だから結託される前に潰し合わせたんだろ」

「そうか。いや、よくわからんが。それでこれからどうするんじゃ?」

「そうだなぁ」

 今現在フィエダ族の状況がどうなっているかが気になる。

 ここにいる全員で助けに行ったとしても、辿り着く頃には全滅してる可能性がある。そうなっていたら、危険に飛び込むだけだ。

 ただ相手の戦力を理解させる為にも、こいつらに敵を見せておく必要がある気はするな。

「マイア、ネーヴェ、リノを残して、あとは皆いったん集落に戻った方がいいな。何かあった時に集落を守る戦力がきちんとあるに越したことはない。どうだ?」

「どうしてわしらが残る?」

「可能なら、遠巻きにでも敵を見てもらう。敵は決して倒せない相手じゃないが、どんなものかを理解してないと何もできないだろうからな」

 俺が口で言っても理解できないだろうが、戦頭のマイア達が見て話せば信憑性も上がるというものだ。

「とりあえず最低限の戦力だけでフィエダ族の状態を確認する。後は全員集落に戻る。戻った皆は、一応集落の人間にフィエダ族が森の外の連中に襲われてるということは伝えておいてくれ。可能な限りそうならないようにするが、ウルカ族まで攻め入られないとも限らないからな。それでいいか?」

「ふむ、分かった」

「分かりました」

「おっけー」

 マイア、ネーヴェ、リノだけを連れてフィエダ族の集落を目指す。

 わざわざ木に登って方向を確認しなくても、フィエダ族の集落を燃やす炎の光が分かりやすい道標となっている。

 しかし、なんとも現実感の無い状況だ。

 迷い込んだ世界で蛮族の小競り合いに巻き込まれたと思ったら、それを漁夫の利で平らげようとする勢力が現れて、偶然蛮族側についてる俺はそれを阻止すべく動いている。。

 女達を助けるのが、女嫌いの俺だなんて、皮肉にも程があるだろ。

 こういうのを運命とでも言うのかね……。などと考えていると、こちらに近づく気配を察知。

「来たか」

 三人より少し前を走っていた俺が立ち止まると、後の三人もつられて立ち止まる。

「なんじゃ、どうした?」

 立ち止まった俺を疑問に思ったマイアが声をかけてくるが、返答する必要もなく原因が姿を現す。

「ウルカの戦頭に斧に弓使いを連れてお出ましとは、私をどうするつもりだい?」

 フィエダ族の戦頭アドネが茂みから姿を現した。

 その姿を見た瞬間、マイアの態度が豹変する。

「お前、アドネ!」

「止まれ、ちょっと待て」

 アドネに飛び掛ろうとしたマイアを制する。

「何をするハジメ!まさかお前、こいつとグルか!?」

「グルかと言われれば、ここにアドネがいるのは俺が呼んだからだが、戦わせる気はない」

「じゃあどういうつもりじゃ!」

「俺はこれからアドネと可能な限りフィエダ族の人間を救う。お前たち三人に手伝えとは言わない。敵がどんな物かを確認したらウルカ族の集落に戻れば良い」

 俺の言葉に、リノとネーヴェも異を唱える。

「本気ですかハジメさん?」

「敵を助けるって、意味分からないんだけど……」

 そりゃそうだろう。さっきまで殺し合いしてた相手を助けに行くなんて、理解できんわな。

「悪いが今はお前達が納得する説明をしてる時間はない。お前達がこれからどうするかは任せる。敵を見るか、このまま帰るか」

「なんでこいつを殺すってのがないんじゃ」

 マイアはアドネに槍を突きつけて言った。

「そうか……」

 俺はアドネの近くまで歩いて振り返る。

「ここで俺とアドネを相手に戦うってのもあるか?」

「あんた、一体なんなんだい……」

 俺の言動に、傍らにいるアドネさえも困惑している。

「なんて、馬鹿なこと言ってる時間も惜しいな。行くぞアドネ」

「あ、ああ」

 俺はマイア達三人をその場に置き去りにする形で再び走り出した。すぐ後ろをアドネがついて来る。

「あいつらはいいのかい?」

 俺を気味悪がっているのか、アドネの言葉は、出会った直後のような高飛車な感じが弱くなっている。

「別に構わないさ。厳密に言えば俺はあいつらの仲間って訳でもないしな。もちろんこれからお前の仲間になる訳でもないけど」

「……そうかい」

 今は俺の内心を理解させる説明をする時間がない。

 というか説明しても理解してもらえるのか分からないけどな。

 それにしても朝から走りずくだ。細かな休憩を取ってるとは言え、いい加減足と体力の限界が近い。

 空を照らすフィエダ族の集落の炎がどんどん近くなっている。集落まであと少し。

「前から何か来るな」

「みたいだね」

 向かう先から何かが近づいてくる。草木を掻き分ける音の大きさから、結構な人数、それもかなり急いでいるようだ。

 立ち止まって警戒していると、程なくして音の主たちが現れる。

 ウルカ族と似たような布を胸と腰周りに巻いたその姿は、フィエダ族の人間達のようだ。

 慌てふためいて走っているその姿は、おそらく自分たちの集落から逃げてきたのだろう。

「お前たち!」

 同胞の姿を見たアドネが声を上げた。

「アドネ!」

「アドネだ!」

「皆、アドネが来たよ!」

 自分たちの戦頭であるアドネが来たことで、慌てふためいていたフィエダ族達の表情に希望が生まれた。

「一体何があったんだい!?」

「わ、分からない。アドネ達の留守中に、変な奴等が襲ってきたんだ」

 やはり俺の予想が的中していたか。そうじゃない可能性も期待したんだが。

「ルカが事前に察知して、仲間の大半は無事に逃げたんだ。ここにいるのは皆を逃がす為に残った奴等だよ」

「ルカが?逃げた皆はどうしたんだい?」

「ルカが黒の祠の方へ逃げるように指示をしていたから、そっちへ行ってるはず。私達も追っ手がいないのを確認してそっちへ向かうつもりだったんだ」 

「逃げ遅れてるのはまだいるのかい?」

「ルカやセローネ、ミツレ達数十人が仲間を逃がす為にねばってる。でも、このままじゃ……」

 あいつ、この状況で仲間逃がす為に戦ってるのか。

「分かった。お前達はこのまま逃げて黒の祠を目指しな。私は残った奴等を助けに戻る。いいかい、死ぬんじゃないよ」

「ダメだアドネ!あいつらには攻撃が効かないんだ。今戻ったらアドネも殺される!」

「それでも残ってる仲間がいる以上、戻らない訳にはいかないだろう?大丈夫、護衛は連れて行くさ」

 アドネは握った右手の親指だけ立てて俺を指し示した。

「護衛、ね」

 確かに自分自身でも、そういう役割を負っているつもりはあるので、余計なことは何も言わないことにした。

「時間が惜しい。お前達は黒の祠へ急ぎな」

「……分かった」

 フィエダ族達が去っていくのを見送る。

「こっちも急ごう。残ってる奴等が全滅しないうちにな」

「分かった」

 互いに言いたいことがあるようだが、今は集落へ急ぐのが先だ。

 あれだけ燃え盛る炎によって空が照らされているにも関わらず、アドネは、炎の原因は集落が攻撃を受けているのとは別にあるんじゃないかという希望もあったのだろう。

 しかし、逃げてきた仲間の話によって、俺の予想が事実になってしまった。アドネも気が気じゃないに違いない。

 それでも今は喋るより、走ることに専念すべきだろう。

 フィエダ族の集落に近づくにつれて、炎の明かりが強くなる。もう集落はすぐそこだ。

 目的地を目前にして、再び前方から何かが近づいてくる気配を察知する。

 今回は数はそう多くはない。というより、一人か。

「おい、ちょっと待て」

 声でアドネを制止する。

「ああ、分かってるよ」

 どうやらアドネも正面から人が近づいて来ていることに気付いているようだ。

 そしてすぐに気配の正体が姿を現した。

「アドネ!」

 目の前に現れたのは、何度か接触しているルカという女だ。

「ルカ、あんた無事だったようだね」

「私は無事だけど、里が……。お、お前!」

 ルカが俺の存在に気付いた。

「どうしてお前がここにいる!」

 ルカが持っていた剣を俺に向けた。

「まあ待て。俺は敵じゃない」

「ふざけるな!信じるとでも思うのか!」

 聞く耳持たずって感じだな。

「おいアドネ、時間が惜しい」

「ああ……。ルカ、こいつが何を考えてるのかは分からないが、どうやらこいつは私達を助ける気らしい」

「なにを、そんなこと信じる気かアドネ」

「気持ちは分かるけど、こいつはさっき、ウルカ達に囲まれた私を解放したんだよ。本人曰く味方ではないらしいんだけどね」

 そういやそんなことも言ったな。

「お前は一体なんなんだ。人の戦いを邪魔したと思えば、敵を助けるだと?信用できるはずないだろう」

 アドネはさして俺に大した疑問を持たなかったが、流石にルカとは何度も衝突しているだけに用心深いな。いや、アドネも状況が俺に対しての慎重な判断を許してないだけか。

「ちょっと事情があってな。今はお前達と敵対する気はない。そんなことより、こんな所で話し合ってる場合か?集落の方がヤバイだろう」

「そうだね。今は話すよりもまずは里に向かうのが先だよルカ」

 未だ釈然としない様子ではあるが、アドネの言葉にルカは従った。

「それなら、もう里には誰もいない。逃がせる奴は全員逃がしたし、それ以外は……」

 最後まで言葉が続かないのは、最悪の結末を迎えてしまった者達だからだろう。

「そうかい。そう言えば、先に逃げてきた子達はお前が敵の奇襲に気付いたって言ってたけど、本当かい?」

「本当だよ。昼間にこいつが里の周りに潜んでたんだ。こいつには逃げられたが、気になってぐるっと見回ってみたら、あいつらの仲間が私達の里を襲うって話をしている所を目撃したんだ。だから気付けた」

「あいつら……。やっぱりライラの仲間かい?」

「多分そうだ。あいつは見てないけど、全員あいつと似たような物を身体に付けてた」

「ライラ?それが今回の黒幕か。どういう関係なんだ?」

「どうしてお前にそんなことを教えなければいけない」

 あくまで俺に対しては強情らしい。

「教えたくないなら構わんさ。大体見当も付いてるしな。とりあえずそろそろここを離れよう。集落に人がいないならこれ以上近づく意味もないしな」

「そうだね。ルカ、先に逃げた皆は黒の祠に向かってるんだね?」

「そうだ。そこに逃げるよう言ってある」

「よし、それじゃぁ」

 一日中走り続けた俺は、大分集中力を失っていたのだろう。ルカは当然、アドネもこの状況で、おそらく本来の注意深さを失っていたに違いない。茂みのすぐ先にまで接近した敵に気付けない程に。

「二人とも避けろ!」

 飛び掛って二人を押し倒そうと体が判断したが、疲労の蓄積した足がその判断に付いてこれなかった。

 それが彼女達の命運を分けた。

 グチャリと、生理的に受け付けない音を上げて、ルカの腹部から金属の棘が生えた。

「ぎ……あ……あ……ぐっ」

「ルカっ!」

 ルカは何かを言おうとして、声にならず、口から血をあふれさせた。

 槍だ。ウルカ族たちの物とは違う。言葉の意味が同じでも形が違う。西欧のランスという細長い円錐状の槍。それがルカの腹部を貫いている。森の奥から投擲されたのだ。

 そして、運悪くその穂先は、寄り添うように立っていたアドネの左肩をかすめている。致命傷には成り得ないが、痛手には違いない。

「大丈夫か!」

 アドネは左腕に穂先が達したことへの反射でその場から飛び退っていた。俺は崩れ落ちるルカを抱えるように支える。

 声に出しても、内心ではもうどうしようもないことは十分に理解していた。

「あぅ……あ……」

 血が溢れる口から、言葉にならない声を上げ、涙を流しながらすがり付くように俺に手を向ける。

 分からない。こんな時にどんな言葉をかけて良いのか分からない。

 ただただ俺に向けられた手を強く握り返した。

「っく」

 何を言って良いのか分からず、何も言えないまま、ルカの手から完全に力が無くなった。その涙を流すその瞳も、もう何も映していない。

 人の死を受け入れる間もなく俺はその場から飛び退った。

 まるで人形のようにルカの体は地に落ちる。俺のいた場所に銀色の刃が走った。

「なんだ。仕留め損なったか」

 俺に斬りかかってきたのは頭と間接部周辺以外に装甲をまとった女だが、喋ったのはその向こうから歩いてきた女だ。頭以外はほぼ全て装甲に覆われている。

「仲間が死ねば動きも鈍るかと思ったが、案外冷淡なんだな」

 俺はルカの元からアドネの傍まで退避したが、重装甲の女はルカの傍らで止まり、その動かなくなったルカの身体を足で引っ繰り返し、ランスの柄を掴んで無造作に引き抜いた。

「ライラ……!」

 アドネが憎悪のこもった声を上げる。

「これはこれは、フィエダ族の無能な戦頭様じゃないか。まだ生きていたか」

「ライラ……よくも裏切ったね」

「いつまでも真面目に敵を狩ろうとしないのが悪いのさ。契約不履行はそっちが先だ。と言っても最初からお前たちみたいな田舎者との約束なんてまともに守るはずもないがな」

「貴様ぁ!」

「よせ!」

 左腕がまともに動かないアドネは、無事な右手で剣を鞘から引き抜き斬りかかろうとしたが、強引にそれを制止する。

「どうして止める!」

「そりゃ止めるわ!この状況でお前まで死んだら、マジでフィエダ族が全滅するぞ!」

「くっ……」

 そう言うと、俺を押し退けようとしていたアドネの力が弱まる。残った仲間を見捨てるほど我を失ってはいないようだ。

 ライラとか言う重装甲の敵の大将らしき女に、姿を見せている部下三人。だが少なからず他に気配がある。どう考えても手負いのアドネ一人で勝てる相手じゃない。

「その馬鹿な戦頭がおさまろうが、お前達がここで死ぬのはもう決まっている。そう言えば、お前か。もう一つの蛮族に現れたという剣を知る人間は。確かに珍しい格好をしているな……」

