58. 起死回生
「表が動いた。こっちも行くぞ」
「はい!」
屋敷の裏側で待機していた悠乃達四人が動き出す。表は陽動ということもあり裏の方が人数が少ないが、頼りになる人達ばかりだ。一番悪魔との交戦経験の少ない悠乃は足手纏いにならないように気合を入れて虹島家へ飛び込んだ。
「……静かだな」
四人の中で一番年上の吉川が呟く。彼は警戒するように周囲を見回した後、悠乃達に着いて来るように指示をして走り出した。目的の場所は分かっているので当主の部屋へと真っすぐに進む。
それにしても広い。紙面上で確認した時よりもずっと広い廊下を走っていた悠乃は、不意に前を走る吉川が足を止めたのを見てぶつかる前に慌てて立ち止まる。
「伏せろ!」
悠乃がその声に反応する前に、悠一が彼女の頭を押さえつけた。ブン、と頭の上で何かが風を切ったのを感じる。
「侵入者発見。排除する」
頭に置かれた手が退かされて顔を上げる。そこにいたのはひょろりと細長い体格をした悪魔が、片手に大鎌を持って立ちはだかっていたのだ。
「行くぞ」
「了解!」
即座に戦闘態勢を取った悠乃達の中で一番に駆け出したのは小柄の女性――木下だ。彼女は両手にナイフを握り、そして一気に悪魔の懐に飛び込んだ。
木下は他の捜査官とは違い銃を使わない。射撃の腕が壊滅的な為、前衛に出て悪魔を牽制し引き付ける役を買うことが多いのだ。
「邪魔な」
「撃て!」
吉川の声に悠乃達三人が同時に悪魔を狙って銃弾を放つ。それに気付いた悪魔が即座に飛びのくが、僅かに遅く銃弾は手足に直撃した。しかしそれだけでは悪魔にとって致命傷にはなりえない。
後ろに下がった悪魔を木下が追うが、それを牽制するように大鎌が横薙ぎに振り抜かれて距離が詰められない。
悠乃が後方から発砲するが、それも大鎌に弾かれる。広いとはいえ廊下だ、悪魔の背後に回り込むように動くことが出来ないので不意を突くのも難しい。
「時間がないのに……!」
早く蒼の元へとたどり着かなければならないのに、そう思うと焦りばかりを感じてしまう。必死に悪魔に向けて発砲する悠乃は余裕を無くしており、背後からもう一体の悪魔が迫っていることに気付くのが遅れてしまった。
「悠乃!」
悠一は声を上げると同時に動いていた。悠乃と悪魔の間に割り込んだ彼は殆ど零距離で悪魔の心臓を打ち抜く。大きく仰け反った悪魔に吉川も追撃を掛けると悪魔は断末魔を上げながらぐったりと倒れ込んだ。
僅かに肩の力を抜いたのもつかの間、木下が牽制を掛けていた悪魔が彼女を突き飛ばして吉川に迫っている。もう一人の悪魔に気を取られ即座に反応出来なかった吉川の背後に向けて、悠乃は咄嗟に銃弾を放った。
「っ!?」
悠乃の銃弾は吉川の顔のすぐ横を通って悪魔の頭部に直撃する。自分が撃たれるかと思った吉川は僅かに冷や汗を掻いた。
「すみません……」
「いや、助かった」
一気に動きが鈍った悪魔達だが、このまま大人しくしている訳もない。彼らは攻撃を止め、今度は悠乃達を足止めすることを重視するように武器を振り回して道を塞ぐ。
「当主様の前に行かせなければいい」
「慣れない忠犬ごっこか? くだらない」
どうにかして早く倒さなければと必死に頭を振り絞っていた悠乃は、急に聞いたことのある声を耳にして「あ」と思わず声を上げた。
「貴様……裏切るつもりか!」
「何言ってんだよ。オレがお前らの味方だったことなんて一度もねえっての」
目の前に立ちはだかっていた悪魔。その背後から腹を串刺しにして笑ったクロはそのまま勢いよく槍を引き抜いて悪魔を蹴り飛ばした。
「クロ!」
