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49. 襲撃

「鏡目、少し残って手伝って欲しいことがあるんだが」

「え?」



 最後の授業が終了し、悠乃が楓の様子を見に行こうと慌ただしく荷物を纏めていると、タイミング悪く声が掛かる。最後の授業の担当であった初老の数学教師は、何枚もの問題用紙を手にしているようで、「コピーするものが多いんだ」と困ったように悠乃に頼んでくる。



「あの、すみませんが今日は……」

「先生、私が代わりにやりましょうか?」

「理緒ちゃん」



 悠乃が申し訳なく断ろうとすると、その前に理緒が二人の会話に入ってそう提案して来た。勿論人手があれば悠乃でなくても構わない教師は「助かる」と大きく頷く。

いいのかと理緒を見ると、彼女は大丈夫だというようにひらひらと手を振って見せた。



「ほら、会長の所に行きたいんでしょ? 怪我酷いって言うし、いつ帰っても可笑しくないんだから行って来なよ」

「ありがとう」

「でも朝日は連れて行きなさいよ。何があるか分からないんだから」



 理緒は心配そうに悠乃を見る。彼女が頷くのを確認した彼女は、満足そうな顔をして荷物を抱えて教室を出て行く先生の後を追った。



「蒼君」

「あいつのとこ行きたいんだろ。分かってる」

「付き合わせてごめんね」

「あの会長様が怪我したんだ、黒木や夕霧だって相当ぴりぴりしてるだろう。元々お前一人で行かせる気はねえよ」



 悠乃が蒼の席へと近付くと、彼は全て分かっているようにそう言って立ち上がる。小夜子はともかく、悪魔である黒木は何をしでかすか分かったものではない。軽薄そうに振る舞う癖に、言葉の節々から楓達への強い忠誠心が見え隠れしているのだから。













「じゃあ半分頼む。一種類ごとに三百部ずつだ」

「……はい」

「私は職員室の方のコピー機を使うから、何かあればそっちに」



 理緒は渡された問題用紙の多さに辟易しながらも印刷室へと向かった。ただでさえ多いというのに掛ける三百だ。どれだけ時間が掛かるかと遠い目になる。

 悠乃は普段こんなことをしているのかと溜息が出る。教師の信頼を得て情報を探りやすくする為か、それとも単なる頼み事を断れないお人よしか。いずれにしても彼女らしいが。


 そんなことをつらつらと考えながら印刷室の扉を開けると、コピー用紙特有の匂い充満しており鼻がつんとした。



「さて、さっさとやるか……」



 文句を言っていた所で終わらない。割り切って気持ちを切り替えた理緒は問題用紙をコピー機にセットしてスタートボタンを押した。



「……ん?」



 振動と共に低く唸り出すコピー機を見ていた理緒は、しかしふとその音に紛れるように誰かの声を聞いた。男性のものであるらしいその声を辿るように機械から離れた彼女は、印刷室の奥にある扉が僅かに開かれているのを見てそちらに近づいた。案の定、声はそこから聞こえているようだ。


 印刷室と隣接しているその部屋は、大量のコピー用紙が保管されている倉庫だ。普段人気は殆どなく、会話など基本的に聞こえて来ない。どこか聞き覚えのある声と僅かな好奇心に反応して扉の傍までやって来た時、理緒は誰が話しているのかをようやく理解した。



「頼む、正直に言ってくれ。矢代先生」

「……」



 理緒は目を瞬かせた。そこにいたのは氷室と雪菜だった。真剣な様子で何かを話している二人を見た理緒はどうしてこんな場所で、と首を傾げる。薄暗く埃っぽい倉庫は全く世間話には向いておらず、あまり他の人間に聞かれたくない話であると容易に想像がついた。

 氷室は理緒に背を向けており、さらに対面している雪菜も俯いているので、理緒から二人の表情を窺うことは出来ない。



「どうして虹島を階段から落としたんだ」

「――え」



 氷室の言葉に思わず理緒は小さく声を上げてしまった。しかし二人には聞こえなかったようで彼らが振り返ることはない。理緒はばくばくと騒がしい心臓の音を聞きながら、氷室の言ったことを頭の中で繰り返した。