 ライラは値踏みするように俺を見ると、少しずつ表情に怪訝な色が混ざる。

「……お前、インジャか?珍しいな。どうしてインジャがこんな所にいる」

「いんじゃ?」

「まあいい。珍しかろうがなんだろうが、どうせ殺すことにはかわりない。生かしておく意味もないしな」

「ちょっと待て。インジャって何だ。お前何か知ってるのか」

「はん。お前達は自分が何者かも忘れてしまったのか。哀れだな」

 目の前の女は何か知っているようだが、話すつもりはないらしい。

「やれ」

 最後の一言を皮切りに、隠れていた奴等が姿を現す。

 ほとんど囲まれてるな。背後がやや手薄だが。

「で、どうするんだい。絶体絶命のようだけど、まだ生き延びることでも考えてるのかい」

「当たり前だろう。とりあえず全力で後ろに逃げるぞ。なんとか俺が道をひらく。お前はなりふり構わず逃げろ。質問はなしだ。いくぞ!」

 疲れた体に鞭打って、俺は後ろにいた一番近い敵の目の前まで一足で踏み込む。

 それなりに警戒はしていたのだろうが、唐突に飛び込まれて対応しきれていない。俺は対処させる間もなく、足をひっかけて転倒させる。

「ぐあ!」

 ダメージを食らわせることは難しいが、一時的な無力化は可能だ。

 すぐ傍の敵が剣を振り上げて斬りかかって来たが、こちらから接近して剣を振り下ろされる前に横をすり抜ける。攻撃を空ぶらせ、こちらに向けている背中に靴の裏を叩き込んだ。

「俺はここで時間を稼ぐ。さっさと行け!」

 二人倒して包囲網を一瞬だけこじ開けアドネを逃がす。

 アドネは肩を怪我しているし、俺はもう全力で走れるほど足に余力が無い。まだここで逃げながら戦った方が可能性もある。

 アドネは一瞬だけこちらを気にしたが、すぐにまっすぐ前を向いて森の奥へと姿を消した。

 まさか逃げられると思っていなかった敵が、頭を切り替えて近い奴からこちらに群がってくる。

 さてさて、どうやって生き延びるか……。

 ライラとかいう女以外の敵の装甲は、良く見ると動きやすさの問題で二の腕と太もも一部には鉄が無い。的は小さいが、戦いようはある。

 こちらに斬りかかってくる敵に急接近し、左の二の腕に肘を叩き込む。衝撃と痛みで敵が倒れこむ。

 幸いなことにこの場にいる奴等はルカ程度の練度しかない。数がやっかいだが、これならまだ希望はある。

「なんだ貴様は……。戦えるインジャなど聞いたことがないぞ」

 声が聞こえると同時に上半身を仰け反らせる。直後、顔のあった場所をランスが貫き、横の木に突き刺さった。

「あぶねぇ……」

 どうやら再びランスを投擲されたらしい。見た目に反してこのランスはそう重くないのだろう。貫かれたまま抱き抱えたルカにそこまでの重さを感じなかった。

 くそ。今の動作でまた足に負荷がかかった。

「今のも避けるか。なるほど、おかしな奴というのは本当だな」

 ライラが腕を上げると、軽装甲達が輪になって俺を包囲し距離を縮めてくる。こりゃまずいな。

 さっさと逃げれば良かった。アドネを逃がす為にこの場に残ったことを軽く後悔する。なんで俺が女を助ける為に命を張っているのやら。

 逃げる方向にいる敵の懐に飛び込み、敵の足にこちらの足を添えて掌底で押すように身体を打って転ばす。後はもうひたすら走って逃げようとしたが、敵の数人が既にこちらに斬りかかってきていた。

「くそっ!」

 上段からの斬り下げに、体勢を崩して転がりこんで回避。なんとか刃はかわしたが、すぐに態勢を立て直せず、敵が襲い掛かってくる。

 すぐ傍まで接近した一人が攻撃してくる。体を立ち上げつつかわそうとするが、本能で間合いを取りきれないことを理解する。敵の刃が腹の辺りを走る。

 剣の一撃だ。腹が裂けて内臓まで達するだろう。ああ、死ぬときはあっけないもんなんだな。と、一瞬で死を予感する。

 しかし敵の刃を俺の身体には届かない。

 敵の腕に矢が突き刺さり、敵が態勢を崩した。

 何が起こったか理解するのに時間がかかったが、理解するよりも先に俺は体勢を立て直す。

 すると俺の左右から二人の女が勢い良く飛び出した。マイアとネーヴェだ。

 ネーヴェは肩に矢の刺さった敵の胸の装甲に石斧を叩き付けた。石斧をくらった敵はたまらず倒れるが、胸の装甲が少し歪んだだけで大きなダメージはなさそうだ。

 マイアも敵の胸の中心に正確な一撃を入れるも、相手は少しバランスを崩すだけでノーダメージだ。

「すまん、助かった!とりあえず逃げるぞ!」

 予想外の乱入者に、敵は戸惑っている。俺は逆襲に出るようなことはせず、逃げに徹する。

 マイアとネーヴェから文句が来るかと思ったが、意外なことに無言で俺の後を付いて来た。

 数秒走った所にリノがいた。

「ハジメさん!」

「サンキュー助かったリノ!このまま逃げる!」

 俺はリノより先に、走りながらリノの傍らに置いてあった矢カゴを拾い上げた。

 リノも加わり、三人とも後ろを逃げてくる。

 もうそんなに長いこと走れはしないが、敵は俊敏に動くには向かない鎧を装着している。希望的観測ではなく、簡単に追いつかれはしないだろう。

 マイアとネーヴェが俺に追いつき両脇を走る。

「おいハジメ、さっきのあれはなんじゃ。槍が通らんかったぞ」

「こっちは斧叩き込んで普通に動いてたよ。信じらんない」

 それぞれの言葉を聞くに、すぐ退却に応じたのはこいつらも自分達の攻撃がノーダメージだったことに動揺したからだろう。

「あれが鎧だ。あれを身体にまとわれると、簡単には攻撃は通じないぞ。鎧のない所を攻めれば良いんだけどな」

「ついてない所?どこじゃ?」

「そんな所あった?なんか身体中に見たことない物があったけど」

「腕とか、足の上の方とかはなかったろ」

「マイア分かった?」

「いや、よーわからん」

 いきなりこいつらに細かい違いを見抜けと言っても無理な話か。

 時間にして二、三分だろう。全力で走ったかいもあって、もう周囲に敵の気配はない。

「はぁ、はぁ。……改めて、助けてもらって、ありがとうな。さすがに、さっきのは、ヤバかったわ」

 息も絶え絶えに礼を言う。あの時は本気で死を覚悟したのだ。思い返しただけでもゾっとする。

「だらしないのお。あの程度の奴等にやられるとは」

「でもよかったです。本当に危ないところでしたね」

「あと少しリノの矢が遅かったら手遅れだったよね」

 さすがに疲れて座り込む俺を見下ろす三人。俺とは違って一日中走り回ってたわけでもないのでそんなに疲れてはいないようだ。

 三人は俺が回復するのを待ってくれているようだ。

「で、これからどうするの?」

 ネーヴェが口を開く。

「とりあえず帰るじゃろ。フィエダももう終わりじゃろうし、これ以上は戦う必要もなかろ」

「フィエダがなくなってこれからは戦いは必要なくなるんですかね?」

「そうじゃろうなあ。わしらはフィエダとしか戦っとらんわけだし」

「え、それってちょっとつまんない」

 三人が見当違いの会話をしている所に割って入る。

「つまんないなんて言ってる場合じゃねーよ。お前らこの状況が全く分かってないのか」

「あん?どういうことじゃ」

「さっきの奴等はすぐにウルカ族にも攻めてくるぞ。明日か明後日か分からんが、時間の問題だ」

「えー、大丈夫でしょ。あいつらも攻撃する所次第で攻撃が効くんでしょ?だったらあんな人数どうってことないって」

 少しの間ネーヴェの言葉の意味が分からなかったが、どうやらネーヴェは、俺とアドネを襲った十数人程度が敵の戦力だと思っているのかもしれない。

「一応言っておくが、さっきの奴等は敵のほんの一部だぞ。全部そろったらお前達ウルカ族の戦いに参加する奴等の数より多いんだよ」

 その言葉を聞いて、ネーヴェは目をぱちくりさせた。

「そ、そうなの?」

「ああ、だから早急に行動しないと手遅れになる」

「行動するとして、どうするんじゃ。戻って全員に戦の用意をさせるんか?」

「いや、ダメだ。数で敵と対等でも、武器と鎧に差があり過ぎる。全滅はしないだろうが、半分は死ぬぞ」

 敵の装備程度しか分かっていないが、あいつらは寄せ集めの傭兵とかじゃなくて、れっきとした軍隊だろう。戦いのセンスはウルカ族の方が上かもしれないが、連携の練度はフィエダ族の比ではないはずだ。策を弄されて負ける可能性が高い。

「はん。そんなことはやってみなくちゃ分からん。それに、フィエダはやられてしまったんじゃ。もうわしらがやるしかなかろう」

「逃げるなんてゴメンだしね」

 ダメだ。こいつら現状が分かってない。これだから女は……、関係ないか。

「とりあえず今からフィエダ族の黒の祠に向かう。誰か場所を知らないか?」

「なんでそんな所に行く?」

「そこにフィエダ族達が逃げ延びてるはずなんだ。アドネもそこに向かっただろうからな。あいつらにも協力してもらう」

「おいハジメ、お前冗談も大概にせえよ。わしらがフィエダと一緒に戦うとでも思うんか?」

 予想していない訳ではなかったが、俺の言葉にマイアが殺気立つ。

 当然と言えば当然の反応ではあるな。どう言ったものか。

「気持ちは分かる。そもそもさっきまで殺し合いしてた相手を助けたのだって気に食わないよな」

「分かってるじゃん」

「でも今どうにかしないと手遅れになるぞ?」

「くどい。フィエダと手を組むくらいなら、最後の一人になってでもウルカ族だけで戦う方がええわ」

 なんと言うか、まあ戦闘民族らしい考え方だな。

 そういう風に生きてきたんだから、本当ならそこに口を挟むべきでもないんだろうけど、ここまで足を突っ込んだからには、やれることはやらないとな。

「分かった。なら勝手に死ね」

 俺はそっけなく言い放つ。

「このままだと遅かれ早かれ外から来た奴等はお前らウルカ族も襲うだろうからな。好きに戦って死んだら良い。俺は余所者だから、そのやり方には首を突っ込まんさ」

「言いたい放題言ってくれるのお」

「お前が言ったんだろ。最後の一人になってもウルカ族だけで戦うって。邪魔はしねーよ。ウルカ族の最後の一人となって死んだら良い。それでウルカ族はこの世から消滅だ」

「あのさ、なんで負けるって決めつけられてんの?ちょっと不愉快なんだけど」

 いつも飄々としているネーヴェも気配が変わる。

「何度も言ったろ。お前らじゃ外の奴等に勝てないって」

「だからどうしてそう言い切れんのよ」

「フィエダ族相手ですら満足に勝てない奴等が、どうしてフィエダ族を半壊させた敵に勝てるんだ?」

「そ、それはフィエダ族が私達と戦ってる最中に奇襲されたからで、真正面からぶつかればどうか分からないじゃないですか!」

 険悪な雰囲気にオロオロしていたリノも口を挟んできた。穴だらけの理屈だ。

「どうして敵と真正面からぶつかれるって思うんだ?敵がフィエダ族にそうしたように、お前達は自分達が裏をかかれるとは思わないのか?思わないよな。そもそも裏をかかれるってことも分かってないんだろう」

「はん。わしらはフィエダのようなマヌケとは違うんじゃ!里の手が空いた所を襲われるようなことにはならん!」

「そのマヌケ相手に勝ててない奴の台詞じゃねーだろ!」

「やかましい!!」

 お、マイアが切れた。

 説得をしたかったんであって怒らせたい訳でも、侮辱したい訳でもなかったんだが、そもそも俺は女が好きじゃないし、あまりにも現状が理解できていないので率直に言ったが、少し言葉が過ぎたかもしれない。前言を撤回する気は毛頭ないが。

