007 簡単に異世界には行けない――――⑦
「ああ。そうだよね。シュンなら当然気付いてるよね」
と、言いながらサトシも俺と同じように不気味なエレベーターに目を向ける。異変に気付いていた、ということか。
そのまま、顔を動かし俺をじっと見つめてくるサトシは、俺ですらあまり見たことのない一片のユーモアもない真剣な表情をしていた。
「あのエレベーターに乗ったら僕たちはもう戻れない。そんな気がする。ごめんね……」
「ああ。いや。別に……」
そうか……。俺に気を使ってたのか。いや、それとも言い辛かったのか。
サトシの真剣な顔――だが……その瞳に見える色は不安と後悔。俺は頭の上で両手を組んでゆっくりと口を開く。
「はっきり言って、異世界に行くなんて全く思ってなかった。けどな、それならそれでいいか、って思ってる俺もいる」
と、言いつつも、正直自分でどう思っているのかはよく分からなかった。多分もう戻れない。いや、もしかしたら死ぬかもしれない。
俺は……本当に良いと思ってるんだろうか――。
「うん。ごめん。僕も本当は異世界に行くなんて事はないと思ってたよ? ほんとだよ?」
必死に口角を上げて笑おうとしているサトシが俺に対して言ってるのか、自分に言い聞かせてるのかはわからない。
ただ、その言葉に嘘はないと確信できるのは付き合いが長い故か……。
やはりサトシはこの異世界に行く方法の過程が楽しくて、俺と一緒に馬鹿やるのが楽しくて、それだけだった。多分、そういうことだったんだろうな。
「ああ。分かってる。サトシは悪くねぇ。それに、このエレベーターに乗ったからって、何かが起こると決まったわけじゃねーしな」
結局、乗ってみるまで分からない。予感はあくまで予感であって、確実に起きたという結果ではない。
だが、嫌な予感を感じているのは俺だけじゃない――という事実が俺の心に重くのしかかっているのも嘘偽りのない真実。
「そう……だね…。それに……」
「ああ。死ぬわけじゃねーよ」
サトシの言葉に被せるように言ったが、これも正直分からない。もしかしたら俺たちは冥界への扉を開いてしまったのかもしれない。
だが、そんな可能性を考えたくはなかったし、サトシにもそんな可能性を考えさせたくはなかった。
「でも、ごめん……」
それでもサトシは小さく頭を下げた。その表情は見えない――が、考えていることは何となくわかるような気がする。
おそらく自分の軽率な考えと行動が、俺を巻き込んでしまったと考えている――。
もしかしたら、もう二度と家族に会えないことになる可能性があることも、自分のせいだと考えている――。
このまま命絶えてしまう可能性があることを、自分のせいだと考えている――。
あくまで長い付き合いと経験から来る俺の予想でしかない。だが……サトシはそう思っている。そんな気がした。
俺は頭を下げるサトシの肩に手を置いて顔を上げさせる。
「もう謝らなくていいぞ。もし、異世界に行けるなら、俺だってサトシとで良かったって思っているんだから」
サトシの性格は分かっている。ここで責めても意味がないことを俺は知っている。
こういう時こそ引っ張っていかなければならない。それこそが俺の役目なんだから――。
だが、言ってから自分の本当の心に気付いた気がした。口から出た言葉は強がりなんかじゃなく本心から出たものなんだという事に。
「本当に⁉」
「ああ。嘘言ったって意味ねーだろ」
瞳を僅かに湿らせているサトシの心はまるで透けるよう――。
サトシは自分が戻れなくなるということを気にしていない。俺を巻き込んでしまった事しか気にしていない。
そう考え――俯いたサトシの肩をバンバンと叩きながら大きく声をあげる。
「おい、サトシ! じゃあ、お前は何かが起きる覚悟はできてたんだな? メールでもラインでも何でも良いから、兎に角、家族に遺書でも書いとけよ。俺はもう既に書いたからな!」
「え⁉ そうなの? シュンは……そこまで覚悟してくれていたんだね……。ごめ――」
「だから、謝んなって言ったろ? 俺はもう覚悟した。お前についてきて後悔もしてねぇ。むしろこの先起こる事に期待してるんだぞ?」
目を見開いたと思ったら、再度顔を俯かせようとするサトシの顔を上げさせながら言葉を被せた。
「期待……かぁ…。そうだね。うん! 夢にまで見た異世界。それにシュンと二人で行けるんだ! じゃあ……ちょっと待っててね」
と、言いながらスマホを取り出し、文字を打ち出す――と、思ったら手を止め俺の顔を見つめてくる。な、なんだよ。
「い、遺書って書いたことないんだけど……シュンは何書いたの?」
「いやいや、ちょっと待て。俺が書いたことあると思うか? だが、そうだな……。遺書っていうよりは真実を書いたって言うべきかな? サトシの事も心配すんなって書いといたぞ」
そう言うと、サトシは「うん、なるほど」と言いながらスマホの画面に視線を落とした。その様子を見ながら思い出す。
確かに俺は巻き込まれたのかもしれない。母さんはもしかすると巻き込んだサトシを恨むかもしれない。
そうすると、間接的にサトシの両親を恨むかもしれない。でも……、そんなことはしないで欲しかった。
俺は分かっているから。サトシに悪意は一ミリもないことを。それに俺は嫌々付いてきているわけじゃない。――というような感じの遺書の内容を。
「シュン、書けたよ。でも、こんなメールだけで納得してくれるのかな……?」
「あー、普通はしねぇだろうな。うちの母さんは分からんけど……。ま、これはあれだよ。はっきり言えば俺たちの決意と覚悟みたいなもんだ。
どんな形だろうと納得なんてするわけがない。だから、俺たちが立ち止まってしまわないために必要な事なんだよ」
こんだけ言って、遺書も書いて、何も起こらなかったら道化――いや、何も起こらなかったらそれでいい。二人で笑っておしまいだ。
――と、思いながら時間を確認すると、時刻は九時半を回ろうとしていた。
帰れるなら……、確かに帰ったほうがいい時間。この後の帰り道の三十分は結構……いや、かなり辛い。
「うん。なるほど、そう言う事なんだね。分かった。なんか気持ちが凄く軽くなった気がする。 じゃあ、行こう?」
「ははは。だろ? じゃ、いっちょ異世界に行ってみるか!」
そう言って俺たちはエレベーターに向かい歩みを進めていく。本心では何もないことを願っていたし、無事に帰れることを祈っていた。
だが、硬質なタイルを歩く音だけがカツカツと耳に届き、エレベーターから洩れる光が段々と近付くにつれ嫌な予感が俺の胸の内で膨らんでいく。
チラと振り返ると、サトシの口は引き結ばれており、もう後悔の念は感じ取ることが出来ない。俺はその顔から僅かながら勇気を貰うと、エレベーターの中へと足を踏み入れた。