 ――雪菜が、楓を怪我させたのだと。



「こんな所に呼び出して何かと思いましたが……一体何のことですか? 私が虹島君を突き落としたなんて」

「俺は見たんだ。昨日あいつが職員室を出て行ったあと、言い忘れていたことがあって追いかけたんだが……その時に君が虹島の背中を思い切り突き飛ばしてすぐに逃げたのを」

「……」

「あの時は虹島の方で手一杯だったから追いかけられなかったが、何でそんなことをしたんだ」



 雪菜は答えない。俯いたまま動かない彼女に焦れた氷室は雪菜に近付きその表情を窺うように顔を覗き込んだ。



「何で、なんて」



 刹那、理緒は言葉を失った。顔を上げた雪菜は次の瞬間いつの間にか右手に隠し持っていた小型の金槌を振り上げ、そのまま氷室に向かって振り下ろしたのだから。



「や、矢代先生! 何を」

「そんなの決まってる! 虹島は私から大事なものを奪った! 復讐をして何が悪いのよ!」



 咄嗟に頭を腕で庇った氷室だったが、更に間を置くことなく金槌は振り回される。



「悪魔の生贄なんてそんな馬鹿馬鹿しい理由で恋人を殺された……だったら私だって殺してやるわよ!」

「――っ」



 何振り目かの金槌が氷室の頭を捉えた。その瞬間理緒は扉を開け放っていたが、雪菜は氷室が動かなくなったのを見るや否や、そのまま反対側の扉――外へ繋がる搬入口から飛び出していた。



「氷室先生!」

「……虹島……が、危ない」



 慌てて理緒が氷室に駆け寄るが、彼はうわ言のように小さな声でそう言った後すぐに気絶してしまう。揺さぶろうとしたが頭に怪我をしているのだ、下手に動かす方がまずいかもしれない。



「誰か! 氷室先生が……!」



 印刷室を飛び出した理緒はすぐに廊下へ視線を走らせ、通行人の生徒や教師に聞こえるように大きく叫ぶ。つられて何人かが振り返り何だ何だと近づいて来る。その中の一人であった教師に氷室が頭を殴られて気絶したと説明すると大慌てで印刷室の中に入り、状況を確認して救急車を呼んだ。


 次第に野次馬が増えていく中、理緒ははっと我に返って携帯を取り出した。雪菜は楓を狙っている。ならば、今彼に会いに行こうとしている悠乃達に知らせなければ――。

 幸い電話はすぐに繋がった。「もしもし?」と悠乃の声が聞こえて来ると、理緒は舌を噛みそうになりながら必死に声を上げて訴えた。



「矢代先生が会長を殺そうとしてる! 生徒会室に向かってるかもしれないの!」













「どういうこと?」

「どういうことだよ?」



 生徒会室へ向かっていた悠乃と蒼は、突然掛かって来た理緒からの電話に――大声の為か蒼にまで聞こえて来たそれに、声を揃えるようにして首を傾げた。

 矢代雪菜。悠乃達のクラスの教育実習生だが、何故彼女の名前が突然出て来るのか。



「理緒ちゃん、矢代先生がどうしてそんな」

『昨日会長を怪我させたのは矢代先生なの……恋人を、虹島に悪魔の贄にされたって』

「!?」

『階段から落とす所を氷室先生が見てたみたいで、それを問い詰めてたら頭を殴られて――』

「悠乃っ!」



 理緒の言葉に真剣に耳を傾けている悠乃は周囲の警戒が疎かになっていた。だからこそ突然蒼が彼女の名前を呼ぶと共に強く腕を引くと、驚きとその勢いに悠乃は大きく後ろによろめいてしまう。

