003 簡単に異世界には行けない――――③
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工事関係者用の出入り口から廃ビルの敷地内に侵入した俺たちは、エレベーターの電源を入れるため、まずは管理室へ忍び込まなければならない。
だが……流石に室外で懐中電灯を点けるわけにはいかない――ので、月明かりだけの薄暗い中、散らかったゴミや瓦礫を避けながら建物正面まで足を進めていく。
顔を上げると目に映るのは僅かに隙間が空いた入り口のガラスドア。そこに恐る恐る手を突っ込み左右に力を込める。予想以上に簡単に開いていく――と共に、上方から埃の塊のようなものがポトリと足元に落ちた。
暗い無機質なビルの中は埃っぽく、付近には書類や錆びた家具なんかが散乱している。しっかし、暗い。奥にはまるで光が届いていない。辛うじて見えるのは受付らしきカウンターだけ。
俺は顔をサトシに向け手だけを差し向ける。
「懐中電灯貸してくれ」
「分かった。ちょっと待ってね」
スマホでリュックを照らしながら取り出した懐中電灯を受け取ってスイッチを付ける。カウンターの横にドアが見え、その隣は細い通路が奥へと伸びているのが分かった。
「カウンター横から管理室に行けるって書いてたよ」
「オーケイ」
サトシの言葉に短く言葉を返すと、俺が先導しカウンター横のドアを開け奥へと進んでいく。工事用なのか、なんなのか知らないが、どこもかしこも鍵なんて一つもかかっていない。
だから俺たちみたいな不法侵入に入られるんだよ、と一人心の中で毒づく……と、苦笑いが漏れそうになった。
何となく腰を低く落としながら、俺はサトシに声をかける。
「これ、まじで見つかったら怒られるだけで済むレベルじゃないぞ」
「だいじょーぶ。だいじょーぶ」
サトシはそう言いながらも、その手が小さく震えているのが分かり、薄闇に不安を表しているように思えた。溜息をつきたい衝動を抑え顔を前に向ける。
ゴミやL字型の変な資材のようなもの以外、すっからかんになった管理室に辿り着いた俺は、部屋の奥の四角い箱のような物を照らしあげた。
「照らしたままで」と言ったサトシの言葉に首肯すると、サトシはその箱のようなモノの前に座り込んで蓋を外すと何かの作業をし始める。サトシの肩越しに覗き見ると黒いコードのようなものや赤いボタン、白いレバー等がたくさんついていて、俺にはそれがなんなのかよく分からない。
「ビルの照明とかは絶対に点けんなよ! エレベーターの電源を入れるだけでいいからな」
(うん、わかった)
聞き取るのがやっとくらいの小さな声。不安で声が出ないんだろうか、と思うと俺も釣られるように声が小さくなってしまう。
(ちゃちゃっと終わらして、モンハンでもやろうぜ)
(いや、異世界……に……)
後半はもごもごとサトシの口の中だけで言葉は消えていった。
こんなにビビりなのに異世界に行きたいって――ほんとドMだなぁと思う。
「よし!エレベーターの電源は入ったはずだよ。行こう」
それでもめげずにかちゃかちゃとスイッチをいじっていたサトシは、手を止めて立ち上がると、俺のそばにきてじっと瞳を向けてくる。あ、はいはい。先に行けという事ね。
失笑が漏れそうになるのを何とか堪え、受付の先に伸びていた通路の方まで歩いていく。
ツルツルした感触を足に伝えるタイルが、小さく足を滑らせ何となく恐怖感を煽る。そのまま進むと見えてくる少し開けた場所。
懐中電灯で照らし出すと見えるエレベーターのドアは三つ。――が、1と階数表示が映し出されているモニターは一つ。その灯りだけではエレベーターホールは非常に暗い。
「ねぇシュン。ちょっと怖いからボタン押してくれない?」
そんなに怖いなら本当にやるなよな……、と思ったがいつものことなので、俺は首肯だけしてエレベーターに歩み寄る。
勿論、ボタンって言ったらエレベーターを呼ぶためのただのボタン。押すだけに何も怖いことなんてあるはずがない。電気がビリっとでもくれば流石にビビるけど……。
ボタンを押す前の最後の確認と思いサトシに顔を向けた。
「さっき話した通りの手順でいいんだよな?
