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60. 魂

「……」



 二人の人間がいるというのにその部屋の中はとても静かだった。聞こえるのは呼吸の音だけだ。



「蒼君……」



 椅子に腰かけた悠乃の目の前には、ベッドに横たわる蒼がいた。大人しく目を閉じている彼はただ眠っている訳ではない。あれからまだ一度も蒼は目を覚ましていないのだ。

 病院に運ばれてから悠乃は比較的早く目覚めた。しかし蒼は一向に意識が戻らない。命に別状はないというが、体に戻った二つの魂が中々定着しないという。


 蒼のこと――悪魔と魂を混ぜられている――ということを速水達は知ってしまった。悠乃と共に病院に運ばれた蒼を検査した時に発覚したのだ。そもそも魂を奪われたというのに起き上がったという蒼を不思議に思うのは当然で、再び倒れた彼の状態を把握する為にその魂を調べなければならなかった。



「私だけ助かっても、蒼君が起きなきゃ意味がないのに……」



 何も喋らない蒼なんて蒼らしくない。いつもの軽口や人を挑発するような笑みが恋しくて、悠乃は力なくベッドに転がる蒼の手を握りしめた。


 そんな時、静寂を破るようにドアがノックされた。その音に反応して悠乃が振り返ると、開かれた扉から数人の男性が慌ただしく入って来たのだ。

 白衣の男性が一人、そして複数のスーツ姿の男性がいる。白衣の男性は悠乃には目もくれず、眠っている蒼を見て「この少年が」と目を輝かせた。



「あの、あなた達は」

「本当に悪魔と融合しているのか!? 素晴らしい! 一体どんな方法で出来上がったのか……それに、どこまで悪魔の力を引き出しているのか是非とも調べてみたい!」

「お気に召したようで。ではこの少年を運び出せ」



 いきなりそんなことを言ったスーツの男の言葉に従って、後ろに控えていた男達が蒼に近付く。蒼に手を伸ばす男を見た悠乃は咄嗟に立ち上がってその手を跳ね除けると、訳も分からないまま蒼を守るように両手を広げた。



「何なんですか一体!」

「邪魔をしないで頂きたい。我々は朝日蒼を保護しに来ただけなのだからな」

「保護……?」

「その少年は非常に貴重な存在です! その体や魂を調べれば今までにないことが分かるかもしれない。悪魔についての研究がもっと進むかもしれないんです! 彼は非常に価値の高い実験体だ!」

「何、それ」



 興奮気味に早口で話し続ける白衣の男に悠乃は強い憤りを覚えた。どうしてそんなことを考えることが出来るのか。蒼が今まで頑なに自分のことを隠して来たのはこういう人間がいるからなのだと悠乃は怒りに震える両手を握りしめた。



「それのどこが保護だって言うんですか! 蒼君の命を弄ぶことしか考えてない、そんな人達に蒼君は渡しません!」

「そういう君は一体何なんだ? ここは関係者しか入れないはずだが」

「……警視庁特殊調査室所属、鏡目悠乃です」

「成程。では聞くが、君はこの少年が今後普通の人間として暮らせると思っているのか?」



 悠乃の見せた警察手帳を興味なさげに眺めたスーツの男は、眠る蒼を一瞥して感情の籠らない声で告げた。



「悪魔の魂を持つ人間。そんな存在が紛れ込んでいると知れば多くの人間が恐れることだろう。いつ殺されるか分からない、何をしでかすのか分からない。――何かをする前に殺してしまえ」

「!?」

「そう思う人間も多いだろう。人間は他人にはいくらでも酷いことが出来るからな。そんな人間に殺される前に我々が保護すると言っているんだ」

「勿論私達は命を保証します。何せ代わりの居ない実験体ですからね、駄目になるまで大事に使いますよ」



 蒼が殺される、その言葉に気を取られた悠乃だったが、それに続けられた白衣の男の言葉に頭がぐらぐらと沸騰するような感覚を覚えた。



「使うって何ですか……蒼君は物じゃない! 蒼君は……二つの魂を持っただけの普通の人なんです! 悪魔の力を使えても、それでむやみに他の人を傷付けたりなんてしません!」

