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ヒロイック・プリンセス  作者: 木端妖精
一章 妖精のお姫さま
7/31

第七話 そうだ、家出しよう

本日二回目の更新です。

今回で第一章は終了です。次回から第二章を連載していきます。


「何を考えているの!」


 バシン、と机を叩いて怒りを露わにしたのは、レイラの母、エカテリナだ。少し神経質な顔立ち。濃い紫の髪をシニヨンにしている。着飾った服も同系色。涼し気な目元はレイラとよく似ている。


「しかし、こればかりはどうにも……な?」


 カンカンになった妻に困った顔をしているのは、レイラの父、ディザスター男爵だ。元冒険者で、かつての功績により爵位を与えられ、権力に溺れた男。今はもう昔のような好青年染みた雰囲気はなく、そこら辺の貴族の仲間入りを果たしている。もっぱら一代で終わってしまう自分の栄光を永く続けるために色々と画策していて、最近はレイラを王族に嫁がせる事で位が上がらないかと期待している。


「どうにも、ではありません! ああ、かわいいペトゥラが……まさか」


 再度机を叩いたエカテリナは、その手をもう片方で包んで胸に当てると、嘆くように天井を見上げた。


「ボットン侯爵に目を付けられてしまっては、もはやペトゥラを差し出すしかあるまい」

「うう、あなた、どうにかならないのですか? あの子はまだまだ若いのです」

「私もそう言おうと思ったが、実際はあの子ももうそろ15……成人間近である事と、だというのに誰とも婚姻していない事をつつかれてしまったのだ」


 普通、貴族の子女は6~7歳の頃にはもうどこかと縁を結んでいるものだ。一番目の子ならなおの事。

 だがペトゥラは14歳の今でも婚姻のこの字の影も見えない。

 それはひとえに、ディザスター家が貧乏だからだ。

 国の端っこの、特に特産物も資源もない一代限りの貧乏貴族……陰口を叩かれる事はあっても、笑顔で縁談を、婚姻を、などというもの好きはそうはいない。

 精々が、冒険者時代の営業力を発揮して近隣の領主と仲良くなるのが限度であった。

 そして、貴族としてのプライドは無駄にでかいディザスターは、自分と同じくらいの位の者にペトゥラを渡すつもりはなかった。嫁がせるならもっと上、と叶わぬ夢を抱いていた。


「逆に考えてみようではないか。侯爵の妾になれば、あの子は、引いては我が領も安泰……」


 そこへ颯爽と現れたボットン侯爵。

 言うまでもなく位は天と地程離れていて、しかも向こうからの誘いであった。

 夜会にて初めて恋を知ったペトゥラが余程魅力的に映ったらしい。すぐにでも、という話だった。


「何を冗談を! 何人目の愛人になる事があの子の幸せになるとでも!」


 ……そうなのだ。

 上から数えた方が早い程の貴族と縁談、本来ならば喜んで飛びつくところをこうして躊躇したりしているのは、そういう話であったからだった。

 正妻ではないどころか二番目ですらなく、数多いる女達の一人になれ、と言われて愛娘を差し出すほどディザスターは愚かではなかった。見返りだってほとんどないだろう。だが逆らう事などできはしない。


 求められたのがレイラでなかっただけマシ、となんとか飲み込もうとしているディザスターと違って、エカテリナは全く納得できないらしい。

 元々庶民の出で、その上で正妻の座を手に入れた彼女には貴族の世界などあまり理解できないのだろう。特に婚姻周りの理不尽は納得できない事ばかり。恋愛結婚至上主義。


「なんとしてでもペトゥラを渡さないようにするのです!」

「いや、でも、その」

「他の適当な誰かでも差し上げれば満足いただけるのではありませんか!?」

「そういう訳にはいかんだろう……」


 とはいえ、その矛先が自分の娘に向かったなら話は別だ。理不尽でもなんでもいいからそこら辺のてきとうな娘でも見繕って献上して、なんとしてでも回避するのだと息巻く。

 それがどれほど相手を貶す行為なのかもわからず捲し立てる妻に苦い顔をしていたディザスターは、しかし、ひょっとすると良案かもしれないと思った。


 ボットン侯爵に囲われている女達には平民も多い。好みであれば身分は問わないのだろう。

 その好みとは、傾向からして顔も体も細くて、胸が少し出ている、若そうに見える女……。ついでに目つきがきつく、ああそうだ、体のどこかしらにほくろがあったのではなかったか? 自慢げに紹介された者達は、使用人に至るまでわかりやすい位置にいくつか黒い点がくっついていた。


 ……まさにペトゥラそのものではないか! ディザスターは弱ってしまった。そう都合よく侯爵の好みに合致する女を用意なんてできない。今のところ、目の前の妻や娘ぐらいしか該当しない。ヘカテリナもペトゥラも首筋にほくろがあるのだ。


 ディザスターとヘカテリナは頭をつき合わせて話し合った。

 どこかにいないか、誰か該当しないか。


「あの子はどうです? レイラ付きのメイドの」

「……姉の方は……たしかに、特徴に合うが……だいぶん前に嫁に出してしまった」

「知ってます。ですから妹の方です」

「ううむ、しかしあの子ではまったく特徴に引っかからないぞ」


 話題に上ったリリは、姉のように細い顔ではなく丸顔で、きつい眼差しではなく丸っこい目をしていて、ほくろだってあるかどうかわからない。こんなのを差し出したら何を言われるかわかったものではない。


