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ヒロイック・プリンセス  作者: 木端妖精
一章 妖精のお姫さま
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第二話 レイラという少女

とある使用人の視点。

 雨の降りしきる暗い夜闇の中に馬を走らせ、私達姉妹は僻地へとやって来た。

 不慣れな馬の手綱を握る手は今にも滑りそうで、必死に縄を掴んでいる手の平は擦り切れて血が滲んでいる。だがそんな事より、前に乗せた妹の体が心配だった。

 止まる事のできない長い道のりを、疲労を騙し騙し走り続けて何時間か。道半ばで降り始めた雨は地面を穿つほど激しく、跳ね返る泥が足を汚し、かぶった布はびしょ濡れになって重くたなびいていた。体の末端までもが凍ってしまったように錯覚する。跨る馬の限界も近い。早く、はやく辿り着かなくては――。



 亡き父が死の間際に私に握らせた僅かなお金と紹介状。

 一介の冒険者であった父が病床に伏しながらも「頼れ」といった貴族様が統治する領。

 (なら)された一本道の先には塀とお屋敷。門の傍に建つ小屋から飛び出して来た番人が、恐ろしい槍を手にして私達に止まるよう呼びかけた。雨粒と闇の向こうにぼうっと浮かぶ男の顔は、まるで悪鬼のようだった。


 馬から下り、妹を抱えてくしゃくしゃになった手紙を番人に手渡す。さっと目を走らせた番人は私達に胡乱げな目を向けると、ここで待っているよう告げて小屋に戻って行った。

 せめてこの子だけでも小屋に入れてもらえないだろうか……そう頼んでも答える声はなく、それから何時間もして番人は戻って来た。顎をしゃくってついてくるよう指示するのに従い、門の向こうへ向かう。歩くのも億劫だった。妹は、うつろな目をしながらもなんとかついてきている。



 私達は歓待された。父の友人であった領主様は直々に私達を出迎え、暖かい湯と暖かい食事を用意してくださった。限界まで衰弱していた私の妹も、魔法師様に診てもらう事ができて、どうにか持ち直した。

 そして私達は、ここで働く事を許されたのだった。





 召し抱えられた私は使用人として雑務をこなした。私のような者が言うべき事ではないが、領主様はさほど強い権力をお持ちではなく、あまり裕福でなく、屋敷は大きくも広々としていて、だけど使用人の数は少なかった。

 だからやるべき仕事は多く、給金は少ない。でも衣食住が保障されているだけで幸運だ。


 そんな状況なので、妹も遊ばせている訳ではなく、小さな体で私と同じように働かせていた。まだ二つ。歩けるようになったのはごく最近で、やれる事は極端に少ない。

 そこで妹は、なんと畏れ多くも領主様のご息女の遊び相手を務めさせていただく事になった。

 私は我が事のように喜んだが、妹は浮かない顔だった。環境ががらりと変わった影響か、妹は内気になってしまっていた。


 領主様には三人の子供がいる。長男のオハラ様、長姉のペトゥラ様、次女のレイラ様。

 妹は初めペトゥラ様の相手を務めていたが、六歳と二歳では中々話も合わず、領主様の判断でレイラ様の遊び相手となった。

 一度お目にかかったレイラ様は、大変美しい方であらせられた。私などは言うに及ばず、ペトゥラ様や奥様以上の輝きを放っていた。その代償か、レイラ様はお身体が弱く、いつもベッドで横になっていると聞いた。そんな境遇さえ、まるで語りごとの中に登場するお姫様のようで、よりいっそうレイラ様を輝かせた。


