55. 心配
『お、繋がった繋がった』
「無事に操作出来たようで何よりだ」
夜、蒼は自宅で携帯を耳に当てながらクロと電話をしていた。小夜子との連絡のために悠乃が生徒会室へ置いて行ったタブレットを使用して、クロに連絡するようにあらかじめ言っていたのだ。生憎蒼の携帯電話はおんぼろなので昼間のようなテレビ電話ではない。
楓は無理だがクロならば校舎内をうろつくことぐらいは可能だ。かと言ってあまり敷地内から離れると楓が怪しまれることになるので学校程度までが許容範囲内だが。
「それで首尾はどうだ」
『まあまあいい感じだな。他の悪魔にちょっと怪しまれたが、あいつらがわざわざ爺さんに進言するとも思えない』
「人望がねえことだな」
『他の悪魔に指示をしているのを聞くと、どうやら明日登校して来たお前をさっさと確保するつもりらしい。安心しろ、生かして連れて来るようにと言ってたぜ』
「だろうな。せっかく生きてた被検体だ。早々に殺されるとは思ってない」
『それ以上に酷いことになるかもしれねえけどな』
それも蒼の予想の範疇だ。と言ってもむざむざ好き勝手にさせるつもりもないが。
『お前、あの爺さんにどんな実験されたんだ?』
「言っただろ、お前らにわざわざ過去をひけらかす気なんてないって」
『この前……お前が矢代雪菜を眠らせたの、あれって』
「ご想像にお任せ。だが、お前もある程度勘付いてるんじゃねえの?」
電話の向こうのクロが黙り込む。蒼は多少の悪魔の術なら防げるし、自ら使うことが出来る。とは言ってもせいぜい眠らせることや、そして他の悪魔の術に少し干渉出来る程度だが。
クロの目の前で術を使った為、恐らく彼も薄々蒼の正体を理解し始めているはずだ。
『朝日、お前さ』
「うん?」
『本当に虹島の、あの爺さんのこと恨んでねえの?』
「そう言っただろう。何で今更そんなことを聞く?」
『恨んでないならなんでわざわざ自分を囮にしようなんて思うんだ。俺達が言わなければあの爺さん、お前のことなんて放っておいただろうに』
蒼を気遣っている訳ではない、純粋な疑問として投げかけて来たクロに、蒼は一度口を閉じた。
虹島に見つからないように逃げ続けるだけなら、父親と同じく離れた場所で静かに暮らせばそれでよかった。それでも蒼があえてこの高校へ入学し虹島に近付いたのは、蒼の知らぬ所で今もほくそ笑んでいるであろうあの老人に居ても立ってもいられなかったからだ。
「あのじじいが気に食わない。それが理由じゃ駄目なのか?」
『ふ、ははっ……気に食わない、ね。分かる分かる、確かに俺もあいつは気に食わないからな。すげえ納得する』
蒼の返答が気に入ったのかクロは小さく笑い続ける。ひとしきり笑い声が止むまで携帯を耳から離した蒼は、煩わしそうに顔を顰めた。
「うるさい」
『いや、悪い悪い……。まあこっちが頼まれたことはやった。後は精々上手く行くように祈っておいてやるよ』
「悪魔の祈りなんて不吉なんだけど」
「それをお前が言うのか?」
軽口の応酬をしながら、蒼は明日のことを考える。
罠は張り終えた。後は掛かるのを待つだけだ。長い間蒼の人生を狂わせていたあの老人が、明日で全て終わるのだ。
しかしそう思っても蒼の表情は晴れなかった。今までの人生が巻き戻せるわけでもない。もう何もかも手遅れでしかないからだ。だから本当に、これは単なる憂さ晴らしでしかないのだ。
ピピピ、という電子音での呼び出しを聞いて速水は慌てて飛び起きて携帯を手に取った。まだ日も昇っていない。今日は朝から虹島の件の対策会議を開く予定だったが、それでもまだ床に着いている時間だった。
何か緊急の事件でもあったのか。そう思いながら目を擦って携帯の画面に目を落とした速水は、そこに表示されていた名前に一瞬動きを止め、そして力が抜けたように大きく溜息を吐いた。ひとまず警察からの呼び出しでなかっただけ随分安心した。
「……もしもし」
こんな朝早くから一体何の用なんだと若干苛立ちを込めた声を出すと、電話の向こうで小さく笑う声が聞こえて来る。
『機嫌悪そうですね』
「誰の所為だと思ってるんだ。朝日君、何の用だ?」
『ちょっとした話があるんです。……虹島に関係した、ね』
勿体ぶるように付け足された言葉に速水は完全に頭を覚醒させた。わざわざこんな時間に電話を掛けて聞かせるような虹島関連の話。ちょっとしたとは言うものの絶対に重要なこのなのだろうと速水は確信したのだ。
リビングのソファに腰を下ろした彼は手帳を開いて書き込める状態にした後、聞き漏らさないようにしっかりと蒼の言葉に耳を傾けた。
「それで、話というのは」
『実は俺、今日あのじじいに誘拐される手筈になってるんですよ』
「……は?」
『あれ、聞こえませんでしたか?』
聞こえたが頭が理解しようとしなかった。速水が再度聞き直すと、一字一句違わずに同じ台詞が電話越しに繰り返された。
『そういう訳で、朝学校に行く時に悪魔に捕まるらしいので』
「どういうことだ!?」
『だからそのままなんですけど』
「分かるように説明しろ!」
