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6. 尋問

 冷静になれ、と悠乃は混乱する頭を無理やり落ち着かせる為に心の中で何度も呟いた。彼女の目の前にいるのは大きな獣――狼のような姿をした魔獣だ。狼のような、とは言うものの、青白い体毛と六本もある足を見れば本物とは間違えようがない。そうそう魔獣なんて居る訳もなく被害者の証言とも一致している為、恐らくこの魔獣が今回の事件で召喚された個体だろうと推測された。


 しかし何故このタイミングで悠乃の前に現れたのか。だが考えている暇はなく、彼女は今にも自分に飛び掛かってきそうになっている魔獣から目を離すことなく、姿勢を低くしてそっと制服の上着の内側に手を入れた。



「……え?」



 ところがその手が外に出る前に事態は動く。魔獣は唸り声を上げて悠乃を睨み付けていたのに関わらず、不意に何かに気が付いたかのように尻尾を逆立てたかと思えば、途端に彼女から興味を失うように背を向けて走り出してしまったのだ。



「あ、待って!」



 悠乃が一瞬呆気に取られているうちに魔獣は素早くその姿を暗闇の中に消してしまう。せっかくの手がかりが目の前に現れたというのに掴み損ねてしまったのだ。彼女は必死に周囲の見回したものの、魔獣を操っているであろう悪魔憑きの姿はまるで見つけることができなかった。



「悠乃、待たせたな」

「蒼、君……」



 静寂が支配する中でアスファルトを蹴る靴音はよく響く。魔獣が去ったと同時に戻って来た蒼を、悠乃はじっと見つめるように見上げた。

 魔獣が突然姿を消したのは、悠乃の元へ戻る蒼の存在に気が付いたからだろうか。それとも……。



「どうした?」

「……ううん、何でもないよ」



 もう一つの可能性を思い浮かべた彼女は、胸の内に宿った蒼に対する微かな疑心を振り払うように首を振った。













「え、魔獣がいたのか? 俺も見たかったなあ、氷室が呼び出しさえしてなきゃ……」

「一緒にいても見えなかったかもしれないけどね……」



 アパートへ戻る途中、どうにも不審な態度を取る悠乃を問い詰めて事情を吐かせた蒼は、少々悔しそうな表情を浮かべながら担任に対する文句をぶつぶつと呟いた。完全に魔獣が見えると確信している様子の蒼に苦笑しながら一言付け加えた悠乃は、先ほど過ぎった考えを改めて頭の中に巡らせながら彼を観察するように見つめた。


 魔獣が見られなくて悔しがっている顔が本心なのかは悠乃には分からない。そもそも蒼が言うこと全て、今まで真意を量り損ねているのだ。悠乃の調査に関わって来たことだって、もしかしたら彼女の仕事を妨害する為という可能性だってある。



「それで? 犯人は見つかったのか?」

「探したけど近くには居なかったみたい。魔獣は悪魔と違ってそんなに難しい命令は聞けないはずだから、多分そんなに離れた場所にはいないはずなんだけど……」



 そう口にしながら無意識にちらちらと蒼を見てしまう悠乃に、彼は僅かに沈黙を挟んで「成程なあ……」とどこか納得したように言った。



「それで悠乃は俺を疑ってるってとこか」

「うん。……え?」

「お前、本当にそんなに顔に出やすくて警察官として大丈夫なのか? いや顔どころか口にも出てるけど」



 さらりとそのまま世間話をするかのような口調で続けられた言葉に流されるまま頷いてしまった悠乃は瞬間ざあ、と血の気が引く感覚を覚えた。「いや」「その」と言い訳をしようとして碌に話せない彼女を面白そうに眺めた蒼は「隠すだけ無駄なんだから正直に言えば?」と止めを刺すように言って笑う。



「……ごめんなさい」

「まあ、普通に考えたら俺を怪しむのは当然だろうな。急に捜査に協力したいなんて言ってるし」

「え、まさか本当に……悪魔憑きなの?」

「さあね? それを調べるのがお前の仕事だろ。そもそも俺が肯定しようが否定しようが、それを鵜呑みにしてたら警官失格なんじゃねえの」



 蒼の言葉に悠乃ははっと我に返る。確かにたった一人の――それも犯人かもしれない人物の言葉だけで判断するなどしていいはずがない。人の話を鵜呑みにするなと兄にも同じことを言われている。すぐに人を信じてしまうのは悠乃の――少なくとも警察官としては――悪い所だ。