 妹が遊び相手になってからはレイラ様が少し明るくなったと領主様に感謝され、私は誇らしくなった。

 父の死という不幸に見舞われたが、今はなんと幸運なのだろうと身を震わせた。だがそれは長続きしなかった。


 レイラ様が病に倒れた。

 それはいつもの事であったが、今度ばかりは命に関わると侍女達が囁き合っていた。

 領主様も奥様もいつになく取り乱し、レイラ様に回復の兆しが見えないとどんどん憔悴していった。

 私はそれを娘を溺愛しているからだと思っていたのだが……実際は違った。

 領主様のお部屋の前を通った時、僅かに漏れ聞いてしまったのだ。レイラ様は領主様がのし上がるための大切な駒。確かにそう言っていた。

 私は衝撃を受けた。


 ……貴族様の中で、娘が政治に権力にと使われるのは知っていた。だが、あの優しい領主様が、まさかそんな事を考えているとは夢にも思わなかったのだ。

 信じたくなかった私は、侍女達を通じて秘かに情報を集めた。間諜の真似事のようで自分でも良い気はしなかったが、真実を知りたかった。あの日聞いた事は全て嘘だったのだと、ただの勘違いだったのだと知って安心したかったのだ。


 しかし目論見は崩れた。

 領主様は真にレイラ様を駒としか見ておらず、その愛は上のご兄妹にのみ向けられている。それは奥様も同じだった。

 体が弱く、ろくに喋らないお人形のような末娘と、よく喋り、意思を交わせるかわいい盛りの上の子供。どちらをより愛するかなど私には考えようもない事だったが、領主様も奥様もレイラ様を放る事に決めていたようだった。

 レイラ様は、奇跡のようなその美しさを利用するためにどうにか生かされている状態だったのだ。


 おかしくない。

 それは貴族としては何もおかしくない。

 だけど、私は……おかしくなってしまいそうだった。

 私は盲目だった。

 父が信じた人を、私達姉妹を助けてくれた大恩ある御方が悪人だとは思いたくなかった。


 けれど、少し"つつく"だけで領主様からは山のように埃が落ちてくる。

 村の民……貴族の下に息づく平民を蔑ずみ、権力に目が眩み、野心家で、傲慢。父から聞いていた人となりとはかけ離れている。本当に父と付き合いのあったその人と同じ方なのだろうか。


 そして、極めつけは……邪法に手を染めているという噂。

 この家の使用人が少ない理由は、その秘密を保つためと、そして……。

 知らずうちに人間が消える現象に一度気がつけば、恐ろしくてたまらなくなった。

 私が見た優しさはなんだったというのだろうか。そんな悪い事の全てはとても信じられるものではなく、しかしどうやら事実のようだった。


 ……。

 何があろうと私はここを離れられない。他に頼るものもなく、何より妹がいる。だから私は知らない顔をして働かなければならなかった。

 この醜さを妹には見せたくない。真実を悟られぬよう、私は環境をより良いものにしようと努力し始めた。もちろんそこには、決して妹に矛先が向かないようにする事も含まれている。


 所詮は一介の、それも新参の使用人のする事、領主様や他の何かに大した影響を及ぼす事はできなかったが、こと妹に関しては効果は絶大だった。

 妹はこの御屋敷を楽園と信じて疑わない。笑顔はいつも輝かんばかりで、幸せそうだった。

 話が戻る。

 妹の笑顔に陰りをもたらしたのは、レイラ様だった。


 何度か大きな病に侵されては持ち直しを繰り返していたレイラ様は、とうとう弱った体に呪いのような病魔を宿し、長い長い眠りについてしまった。

 妹が慕うレイラ様がそんな状態であれば妹から笑顔が失われるのも当然だ。領主様と奥様はなんとか腕利きのお医者様を呼んだのだけど、治すには至らず、今度こそ本当に死んでしまうのではないかと思われた。

 荒れた領主様に呼び出され、詰問される。私の妹が何か病気を持ち込んだのではないかと疑っておられたのだ。必死に弁解し、事なきを得たが……たとえレイラ様が持ち直しても、また病に倒れたら、もう次はないだろう。大変な所へ来てしまったと嘆いても境遇は変わらない。


 だがなんという事か、ある日突然レイラ様は目を覚まし、健常な体を手に入れた。

 どころか、もはや病など敵ではないとばかりに元気に動き回る姿に、使用人一同胸を撫で下ろした。レイラ様も心配であったが、日に日に機嫌の悪くなる領主様と奥様の傍にいるのが辛かった。酷い時は手も上げられたから、レイラ様が回復して本当に良かった……。