「きっと姉のように成長すると言えば貰ってくれるはずです」

「そのような事を言えば、不興を買ってしまうかもしれん」

「そこをなんとか、あなたの口でどうにかするのです!」

「無茶を言ってくれるな! だが、ううむ。そうでもしなければペトゥラを差し出すほかなくなってしまう……」


 ああでもないこうでもない。

 話は長く続き、そうして、ようやく終わりを迎えた。結局は将来有望としてリリを差し出す事に落ち着いた。


「わかった。なんとかしてみよう。だが一応ペトゥラにも話を」

「なりません! これは最初からペトゥラ以外にきた話。そういう事にしようと決めたではありませんか」

「……わかった。では……おい」

「はっ」


 ディザスターが声をかければ、扉を背に立っていた騎士風の老いた男が、すぐに寄って行った。


「レイラの部屋に行って、付きのメイドを連れてくるのだ」

「了解いたしました」

「ああいや、待て。その前に食事にする」

「……では、後で連れてくるよう手配いたしましょう」

「うむ」


 騎士に命じてリリを連れてこさせようとしたディザスターは、長い事頭を悩ませていたために腹が鳴ってしまい、エカテリナと顔を見合わせて、ひとまず腹の虫を宥める事にした。

 まさかリリに事の成り行きを話し、身代わりとなるよう命じている時に腹を鳴かせる訳にはいくまい。主としての体面が保てなくなってしまう。


 ディザスターは、妻と、お付きの騎士と、二人の使用人を連れて食堂へ向かった。

 その際、珍しくレイラが出歩いているのを見たが、後ろ姿だった事と、もう角を曲がろうとしていたところだったので、放っておくことにした。


 ディザスターは気付かなかった。あまりにもレイラが普通に歩いていったために、先ほどまで扉の前で聞き耳を立てられていた事、そして話を聞いたレイラが家出を決意した事など、思いつきもしなかったのだ。もしこの時声をかけていれば、あるいはレイラを手元に留めておく事ができた……かもしれない。





「あ、レイラさま」


 レイラが部屋に戻ると、部屋の中央でへたり込んでいたリリがふらふらと立ち上がった。

 おかっぱ頭が汗に濡れ、毛先が肌に張り付いている。だいぶん張り切って精霊術の練習をしていたらしい。気のせいか部屋の匂いが変わっている気がして、レイラはすんと鼻を動かした。幼い女の子の汗をたっぷり含んだ湿った空気が、ふわりと流動した。ふっ、と僅かに息を吐いたレイラは、いつもと同じ表情を浮かべたままリリへと目を向けた。


「リリ」

「なんでしょう、レイラさま」


 使用人としての心構えか、先ほどの力なく座っていた姿からは想像できないほどしっかりと背筋を伸ばし、スカートの上へ両手を重ねたリリが聞き返すと、「旅に出ようと思うのだけど、ついてくる?」と問わるのに固まってしまった。

 話が唐突すぎる。いったいどういう事だろう。旅に出るなんて言っても、領主さまがお許しになるはずないだろうし。


「かしこまりました。どこまでもお供いたします」


 そうは思っても、リリはレイラの遊び相手兼世話役だ。レイラがどこかへ行くというのならついていくまで。たとえそれが無許可の家出、出奔であっても、リリの答えは変わらない。優先順位は常にレイラが第一なのだ。髪を梳けと言われたら喜んで櫛を手に取るし、着替えを用意しろと言われれば大喜びでお召し替えをするし、服を脱げと言われればやんわりと抗議するだろう。忠誠心といえるべき心は、既に持ち合わせていた。


「そう。では行くわ」

「は……あ、え? レイラさま……?」


 くるりと背を向けて扉に手をかけたレイラに、さすがにリリは呆けた声を出した。

 行くわとは、ひょっとして今すぐ旅に出るという事だろうか。いやいや、いくらなんでもそうではないだろう。きっと夕餉をお取りになる気なのだ。今まで同席した事はないけど、ついてこいというなら行くまで。きっと何か特別な意味が――。


「支度の時間は必要?」

「え、ええっ! ほんとに今すぐ行くんですか!?」


 行き先は食堂である、と、そう納得したというのにレイラが今すぐ家を出るつもりだと知って今度こそリリは声を上げた。口元に当てた手をそろそろと下ろし、動揺を抑える。この少女の前ではしたない行動は慎むべきである――たとえレイラが上下関係に厳しくなく、大抵の粗相を気にしない人間であっても、彼女には周りを律する凛とした雰囲気があった――。


「も、もちろんでございます。お着換えの用意や方々へのご挨拶、足の手配など様々ありますから、その、半日ほどお時間を頂かなければ」

「いいえ、時間が無いの。一時間も経てば貴女は嫁ぐ事になるのだから」

「……とつぐ、ですか? あの、レイラさま。リリは何がなんだか……」


 当然ながら、レイラが聞いた話をリリは知らない。

 だから旅に出ると言われてもそれは遊びに行って戻ってくるような事だと思ったし、自分が嫁ぐと言われてもすぐには理解できなかった。


 ふむ、と腕を組んだレイラは、このままでは動きが遅くなってしまうとして、一からリリに説明した。

 初めからそうすれば良い話なのだが、レイラは面倒を嫌う。ものぐさともいう。無口だと思われているのは、まあ、そういうアレであるからだ。二週目気分の人生では、喋る事話す事などさえ面倒になったのかもしれない。この感覚はきっと同じ境遇の者にしかわからないだろう。そういった理由は全てレイラの胸の内にあるからして、レイラの言動は人の心を惑わせる。


「私が、侯爵様に……」

「それが良いと言うのなら止めないけれど」

「……レイラさまは、どうお思いですか?」


 いつも通りの表情で告げられた「どちらでもいいのだけど」ともとれるレイラの言葉に、リリは少し悲しくなって、問い返した。

 幼い頃からずっと付き合ってきたけれど、彼女にとっては自分もそこら辺に転がっている石の一つというような認識だったのだろうか。リリにとってのレイラは人生の大半を占める大きな要素だけど、レイラにとってのリリはそうではないのだろうか、と。


「私は嫌よ。私のものを取られるのは」

「……レイラさま」


 同じ表情ではあるが、予想とは違う言葉。

 少々尊大で、しかも物扱い。それでもリリは嬉しくなった。

 どうやら彼女の胸にも自分の居場所はあるみたい。それがとても幸せで、リリはそっと微笑んだ。


「で、ちょうど良いからそろそろ家を出ようと思ったのよ」

「ちょうど良い、ですか?」

「有名になるには、ここにいては始まらないもの。もう少し後でもいいかと思ったけど、ままならないわね」


 本当なら、安全なここで技術や何かを学んでから外の世界へ飛び出そうと思っていたレイラだったが、大事な会話相手を取り上げようと言うなら話は別だ。日常生活の花がなくなったらますます毎日がつまらなくなってしまう。ならさっさと彼女を連れて、一足早く家出しよう。二人きりなら人の目を気にする事もなくなるし、閨を共にしたりだとか冒険してみよう。