「それは君のただの予想だ。何の役にも立たない」

「でも……」

「もういい。連れていけ」



 これ以上話すのは無駄だと会話を打ち切られる。それと同時に男達が蒼の手足を掴んで持ち上げようとし、悠乃は必死にそれを妨害した。



「邪魔だ」

「絶対に連れて行かせません!」

「取り押さえろ」



 いきなり背中から床に叩きつけられる。起き上がろうとしても背中を足で踏まれ、手を後ろに回されて動けなくなってしまう。



「蒼君!」



 叫んでも蒼はぴくりとも動かない。どんどん彼が離れていくのを目で追うことしか出来ない。

 部屋の扉が開かれ蒼を運ぶ男達が外に出ようとする。しかし彼らは一歩廊下に足を踏み出した所で何故かその足を止めてしまったのだ。



「可笑しいなあ、随分勝手なことをしてる人達がいるもんだ」



 悠乃も聞き慣れた声が廊下から聞こえて来た。彼女が必死に顔を上げると、押されるように蒼を担いだ男達が後ずさり病室の中へ戻って来る。



「これって歴とした誘拐じゃないですかね、速水さん」

「そうだな」



 話しながら病室に入って来たのは三人の男。そのうちの二人は軽口を叩き、そして彼らの後ろから来たもう一人は悠乃を見るとすぐに病室に飛び込んで彼女を踏みつける男を全く容赦なく無言で蹴り飛ばした。



「な、何だね君達は」

「困りますよ篠崎さん。うちの部下に危害を加えた上、病人を勝手に連れ出すなんて」



 スーツの男を篠崎と呼んだ速水は担がれた蒼と、悠一に助け起こされている悠乃をちらりと見てそう言った。



「兄さんありがとう……」



 悠乃を解放した悠一は無言で彼女の背中をはたき続ける。……怒っているのだろう、やけに痛かった。



「警察か。私は彼を保護しようとしているだけだ。その年でクビにはなりたくないだろう、大人しく下がっているんだな」

「そういう訳にはいかないんですよねえ。朝日少年は既にうちが後見人になるって話が着いているもんで」

「……? 何の冗談だ」

「こいつは椎葉が後ろ盾に着いた。そう言えば分かりますかねー?」



 和也が挑発するように楽しげに言うと、篠崎の顔色がみるみるうちに変化していく。



「椎葉だと!? 貴様あの男の」

「うちの父がお世話になって……ませんね、別に。そういえば虹島の当主が逮捕されましたけど、そちらの家への影響は大丈夫ですかね? 確か随分親しくしていたと聞きましたけど?」

「し、失礼する!」



 畳みかけるような和也の言葉にどんどん顔を青くした篠崎は、酷く取り乱して早足で病室を出て行く。名残惜しそうに蒼を見る白衣を他の男が引き摺って行き、そして十秒も立たないうちに病室は再び静寂を取り戻した。