 悠乃が反省して落ち込んでいる間にも歩みは止まっていない。話が途切れてすぐにアパートに到着すると悠乃は鍵を取り出そうとして、しかしその必要がないことを思い出してドアノブに手を掛けた。今日は速水が非番なのだ。



「速水さん、ただいま帰りました」

「お邪魔しまーす」



 意外にも礼儀正しくそう言った蒼に少し驚きながら、悠乃は靴を脱いでリビングへと向かう。廊下にもすでに食欲を刺激する匂いが漂っており、その匂いに釣られるように室内を進んだ。



「おかえり、悠乃」

「速水さんすみません、夕食作ってもらって」

「非番なんだからこれくらい当然だろう。……それで、そっちが例のクラスメイトか」



 リビングのソファで本を読んでいた速水は顔を上げると、悠乃から視線を外して目を細めるようにして蒼を見た。相変わらず含むように笑みを浮かべる蒼も同様に速水を観察するように眺め「どうも」と口を開く。



「朝日蒼です。どーぞよろしく」

「速水だ。悠乃の保護者のようなものだと思ってくれていい」



 お互い探るような視線を送り合う。表情は穏やかなものだがどうにも剣呑な雰囲気に、悠乃は両者を交互に眺めながら冷や汗が出た。

 張りつめた沈黙が続く中、先にため息と共にそれを破ったのは速水だった。



「……まあ、とりあえず夕食にしよう、話はそれからだ。朝日君、君も食べていくといい」

「それなら遠慮なく」

「悠乃、手伝ってくれるか」

「はい!」



 話を振られた悠乃はこの雰囲気から解放されると思わず大きな声が出た。慌てて鞄を置いてキッチンに向かうと美味しそうな匂いが更に強く広がり、彼女は夕食のメニューを頭の中で思い描いた。鍋の蓋を開けてみればやはり予想通り、そこには僅かに湯気の立つビーフシチューが入っている。時々速水が非番になると時間を掛けて作られるそれは、悠乃の好物の一つだった。


 再度火を入れてから深皿にビーフシチューをよそい、片付けられたテーブルに運ぶ。付け合せのサラダは速水が準備をしており、一人先に席についた蒼は彼女が持ってきた料理を見て「おおー」と少々喜色を含めた歓声を上げた。



「これ、あのおっさんが作ったのか?」

「おっさんって……うん、速水さんが作ったけど」

「ふーん、意外だな」

「美味しいから楽しみにしててね」



 トースターで焼き上がったロールパンを取り出して配膳が終われば準備完了だ。悠乃と速水もテーブルにつくと「いただきます」と三人声を合わせて食べ始める。先程もそうだが、普段の様子からはあまり感じられないものの蒼はこういう言葉はきちんと口にするらしい。

 スプーンでシチューを掬い、少し冷ましてから口に運ぶ。じっくりと時間を掛けて煮込まれたそれは具材も非常に柔らかく、ほろほろと口の中で崩れじんわりと味が染み出す。何度食べても感動が薄れないそれは、初めてこれを食べた時の味とずっと変わらない。



「……へえ、これは」

「美味しいでしょ!」

「確かに」



 言葉はあっさりしているが蒼の表情が緩んだのを見て悠乃も嬉しくなる。にこにこと上機嫌でパンをシチューに浸していると、今まで静かに二人を見ていた速水が「そろそろ本題に入ってもいいか」とスプーンを置いた。途端に蒼の表情が元に戻り、悠乃は少し残念に思いながらも速水の方を向く。



「それで、俺に何の用だったんですか?」

「一体何が目的だ」

「目的?」

「何の意図があって悠乃に近付いた。何故捜査に関わろうとする?」



 速水の視線が鋭く蒼を射抜く。へらへらと本心を隠すように笑う彼の本質を見極めようと有無を言わせない圧力を込めて問いかけた速水を見て、悠乃は蒼がどう答えるのだろうかと不安になりながら彼を窺った。

 しかし当の本人は速水の言葉に一切の動揺もせず、ごく普通にサラダを飲み込んでから平然と彼を見据えた。



「いやですねえ、普通好奇心旺盛な高校生が悪魔とか潜入捜査とか聞いたら関わりたくなるものでしょう?」

「君もそうだと?」

「ご想像におまかせします」



 速水の目が厳しさを増す。それをさらりと受け流しながら食事を進める蒼は、ふと手を止めて自分を見ている悠乃に気付くと手にしていたパンを軽くちぎってそのまま彼女の口に押し付けた。