「もう有名だと思うのですが」

「まだ足りないの。勝手に私の本が書かれるレベルとか、吟遊詩人が詠うレベルとか」

「達していると思いますが……」

「……妖精を妻として迎えても文句がこないレベル」

「ああ! あの話ですか!」


 夜会や何かでレイラの話題性は十分だ。本人からの話だけでもそれはよくわかって、だからリリにはレイラの基準がいまいち掴めなかったのだが、ようやくはっきり告げてくれたので理解した。

 それから、妖精を嫁に、というのは冗談でもなんでもなかったのか、と二度ほど頷いた。レイラは何を言うにしても同じ顔で言うので、その内心を推し量るのはとても難しいのだ。タチの悪い事に、こんなに美しい顔をして全く冗談を言わないという事もないので、間違えて認識すると気まずい雰囲気になってしまうのだ。……リリの方が、一方的に委縮するだけの話だが。


「では必要最低限、急いでご用意いたします。レイラさまは休んでいてくださいね」

「ええ、わかったわ」


 一礼したリリがさっそく行動を開始するのに返事をして、レイラはその場での仁王立ちを維持した。ベッドに座ったりだとかして休む気はないらしい。


 一度部屋の外に出て小さな袋をどこからか調達してきたリリは、畳んだ毛布や雨除けの布、生活のための雑貨、替えの服、金目の物を詰め込むと、よいしょ、と斜めに肩がけした。膨らんだポーチのような入れ物は、どう見ても多くの物が入っているようには見えない。


「準備完了です。さ、出発しましょう!」


 まるで語り事の最初の一ページみたいですね!

 笑顔でそう言うリリに、無理をして荷物を持っている様子はない。

 あれほど物を詰め込んでいたのに、とレイラが見ていれば、視線に気づいたリリは、少し躊躇するような素振りを見せてから、小声で教えてくれた。


「蔵にあった物を、その、勝手に持って来たのです。……領主さまの昔の持ち物だと思うんですけど、ひっくり返したら驚くほどたくさん物が出てきたので、これならいっぱい入れられるなって思って」


 それはいわゆる魔法の鞄なのだろう。見た目以上の容量で、軽量化のかかった便利な道具。

 リリは、言葉通りそれを勝手に持ち出してきてしまったらしい。


「そう」

「あ、あの……私、やっぱりこれ戻してきますっ」


 レイラの冷めた瞳に見つめられて汗を浮かべたリリは、大きくなっていた気が萎んでしまったのだろう、慌てて荷物を下ろして手にぶら下げると、部屋を出ていこうとした。

 その前にレイラが体を滑り込ませて行く手を遮る。


「その必要はないわ。私が許す」

「……はい」


 当たり前のように容認されて、リリはほっと息を吐いた。だけどすぐに気を引き締める。

 レイラと一緒に旅に出るのはまるで物語の始まりのようで、準備の間とても浮かれてしまっていたが、よく考えなくとも盗人のような行為、もしかすれば軽蔑されていたかもしれない事だった。いくら浮かれていても、やって良い事と悪い事の区別はしっかりつけなくてはならない。

 自分を戒めたリリは、ついでにもう一つ決意をした。

 レイラさまは私がしっかり見ててあげなくちゃ、と。


 ……これまたよく考えなくとも、もし自分が提案しなければ着の身着のまま外に飛び出していただろうレイラは、世間知らずと言う訳ではないけれど、ズレているのは確かだ。一応の常識を備えたリリがカバーしてやらなければ旅路は困難を極めるかもしれない。想像してみると、一日でも二日でもしかめっ面みたいな表情でずんずん道を行くレイラの姿が思い浮かぶが、いやいや、彼女だって人間だ。一人じゃとても旅なんてできないはず……。


「レイラさま、どこから外へ出るんですか?」

「裏門からよ」

「……行き先は決まっておいでですか?」

「向こう」


 鞄をかけ直したリリは、ふと気になって問いかけた。家を出ると言っても当てはあるのだろうか。

 答えは、もちろん「ない」だ。

 夜会で特定の誰かと懇意になって、予め逃げ込む先を作っていたりはしないし、そもそもレイラは特に行き先も決めていなかったようだ。あるのは漠然とした予定とはっきりとした目的だけ。


 それは、まあ、レイラが行く道は全て正しいのだろうけど、リリは不安にならずにはいられなかった。

 向こう、と左斜め向こうを指さすレイラに加速度的にその気持ちを膨らませたリリは、タイムリミットである一時間までもう少しの猶予があるのを確認してから、レイラと話し合う事にした。


 脱出の方法。行程。行き先。その後の身の振り方。それぞれの設定。

 一通りそれを決めた二人は、ようやっと部屋を出た。

 当然廊下を歩いていれば使用人の誰かとすれ違う。誰もがみなレイラに道を譲り、しかし頭を下げる前に、なぜか誇らしげに胸を張って歩く小さなメイドを不思議そうに見る。

 二人が連れ立って出歩くのは大変珍しい。レイラがいる手前、その場での余計な詮索はないだろうが、必ずディザスターに報告がいくだろう。そうなれば脱走がばれるのは時間の問題で、大事なレイラを連れ戻すための追手が出るのはすぐだ。