「早く行け。ここはオレが引き受けてやる」
新たな悪魔の登場に悠乃以外の三人は酷く警戒を露わにする。そんな彼らに「味方です」と簡潔に説明した悠乃は、道を開けてくれたクロに礼を言ってその横を走り抜けた。
「クロ、ありがとう!」
「はいはい」
悠一達も困惑しながら悠乃に続く。そんな彼らを呑気に見送ったクロは、不意に顔面に飛んで来たナイフを打ち落としてにやりと笑みを浮かべた。弱っているようだがまだ油断できないようだ。
「さて、ちょっと遊び相手になってもらうぞ」
「鏡目さん!」
そのまま当主の部屋へと駆け込んだ悠乃達はその部屋にいた人物――楓を見て目を見開いた。
「会長、なんでここに」
「隠し扉を開けておこうと思ってな。俺もずっと昔に見たきりだから……確か、ここだ」
しゃがみ込んで中央の床を触っていた楓は、特に何の変哲もない一つの床板の上で手を止めた。それを無理やり剥がすように持ち上げると、ガコン、と小さく音を立てて床板の下から鉄製の取っ手が現れた。
「これは普通に見ても分からないわね」
木下が感心して床を眺める。そのまま楓は取っ手を横にスライドさせようとするが、未だに片腕しか使えない彼には重たいらしい。悠一が手伝ってようやくそれが開かれるとそこには地下深くまで繋がる長い階段があった。
「ありがとうございます」
「いや……警察の皆さん。朝日と……お爺様のこと、よろしくお願いします」
「……ああ、必ず」
苦しげに顔を歪めて頭を下げた楓に、悠一は短い返事をして階段へと足を踏み入れた。
急いで階段を駆け下りた悠乃達は、事前に楓に聞いていたように右側に位置する部屋の扉に手を掛けた。この先に蒼がいるのだと意気込む悠乃だったが、しかし鍵が掛かっているようで全くノブが回らない。
「俺がやろう」
悠乃を下がらせた吉川が拳銃を手に取る。先ほど悪魔と交戦していた時よりももっと大型の銃で、彼は鍵の傍に銃口を向けてそれを発砲してみせた。
瞬間、耳が痛くなるような破裂音が響き渡ると同時に鍵が壊れる。その勢いのまま部屋に飛び込んだ悠乃は、拳銃を構えて大きな声で叫んだ。
「警察です! 動かないで下さい!」
「もう遅い」
しかし彼女の声に答えたのは酷く勝ち誇ったようなしゃがれ声だった。彼女達が部屋に入ったちょうどその時、当主は既にナイフで切った指から溢れた血を魔法陣に塗り付けてしまっていたのだ。
広い部屋の中が召喚の光に包まれる。その眩しさに強い力の悪魔が来るのを察した悠乃は、薄目を開きながら蒼の元へと走った。召喚時の魔力の膨張の勢いに弾き飛ばされた彼は壁に叩きつけられており、痛みに顔を歪めている。
「蒼君!」
「……悠乃」
やっと助けに来られた。
悠乃は蒼を庇うように前に立ち警戒するように銃を構えた。今は光の所為で見えないが、入った瞬間に一人の悪魔がいたのを確認している。
吉川や悠一が当主に発砲しているようだが、光と魔力に押されて当たっていないようだった。悪魔がその姿を現わした瞬間を狙う。悠乃達警察四人は同時にそう判断を下した。
「え――」
しかし、四人のうち二人はその瞬間動きを止めていた。
「お前が召喚者か。俺は――」
「口上などいらぬ。好きな贄を選んで残りを殺せ」
当主の前に現れたのは、真っ黒な姿の悪魔らしい悪魔だった。強い力を持っているらしい彼は存在するだけで周囲にプレッシャーを与えてくる。
しかし動けない理由はそれだけではなかった。即座に発砲した吉川や飛び掛かった木下とは裏腹に、悠一と悠乃は大きく目を見開いて、一度目にしたことのあったその悪魔を凝視した。