三十三階まで上がり、ドアが開いて、そして閉まったら一階に下りる、そしてまたドアが閉まったら三十三階に上がる、だっけ?」
「うん」
「で、ドアが開いたら異世界に繋がってるわけだな?」
「……あっ! ごめん!忘れてた!」
サトシは何かを思い出したような顔をして両手をポンと叩く。一休さんかよ。
「一階に戻ってきてドアが開いたら、次、三十三階まで上がる時は息を止めてないといけないんだった」
「はぁぁぁぁ? サトシ、お前、それ、騙されてるぞ? どんだけ息を止めていないといけないか分かってるのか?」
出たよ。こうして不可能な事を手順に組み込んで、成功するけど出来ません、的な話。
しかも……今それを言うかい。先に聞いてれば止めてたってのに……。――だから某巨大掲示板は信用できねぇ。
「ふふふ。甘く見ないでよ! 実は対策済みなんだって。ビニール袋を使って呼吸するならノーカウントらしい!」
甘かった。甘く見過ぎてた。サトシがここまで騙されやすい奴とは。
俺は心の中でサトシの『甘い男』のステータス数値に二百ポイント程水増しする。しかもなんだよ、ノーカウントって。
「それは騙されてビニール袋で呼吸してるのを乗り合わせた人に見つかった奴を『あほなやつ、pgr』と馬鹿にするって話だぞ!」
「えー。そんなこと……。いや、でも、ほら」
「ん……?」
「このビルなら誰かに見られるわけじゃないし、別に大丈夫じゃない?」
それもそうか……。じゃあ結局何なんだ? まぁ試して満足するって言うのなら、それで良いが……。
――と、ここで俺の脳裏に彗星のごとく閃きが走る。
「おい、サトシ。これ実はドッキリとかじゃないよな?」
思えば今回は夜だというにも関わらず、母親が一片の反対もせずに快諾していたような気がする。そう考えればあの笑いも……いや、あれはいつもか。
両家族ぐるみで、ビニール袋で呼吸してる俺の姿を写真に収めようという幼稚な――。
「何言ってんの。僕が仕掛け人ってこと? もしそうなら演技上手すぎでしょ?」
確かに……。サトシのこの怖がり方が演技なら、アカデミー助演男優賞がもらえるかもしれないってレベルの迫真の演技。サトシに演技の才能なんてあるとは思えない。
もし、俺たち二人ともドッキリを仕掛けられているなら、そんなことをやる意味が分からない。俺たちは芸能人でも何でもないんだから。
解せないが……ドッキリという訳ではない……ということか。
「もう! 馬鹿なこと言ってないで、やってみようよ!」
サトシに馬鹿と言われるとは大変に遺憾だが――こんなことを話してるうちに、サトシの顔から恐怖心が消えたように見える。
「じゃあボタン押すぞ。今からじゃなく一階に戻ってから息を止めるんだな」
「そうだよ。ハイ」
そう言って、サトシはリュックから取り出したビニール袋を手渡してくる。
はぁ、まじかよ。まぁ誰もいないしいいか、と思わず溜息が漏れそうになるが、それをこらえて受け取った。
ボタンを押してすぐ、リーンという甲高い音がエレベーターホールに木霊した。ゆっくりと扉が開き、内部から零れる蛍光灯の光がホールを白く染めあげていく。
――瞬間、背筋にゾクりとした感覚を覚えた。外からビルを見上げた時と同じように肌が粟立ち、額から汗がジワリと滲み出る。しかし、辺りを見回してみても、目に映るのは不安げな顔を浮かべたサトシだけ。
気のせいだとその感覚を無理やり抑え込む。ビビってなどいない……。俺がビビるはずがない。
奥歯を噛みしめながらエレベーターを見上げてみる。開いたドア。埃っぽい匂い。その四角い箱はただ静かに佇んでいるだけで、おかしなとこなど何もない。
だが……理由は分からないが大きく開いた顎に、飲み込まれてしまうような薄気味の悪い錯覚を感じるような気がした。