 そう思っていたのも束の間。


 優しく、可憐で、儚く、優雅。妹が言うには、とてつもない人格者だったはずのレイラ様は、なんというか……変わってしまわれた。

 病気がちだった時とは状況が違うからだろうと推測していたのは初めだけで、三年もすると誰もが理解した。


 レイラ様は……その……。変な子、だ。


 物静かで理知的で、しかしどこか荒々しく、言ってしまえば貴族らしくない……というか、女の子らしくない。おまけに子供らしくない。

 それから、妹に聞くところによるとよくわからない言葉を時々話すというのだ。

 一度私もシーツを取り換えている時に耳にした事があったのだが、なんと言っているのかはまったくわからなかった。異国の言葉だろうか。少なくとも共通語ではない。別の言語などよっぽど遠い地域に行かなければ話さないだろうし、そもそもレイラ様が覚えられるとは思えないけど、彼女の言葉がなんの意味も持たないただの声だとはとても思えなかった。


 訳のわからない独り言。繊細さを欠いた動き。無気力で眠そうな顔。極端に動き回るのと、極端に何もしない事。

 これらを知った奥様は大層お嘆きになって、ここぞとばかりにレイラ様に礼儀作法や所作、夜会などに向けた諸々をたくさんの教師を呼んで叩き込んでいった。

 普通なら奥様の熱心な教育に感動するところだが、真実を知る私には順調に駒としての価値を高めているんだなとしか思えなかった。その証拠に長姉であるペトゥラ様の教育には、それほど熱心ではなかったからだ。もちろん手を抜いている訳ではないようであったが、しかし一つの間違いにつき一回頬を打つ、などといった過激な罰はペトゥラ様の方にはなかった。


 私はレイラ様が心配でならなかった。

 お身体が弱く、世間の事など何も知らないレイラ様が間違いを起こさない訳がない。

 いくら健康になったと言っても、何度も何度もぶたれては死んでしまうかもしれない。


 ……という不安や心配は、実のところまったくの不要だった。

 妹が話すところによれば、やっぱりレイラ様は聡明で、教師ですら口ごもってしまうくらい頭が良いと言うのだ。

 妹を疑う訳ではないが、素直に呑み込めなかった私は、レイラ様と妹がお話しているところへ掃除用具を持って潜入した。

 ……たしかに、妹のあまり要領の得ない語り口とは対照的に、稀に聞くレイラ様の言葉はわかりやすくはっきりとしていたし、時折私の知らない言葉も使っていた。

 それは、あのどこの国ともつかない声の事ではなく、共通語の話。

 どうやらレイラ様には、私達には見えていない、広い世界が見えているようだった。


 近くに六つになったレイラ様は、もうこの時点で完成されていた。

 完璧の美と称してもいい。神様が直接その手でお作りになったのかもしれない。そう思わせるほどだった。

 ただそこにいるだけで強烈な光を放ち、目を惹きつけてやまない。子供らしくも落ち着いた声は淀みも引っ掛かりもなく一つの歌のようで、強い意志の灯った目はいつだって世界を真正面から捉えていた。

 ……たいていは半目で、ぺたりと座った花のような方なのだけど、どうしてか私にはそういった印象の方が強く残っていた。


 美しい美しいと何度も思ったけど、どう言葉を尽くしても表現しきれない。まるで雨上がりに空にかかる七色の橋のように日々魅力が移り変わり、揺らめいている。いつ、どこで、どんな時に、どの角度で見たってその美しさは陰らない。まさしく完成された美だった。

 ……変わった子なのは治らなかったが。


 ある事情からレイラ様の付き人は私が勤める事になった。遊び相手は変わらず妹だ。姉妹で事に当たる。

 なぜ未熟な私がお世話係に任命されたのか首を傾げっぱなしだったが、接していてわかった。レイラ様は大人びていて、確固とした自分を持っている方だったのだ。

 子育ての熟練者であればあるほど、子供の面倒を見る事に慣れていれば慣れているほどその在り様に戸惑ってしまうことだろう。だから、時折妹の代わりにつけられていた今までの付き人達は失敗していったのだと思う。