「むぐ、」

「早く食べないと折角の美味い飯が冷めるぞ?」

「う、うん」



 突然口に入って来たパンに驚きながらも飲み込んで頷いた彼女がスプーンを動かし始めるのを見ると、彼はもう殆ど残っていなかったビーフシチューをかき込んでそのまま空になった皿を速水に差し出した。



「お代わり、もらえます?」

「……はあ」



 その様子にやや毒気を抜かれてしまった速水は、嘆息しながら皿を受け取った。



「まあいい。……だが、もし捜査の邪魔や悠乃の正体をばらそうとした時はこちらも相応の対処をさせてもらうからな」

「具体的には?」

「あまりに手に負えない状況なら君の身柄を拘束させてもらう。話を聞く限り君は中々素行が悪いようだから、いくらでも誤魔化せるし誰も疑わないだろうな」

「大人げねえの」

「悪いがこちらも仕事なのでね」



 お代わりを差し出しながらする会話ではないと、悠乃はぴりぴりとした空気の中でそぐわない行動をする二人を見て気まずさを覚えながら食事を続けた。





「ごちそうさまでした」

「蒼君って、結構そういうのしっかり言うんだね」

「意外か? 俺はちゃんと礼儀正しい人間なんだよ」



 何とも言えない空気のまま夕食が終わると、蒼は軽口を叩きながら立ち上がる。帰るのだろうと悠乃が玄関まで見送ろうとするが、その前に速水に「俺が行くから」と制された。



「悪いが片付けの方を頼む」

「はい……」



 先ほどまでの不穏なやりとりを思い出して大丈夫かと彼女は速水を窺おうとしたが、すでに彼は悠乃に背を向けて蒼の後を追っていた。



「朝日君」

「何ですか?」

「これを」



 悠乃が追って来ないのをちらりと振り返って確認した速水は靴を履く蒼に一枚の紙切れを差し出す。一瞬訝しげにそれを眺めた蒼はおもむろに受け取ってその内容を確認すると、非常に嫌そうな表情を作った。



「あー……俺、おっさんには興味ないんで」

「俺だってお前みたいな野郎に興味あるか!」



 あえて分かっていて言っているであろう蒼に若干の苛立ちを感じつつ、速水は一度呼吸を整えて冷静さを取り戻す。蒼に渡した紙には、速水のアドレスが書かれているのだ。



「もし悠乃に何かあったらそこに連絡してくれ。いつでも出られるようにしておく」

「いいんですか? 俺のこと信用してない癖にそんなこと頼んで」

「確かに信用してないが……それよりあいつが大事なんだ」

「へーえ?」



 朝日蒼という人間が何を考えているのか、それは速水も分からないし出来るだけ悠乃の障害になりそうなものがあったら排除しておきたいのが本音だ。まして少し話しただけでも決して誠実な人間に思えなかったのだから尚更。

 だが潜入捜査を始めて今まで秘密をばらしていないこと、そして悠乃が多少なりとも気を許しているのを見た速水はとりあえず当面は彼の不安要素を呑み込むことにしたのだ。



「君がどんな理由で悠乃に関わるのかは知らないが、それでも現状、君の存在で多少なりともあいつは救われている」

「俺は別に何もしてませんけどね」

「周囲を全て欺かなければならない状況で、一人でも真実を知る人間が傍にいるというのはそれだけで心強いものだ。まして悠乃は潜入捜査には向いていないからな、君が協力してくれて正直助かっている」

「じゃあ何であいつが調査を? あんな馬鹿正直なやつに普通は任せねーと思いますけどね」

「うちは特殊な部署だから万年人手不足なんだ。それに……少々事情があって悠乃は殆ど学校に通えなかったからな、この機会にと思ったんだ。慣れないこともあるだろうから、出来れば調査だけでなく普通の学校生活にも目を配ってくれたらありがたい」

「……俺は、俺の好きに行動するので」



 否定とも肯定とも取れる言葉を笑顔で告げた蒼は、それ以上会話を続けるつもりはないようで「お邪魔しました」とだけ言い残して玄関から出て行った。無意識に蒼の背中を目で追って扉の外に出た速水は「あいつは本当に何なんだ……」と小さくぼやいた。本当にただの好奇心なのか、それとも他に理由があるのか。

 悠乃のような本心を隠せない性格とは真逆の蒼に頭を悩ませながら家の中に戻ろうとした速水は、しかし一瞬だけ動きを止めて外を振り返った。


 どこかで、微かな犬の唸り声を聞いた気がした。




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