「速水さん、和先輩」

「よ、ちびすけ。退院早々に災難だったな」



 速水が蒼をベッドに戻す。そんな彼を見て安心した悠乃は速水達に向けて大きく頭を下げた。



「ありがとうございました」

「いや、ああいう輩をここまで通したのが問題だしな。とにかく間に合ってよかった」

「先輩、後ろ盾っていうのは」

「そのまんまだ。病院中に内通者がいたのか朝日少年のことが水面下で話が広まってる。だから他のやつらが動き出す前に手を打たせてもらったんだ」

「俺の落ち度だ。すまない……」

「速水さんが悪い訳じゃないですよ。……私があの時、蒼君を巻き込んだんです」



 威嚇射撃でもなんでもがむしゃらに撃っていれば蒼まで魂を取られなかったかもしれない。そうすれば蒼のことが知られることはなかったのだ。

 落ち込む悠乃達を見た和也はちらりと眠る蒼を窺って「そんな暗くなるなって」と明るい声を出した。



「命に別状はないんだろ? どうせそのうちあっさり起きてまたすぐにぺらぺらしゃべりはじめるだろうさ」

「そうだといいんですけど」

「あいつしぶとそうだろ? 心配すんなって」



 悠乃の頭を乱暴に撫でた和也は、続いてちらりとその傍にいる同僚に呆れた顔を向けた。



「悠一……いつまで背中払ってんだ」






 油断するからあんなやつらに負けるんだ、とあれから悠一にくどくど説教された悠乃は、三人が帰ってようやく解放されたと息を吐いて椅子に座った。

 急に静かになった所為で酷く物寂しい気分になる。



「蒼君……」



 声を掛けても勿論反応はない。その静寂に泣きそうになりながら、悠乃は話しかけるように口を開いた。



「私、生きてるんだよ。一度魂を抜かれたのに。……蒼君が助けてくれたんだよ」



「私ね、思い出したんだよ。蒼君があの時言ったこと、夢の中で置いて行かないって約束してくれたこと」



 悪夢の中で独りぼっちだった悠乃を迎えに来てくれた。だからずっと、蒼と一緒にいると安心できた。だからきっと――。



「蒼君……好きだよ」



 好きになったのだろう。人を揶揄うのが好きで、性格が悪くて、自分のしたいようにしか行動しない、そして何より……優しい蒼を、悠乃はいつの間にか好きになっていた。

 今までずっと無自覚だったというのに、きっかけを思い出した瞬間転げ落ちるように彼への想いを理解した。人間も悪魔も、どちらもひっくるめた蒼のことを。



「私の魂貰うって、見張ってやるって言ったのに……。早く、起きてよ」



 堪え切れずに一筋の雫がシーツに染みを作った。



「寂しいよ……」













「鏡目さん。久しぶり、でもないかな」

「よー」



 後日、蒼の病室を訪れたのは楓達だった。あの事件以降に会うのは初めてだ。楓と小夜子は悠乃と、そして眠る蒼を見て最初に大きく頭を下げた。



「本当に、済まなかった」

「楓様を助けてくれて、本当にありがとう」

「先輩、顔を上げてください!」

「だが、その所為で朝日は……」



 楓は悠乃に、蒼に頼まれて祖父に彼の話をしたことを話す。速水から話を聞いていた悠乃は、しかし蒼が自ら当主に狙わせるように楓に言っていたことまでは知らなかった。蒼も速水にそのことを言っていなかったのだ。



「そうだったんですか。……蒼君らしいですね」

「怒らないのか」

「怒るのなら蒼君に怒りますよ。だからそれが出来るのを待っているんです」



 悠乃はそっと蒼の髪を撫でる。起きていた時にそうしたら、彼は一体どんな反応をしただろうかと思いながら。



「先輩達は、これから……」

「虹島の人間として、今までのことを償っていくつもりだ。俺に出来ることなんかたかが知れてるが、それでも俺はあの家の人間だから」

「それは……」



 酷く辛い道だろう。特に分家の人間からは酷く恨まれているであろう現状に悠乃が心配していると、楓はほんの少しだけ微笑んで小夜子とクロを振り返った。



「二人も、一緒に居てくれると言ってくれた。だから大丈夫だ」

「何度も断られたけれどね」

「楓は意地っ張りなんだよ」



 小夜子とクロが笑い合う。その雰囲気はとても穏やかなものだ。



「楓様の命は私のものらしいので、私の知らない間に死なれては困ります。ずっと見張ってますからね」

「オレも小夜子もしつこいからな。覚悟しろよ」

「だそうだ」



 苦笑した楓を見て悠乃も微笑む。しかし小夜子の言葉に蒼の言ったことを思い出して寂寥が込み上げてくる。



「それじゃあ鏡目さん。朝日のこと、よろしく頼む」

「はい。先輩方もお元気で」



 それから少し話をした後、結局目覚めなかった蒼に名残惜しげにしながら楓達は席を立つ。しかし二人が病室を出て行こうとした時、クロだけはその場に立ち止まっていたのだ。



「楓、小夜子、先行ってろ」

「どうした?」

「少し話したいことがある」



 そう言って悠乃を見るクロに、楓は少し困ったように彼女を窺った。



「鏡目さん、大丈夫か?」

「勿論です」

「……クロ、何もする気はないわね?」

「疑うなあ。何もしねえよ」



 前科があるため心配そうにする二人にクロは軽く答える。虹島家で一度助けてもらった悠乃は特に不安も抱かずに二人が出て行くのを見送った。



「それで話って何?」

「お前、悪魔と契約したのか」



 単刀直入にそう言われ、悠乃は目を瞬かせた。確かにクロも悪魔なのでそういうことには敏感なのかもしれない。特に悠乃の場合アオから力を分け与えられたのでそれを感じ取ったのだろう。