「バカにするにも限度ってもんがある。そこまでけなされて許すわけにはいかん」

「許さないならどうするんだ?」

 マイアは言葉より先に、まず持っていた槍の穂先を俺に向けた。

「この前の続きじゃ。今度は命を賭けてもらうぞ」

「ああそう。お前が俺を殺せばメンツは保たれるってか。じゃあ俺が勝ったらどうするんだ?」

「はん。その時はお前の言うとおり、フィエダと戦ってやるわ」

「あっそう」

 俺は靴の爪先で土を蹴り上げ、舞い上がった土がマイアの顔に叩きつけられた。

「!?」

 目に土が入ったのか、一瞬で取り乱したマイアの後ろに回りこみふくらはぎを踏みつける。

 無理矢理膝をつかせて左手で肩を押さえ、右手で首を掴む。

「俺の勝ちだな」

 最後のから二秒経ったかどうかというところだろう。

「な、ふざけるな!」

「なにそれ。卑怯にも程があるでしょ……」

「ハジメさん。見損ないました!」

 俺はマイアから注意を逸らさず言い放つ。

「それこそふざけるなだ。お前は俺を殺そうとしたんだろう。殺し合いに卑怯もクソもあるか。そもそも俺が本気だったらお前もう死んでるんだぞ」

「……」

 その言葉で、マイアの肩と首から気配が強張るをの感じる。

 俺はいざという時いつでも行動できるよう気を抜かない。

「まあ俺はお前らみたいな野蛮人じゃないからな。別に殺しはしねえよ。で、マイア、お前はどうする。今のは卑怯だから俺の言うことは聞けないか?殺し合いにやり直しでも要求するか?」

 俺の言葉にマイアが怒りで打ち震えているのが両腕から伝わってくる。

「フィエダ族をバカにするくせに勝てもしない。誇りを侮辱されて自分から決闘を挑んだ相手に勝てもしない。これでよく外から来た奴等に勝てるなんて思えるな。俺が勝ったら言うことを聞いてフィエダ族と一緒に戦う?俺が勝ったらお前は死んで戦うもクソもねえのによくそんな言葉が出てくるな。最初から相手を舐めてる証拠じゃねーか。それは戦う相手に対しての侮辱じゃねーのか?」

 俺の言葉に、マイアの肩から少しずつ力が抜け始める。

「俺が卑怯だって言うなら、別に言うことを聞いてもらわなくたっていいさ。お前が勝手に出した条件だからな。俺はフィエダ族の黒の祠を自力で探し出してアドネと合流してフィエダ族だけでも助ける。お前らはお前らのちっぽけな誇りを抱いて勝手に死ね」

 言ってマイアの肩と首から手を離し、ふくらはぎから足をどけた。

 次の瞬間にはマイアの槍が俺の首に突きつけられている。

 予想していなかった訳ではない。カッコつけて避けなかった訳でもない。既に一日の疲れで足が重くてマイアの動きについていけなかったのだ。

「言いたいことはそれだけか」

 マイアの声からほとんど感情が読み取れないが、怒りが一周してしまっているのだろう。

「どうした?殺さないのか?不意打ちで負かされた相手を卑怯者と罵って、同じ方法で勝者になったらどうだ?」

 恐らくマイアの心の中では、そうしたい気持ちもあるのだろうが、彼女の誇りはそれを許さないらしい。

「殺さないのなら、俺は行かせてもらうぞ。こんな所で立ち止まっていても時間の無駄だからな」

 そう口にして、俺はもう一切の興味を持たずに振り返り歩き出す。

 アドネが走り去った方向にそのまま黒の祠があるとも限らないけど、フィエダの集落が燃える灯りが残ってるうちに木に上って見渡せば、それらしい物を見つけられるだろう。

 俺は背後の三人を完全に意識から閉め出す。そもそも女嫌いの俺だ。そこに湿っぽい感情が残るはずもない。

 とりあえずアドネと合流して、フィエダ族の現状を把握しないとな。

「待て!」

 背後からマイアの声に呼び止められる。

「あん?」

「ハジメ……、わしらはどうすればいい」

「だから、お前達はウルカ族だけで好きに戦ったらいいだろ」

 正直、マイアの言いたいことは分かる。体面にこだわっている場合ではないと理解したのだろう。

 だが少なからず俺も不愉快な気持ちは抱いているから、素直に接してやる気にはならない。本当にこんなことしてる場合じゃないのにな。

「約束は、約束じゃ。わしが負けた以上……いや、もうええ。教えてくれ。わしらは生き残る為に、どうしたらいい?」

 ふむ。まあ及第点としておくか。

 俺は振り返ってマイア達の所へ戻る。

 マイアの傍に立って、その頭に軽く手をのせた。

「それでいい。生き残る為に人の手を借りるのは、恥でも情けないことでもない。むしろメンツにこだわって仲間を危機に晒すのは人として失格だ」

 マイアの髪の毛をクシャクシャにする。

「や、やめんか」

「三人とも、一度自分達の集落に戻れ。明日の昼ごろまでに、戦える奴を全員揃えて、フィエダ族の黒の祠の辺りに連れてきてくれ。ちなみに、フィエダ族の黒の祠はどこにある?」

「ええと、この辺りからだと、あっちの方向に行けばそう長くはかからないはずです」

 リノの指し示す方向は、アドネが逃げて行った先と大体一致する。

「分かった。細かい作戦は明日戦力が整ってから話す。とにかく今夜はもう戻って、可能な限り休息をとってくれ。俺もそうする」

「昼ごろって、そんな時間まで敵が動かないって言い切れるの?」

「正直分からんが、アドネ達が逃げる先を黒の祠にしたのなら、敵にはその位置をまともに把握されてないってことだろう。それに、今夜強行軍でフィエダを攻めた分、態勢をを整えるのにそれなりに時間がかかるだろうし、そうすぐには動かないと思うんだ。まあ読みが外れたらそれはそれでどうにかするさ。じゃ、とりあえず今言った通りで頼む」

「分かった」

「分かりました」

「りょーかい」

 俺は再びマイア達と別れる。その前に一言。

「マイア」

 俺の言葉にマイアが振り返る。

「なんじゃ」

「さっきは悪かったな」

 話を蒸し返すようで気分を害するかとも思ったが、マイアは軽く笑みを浮かべた。

「あやまるな。ハジメ、お前は間違ったことは言っておらんだろう」

「まあな」

「なら、それでええ」

 そう言うと、マイアは先に行った二人を追って走り出す。

 俺もフィエダ族の黒の祠を目指すことにした。


 リノに教わった方角に三十分程歩いただろうか。ソーラーパネルに覆われた小さなドーム状の建物が見え始めた。その周りには人が大勢いる。その誰もが顔に悲観的な表情を浮かべていた。

 俺が姿を現すと、人々の表情に恐怖の色が混じった。

「落ち着け!俺は敵じゃない。アドネはいるか!」

 両手を挙げて無害を主張する。こいつらにこの意味が通用するのかは分からないが。

 俺の声が届いたのか、すぐにアドネが姿を現した。

「ああ、お前さんかい。無事だったんだね」

 アドネは負傷した左肩に布を巻きつけている。傷は浅くはないようで、巻きつけた布に血がにじんでいた。

「まあなんとかな。で、フィエダ族の被害は?」

「私が里を留守にしてる間に殺されたのが三十人くらい。ルカがよくやってくれたからね……。もしそれがなかったら百人は下らなかっただろうね」

「ふむ。で、これからどうする?」

「どうするって?決まってるだろう。奴等を倒すさ」

「どうやって?勝ち目があると思うか?」

「そんなことは問題じゃないんだよ。どのみち奴等から逃げてもウルカ族達に何をされるか分かったもんじゃないからね。勝ち目が薄かろうと私達は私達の場所を取り戻すために戦うまでさ」

 やっぱりこいつも根っこの辺りでウルカ族と変わらんな。

「戦う気はあるんだな」

「そりゃそうさ。ルカの仇もとってやらないとね」

 戦おうとする意志は感じ取れるが、覇気が感じられない。恐らく内心で勝負にならないと分かっているのだろう。

「お前達に戦う意志があるのなら、俺が手伝おう。もしかしたらなんとかなるかもしれん」

「お前さんに何ができるのさ。お前さんには何の関係もないだろう。余計なことに首を突っ込まなくたっていいんだよ」

「もうとっくに首を突っ込んじまったからな。それに確かめたいこともできた。最後まで付き合ってやるさ」

「ふっ。好きにしたらいいさ」

 物好きな奴だと言わんばかりに、呆れたような顔をされる。

「まず確認だが、あいつらはこの場所を知ってるのか?」

「いや、知らないだろうね。奴等と手を組んでからは極力里近辺での動向は見張っていたからね。ここに近づいたことはないはずだよ」

「なら、とりあえず生き残った面々はここで待機させるしかないな。ここの祠の中もそれなりに広いんだろう?」

「そりゃまあ、全員が入れる程度の広さはあるけど、黒の祠を避難所扱いするなんて、そんな恐れ多いこと……」

 そうか。この施設は神聖な扱いなんだっけか。こいつでもそんなこと気にするんだな。

「ハッキリと言うが、ここを避難所として扱ってもなにもおこんねーよ。気にするな」

「なんだって余所者のあんたがそんなことを言い切れる?」

「説明するのは難しいが、この建物には神様とか不思議な何かとか、そういうのは何もないってことは確かだ。それに、今はこいつら全員を移動させるのも酷だろう」

 まだウルカ族がこいつらに全面的に味方すると決まった訳じゃないので、こいつらをウルカ族の集落に向かわせる訳にもいかない。

「今日はお前さんに助けてもらってばかりだからね。いいさ、この際だから信じようじゃないか」

 アドネは近くにいた、比較的元気そうな人間に声をかけて指示を出した。声をかけられた方も、最初は祠へ避難することに反対の色を示したが、アドネが強く言うと渋々納得したようだ。

「それでお前さん、ええと名前は?」

「俺のことはハジメでいい」

 そういえばまだ名乗ってなかったな。

「それじゃあハジメ。さすがにここもそう長くはいられないよ。少し探されれば見つかるだろうからね」

「ちなみにアドネ、あんたはどうするつもりだった?」

「敵の全体を把握して、勝つ方法を考える。私の留守が狙われて里は燃えてしまったけど、やりようはあるはずだろう」

 まあウルカ族よりはまだ建設的な考えだな。

「アウト。今の状況じゃ何か策を練る前にやられるだろうな」

「あ、あう、と?」

「ダメってことだ」

「それじゃあハジメ、お前さんには何か良い考えがあるのかい?」

「ある。まず前提として、あいつらとはまともに戦わない方針でいく。あいつらはウルカ族も攻撃するだろうから、一応ウルカ族も声をかければ戦闘には参加するだろうが、どう戦略を練ったところであいつらとまともにぶつかれば結構な被害はまぬがれないだろうからな」

 リノ並みの腕を持った弓兵がまとまった数用意できれば、地形を活かして戦うこともできただろうけど。

「戦わないって、そりゃ逃げ回るって意味かい」

「そういうことじゃない。なんとか戦わないですむようにことを運ぶ」

「いきなり里を焼き払うような連中相手にそんなことが可能かい?」

「正直やってみなくちゃ分からないってのはあるが、多分可能だと思うんだよ」

「多分て、また随分と頼りないね」

「まあ俺も敵についてなにからなにまで知ってる訳じゃないからな。ただ、最悪全面対決とはならないと思うから、そこは安心してくれ」

「その根拠は?」

「そうだなぁ。あいつらは軍隊だから、お前達フィエダ族やウルカ族にはない、ちょっとしたルールを持ってるはずなんだ。そいつを利用させてもらう」

「ルール?」

 自分達の未来がかかっているんだから、慎重すぎることはもちろん大事だが、全てを説明していたら朝になるな。

「とりあえず最低限のことはかいつまんで説明するとして、その前に、この当りに風呂はないか?風呂というか温泉というか」

「あるけど、それが何か作戦に関係あるのかい?」

「いや、俺が入る。案内してくれ」

 既に時間は深夜の一時になろうとしている。そろそろ休まないと明日の朝から動くのが難しくなる。その為には風呂が必要だ。

「この状況で風呂に入るだって?お前さん真面目にやる気あるのかい」

「別にふざけてるわけじゃない。俺は今日一日走りっぱなしだったんだ。足の回復のためにも風呂に入る必要がある。いいから案内してくれ」

「まったく、本当にわけがわからない奴だね。こっちだよ」

 アドネは苦笑まじりに言って歩き出した。俺もアドネの後を追う。

「さっきの話の続きだが、ウルカ族は戦ってもかなわない敵と出会えば、最後の一人になるまで戦うようなことを言っていた。アドネも言ってたよな。勝ち目があるかどうかは問題じゃないって」

「ああ、言ったね」

「外の奴等はそんなことはしない。どうしてか分かるか?」

「そりゃあ、あいつらが奇襲でもしなきゃまともに戦うことのできない卑怯で弱い集団だからだろう」

 こいつもどちらかと言うとウルカ族相手にそういう戦い方をするタイプだと思ったが、気付いていないのだろうか。

「間違ってはいないが、それは根本的な理由じゃないな」

「それで、正解は?」

「お前達森の中の人間は、自分達の誇りのために戦う。対して外の奴等が戦う理由は、それが仕事だからさ」

「戦うのが仕事の奴なんて私達にもウルカにだっているだろう。集落の外で戦う人間と、内で家事をする人間。そうやって役割分担してるのは私達も一緒のはずだよ」

 アドネの言うことはもっともだが、話の次元が違う。やはり最初から説明しないとダメだな。

「聞いた話によると、お前達フィエダ族がウルカ族と戦うようになったのは、お前が戦頭になってかららしいな」

「そうだね」

「フィエダ族は元々は積極的に戦う民族じゃなかったって話だから、フィエダ族とウルカ族を分けて考えるが、ウルカ族が常に戦いを求めているように生きてるのはなんでだか分かるか?」