 それをわかっていて、レイラの歩みは普段通りだった。表情に焦りはなく、ただ廊下を歩いているだけにしか見えない。

 あからさまな脱走ではないから、ほとんど誰もレイラには気を留めなかった。

 しかしそれは裏門まで。

 普段通りのペースで歩くレイラより早く、そこに待機する騎士にはすでに連絡が行っていたのだろう。裏門脇の小屋から歩み出てきた若い騎士が、槍を片手に門を塞いだ。


「おおっとこっちに来ちまったか……。ご機嫌麗しゅうお嬢様。ここは通行止めでございます」


 短い顎髭で若さを隠す、背の高い青年は、からかうように気楽な声でレイラ達を呼び止めた。

 立ち塞がる騎士にリリが眉を寄せる。怯えや何かからくるものではなく、不快そうな表情。


「不敬な! レイラさまの行く手を遮るとは!」

「おお?」


 一歩前に出たリリがキッと騎士を睨みつけて声を上げれば、青年は目を丸くした。小さなメイドに鋭い声を飛ばされるとは夢にも思っていなかったようだ。

 これは、リリにとってのデモンストレーション。これから二人で旅に出るのだ。主従二人旅。家を捨てたレイラの上には誰もおらず、故にリリの最大の主はレイラになる。


 それから、このようにあたかもレイラを貴婦人として扱う事で身分を誤解させたり、手出しをしにくくさせたりする効果を狙っている。

 それらの事を見知らぬ街でいきなりできるか不安だったので、いるとわかっている追っ手――今回は門番の騎士だったが――に対して練習をしたのだ。


「ふぅむ、しかし俺は旦那様に言いつけられているんだ。お嬢様をお部屋に連れ戻すようにってな」

「レイラさまは外へ行くのです。そこをどきなさい」


 槍を肩に担ぎ、顎に指を当てて息を吐く騎士。リリのきつめの口調に小さく笑うと、首を振った。子供のごっこ遊びとしか受け取られなかったようだ。


「どかない、と言ったら?」

「押し通る」


 今度はレイラが前に出た。

 次はレイラのデモンストレーションだ。剣術を習う暇はなかったから、この場で習得する腹積もり。

 剣の道を志す者がその内心を聞けば怒る事間違いなしだが、レイラは本気だった。本気で、まともに振った事もない剣を自分の手足同然にしようと考えていた。


「オイオイお嬢様……正気か?」

「ええ」


 自信満々に頷くレイラだが、もちろん彼女は記憶の中の男を勘定にいれても、戦った事など一度もない。剣道とか柔道とかは授業でやった程度。それが本場の騎士に通用するかはわからないし、そもそも記憶からサルベージした剣道などの技を使おうとすれば、体格の違いや武器の取り回しの違いに戸惑って無様な事になってしまうだろう。


「冗談キツいですぜ、お嬢様。魔法も制御できないようなあなたが外に出れば、たちまち悪意に食われておしまいだ。それでも出ていくって言うんなら、まあ、邪魔させてもらいますが」

「そうね」

「お嬢様、大人しく……いや。本気で、俺に勝てるとお思いで?」


 レイラは、目の前の騎士を眺めた。

 騎士、なんて言っても、王城勤めの者とは比べ物にならない。装備は皮の鎧だけだし、槍だって使い古しのお下がりだ。やる気もあまり感じられない。

 だが病弱だった9歳の少女と8歳のメイドを叩いて転がすくらい訳ないだろう。


「無理ね。……勝てないわ」


 互いの戦力をおさらいしてそう呟けば、騎士はにやりと口の端を上げた。

 そうだろう。わかってんなら回れ右だ。そう告げようと開いた口が言葉を紡ぐ前に、レイラはこう続けた。


「お前では。私には」

「……そりゃ、どういう」


 騎士の言葉を無視して顔の高さに手を上げたレイラは、一息に横へと振り抜いた。手の軌跡を追うように炎が走り、空気を燃やす。その時にはもう、指輪から変じた大剣がレイラの右手に収まっていた。


「なんっ……!? なんじゃそりゃあ!?」


 動揺する騎士の前で剣を高く掲げたレイラは、それを一息に振り下ろした。

 大きな剣といえどまだ互いの間合いには入っていない。敵に当たることなく空ぶった剣は、ズドンと地面にぶつかった。


「っ!?」

「ひゃあっ」


 途端、一度大きく地面が揺れる。まるでドラゴンがその巨体で足踏みしたかのような現象に、騎士は容易く膝をついてしまった。巻き添えでリリも体勢を崩してしまったようだが、気にする必要はない。


 妖精霊剣ジュラティオ。大幅の片手剣に見えて、その実重量は数十トンはくだらない。何かにぶつければ当然レイラの手にも反動があって痺れたが、彼女は顔色一つ変えなかったし、剣を滑り落してしまう事もなかった。


 横にしていた剣が持ち上げられれば、ぱらぱらと土が落ちる。

 くるんと手の内で回転させた柄を両手で持ったレイラは、刃先を地面に向けてざっくりと突き刺した。剣先が埋まり、手を離しても微動だにしないほど固定された状態になる。

 両足を揃えて小さく飛ぶんだレイラは剣の柄に飛び乗ると、即座に前方へ大きく高く跳躍した。ぐんと伸びる桃色とたなびく黄金。黄昏に踊る妖精の如き姿。


 口を半開きにした騎士が空を舞うレイラを目で追う。

 ひょっとすれば、華麗に身を捻って飛び蹴りの体勢に入った少女に槍を突き出して防御するくらいはできたかもしれない。だが騎士は、あたかも神話を目撃した矮小な人間のように固まってしまっていた。棒立ちの人間ならば攻撃を当てる事は容易い。


 ボウ! 空気が燃える。レイラの右足に炎が纏わったのだ。橙色が辺りを強く照らし出す。それは主を傷つける事なく燃え盛り、レイラを紅蓮の矢に仕立て上げた。


「ごあ!」


 立ち上がろうとした中途半端な体勢で燃えるキックを胸に受けた騎士は、背中を強かに地面に打ち付けるだけでは止まれず跳ねるように回転しながら吹き飛んで、鉄製の門に激突した。軋みを上げ、小さな門がひしゃげて外れる。もうそろ薄暗闇に包まれ始めた道へと倒れ伏した騎士を前に、レイラはスタッと下り立った。瞳を赤色が舐めるようにしてよぎる。その間も、彼女は常と変わらない退屈そうな顔をしていて……不意に、ほんの僅かだけ表情が和らいだ。


