W 波止場で待つのは嫌ですから
W 波止場で待つのは嫌ですから
「亜麻色の髪、肩まで届き。右手の指輪、抜けなくなりし。されど貴方は、帰らない。待てど暮らせど、還らない」
ボラードに片足乗せ、長髪を潮風に靡かせながら、グレイは一人、波止場で歌を口ずさみながら黄昏ている。
「小瓶の手紙、いま何処。打ちて寄するは」
「波ばかり」
シガーケースとマッチ箱を取り出し、中から取り出した煙草をケースの端でトントンと叩いてから口に咥え、ブーツの爪先で擦ろうとした矢先に、グレイは、死角から姿を現したフィアに声を掛けられる。フィアは、煙草を取り上げながら言う。
「煙草は、百害あって一利なしなんでしょう」
「分かってるさ」
「でも、やめられないのですね」
「厄介なことにね」
グレイは、マッチと煙草を懐に仕舞うと、フィアに向かって愁いを帯びた目をしながら言う。
「誰にも告げずに、こっそり船旅に出ようとしたのに。お見送りが来るとはね」
「ニッシさまから、お話を伺いましてね。これは怪しいと踏んで水牛亭に行きましたら、予想通りでした。グレイさま、札を一枚お忘れですよ」
そう言って、フィアはグレイに一枚の札を裏向きに渡す。受け取ったグレイは、それを自分のほうに表へ返し、考え込む。そこには、六という数字と、恋人のイラストが描かれている。
「旅券は、到着先の領事館で発行してもらうことにいたしまして、取り急ぎ、グレイさまのお父さまに通行査証を書いていただきました」
フィアは、エプロンのポケットから折り畳まれた上質な紙を取り出し、グレイに向けて広げてみせる。
「|その者のなすを、さまたぐることなかれ(レッセフェール・レッセパッセ)、か。たしかに、これは親父の字で、このサインも本物だな」
グレイがしげしげと紙を眺めながら言うと、フィアは、それをポケットに仕舞いながら言う。
「息子を頼むと一任されましたので、その覚悟で臨んでくださいね」
あっさりとフィアが言ってのけると、グレイは目を丸くしながら言う。
「俺と一緒について来る気なのか、フィア」
「もちろんです。ステーキやムニエルにしようかと目移りしても、最後はオムレツを選ぶ性格だと伺ってますから。案外、一途なんですってね」
そう言うと、フィアは腰に手をあて、自信満々に胸を張る。
「けっ。親父の野郎め。硬派で機微に疎いと思ったら、ただのポーズだったんだな」
海に向かって顔を背けながら、グレイは吐き捨てるように言い、乗船口のほうへ歩き出す。フィアは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、グレイのあとに続く。二人が去った波止場には、油が切れた自転車の走行音のようなウミネコの鳴き声と、蒸気船がたてるボーっという汽笛だけが残った。このあとに続くフィアとグレイの物語は、また別の機会にお話しよう。