「それはアイツらが戦うことしか頭にないバカどもだからだろ」

 ウルカ族をバカにする言葉だが、その様子から冗談半分で答えているのが分かる。

「おおまか、それで正解だ」

「は?」

 まさか自分の言葉を肯定されるとは思っていなかったらしい。

「アイツらが戦うのは、戦うことがウルカ族としてのアイデンティティの一つでもあるからだろうな」

「アイ、アイデン……なんだって?」

 ナチュラルに横文字を使ったが、さすがに伝わらんわな。

「いや忘れてくれ。ウルカ族が戦うのは、戦うことが自分達の生活の一部だと思い込んでいるからだな。親にそう教えられて育ってるんだろう」

「外の奴等はそうじゃないと?」

「外の奴等は戦うことを仕事としているが、それは役割分担とは違う。報酬、対価を得るため、自分のために戦うことを選んだんだよ」

「よく分からないね」

 話の本題にはまだ入ってないんだが、その前段階から上手く伝えることができない。

 こいつらには雇用って概念がないだろうからな。

「んー。そうだなあ。大雑把に言うと、ウルカ族は戦いたいから戦う。外の奴等は戦いたいわけじゃないが飯が食えるから戦う。って感じか」

「嫌々戦ってるってことかい?」

「まあ全員がそうだとは言わないけど、少なくとも戦わなくてすむなら戦いたくない奴はいるだろうな」

「だったら戦わなければ良いじゃないか」

 話が先に進まんな。

「アドネ、お前がウルカ族と戦ってるのは、そうすれば外の、あのライラって奴に剣だのなんだの外の物をもらえると約束されたからだろう」

 その言葉にアドネが立ち止まってこちらを見る。

「……どうして知ってる?」

「知ってるって言うか、ウルカ族の奴等に聞いた話からそう思っただけだ」

「何を聞いたらそれが分かるって言うのさ」

「いや、話が先に進まないからそれはまた別の機会にな。とにかく、お前はライラに何かをもらう約束でウルカ族に戦いをしかけた。じゃあもし戦わなくてもそれをもらえたとしたら、お前はウルカ族と戦ったか?」

「……戦わなかっただろうね」

「つまりそういうことだ。外の奴等が戦うのは、戦わないと欲しい物が手に入らないから戦うんであって、戦わないで手に入るなら戦わない方を選ぶだろうな」

 俺は立ち止まったアドネより先に歩き始める。

 場所が分かる訳ではないが、まっすぐ歩いていればそのうちつくんだろう。

「それでどうやって戦いを避けるんだい。奴等の欲しい物を知っていて、お前さんがそれを与えることができると?」

「そうじゃない。欲しい物のために戦う奴等に、戦っても手に入らない。もしくは戦って手に入るかもしれないが、手に入っても大怪我をするかもしれない。死んでしまうかもしれないと思わせることができれば、戦わずにすむ」

「戦わないと欲しい物が手に入らないなら、戦うしかないじゃないか」

「奴等が欲しい物は、死んでまで欲しいと思うような物じゃないよ。中にはそれでも欲しいって物もあるかもしれないけどな」

「相変わらずよく分からないけど、どうやって奴等に欲しい物が手に入らないと思わせる?」

 先程から、頬に感じる空気が熱と湿気を帯び始めている。どうやら温泉はすぐ近くのようだ。

「その方法は明日話す。今言っても信じられないかもしれないしな」

「ハジメ、お前さんの言葉が本当だとすると、お前さんのやることに仲間の命がかかってるんだ。それで納得すると思うかい?」

 どうやらきちんと話さないと引き下がる気はないようだ。が、納得させるだけのことを話すだけの時間はない。

「俺にも俺の事情があるからな。今全部を話すのは難しいが、意地でも明日敵を止めてやるさ」

 俺が元の世界に帰る方法を探すにあたって、もう一度あのライラという敵の大将と話す必要がある。

「俺が信用できないなら、俺を無視して勝手に動いてくれ。もし信用してもらえるなら、やれるだけのことはやってやるさ」

「……」

 納得をしたとは思えないが、俺が全部を話す気がないということも察したのようだ。

「あとは一人で大丈夫だ。案内ありがとうな。明日の朝には祠に戻る。それじゃ明日な」

「あ、おい」

俺は不満顔のアドネを残して一人森の奥へ行く。

 少し茂みを掻き分けたら湯気の立ち上る温泉を発見した。

 身にまとってる物を全て脱ぎ、汗を吸った肌着だけ湯ですすぐ。それをタオル代わりにしぼって頭の上に乗せ、俺は湯に浸かった。

「あああー……」

 疲れた身体を刺すような熱の刺激に思わず声が出る。

「疲れた」

 夜明け間近から走って森の外まで行き、結局折り返してウルカ族に合流して、戦いの中でまた走り、フィエダ族の異変を確認する為にまた走り、逃げる為にまた走った。今日は一日走ってばかりだった。

 今夜、こうして温泉に浸かれたかどうかが、明日の行動を大きく左右するのは間違いない。

 風呂に浸かって休むのとそうでないとじゃ、身体の疲労のとれ方が全く違うからな……。

 俺は温泉に浸かりながら、疲労の溜まった太ももを揉みほぐす。疲れてはいるが、こうやって温泉に浸かって、後は可能な限りの睡眠が取れれば、明日はなんとか動けるだろう。

 温泉の気持ち良さに気が楽になる。誰かが近づいてくるのが分かったが、タイミングとしてアドネしかいないだろう。

「どうした。まだ何か聞きたいことでもあるのか?」

 姿を見せる前に先に話しかける。

「あんたね、ここまで来て一人だけ風呂に浸かろうって、それは贅沢すぎるんじゃないかい」

「贅沢?」

「ここまで来たんだ。私も入っていくに決まってるだろ」

 そう言って茂みを掻き分けて現れたアドネは、一糸まとわぬ入浴スタイルだった。

 俺は言葉も出ず、気が遠くなるような気分になって湯の中に沈みこんだ。


「今回は俺の言葉が足りなかったし、状況から仕方ないとは思うが、一つ言っておく」

「なんだい?」

「今後俺は誰かと風呂にはいるつもりはないから、それを忘れないでくれ」

「それはまた、どうして?」

 やはりこいつも、マイアやリノと同じで、一緒に風呂に入ることに疑問を持たないようだ。

 まあ当然っちゃ当然だが。

「これはウルカ族でも話したことなんだが、俺はこの世界の人間じゃない」

「随分大げさな言い方だね。森の外から来たんだろう?」

「面倒くさいからまず事実だけを一気に話すぞ。俺が言うこの世界っていうのは、森の内も外も全部ひっくるめた世界のことだ。何故か元いた世界から変な井戸を通ってこの世界に投げ出された。俺のいた世界では外の奴等が使う鉄なんかが一般的に普及していて珍しい物じゃない。むしろあれよりももっと強力な武器はいくらでもあるし、奴等の鎧より軽くて硬い物もある。そういうこの世界とは全く別の世界から飛ばされてきた。で、偶然やってきてすぐにルカに殺されそうになっていたウルカ族を一人助けたら、成り行きでウルカ族に加勢することになった。で、小競り合いに参加しているうちに今に至る訳だ」

 一気に説明すると、多分全く理解できていないだろうアドネは目をパチクリさせている。

「別に理解する必要はないぞ。つまり、俺がこことは全く違う所からやってきたってことだけ分かってくれ。あとそこでは軽々しく他人と風呂に入ったりしないということだ」

「そういうことは先に言っておくれよ」

「俺の世界じゃ当然のように人の入ってる風呂に入ってくる奴はいないんだよ。まあこの世界じゃ俺がイレギュラーだから仕方ないけどな」

「しかし興味があるね。その別の世界って話。いつ帰るんだい?」

「分からん。そもそも帰り方が分からん」

「はあ?なんだいそれは」

 それを問われても、知りたいのは俺の方なんだが。

「どうやら俺はこの世界の誰かに呼ばれたらしいんだが、そいつは俺に何かをさせたいらしい。ただその何かが明確には分からないんだ」

 おおよその見当はついているが、それを達成できる気はあまりしない。

「とりあえず俺はこの世界で死にたくないからな。今は自分の為にも、森の内側の人間として戦ってやるさ」

「なんだか頼りがいがあるんだかないんだかよく分からないね」

「俺だってこんな戦争みたいなことは初めてなんだ。あんまり頼られても困る」

 姉の嫌がらせで一対一の戦いなら結構な経験を積んでいると自負するが、今必要なのはそれとはまた全然違うからな。

 そもそも一般の大学生が戦争における知略に長けてるなんてまずありえないだろう。

 ミリタリーオタクがその辺に詳しくても、実際に命がかかっていたら頭の中の知識だけで対応ができるはずもない。

「正直あの森の外の奴等全員を相手にして圧勝するのはほぼ不可能に近いだろうが、ほとんど被害を出さないまま戦いそのものを終わらせる方法はあると思ってる。まあ明日一日だけ、俺のやりたいようにやらせてくれ」

「どこまで信じて良いのかは分からないけど、少なくともお前さんには危ないところを助けられたからね。一日くらいは言うこと聞いてあげるよ」

「そりゃどうも」

「それじゃ、私は先に行くよ。あまり長く離れるわけにもいかないからね。」

「分かった。俺も少ししたら戻る」

 無造作に湯船から立ち上がるアドネ。察していた俺は顔をそらしてその姿を視界から外した。

 油断も隙もありゃしない。

 アドネがいなくなると、俺は再び念入りに足を揉みほぐす。これをきちっとやるかやらないかで、明日にどれだけ疲労が残るかが変わってくる。

 あまり楽観視できる状況でもない。やれることはやっておかないとな。

 足を揉みながら、ライラという敵の大将の言葉を思い返す。

「インジャ……。隠者か」

 どうやら、俺が帰るための手がかりがようやく転がり込んできたようだ。



 フィエダ族の逃走から一夜明けて翌朝、俺は足の調子を確認する。

 軽く屈伸をしたり、片足ずつ伸ばして筋の張りを確かめる。

「大丈夫みたいだな」

 温泉で念入りに揉みほぐした足には、ほとんど疲労は残っていない。これなら今日は満足に動けそうだ。

 俺はフィエダ族の黒の祠から少し離れた所で睡眠をとったが、黒の祠にやってくると、何か問題が起こっているようで騒々しい。

 俺はアドネを見つけて声をかける。一目見て大体の事情は分かった。

「どうした?」

「ああハジメか。呼んでもいない客が来ていてね」

 アドネの言う客というのは、マイア達ウルカ族だった。

 俺の指示で来ているのでマイア達に戦う意思がないのは明らかだが、元々今まで戦っていた両者だ。そこに揃えば不穏な空気になるのは当然だな。

「ふん。わしらだって好きで来たわけじゃないわ」

「だったら帰ったらいいじゃないか。なんならここで一戦交えるかい?」

「こんなボロボロの奴等相手に戦っても面白くもない。わしはハジメに会いに来たんじゃ」

「ああ、早かったな」

 俺は両者の険悪さを無視して話に加わる。

「約束は約束じゃからな。それで、わしらはどうしたらええ?」

「ちょっとハジメ、まさか私にこいつらと組めって言うんじゃないだろうね?」

「まさかもなにも、現状でどちらか片方だけの戦力でまともに戦えるとでも思うか?」

 アドネもどうするのが最善か分かっているのだろうが、昨日の敵が今日の友だなんて、そんなに都合よくいけば戦争なんて起こらんわな。

「はん、冗談じゃない。こんなイノシシみたいに突っ込むだけしか能のない連中と組めるわけがないだろう。上手くいくものも上手くいかないよ」

 イノシシみたいってのは、まあ間違ってないかな。

「それじゃフィエダ族はフィエダ族だけで戦うのか?」

「ああ、そうさせてもらうよ」

「そうか……」

 俺はうつむいて、ため息を一つ。

「じゃあお前らは全員死ぬ気な訳だ」

 声に抑揚はなく、しかし少し大きな声で言い放った。

 周りのフィエダ族達の視線集まる。その視線には二つの感情があった。片方は自分達の戦いを否定的に言われたことへの怒り。そしてもう片方は、死を予告されたことへの恐怖だ。

「勝手に決めるんじゃないよ。ここは私達のテリトリーだ。戦い方次第でどうにか」

「どうにもならんね。装備が違いすぎる。一人一人の実力もな。相手は戦うことの訓練を積み重ねている連中だ。それが森の中で戦いを挑んで来たということは、アウェイでも勝てる力があるってことだよ」