「うん」

「悪魔は……こいつなのか?」

「蒼君のこと知ってたの?」

「知らないが想像は出来る。こいつ、悪魔が混ざってるよな。……あの爺さんにそうされたって訳か」



 納得したようにクロが頷く。悪魔の術を使った所を見た時から大体答えは出ていたのだ。



「それで? わざわざ悪魔と契約するなんざ、のっぴきならない事情があったんだろ」

「……うん」



 悠乃はぽつりぽつりと魔界であったことを話し始める。悪魔であるクロは魔界のこともよく知っている。彼女が一を話すだけで十を理解した彼は、悠乃が口を閉じると驚いたように「ほおー」と声を上げた。



「お前の魂が対価ねえ。……随分お優しいやつだな」

「え?」

「普通の悪魔は魂一つじゃあ基本的に契約なんてしねえよ。ま、今回は魔法陣を介してないから抜け道ってとこだが」



 悠乃は首を傾げた。クロの言っていることがよく分からないのだ。まとめて二人の魂を奪ったあの悪魔はともかく、他の悪魔だって基本的に贄は一つのはずなのである。



「どういうことなの?」

「普通の契約では魂は二つ頂く。贄と……契約者だ」

「……え?」

「通常悪魔憑きが死ぬとその魂は契約した悪魔のものになる。……そんな話聞いたことない? 実はちゃんと契約書――魔法陣にはっきり書かれてるんだぜ? そもそも契約者が全くリスクを負わない召喚儀式、可笑しいとは思わなかったのか」



 昔は契約者も承知で悪魔を召喚していた。しかし契約を簡略化する為に魔法陣を用いるようになってからそのことを知る人間は減っていったのだ。魔法陣の術式の意味が忘れ去られ、全てが解析されていない現代において、このことを知っているのは悪魔だけになった。


 そして勿論悪魔達は契約者にそれを伝えない。「魔法陣に書いてあるんだ、承知の上だろう」とせせら笑うだけだ。



「そのこと、夕霧先輩は」

「小夜子は知ってる、オレが話したからな。楓の命が小夜子のものなら、その小夜子の魂はオレの物。どう使おうがオレの自由だ」



 クロは唖然とする悠乃に軽く笑って蒼の眠るベッドの端に腰掛ける。その表情は楽しげで、話の内容とは全くそぐわないものだった。



「魂を食べて力に変えるのも、コレクションとして飾っておくのも自由だ。痛めつけて死ねない苦しみに喘ぐのを観察するのも……そのまま解放して生まれ変わらせてやるのも、な」

「! じゃあ」

「オレは何も言ってねえぜ?」



 一気に表情を明るくした悠乃を見ながらクロは立ち上がる。そして彼女の目の前に来るといきなり片手で悠乃の頭を掴んで上を向かせた。



「クロ?」

「お前も悪魔憑きの一員になったんだ。せいぜい悪魔を甘く見ないことだな。油断してあの爺さんのようになっても知らねえぞ?」

「理事長? それは、どういうこと」

「あいつは悪魔を六体も使役してたんだぜ? しかもだまし討ちのような方法で契約した。あの爺さんが死んだら、一体どうなるだろうなあ?」

「……どうなるの?」



 死んだら魂を奪われる。しかし悪魔が六体もいたあの老人は一体どんなことになってしまうのか。


 怖いもの見たさで尋ねてしまった悠乃は、至近距離でとても悪魔らしく笑ったクロを見てぞくりと背中に悪寒が走った。



「死んでからの、お楽しみだ」



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