 私のようななんの経験もない小娘の方がまだマシだと判断されたのだろう。そしてそれは正解だったようだが、私とてレイラ様とお話ししたりお世話するのは戸惑う事も多い。些事は全部自分でやって私達にはさせてくれず、滅多に呼びつけず、そう口も開かない。お世話しているという実感がわかないのだ。暇な時間が多い。ぼうっとしてしまう。これでは雑用をこなしている方がまだ充実感があるとさえ言えるだろう。


 そのあまりの無反応・無感動さに壁かお人形を相手にしている気分になってくるのだが、継続してお相手を務めさせていただいている妹が言うには「レイラ様とのお喋りは楽しい」「レイラ様は物知りだ」なんて、信じられない事ばかり。いったいいつ、そんなにたくさんお話をしているのだろう?

 ……私はまだレイラ様の笑った顔を見た事がなく、ついでに二言以上会話した事もない。

 いったい我が妹は何をどうやって会話を繋いでいるのだろうか。コツを教えて欲しくなったが、一応私はこの子の姉で、母親代わりのようなもの。それはちょっと、憚られた。





 レイラ様は強い。

 その美しさを妬み、その身にかけられた期待に妬み、上のご兄妹(けいし)が辛辣な態度で接してもどこ吹く風。あげくいびられたり苛められたりしても眼中にない。悔しそうに歯噛みするご兄姉を振り返りもせず、肩で風を切って歩く姿は見惚れてしまうほどだ。


 でも……。

 レイラ様が何を見て何を考えているのかなど私には到底わからなかったが、少なくともその態度はあまり良い手ではないと思った。

 現にご兄姉の言動は徐々にエスカレートしつつある。それでもレイラ様は冷めた目でお二人を見るだけだった。その流し目は、傍から見る分にはほうっと溜め息を吐いてうっとりしてしまうくらい素敵だが、果たしてご兄姉の目にはどう映っている事やら。






 レイラ様は美しい。

 天蓋付きのベッドにうつ伏せに寝そべり、頬杖をついて大きな絵本を読む姿は、たとえだらしなく足が伸ばされてスカートが捲れ上がり、太ももが露わになってしまっていても、注意もできず見とれてしまうくらいだった。


 そこだけが現実から切り出された一枚の絵画として飾られているような芸術的なお姿にここでもまた感嘆の息が漏れてしまう。

 同性の私でさえこうなのだから、異性であればレイラ様に釘付けになる事は間違いない。強い嫉妬を抱いているはずの兄オハラ様でさえ、時折ぼうっとした顔でレイラ様を見る事もあるくらいなのだ。

 ともすればいずれはパーティなどでこの国の王の目に留まり、その息子の……つまりは、王子様のお嫁に!! ……という話も出てくるかもしれない。


 領主様達の狙いはまさしくそれなのだろう。レイラ様の美しさを維持し、向上させる事に余念がなく、それほど余裕がないにも(かか)わらずお金に糸目もつけない。

 そうして成長するにつれ無限に美が高まるレイラ様はまさしくお姫様と言えるお姿になっていた。

 もういつお披露目がされてもおかしくない。けれど、まずは体面としてペトゥラ様のお披露目が先になるのだろう。

 私は、あの美しい少女がまだ多くの目に触れ、悉くを魅了するだろう場面が先送りにされてしまう事にやきもきした。

 みんなも知るべきなのだ。レイラ様の良さを誰かれ構わず吹聴したい。






 レイラ様は変わっている。

 美しさが印象的ではあるが、その年にして異様なまでの落ち着きようと知性の高さは、とても六つとは思えない。大人を相手にしているかのように錯覚させられてしまう。

 そして一見物静かなレイラ様は実はお喋りなのだという事をやっと最近知る事ができた。とはいっても一方的で、例の意味のわからない言葉を頻繁に口走るだけだったが……たぶん、お喋り。そのはず。会話、できている、はず。