「ア、アウェイ?」

「それはどうでもいい。つまり、奴等には策を弄した程度じゃ勝てないって話だ。まあ、それでもやるならご自由に。俺はウルカ族を生かす為に動くまでだ」

 俺はあえて挑発的な口調で言う。

 今までの確執があるとは言え、二つの部族が手を組むことは勝率を上げる為には必要なことだと考えれば分かるはずだ。それをしないということは、生き残る為に最善を尽くす気がないということだ。

 そんな奴等を助けてやる義理はない。

「それじゃ聞くけどね、ハジメ、お前さんに従えば勝てるのかい?確かにお前さんは強そうだけど、お前さんの言うことが本当だとしたら、お前さん一人が加わったところで勝ち目があるとも思えないけどね」

「勝つのは難しいだろうさ。と言うより俺は勝つんじゃなく負けない為に戦うつもりだ。つまり生き残ることを優先させる。まあウルカ族と手を組む気がないなら話しても仕方ないだろ。まともに共闘もできないなら話す意味もないしな。それじゃ俺はウルカ族と戦うから、後は頑張ってな」

 そこまで言って、俺はなんの躊躇いもなくアドネに背を向けた。

「じゃ、行こうぜマイア」

 ことの成り行きを見ているしかできなかったマイアは、急に声をかけられてはっとした。

「あ、ああ。そうじゃな」

 マイアにも昨日同じようなことをしたからだろう。どうも少し怖がられてるような感じがする。

 実際俺は女に優しい人間じゃないから、それで構わないけどな。

「待ちな!」

 立ち去ろうとして、背後からアドネの声が響いた。

「分かったよ……。分かった。ハジメ」

 振り返って見ると、アドネは小さく震えながらうつむいていた。

「お前さんの言うように、生き残る手段があるのなら、私達はウルカ族とも手を組もう」

「オッケー。よく言った」

 俺は直前とはうってかわって軽い調子で言う。

「いつ敵が来るか分からない。ウルカ、アドネ、戦いに参加できる主だった連中を集めてくれ、作戦を伝える」

「まかせろ」

「分かった」

 二人とも一つで動き出す。

「ああ、二人とも」

「なんじゃ?」

「なんだい?」

 二人同時に振り返った。

「お前達には泥をかぶらせた。すまないとは思わない。代わりに俺の全力を以ってウルカ族とフィエダ族を助けてやるよ」



「で、交渉をしに来たという話だが、よくもそんな命を捨てるような真似ができるものだな」

 フィエダ族の集落のあった場所、そこに建てられた天幕の中で、俺は敵のライラと向かい合っていた。後ろにはマイアとアドネ、リントというウルカ族の女で四人。全員武器は持っていない。リントも弓を持っていたが、交渉の為の武装解除で敵に預けている。

 簡易机を挟んで対峙する。座っているのは俺とライラだけだ。

「結果はどうなるにせよ、別に交渉くらいさせてくれたって良いだろう。野蛮人じゃあるまいし」

「ふん、まあいいだろう。時間の無駄だが、遺言代わりに話を聞いてやろう」

 ある程度責任のある立場として、こうやって形式的に接すれば応じてくれる辺り、やりやすくて助かるな。

 ウルカ族とフィエダ族を足したところで、こいつらと全面対決すれば、運が良くて引き分けといったところだろう。だったら最初から戦わずに済ませられればそれが最善だ。

 一応両部族の戦闘部隊を、敵を刺激しない距離に待機させている。が、あいつらに戦わせないようにするのが俺の仕事だ。

 マイアとアドネ、それとリントを伴った俺は、四人だけでまっすぐこの場所に向かった。

 途中俺達を見つけて攻撃を仕掛けてきた敵の一人に、腕関節を極めて身動きを封じて、ライラと交渉したいから案内しろと言って、敵にここまで案内させ、今に至る。

「こちらの要求は一つ、さっさと荷物をまとめて森から出て行って欲しい。あんたも死にたくないだろう?」

「なに?」

 自分の優位を確信しきっている相手に、高圧的ともとれる態度で接する。

 交渉のノウハウなど知らないが、最初から下手に出て偉そうな態度をとられるのは気にくわないし、多少のブラフは必要だろう。

「昨夜のこの集落の襲撃は、ウルカ族とフィエダ族の小競り合いの最中に虚をつかれて逃げるしかできなかったが、今は違う。昨日お前に殺されたルカという女のおかげで、フィエダ族の人的被害は軽微だ。そして、あんたらという脅威の前でフィエダ族はウルカ族と手を組んだ。単純な数ではあんたらとそう違わないはずだ」

 俺が言葉を続けるうちに、俺の要求に唖然としていたライラは既に優位を確信した態度に戻っている。

「何を言い出すかと思えば、話にならんな。我々とお前達の数に大差がない?お前達に我々の戦力を把握する機会がどこにあった?まさか昨夜襲われて逃げ出した奴等が見た物で考えているのではあるまいな。戦闘員がいなくなった集落を襲うのに、全戦力を投入したとでおも思っているのか?」

「あんたが兵を動かしたのは昨日の昼前。そこからよくもまああれだけの数をフィエダ族まで動かしたもんだな。俺は見てるんだよ、あんたの兵隊が森の外れで進軍の準備をしてるところを。つまり、あんたの部隊の大体でどれくらいかは把握してる」

 完全に偶然だけどな。

「だからどうした。数などたいした問題ではない。我々はお前達蛮族とは格が違う。仮にお前達が我々より多くともなんの問題にもならない程度にな」

「格ね。そんなに違うかね。昨日俺とこいつを取り逃がしたのはあんたに近い部下だろう。手負い二人も仕留められない兵が上位にいる奴らに格が違うとか言われてもな」

 俺の言葉で眉間にシワを寄せるライラ。

 こいつらの戦力はウルカ族とフィエダ族を凌駕するとは思うが、戦い方はある。いざ戦いが始まっても惨敗という結果にはならないはずだ。

「そもそも二つの部族を相手にして簡単に勝利できるなら、こっちのフィエダ族の戦頭を懐柔して潰し合わせる必要もないだろ。それをしたってことは、戦力で圧倒できる程のものがないか、兵の消耗を極力抑える必要があるのか。どうも話しによると何年も前からこの森の戦いで後ろから糸を引いていたようじゃないか。サクっと攻めてサクっと終わらせないってことは、そういうことなんだろ」

 多分交渉としては間違ってるんだろうが、俺は徹底的に相手の弱みと思われる所を突く。そもそも俺は交渉術なんて知らないしな。

 しかし、それとは別に俺は確認をしなければならないことがあった。

「ところで話は変わるが、あんた昨日俺にこう言ったな。インジャと。あんた俺を知ってるのか?」

「なんの話だ?」

 声に苛立ちを残したままライラが応える。

「とぼけるな。あんた昨晩俺をインジャと呼んだはずだ」

「とぼけてなどいない。そうではなくて、何故今そんな話を持ち出す」

「俺にとっては大事な話だからだ。インジャとはなんだ」

 俺の言葉を聞いて、ライラの顔に嘲笑の色が浮かぶ。この話を交渉材料と見て優位に立ったつもりなのだろうか。

「そうか。お前達はインジャが分からないのか。くくく、まあおかしな話ではないな」

「……」

 ライラの思わせぶりな言い草に、俺は無言で先を促す。

「お前にとって大事な話であれば、話す代わりに何か要求でもしてやろうかと思ったが、インジャの話にそんな対価を求めるのも馬鹿馬鹿しい」

 ライラは両肘を机について手の甲にアゴを乗せる。

「お前達インジャは、もう自分達が何者なのかも分からなくなってしまっているようだな。それにこの僻地の蛮族もそれを知らないとは、哀れだな」

 俺の知りたい情報を持っているという事実が、ライラを上機嫌にさせた。

「ある程度の文化圏の人間なら誰でも知っている。お前達インジャは我々の祖先によって追い立てられた汚れた卑しい存在だ。我々人間の目の届く場所で生きることを許されず、人間が住もうとしない不毛な土地で隠れるように生きる存在、それがインジャだ」

 なるほどな。やはり言葉としては隠者と考えて間違いない。

 察するに、隠者とはこの世界で言う人間とは別の扱いを受けているようだな。と言うより、何かがキッカケで男が駆逐されて、社会を構成するのが女だけになってしまったという感じか。クローンプラントがあるからこそ可能な世界だな。

「お前達は、自分達が我々になんと呼ばれているかも分からない程、人間社会から隔絶されているという訳だ」

「……なるほど、この世界が滅びに向かっているっていうのは、やはりそういうことか」

 男を排除して女だけの社会を構築、クローンによる種の存続、そして一人の人間は一人のクローンしか生成することができない。つまり、種としての絶対数が、減ることはあっても増えることがない世界ということだ。

 しかも世代を重ねる毎に固体の寿命は短くなっている可能性も高い。あの井戸の声が言っていた滅びとは、正に種としての存続の危機を指しているらしい。

「なにを言っている?」

 俺の言葉にライラが怪訝な顔をする。

「あんたら人間の世界が、着実に滅びに向かっているって話だ」

「言っている意味が分からんな。どうしてインジャの話が人間の滅びにつながる。気でも触れたか?」

 ライラには俺の言っている意味が分からない。分かるはずもないが。

「あんたらがフィエダ族をそそのかして森の中で争いを起こしたのは、両部族の黒の祠が欲しかったんじゃないか?」

「……」

 再びライラの眉間にシワが寄る。

 絶対的な確信があって言った訳ではないのだが、どうやら図星らしい。

「黒の祠は一人の人間に一人の子供しか授けない。しかし今のように争いが起これば人が減り、その絶対数も減る。だからお前達はそれを解決する為に、そのシステムに手を加えて試行錯誤する実験の場が欲しかった」

 ライラは何も応えない。

「そう考えれば、極力自分達に被害が出ないように森の中の人間達に争わせるというやり方もつじつまが合うな」

 分かっている事実から考えられることを並べ立てているだけなのだが、案外間違ってはいない気がする。

 まあ、こいつらの目的が分かったところで、それが交渉材料になる訳でもない気はするが。

「なにかぐだぐだと御託を並べてくれたが、話はそれで終わりか?」

 平静を装ってライラが口を開いた。

「確かに余計な話だったな。それで、森から出て行ってくれるのか?」

「愚問だな。この会話で兵を引かねばならない理由がこちらにあったと思うか?」

 交渉決裂か、当然だわな。

「なるほどな。それじゃ、全面対決は避けられないってことか」

 俺は机に手をついて立ち上がる。すると、ライラがすっと右手を上げた。

 その直後、ライラの背後と、俺達の背後から武器を持った兵が天幕に入り込んできた。

「これは、どういうことだ?」

「どういうこと?見ての通りだろう」

 ライラの顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。

「なるほど。お前らは軍使に手を出すようなモラルのない輩ってことか」

「なんとでも言え。二つの部族の頭が揃っているんだ。手を出さないと思う方がおかしい。それに、こんな場所での出来事など、露見しようもない」

 もっともな話だ。

「お前も愚かだなアドネ。そんな得体の知れない奴の口車に乗ってこんな所までのこのこやって来るなんて。もう少し頭の回る奴かと思ったが……」

「……」

 アドネは鋭くライラを睨み付けるが、何も喋らない。

「ふん、思ったよりも潔さはあるらしいな。とりあえず、表へ出てもらおう。ここで首を切り落とすと天幕が汚れる」

 俺達は周りの兵に突きつけられる刃に促されて天幕の外へ出た。

 すると、この天幕に入る時には何もなかった場所に、数人の女が拘束されて座らされていた。その周りに三人の敵兵が控え、手には抜き身の剣を持っている。

「バカなことは考えるなよ。もし変な動きをしたらお前の仲間の命がないぞ?」

 そこにいるのは、どうやら昨夜の襲撃によって捕えられたフィエダ族の生き残りのようだ。俺達に対する人質ということだろう。

「まったく、どこまでも卑怯な手を使いたいらしいな」

「お前がさっき言った通りだ。私は兵の消耗を極力抑えたいと思っているだけさ。その為にこの状況を利用しない手はない」

 確かに、森の中の人間は戦闘力がそれなりにあっても、基本的に猪突猛進だ。上手く統制をとって運用すれば結構な戦力だが、そうでなければ脅威は小さい。

 ライラにとって、今はその統制役をまとめて片付けられるチャンスなのだ。

「確かにこの状況、利用しないわけがないよな」

 言うなり俺は、人質達に向かって全速力で駆け出した。

「なっ、おい!?」

 突然のことに狼狽するライラだが、ライラからの指示が下るまでもなく、人質近くの兵が手にしている剣を振り上げた。恐らく俺達の誰かが不審な動きをとった場合、ライラの指示なしで人質を殺す手筈になっていたのだろう。

 それも作戦の想定内だ。

「ぎゃっ!」

 人質に向かって剣を振り上げた兵の腕に矢が突き刺さる。

 予期せぬ出来事に他の兵の動きも止まる。

 その一瞬の隙のおかげで、人質が殺されるよりも先に俺が敵兵に襲いかかることができた。

 人質を囲っていた三人のうち、一人は矢を食らって怯んでいる。それに驚いた手前の一人は俺の存在を一瞬だが忘れている。俺は迷うことなくそいつに飛び蹴りを入れた。 

「げはぁっ」

 全速力の加速がついた飛び蹴りで兵が派手に吹き飛ぶ。おかげで俺自身の勢いを殺すこともできた。矢を腕にくらった兵も蹴り倒して無力化する。しかしその間に残りの一人に現状を認識する猶予を与えてしまった。