 自分の手に視線を落とし、確かめるように数度開閉するレイラ。足に纏わっていた炎は消えたが、体の中には未だ熱が残っているような気がした。それが体を突き動かそうとする。これは、知っている。情熱というやつだ。


「お見事です、レイラさま」

「……」


 称賛の声を上げながら寄って来たリリが、刺さっていた剣を主の代わりに引き抜く。

 ――いや、引き抜こうと柄を掴んだは良いものの、どんなに力を込めて引っ張っても地面から抜く事はできなかった。

 そのうちに、自分が思った通りに体を動かせると知ったレイラが戻ってきたので、リリは素早く離れて気を付けをした。


「わ」


 片手で剣を引き抜くレイラに、何ともつかない息を吐くリリ。重い物を力む様子すらなく持つレイラは異様というよりは崇高で、綺麗だった。


 その翡翠の瞳に見据えられて、リリははっと息を飲んだ。見惚れている場合ではない。障害は排除したのだから、すぐにでも次の段階に移らなければ。ここに留まっていれば次から次へ人が押し寄せるだろう。レイラという宝を逃す訳にはいかないのだから。


「では……」


 片手を口元にやったリリは、指をくわえてピュゥイと音を鳴らした。建物の向こうまで届いた指笛に反応して、やがて一頭の馬が走り寄ってくる。かなり若く体の小さな馬は、ディザスターがオハラに与えようと飼育していたものだ。

 脱出の際に用いるために、裏門に来る前に厩舎(きょうしゃ)に寄ったリリが予め馬具を装着させていた。といっても、リリはそのやり方を知らなかったために馬の世話をしていた男にすべてやってもらったのだが。その一度で覚えなければ今後の旅に支障が出るので、リリは頭を湯だたせる思いで必死に手順を覚えた。

 馬の呼び寄せ方もその場で教えてもらったくらいで、実のところこれはぶっつけ本番なのであった。


 そういった必要最低限の用意で出が遅れたために行く手を遮られたレイラ達だが、それは難なく撃破できた。騎士の練度が高くなかったのも一因だろう。……年端も行かない少女に蹴り飛ばされてノビてしまうという醜態、その後彼がどうなってしまうか……などに、レイラは興味を示さない。負けるのが悪いのだ。


「さ、レイラさま。お手を」


 物怖じせず馬に乗ったリリは、何度か座り直し、片手に手綱を握るとレイラを呼んだ。

 頷いたレイラは、しかしくるりと背を向けた。


「レイラさま……?」


 まっすぐ門の方へ向かっていく彼女に、まさか徒歩で!? と戦慄していたリリだったが、レイラが剣を振って門に深い切り傷を付けるのを見て首を傾げる羽目になった。


「これまで育ててくれた事への礼よ。末代までお金に困らなくなるでしょうね」


 断定口調で語られても、リリには何がなんだかわからない。門に傷をつけると領主さま方がずっとお金に困らなくなる? ……よくわからなかったので、自分には及びもつかないような凄い事をなさったのだろうと思考を片付ける。


 レイラは剣を指輪に戻してから馬の後部に跨った。その際長く膨らんだスカートが少々捲れ上がってしまったが、これは仕方のない事だ。無視しよう。僅かに覗いたふくらはぎは白地の布に包まれているが、余計に目を引くような塩梅になっていたりしても無視。そもそもレイラはそこら辺を気にしないタイプの人間なのだ。自意識の形成に男の感性が混ざってしまったのが原因だろうか。ただ、恥じらいが無いという訳ではない。


「はいやあっ」


 少し勢いのない掛け声と共に柔く馬の腹を蹴ったリリに、子馬は遅れて反応して走り出した。かなり頭の良い個体らしい。乗り手の意思を組んで走り出し、手綱を引かれるのに合わせて大きく跳ねる。あるいはそれは、乗っている子供の内の一人は自分が怠ければすぐにでも馬刺しにしてしまいそうな怖い気配を持っていたからかもしれない。


 壊れた門の前に残骸と共に転がっていた騎士を飛び越えた馬は、軽快な蹄の音とともにぐんぐんとスピードを上げ始めた。左右に続く森がより暗い影を落とす。流れゆく景色に、しかしリリは手綱を握る事と投げ出されない事に必死で楽しむような余裕はないようだ。(あぶみ)に乗せた足がぶらんぶらんと不安定に揺れている。それから、早くも呼吸が乱れ始めていた。


 一方レイラは涼し気な顔だ。風にふわりと広がる癖っ毛をなびかせて、上下に揺れる体を上手く安定させている。足をかける場所もなく、体を固定している訳でもないのに上手いものだ。バランス感覚が相当優れているのだろう。余裕があるからか、焦っているリリを見て楽しんでさえいるようであった。




 少しの間走っていると、後方から別の走行音が響いてくる。数は一つ。追っ手だ。


「止まれ!」


 強い口調で呼びかけてくるのは、レイラの兄、オハラだった。くすんだ金髪に切れ長の目。悪くない顔立ちを、今は焦りを含んだ怒りに歪ませている。


「止まれと言っているだろう、レイラ! どこへ行く!」


 パシィン、と鞭の音が響く。レイラが振り向いてみれば、黒く短い鞭を片手に睨みつけてくる男が一人。操る馬は大型だが老いていて、かつて父が旅を共にしていた愛馬らしい事がわかった。

 父や騎士ではなく兄が追っ手となったのは如何なる理由からか。どちらにせよこれを振り切らなければレイラは自由にはなれないだろう。


 どんどん近づいてくる老馬に、しかしレイラはふっと笑みを零した。その不敵な笑みがよほど意外だったのだろう、呆気にとられた顔をしたオハラはスピードを緩め、すぐに前傾姿勢になって追い縋って来た。


「何に影響されたか知らんが、愚かだぞレイラ! 家を出るなんて許されない!」

「それは私の勝手よ」

「! ……か、勝手だと? 何を言う。お前には役割があるのだ!」


 返事をされるとは思っていなかったのか、つっかえながらも声を上げるオハラ。


「お前は王子に見初められたのだぞ!? 縁談が進めばお前は王妃だ! それの何が不満なんだ!?」

「全てよ、お兄様」

「理解できない。いいから戻るんだレイラ! 我がディザスター家にはお前が必要なのだ!」


 オハラは、必死だった。

 このままレイラを逃がせば王子との縁は繋がれぬまま終わってしまう。

 そうするとどうだ。ディザスター家に繁栄の目はあるのか。

 なんのために一代限りの家の長男が後を継ぐための教育を施されてきたと思っているのだ。

 父は他にも手があるというような体を装っているが、レイラ以外に栄光への道がないのはわかりきっている!


