R 決死の大ジャンプ
R 決死の大ジャンプ
「イタッ。あっ、これは」
尖塔の脇を横切ろうとしたとき、ヤヨイの頭上に、お手玉が降ってきた。周囲をよく見れば、他にもいくつかの玉が散らばっている。ヤヨイが見上げると、最上階の窓から、シエルが身を乗り出して手を振っている。
「シエルっ。何で、そんなところに居るのよ。早く降りてらっしゃい」
ヤヨイが声を大にして上に向かって叫ぶと、シエルも喉が張り裂けんばかりに叫び返す。
「降りられない。下のほうが、火でいっぱい」
――あぁ、何てこと。はしご車か防火服があれば、助けに行けるのに。
「どうした、ヤヨイ」
「早く塔から離れないと、危険だそ」
ヤヨイの声を聞きつけ、サーラとニッシが駆けつける。ヤヨイは動揺しながら、真上を指差して言う。
「シエルが、天辺に」
サーラとニッシが、指差す方向を見る。そして、即座にサーラは尖塔の入り口に回ろうとし、ニッシがサーラを羽交い絞めにして止める。
「待ってろ、シエル。今、助けに行く」
「落ち着け、サーラ。そっちは炎の海だ」
「離せ、ニッシ。シエルを救わないと、国家の危機だ」
「サーラを失ったら、俺の人生最大の危機だ。冷静になれ」
頭に血が上ったサーラとニッシが、普段なら絶対に言わないことを口走り、それをヤヨイがあたふたと落ち着かない様子でいると、シーツやタオルケットを詰め込んだ籠を持ったフィアが、少し離れたところを走っていくのが見える。
――物干し場で、洗濯物の取り込み途中だったのかなぁ。あっ、そうだ。
「フィア。こっちに来て。緊急事態なの」
ヤヨイの呼び声に気付いたフィアは、一度足を止め、ヤヨイの居るほうへ駆け寄る。
「三人とも、何をなさってるんです。速やかに建物から離れるべきですよ」
「上を見て、フィア」
ヤヨイは塔の上を指差し、フィアは塔を見上げる。シエルは、両手を振ってエスオーエスを求める。
「助けてー」
「まぁ、おいたわしや。すぐに救助に向かわなければ」
「問題は、そこなんだけどね、フィア。出入り口は火が回ってるのよ」
「たとえ火達磨になっても、若き王子を守るのが私の務めだ」
「まだ言うか。そんな義務は無い」
サーラとニッシが揉み合うのをよそに、ヤヨイはフィアに提案を伝える。
「フィア。その中に、丈夫で大きな布はあるかしら」
「えぇ、ございます。応接間で、カーテンに使っているものですけど」
そう言いながらフィアは、籠の底から厚手の布の束を出し、両手で裾を持って広げてみせる。
――バッチリよ、フィア。あとは、シエルに作戦を伝えれば。
ヤヨイは、地面にカーテンを広げつつ、シエルに向かって叫ぶ。
「シエルー。これから四人でカーテンを広げるから、シエルは、そこからジャンプしてー」
「わかったー」
「ヤヨイさま。何を言い出すんです」
シエルが返事をしたあと、フィアが驚いて声をあげると、サーラとニッシは、いつもの落ち着きを取り戻し、カーテンの四隅のうち二つの角を持って広げだす。
「なるほど。その手があったか」
「賢いな、ヤヨイ」
「さぁ、フィアも手伝って」
ヤヨイに角の一つを差し出されたフィアは、気乗りしないながらも受け取って広げていく。
――準備、オッケー。あとは、無事に受け止めれば成功ね。って、あれ。どうしたんだろう。
「いつでも大丈夫よ、シエルー」
ヤヨイがシエルに向かって叫ぶと、シエルは涙ぐみながら叫び返す。
「無理ぃ。こわいよー」
――地上五階から飛び降りろと言われたら、大の大人だって腰が抜けるもの。相当、恐い思いをしているに違いない。
「ここで尻込みし続けたら、もう二度と、美味しいものを食べることも、誰かと遊ぶこともできないんだ、シエルっ。男らしく、腹を括れ」
「脅してどうするんだ、ニッシ」
サーラは、ニッシにツッコミを入れつつ、シエルに向かって両腕を広げて叫ぶ。
「シエル。私を信じて、飛び込んで来い」
サーラの言葉を聞いたシエルは、両手で眼に溜まった涙をごしごしと拭うと、キッと口を真一文字に結び、窓枠に足を乗せ、大きく跳躍した。
――そこから、シエルがカーテンの上に着地するまでの時間は、実際には数秒だったんだろうけど、私には、その一秒一秒が連続した静止画のように、鮮明で、ゆったりと流れるように感じた。
絡みつくカーテンをかき分け、シエルは泣きべそをかきながら、サーラに抱きついく。
「駄目かと思ったよぉー」
サーラは慈愛に満ちた表情で、無言でシエルの後頭部を撫で、そっと背中に手を当てて抱き返した。
――姉弟愛は何物にも勝る、といったところかな。