 俺を脅威と捕えた敵は、人質ではなく俺に向けて剣を繰り出した。

 正確な突きが俺を狙うが、半身を取ることで紙一重で避ける。がら空きの敵の右脇腹に、俺は容赦なく拳を叩き込んだ。

「ぐぅっ」

 敵は剣を手放して悶絶する。

 俺はすぐさまその剣を拾い上げ、人質の縄を斬り捨てる。

「あ、ありがとう」

「礼は良いから、残りを解放して向こうに全力で逃げろ」

 俺は矢が飛んできた方向を指差す。そこには次の矢をつがえたリノとそれを守るネーヴェがいる。

「でもあいつらは、ウルカの!」

「アドネとウルカ族のマイアが一緒にいるだろ!今はそんなこと考えなくて良いから死にたくなかったら走れ!」

 この状況でどうでも良いこと気にしやがって。俺がフィエダ族達を怒鳴りつけるとようやく走り出した。

 逃げたフィエダ族達がリノとネーヴェの所まで辿り着くと、二人も一緒に森の奥へと走り出す。これでこの場には改めて四人だけだ。

 一仕事終えて振り返ると、一緒にこの交渉に臨んだ三人が時間稼ぎの為に奮闘してくれていた。三人とも今の騒動の隙を突いて敵から武器を奪っている。

「さて、人質はいなくなったが、これからどうする?」

 作戦はおおまか予定通りだ。後はライラをどうするかだな。


 敵との交渉に向かう前に、ウルカ族とフィエダ族の主要メンバーを集めて作戦を説明した。

「先に言っておくが、この作戦はウルカ族とフィエダ族の被害が極力出ないようにする為のものだ。策を以って戦って勝利しようというものじゃない。それを分かっておいてくれ」

 そう前置きして、俺は考えていることを述べた。

 まずは少数で敵と接触し、交渉の場を設けさせること。

 またその時の騒動を利用して、リノとネーヴェを中心とした少数精鋭に敵が占領したフィエダ族の陣地の近くまで潜入してもらう。

 敵はフィエダ族の大部分をとり逃がし、ウルカ族も残っていることから、人質を用意してフィエダ族から切り崩そうとする可能性が高い為、その解放を優先事項とする。その為にリノの弓だ。

 ライラは昨晩、マイア達が俺を助ける際に弓兵が存在していることを知っている。だからその意識を引き付ける為にフェイクを用意した。弓を持ったリントだ。彼女には弓の技能は一切無い。

 二つの部族の頭が少数で敵地に臨むことで、敵が油断する可能性は大きい。後はその隙を突いて人質を解放し、その後全力でライラを排除する。それが作戦の全容だ。


「なるほど、ここまで計算済みだったということか」

 一連の騒動の間にライラは、昨夜見たランスとフルフェイスの兜を手にしていた。

「そうだな。想定していた中ではかなり良い状況だ。あんたが馬鹿で助かったよ。弓を持った奴が一緒に来たから、昨夜見た弓の問題は解決したと思ったか?」

「……」

「残念だが、そこにいるのはただ弓を持たせただけの別人。しかし、この程度で油断するわ、伏兵がここまで近くに潜んでいても気付かないわで、お前もお前の兵も無能極まりないな!」

 俺の言葉にライラがランスを握る手に力が入るのが見て分かる。

「ふん、人質がいなくとも、お前達が袋のネズミであることには変わりない。お前達を消せばそれで終わりだ」

 言葉遣いこそ普段通りだが、内心で怒り狂っているのがよく分かる程声が震えている。

「そう考えるのが普通だわな。この人数差がひっくりかえるわけもなし」

「ちょっとハジメ、今そういう冗談はよしてくれないか」

「そうじゃ。ふざけとる場合か」

「悪かったよ。ちょっと言ってみただけだっつーに」

 装備を手にしたライラの準備が整うのを待っているのか、敵の攻め手が止まっている。

 マイアにアドネ、それにフィエダ族の中ではそれなりに手練らしいリントも健闘しているが、このままでは時間の問題だろう。

「なあライラよ。ここから俺達が正攻法で勝つ手段が一つだけあると思わないか?」

「そんな物はない。お前達はここで惨めに殺されて終わりだ」

「残念。正解はお前がやろうとしたことだよ」

 俺の言葉にライラの眉間のシワがいっそう深まる。

「なに?」

「答えは簡単。頭を潰せば良い。要はお前を倒せばそれで終わりだ」

 その言葉を聞いたライラは、フルフェイスの装甲を頭に乗せ、ランスを構えた。

「少しできるからと調子に乗りすぎだな。お前達の攻撃など、私には通用しない」

「ハジメ、ここは私に譲ってもらうよ。ルカの、皆の仇をとらなきゃいけないからね」

 アドネが俺の前に出ようとするが、俺は片手を上げてそれを制した。

「なんのつもりだい?」

「残念だが、さっきそいつが言った通りだ。アドネも少しは知ってると思うが、ああも装甲で全身覆われると剣でダメージを負わせるのは難しい」

「分かってるよ。それでも、やってみなくちゃ分からないだろう」

「その程度の認識で挑むなら行かせることはできないな。俺はお前とマイアとリント、三人とも仲間の所へ返してやらないといけないからな」

 俺達が話す間、敵は仕掛けてこない。この圧倒的に有利な状況で、ことを急ぐ意味は無いと思っているのだろう。

 ここにいる四人を殺せばそれで終わりなのだから、当然と言えば当然だが。

「じゃあどうするって言うんだい」

「俺がやる」

 俺は一歩前に出た。

「あっはっはっは、これは傑作だ。確かに剣で今の私を傷つけるのは難しいが、剣も持たずにどうやって戦う気だ。まさか、その拳でも使うのか?」

「よく分かってるな。今度は正解だよ。俺の武器はこの身体一つだ」

 俺は右足右腕を前に出して半身の構えを取る。

「ふん、良いだろう。茶番に付き合ってやる。お前達は手を出すなよ!逃げられないように包囲していればそれでいい。こいつを始末したら次はそこの三人だ」

 ライラの言葉に、俺達を囲う人の層が厚くなる。ここに来たばかりの時のウルカ族を彷彿とさせるな。

「殺せ!殺せ!」

それどころじゃないからあまり気にしないようにしていたが、やはり俺達を囲っているのは女しかいない。いろんな意味でアウェイだな。

「すうぅー………………こおおおおおおぉぉぉぉ……………………………はぁ」

 息を深く吸い、極限まで肺から空気を吐き出す。そして吸いなおす。

「よし、いつでもいいぞ」

「それでは見せてもらおうじゃないか。徒手空拳で何ができるのか」

「そうだな。それじゃ始めようか、殺し合いを」

 その言葉で、俺達の運命を極める戦いの火蓋が切って落とされた。

 意外にも先に仕掛けてきたのはライラだ。

 完全装甲の鎧を纏っているとは思えない速度で距離を詰めてくる。やはりあの装甲は普通の鉄の類ではなさそうだ。

「はぁっ!」

 助走の勢いの乗った初撃をかわす。かわしざまに軽く頭の甲冑を小突く。やはり鉄特有の重さがない。まるでプラスチックでも叩いているようだ。しかし硬い。

 勢いをつけた最初の刺突の次は、重心を落としての小さな突きの連続。体勢を安定させ威力は小さいが速度のある突きを放ってくる。

 なるほど、口だけじゃないみたいだな。

 槍もランスも、極論を言えば攻撃方法は突きと払いだけだ。避けることはそう難しくはない。しかし、見た目ほど重さのないライラの装備と、ライラ自身の技量もあって反撃を入れるのは難しい。

 なるほど、きちんと実力があって部隊を率いてるって訳だ。

 俺は気持ちを入れなおす。

 ライラの攻撃を横、あるいは後ろに動いてかわし、敵兵達の囲いの中をぐるぐる回る。

 合間合間に攻撃できる隙があれば拳を打ち付けるのだが、ライラにダメージはないだろう。

 顔、胸、腹、腕、足、隙を見ては可能な限り異なる部位への攻撃を試みるが、どこを打っても感触は同じだ。決定的なダメージを与えられそうにない。そもそも半端な威力で拳を打ち付ければ、俺の手が壊れかねない。

 軽量とは言えライラは鎧をまとってランスを振り回してるんだ。消耗戦に持ち込むという手もあるが、勝負が泥沼になると周りの兵に指示を出しかねない。

 決定的な一撃を決めるしかないか。

 俺は攻撃を入れられるタイミングで、攻めずに大きめにバックステップをしてライラから距離をとった。

 ライラは追ってこない。

「どうした、逃げるだけか?それとも、何をしても無駄だと悟ったか?」

 何故かライラの声は満足げだ。大口を叩いていた相手を一方的に攻められれば、機嫌も良くなるか。

「少し驚いたよ。あんたの強さは本物だな。そんな小回りの利かない武器をそこまで巧みに扱えるんだ、結構な努力をしてきたんじゃないのか?」

「急にどうした?今更敵に対してご機嫌取りとは、降参でもするつもりか?」

「だから最後にもう一度だけ聞こう。森を諦めて引く気はないか?」

 俺の言葉に、ライラが静かに激怒しているのが装甲越しに伝わってくる。

「言いたいことはそれだけか?」

「それだけだ」

「そうか」

 ライラは再びランスを構える。

 最後の最後まで交渉は成立せずか。ライラの立場を考えれば、成立するはずもないが、できることならこの結末は回避したかったんだけどな。

「時間の無駄だ。終わりにしよう」

 ライラの声は先程までとは違い平坦だ。

 ライラの声に応えるように俺も構える。先程と同じ左半身を前にするが、今度は俺も両足をひらいて腰を落とす。

 腰を落とすということは、機動力を捨てるということだ。ライラもそれに気付いているだろうし、今までならばそれを茶化しもしただろうが、何も言ってこない。つまり本気ということだ。

 終わりが近いことを周囲も察したのか、包囲している兵達もいつの間にか静まり返っている。

 ライラの上体が少しだけ沈んだ。そう感じた頃には、既にこちらに向けて突進を開始している。

 避けるのは簡単だ。最初より狙いを定めてくるだろうが、大きく横に飛び退けばそれでかわせる。が、それではまた同じことの繰り返しになる。

 もう終わらせよう。

 俺の目の前まで突進してきたライラは、あと数歩の所まで来て踏み込んで止まった。

 しかしその上半身と俺を目指すランスは止まらない。

 俺は避けない。それが意外だったのか、ライラは一瞬だけ驚きの色を見せた後、勝利を確信したその顔には獰猛な笑み。

 ライラによって繰り出されたランスは俺の胸まで達し、ライラは余裕の笑みを浮かべた。

そしてすぐにその顔は驚愕に染まる。

 俺は自分の胸の前で、ランスの穂先を両手で掴んで受け止めた。

「なっ」

 ライラの驚きはまともに言葉にならないようだが、言葉を紡ぐ時間は与えない。

 穂先をそこに残し、右半身を傾けつつ右腕を腋へ引き絞る。そしてがら空きのライラの腹部に向けて拳を打ち込む。

 派手な音はない。ごっ、と低い音が鳴り、三メートル程ライラの身体が後ろへ飛んだ。

「うう……が、げはっ」

 鎧を貫通こそしなかったが、拳を打ちつけた部分だけ装甲がくぼんでいる。その衝撃は確かにライラの身体に伝わり、ライラはもがくことしかできないようだ。

「アドネ!」

 目の前で起こった光景に状況を忘れていたらしいアドネが、俺の言葉で目を醒ます。

「な、なんだい」

「ルカの仇だ。とどめを、急げ!」

 俺の言葉で、アドネよりも先にようやく状況を理解した敵の兵が動き出す。

 すぐに動いた者もいれば、まだ状況が飲み込めてない者もいた。そしてその真っ先にこちらに向かって来た敵に対して俺も駆け出す。

 敵は振り上げた剣で俺を斬りつけるが、それを横にかわして足を蹴って転ばせる。俺はその背中を踏み付けて片腕を掴み上げ、声を張り上げた。

「動くな!」

 俺の言葉に、敵も味方も動きを止めた。

「お前らの大将はもう終わりだ!これ以上続けるならこいつを殺す!その次は一番近い奴から殺していくぞ!」

 踏み足を軸に、掴んだ腕を本来なら曲がらない角度へと強引にねじり上げる。

「ああああ!」

 言葉にならない悲鳴が足元から上がる。

 よく見れば踏み付けている敵は、そこそこにキレイな顔をしている女だ。並みの男ならサディストでもない限り女性を足蹴にして関節を極めるなど良心が許さないかもしれないが、俺には関係ない。

 有象無象の一人を人質に取っただけだが、ライラを倒しているのが大きい。人質を見捨てて全員で襲い掛かられると危険だが、それができるだけの決断力と統率力はこいつらにはないようだ。