 そういえば、と思い出す。私も初めて会った時はわざわざ目の前まで来ていただいて、見上げられて……なんだったか、『メイドサーン』と挨拶? されたものだ。その後に待っていた謎の握手は畏れ多く、躊躇いがちに差し出した手を握られてやわやわと包まれてから解放された。動悸が激しくなって眩暈がした。ああ、レイラ様は真に高貴な方であられる。でなければこんなに緊張するはずがない。しばらく手の熱が抜けなかったのを覚えている。


 たまにそういった行動をする事はあれど……よくわからない言葉を使う事は多々あれど、基本的にはほとんど動かず、静かで、お淑やかだ。

 そういう時はたいてい冷たい目をしてぼうっとどこかを見ている。

 この世の全てに飽き果てたとでも言いたげな気怠げな瞳に、何を与えても話しても感動の無い乾いた言動。


 そのうちに私はだんだんとレイラ様が恐ろしくなってきて、積極的に近付くのをやめてしまった。

 あの冷たい目に見つめられてしまったらと思うと、怖くなってしまったのだ。自分の矮小さを突き付けられるみたいで恐ろしい。


 が、私はこれでもレイラ様付きの使用人である。離れたくても離れられないのだ。

 漠然と抱く恐怖心はいったん横に置いておいて、私はレイラ様のお相手を務めさせていただくほかなかった。


 いずれ領主様の地位の向上のために嫁ぐ事になるであろうレイラ様に、せめて今は楽しい時を過ごして欲しいと知っている限りのおとぎ話や、おもちゃの遊びを教えようとしたのだが、レイラ様は一瞥するだけで興味を失くすか、手にしたままぼうっとするか、興味なさそうに聞き流すかするだけだった。

 優しいレイラ様は一応投げ出さずに最後まで付き合ってくれるのだが、これではどちらがお相手をしているのかがわからなくなってしまう。


 あの手もこの手も通じずに落胆し、どうせこれにも興味を示さないだろうなあなんて思いつつ魔法の光を浮かべてみたら――食い付いた。

 しかも結構凄い勢いだったので、私はとても恐縮してしまって、もう一度見せてと言われても何度も失敗してしまった。レイラ様は叱らずに待っていて下さったが、これが上のご兄妹様達だったなら、鞭の一本や二本飛んできてもおかしくはなかった。特に妹様は最近手加減がない。ペトゥラ様が放った氷の魔法で同僚が指を失くしたと聞いた事もあるくらいだ。恐ろしい。ご領主様が注意してもしばらく鳴りを潜めるだけで、すぐ元に戻ってしまう。


 ――ただのおとぎ話ではなかったのね。


 魔法を見せたレイラ様は、見た事がないくらい興奮して、頬を赤く染めていた。少し乱れた髪や服は艶めかしく、なのに口の端を歪めて笑う姿はどこか雄々しくて格好良い。噂に聞く王都の劇団の、なんと言っただろうか……男装というのもかなり似合いそうで、危うく私は恋に落ちてしまいそうになった。

 いけないいけない。気をしっかりもたなくては。


 教えてくださらないかしらと可憐にお願いされてしまっては断れない。

 びくびくしつつご領主様と奥様に窺いに行けば、二人の反応はどちらも「え、興味示したの?」だった。レイラ様の無感動さはお二方もよく知るところだったらしい。しかし、どうして私の魔法にだけ反応したのだろう。今までだって幾らでも魔法を見る機会はあったはずなのに。