七年前、遊園地で見たその悪魔を。
「ふん、どれでもいい。なら手始めにこれにするか」
「きゃあっ!」
「木下!」
吉川の銃弾を片手で軽々と弾き、それを木下の肩に当てる。喋りながらそれを軽々とやってのけた悪魔は、そのまま周囲を一瞥して一番近い場所にいた人間に目を止めた。
「悠乃!」
「あ……」
元々当主の傍に居た蒼、そして彼の前に立つ悠乃。もっとも近い位置にいたのは彼らだった。
近づいて来る悪魔にがたがたと体が震える。七年前と同じ光景が、目の前に広がる。
悠一が走っても悪魔が手を伸ばす方がずっと早い。その手が悠乃に届く直前、彼女が力を振り絞って引き金に掛けた指に力を入れたが、飛び出した銃弾はあっけなくその手に握りこめられてしまった。
死ぬ。
悠乃がそう思った瞬間には悪魔の手は彼女の体に吸い込まれ、そして悠乃を庇おうと立ち上がった蒼ごとその体を貫いた。
「まずは二人」
からん、と軽い音を立てて拳銃が床に落ちる。悪魔が腕を引いたその直後、悠乃と蒼は折り重なるように床に倒れ込み、そしてぴくりとも動かなくなった。
魂が抜かれ――そして、死んだのだ。
「――ゆ、の」
あと数メートル。その先で抜け殻になった妹を見た悠一は何も考えられなくなった。立っている力すらなく、膝を着いて床に崩れ落ちる。
たった一人の肉親が、とうとう居なくなってしまった。
「……あれまで殺してしまったか。まあいい。後は残りの人間を殲滅しろ。どうやらもう少し増えるようだが」
蒼まで魂を奪ったことに当主は眉を顰めたがすぐに表情を戻す。その時どたどたと階段を駆け下りる複数の人間の足音が地下室に響き、当主は悪魔に目で示してみせた。
「――どういうことだ」
降りて来た速水達は部屋の惨状を見て絶句した。任務で同僚を失った経験もある。しかしそれでも動揺しない訳もない。ほんの僅か、それだけの時間動きを止めてしまえばこの悪魔にとって十分な時間だった。
「殺せ」
「――っ皆、応戦しろ!」
当主の声と共に悪魔が飛び掛かる。それと同時に速水が声を振り絞って銃を悪魔に向けた。彼の声に我に返った捜査官達もすぐに戦闘態勢に入るが、その動きはどうしてもいつもよりも精彩を欠いている。動揺と怒り、それらは完全に消すことなど出来ない。
悪魔はさっさと殺してしまおうと銃弾の雨を振り払う。頭と心臓だけを庇って余裕の表情で一歩前に踏み出した彼は、ところが次の一歩を踏み出すことは叶わなかった。
「……へへ、残念でした」
場にそぐわない軽口がこだまする。背後でその声を聞いた悪魔は振り返ろうとしたが、その前に頭に言葉にならない衝撃を食らった。
「あ、さひ君……?」
蒼が、悪魔の背後に立っていた。しっかりと足を踏みしめ、その手に悠乃の拳銃を握りしめて。
「お返しだ」
蒼が発砲する。延髄から額を貫通した銃弾に悪魔が悲鳴を上げ、しかし蒼は何発も続けて撃ち続ける。
蒼以外の誰もが驚きで硬直する中、膝を着いた悪魔を見た速水ははっと我に返って「今だ、追い打ちを掛けろ!」と号令をかける。その声に、畳みかけるように悪魔の体に銃弾が降り注いだ。悪魔は既に頭を庇う余裕など残っていない。
「はは、ざまーみろ……」
「朝日君!」
倒れ込む悪魔の向こうで、同じように蒼が仰向けにぱたりと倒れ伏した。慌てて速水が駆け寄ると、蒼は速水を見上げて小さく、しかし必死に口を動かす。
「悠乃は、もう一人の俺が何とか、しますので……後は、頼みました」
「お、おい! どういうことだ!」
速水には理解できなかったその言葉を告げると、蒼は役目を終えたとばかりに静かに目を閉じた。