「アドネ、お前は早くそいつにとどめをさせ。顔の装甲の隙間から剣を突き刺せば終わる」

「ふざ、けるなっ。お前達、さっさとこいつらを、殺せっ」

 苦悶の中でようやく言葉を出せるようになったようだが、かすれた言葉が響いただけだ。

 軍隊では上の人間の言葉は絶対のはずだが、状況が状況だ。敵兵達は互いの顔を見合わせはするが、誰も動き出そうとしない。

 そしてアドネがライラの傍らに立つ。

「無様だね。まさかこんな結末になるとは思わなかったけど、殺された仲間の恨みは晴らさせてもらうよ」

「わかっ、た。もう、この森には手を、出さない。だから」

 アドネは刀身を下に向けて柄を握る。その顔は何も聞こえていないかのように無表情だ。

「おねが、やめっ」

 アドネが剣を垂直に下ろすと、果実に包丁を突き刺したような、瑞々しい音がした。

 ライラの身体が一度大きく跳ね、肢体が落ちて動かなくなった。

 直接手を下したのは俺ではないとしても、俺が殺したと言っても過言ではないだろう。こうする以外に手はなかったと頭の中では理解しているが、言いようのない不快感が全身を駆け巡っている。

 しかし、それと同時に、何かの枷が外れた気がした。

「ライラは死んだ!これでもまだ続けるならかかってこい!一人残らず片付けてやる!」

 敵の兵士達の動揺は一層大きくなったが、逃げ出そうとする者はいない。律儀なのか自分の意志で動けない無能なのか、下手に統率力のある人間が動き出しても困るので、俺から動くことにした。

 関節が壊れない程度に足元の女の腕をひねり上げると、俺は手を離した。

「そうか、律儀に大将の命令を守って森から出て行く気はないという訳だ。仕方ない。なら戦うしかないな」

 俺は適当に近くにいる敵に向かって歩き出す。

 歩く先にいる兵士達の動揺がさらに増す。そして、正面にいる兵士の顔を睨みつけた。

「う、うわあああああ」

 恐怖に耐え切れなくなったのか、その兵士が周りを押し退けて逃げ出す。

 途端に包囲が崩れ、他の兵士達も蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 この混乱に乗じて襲い掛かってくる者が一人でもいないかと構えてはいたが、余すことなく全員逃げ出したようだ。俺が踏み付けていた女もいなくなっていた。

 なんとか状況を切り抜けられ俺は内心安堵する。

「少々よろしいでしょうか?」

 振り返ると、見覚えのない女が一人、平然として立っている。

 腕と足にだけ簡素な装甲を付けてはいるが、それ以外は少し丈夫そうな服を着ているという程度で、戦闘に挑む格好ではない。

「あんたは?」

「私はライラ様の補佐をしていました、エトリスと申します」

 敵はほぼ全員逃げ去っていて、エトリスと名乗った女だけが動じることなくこの場に残っている。

「なんだい、一人で戦おうってのかい?」

「いえ、ライラ様が敵わなかった以上、私では到底相手は務まりません。厚かましいとは思いますが、ライラ様の御遺体を回収させていただいてもよろしいでしょうか?」

 なんだかいろんな意味でこの状況にそぐわない人物だな。

「ハジメ、こいつは一体何を言っとる。変な言葉遣いでさっぱり分からん」

 無駄に丁寧なのは確かだが、マイアが言葉遣いを咎めるのはどうなんだろうか。

「こいつは、この死体を持って帰りたいって言ってるんだよ。ほんとにあんたは頭が足らないね」

「なんじゃと?」

「あー、そういうのは後でやれ。エトリスとやら、死体を持っていくのは構わないが、なんの為だ?」

 俺の言葉を聞いたエトリスは、質問の意図がよく分からないと言わんばかりに不思議そうに首をかしげた。

「ライラ様は私どもの同胞でございます。ここに置き去りにするのも居たたまれませんし、御遺体を親族に御渡ししたいと思うことに何かおかしなことがありますか?」

「ま、まあそうだな」

 情を前面に押し出している彼女の言葉で、今更ながらライラを殺したのは自分だということに胸が痛む。

 エトリスは鎧を纏ったままのライラの死体を抱き抱えようとしたが、そばにいたアドネが彼女に剣を向ける。

「こいつの死体を持っていくのは構わないけどね、もし次にあんたらを森の中で見たら、容赦なく皆殺しにするからね」

 憎悪のこもった言葉をぶつけられたエトリスは、しかし全く怯むことはなく平然とアドネを見上げる。

 エトリスは、まるで今この時が日常の延長上だと言わんばかりに特別な感情を表に出していない。この状況でここまで態度を乱さずいるのは、少し不気味だな。

「それに関しては大丈夫だと思います。ライラ様がこのようなことになった以上、しばらくこの土地への侵攻はないと思います。元々ライラ様がやや強引に進めていた作戦でしたし、部隊としての被害はほとんどありません。ですので、私どもの部隊はそのまま他の部隊に分割されて吸収されるでしょう。あなた方が本国に攻め入らない限りは、改めてこの土地へ攻めることはまずないかと、もちろん確約はできかねますが」

「ずいぶんと丁寧な説明だが、一軍の将を討たれて、黙って手を引くなんて有り得ないだろう。体面ってもんがある」

 エトリス自身が言ったように、今しがた逃げて行ったライラの部隊には被害はほとんどないのだ。頭だけすげ替えて再び攻めてくると考えるほうが妥当だろう。

「おっしゃることはもっともなのですが、まあそこは、私どもも一枚岩ではないと申しますか……」

 エトリスは相変わらず丁寧な態度を崩さない。だから信用できるという訳ではないが、裏表のあるような感じじゃないな。

「まあいいや、とりあえずその遺体は好きにするといい。当面はここには手を出さないというその言葉は、一応信じておくとしよう」

「恐れいります」

 エトリスは軽々と鎧を着たライラの身体を抱き上げる。

 死んだ人間は分からないが、脱力してる人間の身体って結構重いはずなんだけどな……。しかも軽素材とは言え全身を鎧が覆ってるのに。なかなか油断ならない奴だ。

 エトリスはライラの遺体を抱いてこちらに一礼すると、振り返ってこの場から立ち去った。

「アドネ、ライラ。リントもお疲れ様。今聞いたとおりだ。とりあえず危機は去ったと見て大丈夫だろう」

 三人ともケガ一つないようだ。

 ライラとの一騎打ちで敵の攻撃が止んだのは運が良かった。乱戦になったらどうなるか分からなかったな。

「ハジメ、おまえさんとんでもない奴だね。本当に作戦通りにことが運ぶなんて」

「お前達に約束したからな。なんとしても助けるって」

 俺もこんな所で死にたくはないしな。

「それにしてもハジメ、お前さん正気かい?よくもまああんな突進を受け止めるなんて考えるね」

「それに関しちゃ賭けだったけどな。昨晩ライラに襲われた時に、あいつのランスはそう重くないんじゃないかと思ってな」

「それだけであんな無茶をするもんかね……」

 俺はその場に残されたライラのランスを拾い上げる。

 エトリスは鎧ごとライラの遺体を持ち帰ったが、ランスは置き去りにしていったのだ。

「やっぱりな。ほら」

 俺はランスをアドネに向かって放り投げた。

「おっと……、なんだいこれは。やけに軽いね」

「そういう素材なんだろうな。さすがに俺もそんな物は知らんけど、軽いがきちんと強度がある。何か特別なんだろうな」

 俺はアドネの手からランスを受け取る。

「マイア」

「なんじゃ?」

 先程からやけに静かなマイアがぶっきらぼうに反応する。

「これはお前が持つと良い」

「何を言っとる。敵が使っていた物なんて使えるわけなかろう」

 マイアはランスを受け取ろうとしない。

「敵が使っていた物が気に食わないか。戦利品なんだ。勝った側が使うのはなにもおかしいことじゃないぞ?」

「そんなことは知らん。いらんもんはいら……」

「いいから持ってろ」

 俺は半ば無理矢理ランスをマイアに押し付けた。

「あ、いたいた。って、なにこれ?敵は?」

「マイア、ハジメさん。敵はどうしたんですか?」

 何かと思えば、リノとネーヴェが増援と共に戻ってきたらしい。

「逃げていったよ。敵の大将だけを倒したらな」

「じゃあ、作戦は成功したんですか?」

「そういうことだな」

「えー。せっかく戦うために戻ってきたのに……」

 不満げにぼやくネーヴェ。

 勝ったのに文句言われるってなんなんだよ。


第五章 一


 その後、フィエダ族はほとんどが焼けてしまった集落に戻ってきた。

 元々争っていたウルカ族とフィエダ族は、一度の共闘程度でその関係が修復するとも思えなかったが、どうやら再び敵対する気もないらしい。

 フィエダ族は今回の一件で受けたダメージが大きく、集落の再建が急務だった。戦いが終わって三日、俺が多少口を出したこともあり、フィエダ族の集落の再建にウルカ族も少なからず手を貸し、改めて争いあうような雰囲気ではなくなったようだ。

 そもそもフィエダ族がウルカ族を攻めたのは、ライラがアドネに入れ知恵をしたせいだが、その原因がなくなってしまっているし、戦いを続ける意味もないだろう。

 ウルカ族の族長であるミラも、無駄に争うよりは共存の道をとった方が良いと意思表示をしたことが大きかったに違いない。

 これで森の中からは争いが消え去ったようだ。

 俺は元の世界への帰り方が分からず、やることもないのでフィエダ族の修復を手伝っていたが、唐突にマイアから呼び出しを受けた。日が落ちる頃に、フィエダ族の集落から外れた所にある少しひらけた場所に来いとのこと。

 先に用件を聞こうとしたが、何故かマイアは周りの目を気にして用件を言おうとはしなかった。

 まあ、薄々見当は付くが……。


「で、こんな所に呼び出して、一体なんの用だ?」

 マイアは月明かりの下で槍を持って仁王立ちだ。俺が渡したランスではなく、従来の木の柄と石の穂先の。

「率直に聞く。ハジメ、お前わしとの戦いで手加減しとったな?」

「手加減?どうしてまたそんなことを」

「白々しい嘘をつくな。あのライラとかいう外の奴と戦った時の動き、あれはわしと戦った時とは大違いじゃった」

 やっぱりそういう話になるか。あの場を見られたらそう思うよな。

「本物の殺し合いと、棒持った見世物の決闘を同じレベルで考えるなよ。そりゃ俺も本気だったとは言わんが、マイアだって槍じゃなく棒を使ってたし、本気だった訳じゃないだろ」

