51. 明かす
「鏡目さん……?」
困惑した顔で悠乃を見る楓に、彼女は冷静に装いながらも内心どうしたものかと酷く焦っていた。雪菜がクロに殺されそうになっているのを見て咄嗟に槍の刃を打ち抜いてしまったが、楓達の前で拳銃を見せてしまったのだ。もう後戻りできない。
「またオレの邪魔をするのか!」
「クロ!」
悠乃に向かって怒りを剥き出しにしたクロはそのまま立ち上がり彼女の方へ一歩踏み出す。しかしすぐに我に返った楓がクロの片腕を掴み、懇願するように叫んだ。
「頼むからもうやめてくれ!」
「楓……」
「これ以上、お前に誰かを傷付けさせたく――っ!」
楓の声が途中で止まる。それは、傍で倒れていた雪菜が突然立ち上がり、彼を突き飛ばしたからだ。この場で唯一クロが見えていない彼女は、急に首を押さえつけられる感覚が無くなるとすぐさま立ち上がって、そして楓ではなく悠乃の元へと素早く走り寄ったのだ。
「寄越しなさい!」
クロに押さえつけられた時に持っていた金槌はどこかへ転がってしまった。だからこそ彼女は悠乃の持つ拳銃を奪い取ろうとしたのだ。
咄嗟のことに悠乃は一瞬行動を躊躇った。彼女を躱そうとするが、なりふり構わない様子の雪菜は鬼気迫る顔で悠乃に容赦なく飛び掛かり、その手に握られた凶器に手を伸ばした。
しかし、彼女の手が拳銃に触れることはなかった。
「まったく、少しも懲りてねえな」
雪菜が悠乃に触れる寸前、彼女は突如足払いを掛けられてその場に転がった。何が起こったのか頭が追いつかない間に雪菜は俯せにされ、背中にのしかかった人物によって腕を拘束されたのだ。
「蒼君!」
「悠乃、お前は人間相手だと隙があり過ぎるんだよ」
「朝日、何でお前まで……それにその怪我は」
「頭の悪い番犬に噛み付かれてなあ。躾ぐらいしっかりやっといて欲しいもんだ」
そう言って挑発するようにクロを見上げた蒼に楓も何となく事情を呑み込んだらしい。自然と楓がクロを見上げると、彼は少々罰が悪そうに視線を逸らした。
「っ放しなさい!」
「放す訳ないだろうが」
抵抗する雪菜を蒼が押さえているうちに、楓は気絶した小夜子を片腕で抱き起した。
「小夜……」
出血は多くはないが、それでも気絶するほどの怪我だ。そして、それは楓を庇ったからできてしまったもの。苦い気持ちと共に雪菜への怒りが生まれ、楓は無意識に殺気立ちながら雪菜を睨み付けた。
……けれど悲痛に叫ぶ彼女を見て、その怒りは少しずつしぼんでいく。
「殺してやる! 殺してやるっ! 虹島の人間なんて全員死ねばいいのよ!」
「……」
蒼に取り押さえられながらもその殺意は収まらない。それだけの恨みを向けられた楓は何も言えずに黙り込んだ。虹島の人間である自分が何かを言う資格なんてないだろうと口を閉ざすしかなかった。
「うるさい」
しかし楓に言えなくても他に好き勝手に反論する人間はいた。
「恋人の為に復讐? あんた悲劇のヒロインにでもなったつもりかよ」
「黙れ! 知ったような口を聞かないで!」
「別に俺はあんたのことなんてどーでもいいけど、こいつを殺した所であんたを待ってるのはハッピーエンドなんかじゃない。ただの殺人鬼っていう現実だけだ。……まあその前にここにいる悪魔に死ぬよりも恐ろしい仕打ちをされるだろうが」
蒼は雪菜を押さえる力を緩めることなく、淡々と感情を込めずにそう言った。蒼にとって雪菜は赤の他人で気に掛けるような人間ではない。復讐でもなんでも勝手にやればいい、と普段の彼ならばそう思ったことだろう。
けれど蒼は言葉を続ける。悠乃にしか分からないことだが、同じ立場の人間として。
「復讐なんて高尚なことだなあ? 俺にはとても出来ねえよ。そんな憎くて堪らない相手の為に手を汚して、この先の人生を滅茶苦茶にされるなんてな」
「……じゃあ、どうすればいいっていうのよ!」
挑発的な言葉に雪菜は強引に蒼を振り向き、そして怒りに任せて叫ぶ。
「あの人は殺された、生贄なんて意味が分かんない理由で! 彼の家族は本家に怯えて何も出来ない。だったら私がやるしかないじゃないっ!」
「悪いがお前の出番なんてないんだよ」
「何を――」
不意に雪菜の視界が真っ黒に塗りつぶされた。視界だけではない、急に何も考えられなくなった彼女は力が抜けたように抵抗を止め、そしてぱたりと頭を床に落として意識を失ったのだ。
「こっから先は、俺達のやることだ」
「蒼君……」