えー、と面倒臭そうな声が聞こえて来たが速水は更に強く問い詰める。そうしてようやく詳細を聞き出した彼は、無意識のうちに左手に握りしめた携帯を壊れそうになるくらい強く握りしめていた。
蒼が誘拐されることによって、現行犯として令状を取ることなく正当な理由で虹島家へ介入することが出来る。確かにそれはそうだろう。だが、速水は怒りに震える声を押さえることは出来なかった。
『今日会議なんでしょう? 元々集まる予定だったら今からでも十分に戦力も確保できると思いますけど』
「ふざけるな! そんな方法認めると思ってるのか!」
『いい方法じゃないですか。何が不満だって言うんですか?』
「君は! 自分を犠牲にしろと言っているんだぞ!?」
『まあそうむざむざ犠牲になる気はありませんが、囮ぐらいなら喜んで引き受けますよ。それであの家を潰せるんだ、何の問題もないでしょう』
速水が何故怒っているのか分からないのか、蒼は飄々とした態度であっさりとそう言った。右手に握られたペンがぎしぎしと嫌な音を立てている。
『あれ、おっさんひょっとして……俺なんかのこと心配しちゃってたりするんですかあ?』
「当たり前だろう!!」
叫ぶような速水の声に蒼が僅かに息を呑むのが分かった。何なんだその反応は、心配していないとでも思っていたのかと速水は苛立たしげに舌を打つ。
「朝日君……君は、自分が誰にも心配されないとでも思ってるのか?」
『……まあ、元々俺自身そういう生き方をしてきたので。自業自得じゃないですか』
「ならばその考えを改めてもらおう。朝日蒼。君が危険な目に遭えば心配する人間は確かにいる。それは勿論俺だけじゃない」
その筆頭など言うまでもない。今の話を悠乃が聞けば、彼女は一体どう思うか。
「朝日君……君があの当主を捕まえたいと思うのは分かるが、もう少し冷静になるんだ」
『十分冷静ですよ、俺はね。冷静に考えて、それで決めたことです』
「……」
『たとえおっさんが何て言おうと……悠乃が止めようと俺は止めませんよ』
どうしてそこまでするのか。速水をそう尋ねたかったが、結局それを口にすることはなかった。
分家の人間である蒼が虹島を壊したいと言っている。悪魔に関する知識や当主についての情報、そして詳細も明記されないまま事故死となっていた彼の母親。それだけ情報が揃えば詳しくは分からなくてもある程度蒼の境遇を想像することが出来る。
しかしだからと言って蒼の意見を受け入れる訳にはいかない。彼を犠牲にして虹島を捕まえるなど、警察官としても速水個人としても納得できないのだ。
『それに、もう今から何をしたって無駄ですよ。あのじじいが俺を捕まえることは決定事項になってるんですから』
「俺が今から君を確保して学校に行かせないという手もある」
『そんなことをしたら今度はあの会長さんの方が怪しまれるでしょうね。事前に俺に逃げろと忠告したと思われる。そうしたらあいつの保護は難しくなるし、万が一今までの行動を怪しまれて尋問なんてされたら警察のことまでばれるかもしれない。せっかくのチャンスをふいにするよりも、有効活用した方がいいと思いませんか?』
「君を危険に晒してでも、か」
『一応命の保証はあるみたいです。でもあのじじいの気がいつ変わるかなんて分からない。だから、その前に助けてもらえると嬉しいですね。これでも警察のこと、結構頼りにしてるんですよ? 俺一人だったらこんな無謀な計画立てませんから』
「……」
速水は暫し考え込んだ。今蒼を確保すれば楓が危険になる。しかし止めなければ蒼がどうされるか分かったものではない。そして虹島が捕まえるよりも早く蒼を攫いに来た悪魔を倒せば、タイミングから言って警察と蒼が繋がっていることがばれることだろう。
『難しく考えないで下さい。おっさん達はうっかり虹島に誘拐された俺を助けに来る。そして主犯であるじじいを捕まえる。それだけのことですから』
「……」
『聞いてます?』
「聞いてる。……君の提案を受け入れよう」
折れたのは速水の方だった。虹島を確実に終わらせる為に蒼がここまでお膳立てをし身を削る覚悟をしているのならば、速水達も全力で彼をサポートしようと思った。そして何より、速水がどれだけ阻止しようとも蒼は絶対に止まらないであろうという確信もあったからだ。
どうせ好き勝手やられるなら、何をするか分かっている方がまだ安全だ。半ば諦めの境地だった。
「君を無事に帰す為に全力を尽くす。だから朝日君、君も自分の身を第一に考えてくれ。もし何かあれば警察の事情なんて考えなくていい、とにかく無事でいてくれ」
『大丈夫、死にませんよ。俺、こう見えても頑丈です』
自信満々と言ったように蒼が明るい声を出す。
『何しろ……既に一度死んでますから』
「速水さん? どうかしましたか」
「悠乃……」
速水の大声が聞こえたような気がして、悠乃はいつもよりも早い時間に目を覚ました。何故かリビングで頭を押さえていた速水を見つけた彼女は、近寄って俯いていた顔を覗き込んだ。その表情は思わしいものではない。
「何があったんですか?」
「……悠乃、今日集まる予定だったメンバー全員にすぐに連絡しろ。緊急招集だ」