「なら今度は本気の決闘じゃ」

 半ば予想していた言葉ではあるが、あまり気の進まない話だ。

「今更どうして俺とお前が戦う必要がある?俺もお前もそれなりに強い。それで十分じゃないのか?」

 マイアは額にしわを寄せて思い悩んでいるようだったが、意を決したように言う。

「ハジメ、お前はわしよりも強いじゃろう。真面目に応えろ」

 いつものように適当にはぐらかそうと思ったが、冗談で切り抜けられる状況でもないか。

「強いよ。マイアより俺の方が」

「そうか、なら改めて、わしと戦えハジメ」

「だからなんでそうなる?」

 既にマイアは槍を構えている。腰を落とし、槍を水平に寝かせて穂先を俺に向けていた。

「ハジメ、わしはな、手加減して勝ちを譲られるなんて屈辱以外のなんでもないんじゃ」

「あのな、余所者がいきなりやってきて、その村の一番強い奴を簡単に負かせる訳ないだろ!」

「そんな話はもうどうでもええ。良いから戦え、本気で」

「っ……」

 なるほど。もう後には引けない訳だ。

「分かった、分かったよ。戦えば良いんだろ」

「本気でな」

「本気……ね。良いぜ、本気でやってやるよ。だがな、本気でやるなら、どうなっても知らねーぞ」

 俺は一気に意識の切り替えを始める。

「ふん、まあワシはお前には勝てんかもしれんがな、まあええ勝負にはなるじゃろ」

「ならねーよ」

「なに?」

 俺はマイアの言葉を即座に否定。

「俺が、ニノマエが本気を出すってことがどういうことか教えてやるよ。すぅ……はぁ……。おら、いつでもかかって来い」

 俺は半身もとらずに棒立ちで手招きする。マイアにとっては挑発以外のなんでもない行為だ。

「ふん、それじゃあ教えてもらおうかの。そのなんたらの本気ってもんをっ!」

 マイアは姿勢を低くしたまま突進してくる。基本、石槍なんて物は直線的な動きと点の攻撃しかないのだから、そうするしかない。

 しかし、パターンが少ないからと言って簡単に勝てる訳ではないし、直撃を食らって貫通すれば行動不能は間違いないだろう。場所によっては死に至る。

 殺気のこもった一撃。先のライラの最後の一撃に勝るとも劣らない突きだ。

 俺は身体をねじるように最小の動きでその一撃をかわした。

 最小の動きで槍の点をかわせば反撃もできるが、マイアには槍のしなりを利用した横薙ぎがある。

 だがそんなことは関係ない。

 俺は胴体すれすれを通り過ぎた槍を右手で掴んだ。

「!?」

 武器を掴まれたことで、マイアの顔に驚きの表情が広がる。

 その驚きから立ち直る間も与えず、俺はマイアの腹に左の拳を小さく打ち込んだ。

「ぐっ!」

 打ち抜くのではなく、腹に触れたところで止める。傍から見れば寸止めに見えたかもしれない。。

 しかし、拳を当てられたマイアの身体はその衝撃に少しだけ浮き、そして力をなくして崩れ落ちた。それでも槍だけは手放さない。見上げた根性だ。

「俺の勝ちだな。満足したか?」

 マイアはしゃがみこみ、腹をおさえながら震えている。

「ぐぅぅ、なんじゃ……今のは」

「何ってただ腹を殴っただけだろ」

「そうじゃない、槍を、掴まれた時、ビクともせんかった」

 恐らくさっきのマイアは、槍を掴まれたことよりも、そのことに驚いたのだろう。

「それが俺の強さの秘密だよ。まあこの際だから話してやる……が、おい、出て来い」

 俺はある茂みの一点に向かって声をかけた。

「バレてたかい」

 茂みを掻き分けてアドネが現れる。

「まあ後をつけておいて何も見ずに帰るとは思わんわな」

 アドネは少し目を大きく開いて、すぐに苦笑する。

「そこからかい、参ったね。さっきのはなんだい?その猪女の槍を掴むなんて、私でも、多分あのライラだってできないだろうさ」

 図々しく当然のように話を聞く気らしいが、まあ二つの部族の頭に話すなら公平ってもんか。

「ふむ、何から説明するか……。とりあえず今からすることを見てろ」

 俺は適当に幹の太い木に歩み寄ると、無造作に右拳を幹に打ち込む。

 ばきり、と木の表面が破壊される音が響く。拳を引くと、そこには拳と同程度の面積へこみが生まれている。

「それは、なんの手品だい……」

「手品?俺はただ殴っただけだ」

「ああそうさ。お前さんは軽くその木を殴ったようにしか見えなかった。それでどうやったらそんなふうになる。なにかカラクリがあるんだろう?」

 確かに、格闘技経験者だって軽い突きで木の表面をへこますなんてことはできない。何か仕掛けがあるんじゃないかと疑って当然だ。

「カラクリはない。これは純粋な力だ」

 そう。俺は単純に殴っただけで木の表面を破壊したのだ。

「マイア、俺の名前を全部覚えてるか?」

 ダメージが抜けきっていないマイアに問う。

「……覚えとらん」

 だろうな。

「アドネ、にはフルネームは言ってないか」

「私はハジメ、としか聞かされてないね」

「じゃあ改めて、俺の本名はニノマエハジメという」

「そう言えば、そんなじゃったな」

「変な名前だね」

 こいつらには姓と名を分ける概念がないから一つの単語だと感じるのは当然だろう。

「面倒くさい説明は省くが、名前はハジメだ。ニノマエって言うのはそうだな、一族の名称みたいなもんさ。お前らがウルカ族のマイア、フィエダ族のアドネって言うのと同じだ」

「じゃあニノマエ族っていうのがいて、お前さんみたいなのが他にもいっぱいいるのかい?」

「いっぱいはいないが、まあ何人かいる」

 母親は他界して今では四人家族だが、あまり把握してないけど分家もいる。

「で、その名前と力になんの関係がある」

 マイアは苛立ちを含んだ声で言う。

「このニノマエって一族はな、全員がこういう怪力の持ち主なんだよ」


 一の一族は、その起源を正確には把握されていない。ただ、分かっている限りでは相当古い血筋であることは間違いない。その歴史は百年、二百年では足らないだろう。

 一族の持つ怪力は、その歴史の中で培われたもので、怪力そのものが一族の目的と言っても良い。

 動物が有性生殖を行えば、多かれ少なかれ、親の素質を受け継ぐ。その理に気付いたご先祖様が、その理を積み重ねることで、身体能力の優れた人間を作り出そうと考えた。それが一族の始まりだ。

 身体能力を鍛えるだけ鍛えた男女で子どもを生む。その子どもも鍛えるだけ鍛えて強い異性との間に子どもをもうける。そんな単純なことを繰り返して出来上がったのが一だ。

 技術よりも、その技術を活かす為の土台である肉体を徹底的に強化する。土台、基礎、根幹、そういった礎を培うという意味を込めて、全ての数字の始まりである一という文字で一族を名乗っている。


「でまあ、うちの一族はちょっと特殊だから、こういう馬鹿力を出せる訳よ」

 と説明したところで、クローンによって世代を残しているこいつらには、理解しきれない話だろうな。

「力比べじゃハジメに勝てんつーことは分かった。じゃが、力が強いだけでそこまで戦えるもんか?力だけならわしよりネーヴェの方が強いが、わしはネーヴェには負けんぞ」

 マイアにしては良い質問だな。

「確かに力が強いってだけで何にでも勝てる訳じゃない。だから一族は水紀流という流派を名乗って鍛えている。水の源、つまりこれも始めを意味する言葉だ」

「つまりハジメ、お前さんやその身内は、通常じゃ考えられない力を持っていて、その力を行かす為の技もあるってことかい?」

「まあそうなるな。技と言ってもそこまで大げさな物じゃないけどな」

 水紀流などと大袈裟に言っても、ほとんど空手のようなものだ。

「なるほどね。どおりでこの猪女が簡単にやられる訳だ。それにハジメ、お前さん私と戦った時も手加減してたのかい?」

 あの奇襲の時か。

「いや、まああの時は割りと本気で戦ってたけどな」

「あれが本気だなんて、今の猪女との戦いと全然動きが違ったじゃないか」

「あの時は、夜明け頃にウルカ族を出発して森の外を目指して、そこでライラの部隊を発見してからまた戻って、一日中走りっぱなしだったからな。流石に足が限界だったんだよ」

「なるほど。あの夜ハジメが言ってたことは嘘や冗談じゃなかったんじゃな」

「そりゃ嘘つく理由がないからな。しかし、あそこで敵を見てなきゃ今頃どうなってたことやら……」

 森の手前で野営をしていた以上、俺があそこで奴等を目撃したのは必然と言えば必然だが、少し走る方向がズレていたら、奴等のいない所に出てしまった可能性もある。なんとも怖い話だ。

「ああそれと、今話した俺のことはあまり他の奴に話すなよ」

 この世界で秘密にする必要があるかは分からないが、こういうことは隠しておくに限る。

「なんでさ?別に良いじゃないか。お前さんがこの猪女より強いってことくらい」

「アドネ、ケンカ売っとるんか」

 マイアはしゃがんだままアドネを下から睨みつける。

「俺の元いた世界じゃこのことは極力人に話しちゃいけない秘密なんだよ。今回は特別話したが、マイアとの一件がなければ話すつもりはなかったんだ」

「ああ、そう言えばハジメ、その違う世界から来たって話だけど」

 アドネが唐突に話題を切り替える。

「なんだ?」

「お前さん、井戸とか言う穴から出て来たんだよね。中に水が溜まってるって言う」

「そうだが、何か知ってるのか?」

「そう言えばそんな穴が、黒の祠にあった気がするんだよね。こう、石を積み上げて作られた穴があって、結構な深さなんだけど底の方には水が溜まってるんだ」

 俺はアドネの言葉に態度を急変させる。

「な、本当か!?」

「ああ、それでその、井戸って言うのかい?時々光るんだよ。青白い光が底の方で」

 最後の光のくだりで、俺の頭の中に希望が満ち溢れていく錯覚を覚える。

 帰れる。帰れるのか俺は。

「どどど、どこにあるんだ?それは」

「たしか……風呂に行った道があるだろ。あそこを祠から少し行った所を左に曲がって行くと」

 よし行こう、すぐ行こう。今すぐ走り出そうと思ったが、二人に一つだけ大事なことを話し忘れていた。

「お前達、ライラが言っていたインジャっての覚えてるか?」

 急に俺が話題を変えた為、二人の顔がきょとんとした。

「ああ、なんか昔にいなくなったって連中の話だっけ?」

「お前の仲間なんじゃろハジメ」

 よし覚えてる。

「そのインジャってのはな、お前達にとって必要な存在だ。なんとかして見つけ出せ」

「はあ、なんでだい?」

「お前達は今、黒の祠に頼って子どもを残してるだろ。それはな、厳密にはあまり良くない方法なんだ。本当なら一人の親が二人三人子どもを産むことができるし、その方が長いこと生きられるようになる。多分。だからな、なんとしてでも見つけ出せ」

「インジャを見つけたとして、どうやってそれと子どもを作るんだい?」

「それはあれだ、そいつらと一緒にいればそのうち分かる!と言うことだ。じゃあ元気でな!」

 言うだけ言って、俺は二人を置き去りにして走り出す。

「あ、ちょっと、ハジメ!」

 乱暴な説明だったが、まあ別に良いだろ。俺がこの世界を救わなきゃいけないなんて義務はないし、助かる方法はきちんと教えた訳だし。

 隠者とか言われてる男達を見つけ出して子作りの手ほどきまでするか?俺自身そんな経験無いのに。無理無理。

 俺は確実に元の世界に帰れるという保証は無いことを意図的に意識から追いやり、アドネが言っていたと思われる方向へひた走る。

 こんな女だらけの世界になんていつまでもいられるか。ストレスでおかしくなるわ!

 茂みを掻き分け進むと、黒の祠に出た。

「よし、あの時風呂へはこっちの方へ行ったから……」

 記憶をたどって道を思いだし進む。そして適当な所で左曲がる。

 正確な場所を聞いておけば良かったとも思うが、まあなんとかなるだろう。

 夜の森の中を目を凝らして走り回る。興奮からか何度もつまづき転びかけるが、今は気にしない。

「お」

 立ち並ぶ木々の向こうに、かすかに青白い光を見つける。

「あれか」

 俺はまっすぐその光を見据えて突き進む。かすかに見えていた光は、徐々にハッキリとその大きさを増していく。

 さらに進むと、その光が井戸から溢れているのが分かる。

「間違いない、あの時と同じだ!」

 俺は井戸の傍らまで来ると、その内側を覗き込む。

 夜闇に慣れていた目が、底から溢れ出る光に眩むが、そんなことは気にしない。

 俺は井戸の中に飛び込んだ。

 落下する程光が強くなっていく。落ちる感覚に若干恐怖もするが、元の世界に返れるかと思うと我慢もできるというものだ。

 そして俺の耳に、大きな物体がおもいきり水面にぶつかり沈む音が響く。

 思い切り水中に沈みこみ、息ができないことに驚愕する。自身の口から空気が漏れる音が、鈍く耳に響いてくる。

(水?来る時は息ができたはずだよな!?)

 この世界に来た時の感覚を完全に覚えている訳ではないが、何かが違う。

 落下する力が水の抵抗によって消され、俺の身体は浮力によって上昇する。そして自分は、元の世界に返れる道ではなく、ただただ水の中に落ちたのだと理解した。

「ぶはぁっ!」

 水面から顔を出し、水を吐き出して空気を吸い込む。

「はあ、はあ」

 想定外に水中に飛び込んでしまった混乱から徐々に回復し、目も水中から放たれている光に慣れてくる。

 まだ眩しいながらも視線を下に向けると、光に慣れた目がその光源を確認する。

「LED?」

 鋭く強いその光は、正確にはなんなのか分からないが、見た感じではLEDライトの光と同質に見えた。

「そうか、つまりあれか、祠の施設の一部っつーことか……くっそ!」

 誰が俺を騙した訳でもないが、まるで詐欺にでもあったような気分だ。

 俺は内壁に手を伸ばすが、苔か何かでぬめって掴めそうにない。

「これ、登れなくね?」

 上を見上げると、結構な高さだ。よく途中で周りにぶつからずにケガもしなかったと思う。

「あー、いたいた。やっぱりいたよ」

「なんじゃ、まだおるんか」

 上に見える丸い淵から、二つの頭がひょこりと現れた。マイアとアドネだ。

「おお、ちょうど良かった。壁が滑って登れそうにないんだ。縄かなんか降ろしてくれないか?」

 俺の言葉を聞いた二人は、少しばかり見詰め合った後、仲の悪い二人にしては不自然な笑顔をこちらに向ける。

 嫌な予感がする。

「言いたいことだけ言ってさっさと自分の世界とやらに帰ろうとしたのは誰だったかね」

「まあそうまでして帰りたいんじゃ。この光る井戸とやらに入っとれば、そのうち帰れるじゃろ」

(最悪だ……)

「さて、あまり夜更かしするのも嫌だし、そろそろ帰って寝るとするかね」

「おい」

「そうじゃな。わしも疲れた。今日はもう帰って寝るとするか」

「ちょっ」

 二人の頭が消え、井戸の淵は円の形に戻った。

「ちょ、ちょっと待っ……」

 何このオチ、いくらなんでもあんまりじゃないか……。

 俺は覚悟を決めて叫んだ。

「誰か助けてくれー!」


 こうして女だらけの世界に落ちてきた俺の最初の戦いは終わった。

 あの井戸の中で聞いた声に従うのならば、隠者と呼ばれているこの世界の男達を見つけ出して、本来の男女の営みによって子孫を残す人間の在り方をこの世界に蘇らせることが、俺が元の世界に帰る条件のようだ。

 仮に実現できたとして、それで帰れるかは分からんけど。

 女だらけの世界に男が一人放り込まれるなんて、ありがちな漫画のような話だが、どうしてよりによってその男が、大の女嫌いの俺なのやら。

 まあ帰る為にやらなければならないことがあるなら、さっさとそれを終わらせて帰るだけだ。

 そう決意して、まずはどうやってこの井戸から出ようかと考え、俺は井戸の中から空を見上げるのであった。


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