F 第一王子の許婚は浮気者
F 第一王子の許婚は浮気者
――応接間から廊下に戻ると、お庭のほうが騒がしかったので、ちょっと外に出てみることにした。そしたら、掃除中のフィアに、見知らぬ男の人がちょっかいをかけてる現場に遭遇した。
「来世は箒に生まれ変わろうかな。そして、フィアちゃんのしなやかで細い指に握られたい」
「まだ帰らないんですか。いい加減にしてください」
そう言うとフィアは、箒の先で男の鳩尾辺りを突き上げる。男は、腰を屈めて片手で腹を押さえていたが、視界の端で木陰からヤヨイが様子を窺ってるのに気付き、陽気に手を振りながら大きな声で呼びかける。
「そこのお嬢さん。そんな暗いところでじっとしてないで、こっちにおいでよ」
――ふえっ。どうしよう。気になるけど、誰だか分からないからなぁ。
ヤヨイが近寄るべきか寄るまいか迷っていると、グレイはずんずんと歩み寄る。それをフィアは急いで追い駆け、ヤヨイとのあいだに、両腕を広げて大の字に立ち塞がりながら言う。
「こちらのかたは、サーラさまの大事なお客さまです。濫りに手を触れさせません」
フィアの制止を気にも留めず、男は好奇心をむき出しにして馴れ馴れしく話しかける。
「見慣れない顔だね。このあたりの子じゃなさそうだ。どこから来たの。名前は何て言うの。いくつ。俺は、グレイって言うんだ。十九歳。伯爵で、公名はヌーボ。親父が薬草学者で、助手をしてるんだぜ」
――公爵に男爵ときて、今度は伯爵か。庶民の私としては、何だか居たたまれなくなってきちゃった。
ヤヨイが恐縮していると、やれやれといった調子で、フィアが呆れ半分にグレイを紹介する。
「注文通りの薬を持ってくるところは、評価できるんですけど、この通り、若い女性を見ると息をするように口説いて回る悪癖がありましてね」
「博愛主義だからね」
「口を挟まないでください」
睨みを利かせながら、フィアはグレイに言った。しかし、それでもグレイは意に介さず話し続ける。
「そうやって冷たくあしらうところも、チャーミングだよ。ねっ」
グレイはヤヨイに同意を求めるが、ヤヨイが口を開く前にフィアが氷のような冷たく鋭い口調で言う。
「父親が薬草学者として有名であるのを良いことに、放蕩三昧をしている馬鹿息子でして、社会勉強と称しては、水牛亭に入り浸っているのです」
「そのお陰で、フィアちゃんはメイドになれたじゃん。感謝して欲しいな」
「口を挟まないでくださいと、先程申し上げたばかりですが、お忘れでしょうか」
「クールビューティーだよね。君も、そう思わない」
屈託無い笑顔でヤヨイに訊くグレイ。そのままヤヨイに向かって伸ばされたグレイの腕を、フィアは箒の柄で叩く。
「濫りに手を触れさせませんと」
「言いました、言われました。分かったよ。二対一じゃ分が悪いから、ひとまず、ここは引き下がるよ。またね」
グレイは片手を口元に近付け、二人に向かってキスを投げて立ち去る。姿が見えなくなった頃合いで、フィアが溜め息まじりに小さく呟く。
「これでサーラさまの許婚でなければ、出入りを禁じるところなのですけど」
――なるほど。そういう事情があるから、あの幼馴染二人は、あぁいう関係なのか。んっ、待てよ。そもそも王子なのに、男の許婚が居て良いのか。
グレイ・ヌーボ:十九歳。伯爵。薬草学者の助手。淡褐色の瞳。栗毛。