「なぜ家を出る! 栄光を捨てる!」

「そうしたいと思ったからよ」


 縋るように、噛みしめた歯の合間から声を吐き出すオハラに、レイラは静かに答えた。

 風に乗って届く言葉は、やはり理解はされないだろう。

 そこに込められた想いなどは伝わるはずもない。


 レイラは、後悔などしたくなかった。

 やりたい事をやれないまま終わる人生など二度とごめんだと、そう思っているのだ。

 自分の事ではない、記憶の向こう側にいる別の自分の人生がレイラの人生観に大きな影響を及ぼしている。

 やりたい事、なしたい事はたくさんあったのに、若くして命を落とした、あの夢の中で出会った黒い衣の青年。

 あれはきっと、ディザスター家にいたままのレイラの未来なのだろう。

 自由意志も決定権もない未来。やってみたいという気持ちは持てず、きっと世界は色褪せたまま。


 それではつまらない。面白くない。

 だから家出を決意した。

 とにかく始めなければ後悔する。だから無理矢理にでもスタートさせた。

 理由はそれで全て、と言う訳でもないが――もっぱらあの妖精のお姫様を娶るための手段――そこまでを語る必要はないだろう。


「止まれレイラ!」

「レディへの声の掛け方も知らないのね」

「……! 風よ!」


 単なる軽口に目を見張ったオハラは、腕を突き出して魔法の力を行使した。

 それはただ軽く風を起こすだけのものだったが、リリには効果てき面だったらしい。ただでさえいっぱいいっぱいなのに、風に翻弄されてはバランスも崩れてしまう。


「っあ、レイラ、さま……!」

「ほら、支えてあげるから、しっかりね」

「はいっ!」


 細い腰に片手を添えて姿勢を正してやったレイラは、少しの間リリの後ろ頭を眺めて、大丈夫そうだとわかると背後を振り返った。

 苦々しい顔をしたオハラが追い縋ってきている。老馬とはいえ、未熟な子馬に負けるほど老いさらばえてはいないらしい。


「いいか、レイラ! 止まらないと言うのなら、次は馬を倒すぞ!」

「ふぅん?」


 吠える兄を横目で見るレイラの顔は、やっぱり普段通りだった。

 オハラにはそれが『できる訳がない。はったりだ』と言われているように感じられたのだろう、みるみる顔を赤くさせて酷い形相になっていった。


 実際レイラはそう思っていた。ただ風を吹かせるちゃちな魔法――魔法とすら呼べない普通の現象――を起こしただけで、手綱を握る手は血管が浮き出るほど固く握りしめて、全身は緊張でガチガチになっていて。

 私、魔法を人に向かって放つのは初めてです、と喧伝しているみたいな姿だったものだから、その程度かと落胆したのだ。


『せっかくカーチェイスは初めての経験だというのに、これではつまらないじゃない』


 異なる言語で紡いだ通り、レイラの表情は不機嫌に傾き始めていた。

 これでは単なる追いかけっこだ。子供のお遊びそのもの。そんなのはもう(別の世界の自分が)飽きるほどやった。

 最初の一歩だというのに、有り触れたイベントを仕掛けられても白けるだけだ。


「ふざけるな! 風よっ! わ我が敵をっ、切り裂け!!」

「!」

「ウインドカッター!」


 怒りに我を忘れたか、オハラはどもりながらも攻撃系統の魔法を放ってきた。

 ビュオ、と真横を通る不可視の刃を流し目で見送ったレイラは、知らず口の端を吊り上げていた。狙いの甘さを嘲笑っているのではない。楽しくなってきたからそれが表情に出ただけだ。

 ウインドカッターによって切り落とされた木枝が降ってくるのを、リリに体を寄せて前へ手を伸ばして掴み取ったレイラは、得意げに振り返り、それを見せつけるように振ってやった。


「はずれ」

「……! 後悔するなよ! 風よ、我が敵を――」


 再び詠唱を開始する兄に、枝を放り捨てたレイラは、腕を振って炎を走らせ、大剣を出現させた。

 瞬間、馬が潰れかける。だが透明な膜が剣から馬へ伝わってその全身を包み込むと、先ほどと変わらない速度で走り出した。


「うっ、ウインドカッター!」


 突然の剣の出現に動揺したのか、オハラの狙いは今度も甘かった。

 風の刃は宣言していた馬ではなく、レイラへ向かって一直線。


「ふん」


 軽く振られた剣が魔法を弾く。

 感じる魔力と風の感覚、それから直観に従えば、この程度は造作もない。

 ご自慢の魔法を防がれた兄は動揺に動揺を重ねて落馬しかけていたが、持ち直すと、唾を飲み込む動作をしてからレイラを睨みつけた。


「ウインドカッター! ウインドカッター! ウインドカッター!!」

「うん」


 がむしゃらに同じ魔法を放つ。今度はしっかりと子馬を狙ったものばかり。尻、腹、足。空気を割いて飛ぶ魔法の全ては、軽々と振るわれた剣によって防がれた。


「馬鹿な……な、なぜ」


 見えないはずの魔法を防げるのか。


「どうしたの? ……その程度? お兄様も大したことないのね」


 口を半開きにして呆ける兄へ、レイラはやや声を大きくしてわざとらしく煽った。

 そうすればオハラは気を取り戻し、さらなる魔法の詠唱に入った。

 ウインドカッターと同じ呪文だが、詠唱にかける時間がやけに長い。うんと魔力を込めて威力を高めているんだろうな、とレイラは当たりを付けた。記憶や知識のせいで容易に推測できてしまって、若干興奮が冷める。