 ……レイラ様の考えている事がわからない。


 私ではなく正式に魔法の先生を呼んで授業を施す事になったのだが、なぜか一日と経たずに先生が逃げ出してしまう。

 それが三度続くと領主様はかんかんにお怒りになって、顔を赤くしたり青くさせたりしながらレイラ様に理由を尋ねた。

 ただ一度魔法を使うだけで先生が怯えてしまうのだと話したという。

 見せてみろといった領主様は蓄えていた立派なお髭を焦げちりにされて失われてしまった。


 ……どうやらレイラ様には火の魔法の才能がおありのようだった。それも、とびきり。

 どうにも制御がきかない大火力のようで、これでは教師の方に逃げられてしまうのも変ではない。

 ご領主様は組合に正式に依頼を出して王都から優秀な方を招く方針に切り替えたみたいだ。懐を押さえて冷えた顔をしていたのが印象的だった。


 そうして教育を施され、きたるべき日。

 社交の意味もある夜会へお出になったレイラ様は、お戻りになった時も興奮冷め止まぬご様子だった。

 ご領主様の機嫌の良さを見れば、例の作戦が成功したのだろうと容易に察しが付く。


 レイラ様は珍しく自分から妹や私に話しかけ、結婚とは幾つからできる事なのかと問いかけてきた。

 レイラ様も七つになっているから、結婚ならいつでもできると答えれば、『ワタシニモハルガキタカ』と未知の言語で言った。意味はよくわからないが、どことなく嬉しそうなのはわかった。


 もしかすれば、本当に王子様に見初められてしまったのかもしれない。

 かなり冷めた方であるから心配していたけれど、レイラ様も女の子だったという訳だ。市井の娘達に大人気な『玉の輿(こし)ストーリー』というのに大興奮なのだろう。


 見た目は立派なお姫様であるレイラ様を見ていると忘れてしまうが、ご領主様は……言ってしまえば末端貴族だ。国の端の端っこに小さな領地を持ち、細々と暮らしている。この国自体がかの三大国家に比べれば小国も良いところの小さな国なので――こんな事を口に出せば即刻打ち首にされても文句は言えない――、ご領主様でも普通の者と比べれば随分と裕福だ。レイラ様が高い地位の人とご婚姻なされる事ができれば、領主様が小躍りして喜ぶのも無理はない。

 ただ、あの奇妙なダンスはとてもではないが人に見せていいものではなかったかな……うん。父が言っていた通り、ダンスは苦手らしい。


 ……などと失礼な事を考えていたバチが当たったのだろうか。

 私は領主様に呼び出され、解雇を言い渡されてしまった。


 この時、私は察してしまった。ついに私もご領主様が手を染めている邪法の生贄にされてしまうのだろう、と。

 ひっそりと消えていった使用人の一人になってしまうのは怖い。けど、今まで良くしてもらい、昔よりずっと幸せに生きてきたのだ。もう十分といえる。

 妹さえ無事ならそれで良いと思い、ご領主様に連れられて向かった先は別のお屋敷だった。

 そこに待ち構えていた大柄で精悍な顔つきのお方は、隣の隣の領地の主。

 ……まさかこの身を売られてしまうのかと覚悟を決めていれば、求婚された。

 訳がわからなかった。


 前に屋敷に訪れたこの方は私に一目惚れし、日々恋慕の情を募らせ、とうとう堪え切れなくなってこうして話す場を設けてもらったらしい。

 聞けば、ご領主様は顔が広く、この近辺の領主は結構な頻度でご領主様の館を訪れ、うち何人かはそこの使用人を見初めて嫁に欲しいと言うらしいのだ。

 それは囲いや奉仕目的ではなく、正妻として……らしい。

 まさかそんな話があるものかと思ったのだが、この近辺でこのような事はよくある事で、実際奥様はこの領主の下で働いていた使用人をご領主様が娶ったのだという。


 ……えーと。

 ……邪法は? 生贄は? ひっそりと消えていった使用人の行方は?

 ………………ひょっとして私、とんでもない勘違いをしていたのでは……。


 そういう訳で私は解雇され、その領主の妻となった。

 断っても良いと言われても私に選択権などある訳がない。……顔が渋くて体格も良く、私より頭三つ大きくて、その、好みの方ではあったし。

 妹への援助を約束して頂いた私は、一度館に戻って妹と別れの抱擁を交わしてから旅立った。

 思い違いでなければ、レイラ様も名残惜しげにしてくださったと思う。


 さようなら、リリ。レイラ様の遊び相手をちゃんと務めるんだよ。


 馬車の窓から見える見送りの姿に涙とともに呟いて、領主様……旦那様に「また会いに行けば良いではないか」と突っ込まれて赤面したのは、また別の話。

 ……このお話をしたらレイラ様は興味を持ってくれるだろうか? ……なんて、思ってみたり。

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