雪菜の頭に置いていた手を離し、彼女の上から退く。悠乃には詳しく分からなかったが、蒼が何かをして彼女を気絶させたのだろうということは分かった。
「お前、今のは」
「さてな。ようやく静かになった」
「朝日、鏡目さん……君たちは一体何なんだ。俺達を助けに来たのか? それとも――」
意識がない小夜子を守るように、楓は彼女を支える腕に力を込めて二人を見上げた。怪我もさせずに一瞬にして雪菜を気絶させた蒼と、そして不釣り合いな拳銃を手にする悠乃。クロの攻撃から雪菜を守り、しかし彼女を拘束した。ちぐはぐな行動は一体何の為で、そして誰の味方――敵なのか。
「私は……」
その言葉を口にするのには勇気がいる。無意識に蒼を見上げた悠乃は、何も言わずに頷いた彼を見てようやく踏ん切りがついた。
真実を伝えるのは今なのだと。
「改めて自己紹介します。私は警視庁特殊調査室所属、鏡目悠乃と申します」
「警、察?」
目の前に差し出された警察手帳を見て楓とクロの目が大きく見開かれる。悠乃と警察という言葉の印象が全く繋がらず、楓は何度も警察手帳と彼女に視線を往復する。
「君が、警察……」
「何かの間違いじゃねえの」
「ひでえなあ。こいつは中々すげえぞ? なあ、さっき思いっきり心臓ぶち抜かれた癖に」
「心臓……?」
どういうことだ、と楓がクロを見ると彼は目を逸らす。蒼達に自棄になって攻撃を仕掛けたこともだが、甘く見ていた悠乃に思わぬ反撃を食らったことは、悪魔の矜持もあってあまり口にしたくなかったのだ。
「ところで、その……特殊調査室というのは、何なんだ?」
「会長はご存知ないですか? てっきり理事長から聞いているかと思っていたんですが……」
「……あの人は、俺に何も情報を与えないようにしているから」
楓が反旗を翻さないように、悪魔の知識も外の情報も遮断されている。家の中では常に監視されており、もし不審な行動を取れば真っ先に小夜子が標的にされると言われなくても知っていた。だからこそ、楓は下手に逃げ出すことも儘ならない。
そしてそれは小夜子も同じだ。彼女が逃げれば楓に危害が及ぶ。どちらも互いの人質になってしまっているのだ。
「科学捜査では解明できないような特殊な事件を捜査する部署です。私は悪魔や魔獣を専門に捜査を」
「警察が、悪魔を知っているのか」
「はい。……この学校に来たのも、その調査の為です。会長、いえ……虹島楓さん」
悠乃は警察手帳と拳銃をしまうと、改まった様子で楓に向き直る。彼は悠乃が警察だと聞いてもクロを嗾けることはなかったし、理事長のやっていることに否定的だ。
何より先ほど雪菜を殺そうとしたクロを止めた。自分や小夜子を傷付けられたのにも関わらずだ。だから悠乃は、彼の心を信じようと思った。
「私達は虹島家現当主の行っていることを止めようとしています。私達がやっていることは最終的に虹島の家を潰すことになる。……それでもどうか、あなたの力を貸してもらえませんか」
「……」
楓は暫し沈黙した。彼にとって悪魔の事件を取り扱う特殊調査室なる部署など初耳で、見せられた警察手帳も含めて全て嘘なのではないかとすら考えてしまう。
しかし彼女の持つ拳銃、そして今までの行動を思い出すと頷ける部分もある。月島の件もそうだ。彼は二人に悪魔を倒されたから捕まったのではない、捕まえるために悪魔を倒されたのだと考えれば納得が行くのだ。
差し出された悠乃の手をじっと見つめる。この手を取れば楓は祖父に逆らう道からもう戻れなくなるだろう。失敗すれば楓だけではない、小夜子もクロも無事では済まないことは容易に想像がつく。
けれど、この機会を逃せば一生楓はあの家に縛られたまま終わるのだろうとも確信があった。
「鏡目さん」
「はい」
楓は悠乃の手を両手で握った。そして、祈るかのようにその場に膝を着いたのだ。
「俺は虹島の人間だ。それはどうあっても変わらない。……だからこそ、お爺様のやっていることに蹴りを付ける義務がある」
「! じゃあ……」
「だが、実際に上手くいくかなんて分からない。だから鏡目さん、もし失敗したらその時は……どうか小夜とクロだけは助けてほしい」
「楓、お前!」
「どのみち俺は虹島としての責任を取らなければならない。二人を守ることが、協力する条件だ」
「会長……」
「頼む」
毅然とした態度で悠乃を真剣に見つめる楓に、彼女は息を呑んだ。楓は本気だ。本気で小夜子とクロの無事だけしか考えていない。
きつくきつく握りしめられた手が、その思いの強さを現わしていた。
「どうか二人を、助けてくれ……」