「引き裂け、ウインドカッター!!」


 ごう、と風が唸った。

 迫っているのは恐らく刃というより空気の塊。それでも殺傷力は抜群だろう。小さな馬と小娘二人をずたずたにして余りあるくらい。


「うん!」


 だがやはりと言うべきか、今度のものもレイラによって打ち払われた。無造作に、無慈悲に、正確に。


「いいわね!」


 はしゃぐような声は、呆けて言葉も出ない兄に向けてのものか、それとも独り言か。

 珍しく笑みを浮かべながら、身を捩った体勢のまま何度も頷くレイラは、馬の走行に合わせて大きく上下に揺れていた。なびく金髪は波のよう。その笑顔は、あまりにも魅力的だった。


 オハラは、見惚れた。

 理由もわからないまま憎み、妬み、嫉妬して、そうして害するために魔法まで放ったのに。

 血の繋がった実の妹に目を奪われ、瞬きもできなくなってしまった。風に目が乾き、やがてゆっくりと目を閉じて大きく首を振る。


「いいわねいいわねいいわね!」


 猛った声が笑みとともに放たれる。愉快そうに笑い、風に剣を流すレイラのそのような姿は、家族でも見た事のない感情の変化。

 馬を繰るのに必死なリリでさえ、レイラの声に驚いていた。


 この高揚!

 この、胸の昂り!

 感じた事のない感情、知らない気持ち。

 初体験にレイラのテンションは加速度的に上がっていた。


『やはり戦いは良い! 未知の高揚が私の心を滾らせる!!

 求めていたのはこれなのよ! 飛び出した甲斐があった!

 冒険するべきものよね。愛を知った。戦を知った。私の初めてが増えていく!

 考える前に体を動かす、勇気を出す前に一歩を踏み出す。前ではできなかった事が今はできる。

 もうあの頃とは違うのよ。私は私の道を行く! 私のやりたい事をやる!

 あの人が見た夢を私が叶える。あの人の理想は私が引き継ぐ。

 ――ああ、なんて素敵なのかしら。これは私にしかできない私の初めて。体が熱い! 燃えるようよ!

 不思議ね。風なんて世界中のどこでも同じものが吹いているはずなのに、今の私の心にはこんなにも心地良い!

 さあ、もっと! もっと魔法を撃ちなさい! そして私を――』

「レイラさま、レイラさま! 何を仰っているのかさっぱりわからないです!」


 ノンストップで未知の言語を放ち続けるレイラに、さすがにリリがストップをかけた。放っておくといつまでも喋っていそうで怖かったのだ。こんなレイラは初めて見る。まるで別人。

 豹変した主人の姿に、しかしリリは恐怖や嫌悪は抱かなかった。

 だって、こんなにも楽しそうにしている。いつも退屈そうだったあのレイラさまが!

 一も二もなく旅の供になって良かった。顔は見えずとも、レイラさまの心からの笑い声を聞く事ができた。それだけでとても嬉しくなってしまう。何もかもが良かったと、自分の人生のすべてを祝福してしまう。


「そろそろ振り切るわよ」


 今度はリリの心が昂り始めていたのだが、真後ろから聞こえたいつも通りの落ち着いた声に、一気に現実に引き戻された。

 先ほどリリが声をかけた際、レイラは自らの言葉の一欠けらも誰にも伝わっていない事に気付くと、スンッと表情を無くして冷静さを取り戻したのだ。一応相手に話しかけているつもりではあったらしい。思わず脳に染みた異国の言葉が出てしまっただけで。


「はっ!」


 ドウッとリリの真横を大質量が通った。レイラの振り下ろした剣だ。

 大剣の根元から炎が噴き出し、刀身を渦巻いて剣先まで上り、レイラが振るのに合わせて放たれた炎の奔流が先行して道の先を染め上げる。


「速度を上げるわ。リリ、融合なさい」

「はい!」


 突然の凶行にも多少しか動じないリリ。

 これは予め打ち合わせていた作戦のうちの一つ。

 追っ手を振り切れない場合はリリの精霊術でなんとかしよう、という少し具体性に欠けた策だ。

 今回はこの子馬と、とりあえずもう一つの素材としてレイラが放った炎とを融合(フュージョン)させようというのだ。

 ……体の横を重い空気が通って行ったのに内心びっくりだったのは秘密だ。


 幸いオハラからの妨害はない。剣から炎が出るのが珍しいのか、目を剥いて固まっている。そのまま落馬してくれれば手間がかからずにすむのだが、そこまで気が回っていない訳ではないらしい。しっかりと体を固定して馬の速度を維持させている。


「……っ、だめですレイラさま! 私では、魔力がぜんぜん……!」


 一見完璧に思えた今の作戦、しかしレイラ達は一つ重要なものを見落としていた。

 それは魔力。

 魔法や精霊術の行使には魔力が必要だ。というか何をするにしても結構魔力というのは使われるもので、当然必要量は規模によって変動する。


 精霊術:融合(フュージョン)は不特定の二つを掛け合わせる魔法だ。具体的にどれほど魔力を使うのか決まっておらず、そして些細なもの同士の融合でも中々魔力を食うというのは、部屋で汗だくになって座り込んでいたリリの様子からわかっていただろう事。

 そして、特別な血筋であるという訳でもないリリの保有する魔力はそう多くなかったらしい。


 じきにオハラは正気を取り戻し、追いついてくるだろう。さすがにレイラは兄を斬り捨てるつもりはない。並走された場合どう転ぶかわからなくなってくる。

 精霊術が使えないとなるとかなり厳しい状況になるだろう。リリは顔を青褪めさせて、震えがちに俯いた。


「ぁっ」


 その背中にレイラは手の平を押し当てた。

 使えるものはなんでも使う。そういう作戦なのだから、まだまだ手はあるのだ。


「私の魔力をあげるから、遠慮なくやっちゃいなさい」

「あ、うぁっ、あい!」


 魔力譲渡。

 今朝情報石で確認したレイラのスキルにはそんなものがあった。

 その名の通り誰かへ自分の魔力を渡すためのスキルだろう。やり方は自然と頭に浮かんだ。対象に触れて、魔力を流し込む。それだけの簡単な手順であったが、問題はレイラの魔力量が如何ほどかわからない事と(これはステータスの表記がおかしかったため)、レイラの魔力を受け取るリリが悩まし気な声を上げてはそれを噛み殺そうとして失敗し、微かな吐息を吐き出す事だ。青かった顔も真っ赤に染まっているのが後ろからでもよくわかった。


 リリの健気な動作はレイラの琴線に触れて止まない。もうちょっと流す量を増やしたら高い声で鳴いてくれるかも、まだまだ魔力には余裕がありそうだし、と興味を持ちそうになったところで、リリがバッと袖をはためかせ、前方に渦巻いて伸びていく炎を指し示した。


「剣より生まれし偉大なる炎よ、勇敢なる()け馬よ! 精霊の導きにより一つとなれ!」


 カカッ、カカッと地面を蹴る子馬が速度を上げ、円状になった炎へと突っ込んでいく。火を恐れる本能は姿を見せず、理知的な瞳で迫る紅蓮を見据えた子馬は、高く嘶くと炎の渦へと飛び込んだ!


「――融合(フュージョン)!!」


 手綱を手放し柏手を打って宣言するリリの、その下。

 先ほどまでは賢くも頼りない子馬だったものは、そのたてがみを燃え盛る炎へ変え、赤みがかった体毛を蓄え、倍ほどの体躯となって力強く駆けていた。


「現れよ! 我らが勇士、燃え盛る大馬エレメンタル・フレイム・ホース!」


 リリの背から手を離して魔力の供給を打ち切ったレイラは、逞しくなった馬の背を撫でると、優し気な笑みを浮かべた。


 心が躍る。

 馬が変身した。魔法の力で。それを成したのは、幼いメイドの少女。


 記憶の中にはそんな奇跡さえ溢れかえっていて有り触れたシチュエーションだったが、実際に見て触れてみれば違った感動が得られた。そう認識するのもまた初めての体験で、レイラは今日、今までで一番の充足感を得ていた。


 もはや何もかもが既知のもので感動など無いと思っていたけれど、そんな事はないのかもしれない。世界は未知満ちて輝いている。もっと見たい。もっと遠くへ行きたい。

 年頃の少女らしい冒険心に胸を熱くさせたレイラは、一転して不愛想な顔を後方へ向けた。

 広い世界へ旅立つためには……そのためには、追いかけてくる兄の存在は邪魔なのだ。


「これならどうだ! トルネードウィ――」

「ふん」


 剣を持つ手とは反対の手に炎を浮かべたレイラは、何がしかの魔法を行使しようとする兄へ、その馬の目の前へぽいっと投げつけた。


「うわーっ!?」


 地面にぶつかった炎が一瞬のうちに膨れ上がり、驚いた馬が前足を高く上げて急停止する。魔法に集中していたオハラはひっくり返って落馬した。

 暴走した魔法があらぬ方向へ放たれ、木々を騒めかせる。と、何本か若い木が倒れて道を塞いだ。


「ゲームセットね」


 馬の差も無くなるどころか燃え盛る大馬に軍配が上がり、折り重なるようにして道を塞ぐ倒木はすぐにはどかせそうもない。

 もはや立て直しても追いつけないだろう。これで全ての追手を振り切った事になる。


「後は、このまま国境を越えて隣国まで、ですね」

「この子は大丈夫かしら」

「まだまだ元気そうです」


 ここから先にあるのは寒村がいくつか。その中にはリリの生まれ育った場所もあるが、寄る意味はない。宿も何も無いし、のんびりしていては新たな追っ手に追いつかれてしまうかもしれないからだ。

 隣国にまで行けば貴族の私兵は侵入できない。それは明確な敵対行為に該当し、そうなれば一つの領で完結する話ではなくなるからだ。

 国を渡れる冒険者に依頼するのが定石だろうが当然時間がかかる。だから、当分は安心だ。


「森へ分け入ります。レイラさま、お気をつけて」

「ええ」


 しかし国境を通るには関所を通る必要があり、隣国へ渡るには国かギルドの発行する許可証が必要だ。

 そんなものは持ち合わせていないレイラ達は、森を通って関所をやり過ごし、密入国する腹積もりだった。

 ばれなければ良いのだ、ばれさえしなければ。

 誰もレイラを見て、まさか許可なしでやって来たなどとは思いもしないのだから。





「くそっ! くそっくそっ!!」


 遠ざかるレイラ達を見送ったオハラは、苛立ち紛れに両の拳を倒木に叩きつけた。

 逃がしてしまった。なんたる失態。叱責される。いやそれだけならまだしも……終わりだ。


「悪魔だ、奴には悪魔がついていたんだ……!」


 自らの失敗に正当性を持たせるために、オハラはレイラの口走った謎の言語をやり玉に挙げた。

 あんな言葉は聞いた事が無い。近くの国の言葉ではない。いつ覚えたかも定かではない。

 ならばそれは、遥か遠方、世界の彼方、渓谷の先に横たわる暗黒の大陸に住むという悪魔がレイラに憑りついていたからに違いない。あるいは"闇からいずるもの"があの子の心を奪い去ってしまったのかも。


「……すぐに追っ手を出さねば、我がディザスター家は終わりだ」


 震える手で髪を掻き上げたオハラは、よろよろと立ち上がると、なんとか馬に乗って来た道を戻り始めた。


TIPS

・魔力譲渡

触れた相手に自分の魔力をわけてあげる魔法。

効率が悪いので素直にポーションを飲んだ方が良い。


・ヒロイック・ストライク

ジュラティオを足場に跳躍し、炎を纏った跳び蹴りを繰り出す。

スカートの中は見ようとしたって見えないぞ。

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