 しかしそれは幸いだった。直後、先ほどまで悠乃の足があった場所に突如として大きな刃が突き刺さったのだから。



「え――」

「ったく、避けるなよ」



 蒼に寄りかかるようにして転ぶのを回避した悠乃に、地を這うような低い声が掛かる。廊下の真ん中に突き刺さった刃――槍の穂先を引き抜きながらそう言ったのは、酷く殺気立った様子の黒木、いやクロだった。

 悠乃が一度だけ対面したことのあるその悪魔の姿に、彼女はすぐに態勢を戻して警戒するように少々距離を取った。初対面の時に危害を加えないと言った彼とは真逆の姿だ。



「黒木、何のつもりだ」

「決まってるだろ? 制裁を与えに来ただけだ。――鏡目悠乃、言ったよな? オレの主の邪魔をしたら……こうなるってな!」



 にい、と形だけの笑みを浮かべたクロは手にした槍を大きく旋回させる。咄嗟に蒼は悠乃を突き飛ばし、自身も身を屈めて間一髪それを躱した。



『悠乃! 何があったの!?』



 突き飛ばされた衝撃で携帯が落ちる。それでもまだ通話状態は継続しているようで、酷く焦ったような理緒の声が聞こえて来た。



『どこにいるの!? 私もそっちに』

「理緒ちゃんは来ちゃ駄目っ!」

「……へえ、随分と余裕がおありのようだな」

「っ!」



 悠乃が携帯を拾い上げてすぐさま起き上がると、再びその場へ槍が突き刺さる。その隙を狙って蒼がクロの背後から足払いを掛けようとするが、直前にそれに気付いたクロは翼を使って軽く飛び、それを避けてしまう。

 悠乃と蒼に挟まれた形になったクロだが、その顔に焦りはない。ただ殺気だけが絶え間なく発せられていた。



「虹島会長を怪我させたのは私達じゃない! 犯人は」

「あーあーそういうのもうどうでもいいんだよな」

「え?」

「怪しいのを片っ端から片付けて行けばいつか終わる。……仮に今回が違ったとして、いつお前らがあいつらに危害を加えるか分かったもんじゃねえ。不穏分子は、全て始末する」

「無茶苦茶な」

「悪魔に人間の常識が通用すると思うな。邪魔だから消す、他に理由は必要ない」



 再びクロが槍を振るう。悠乃の至近距離で素早く振るわれた槍は避けることなど出来ずに彼女の脇腹を薙ぐ。

 骨が折れてしまいそうなほどの重い衝撃が、瞬間彼女を襲った。



「悠乃!」

「よそ見をしてる場合か?」



 当たったのが穂先ではなかった為切り裂かれることはなかったが、そのまま廊下の壁に叩きつけられた悠乃は一瞬呼吸が止まった。その姿を見るまでもなく、クロは次に蒼に標的を変え、そのまま串刺しにしようとするように槍を突き出す。



「あっぶね」



 咄嗟に首を傾けると、頬を撫でるようにして穂先が蒼の真横をすり抜けていく。彼はそのまま槍を両手で掴み、それを支えにするように足を大きく振り上げてクロの顎に右足を叩きこんだ。



「な」

「悪魔の癖にトロいんじゃねえの? そんなんだから会長様に怪我させるんだよ」

「お前!」



 へへっと軽い笑みを作った蒼。顎への衝撃に痛みと苛立ちを覚えたクロは、大きく槍を振って柄を掴んでいた蒼を振り落とすと、間を置かずに躊躇いなく彼の体を穂先で切り裂いた。

 反射的に体を逸らして深手を回避したが完全には避けきれない。袈裟懸けに体から血を噴き出した蒼は、しかしまだ笑っていた。



「悠乃、やれ」

「!?」



 蒼に止めを差そうとしていたクロは、突然背後から襲った強烈な痛みに酷く混乱した。蒼はともかく、悠乃は大したことは出来ないだろうと高を括っていたクロだったが、先ほどの蒼の蹴りよりも何十倍も強い衝撃に何が起こったのか分からなかった。



「……」

「お前、それは」



 痛みに顔を歪めながらクロが振り返ると、そこにはしっかりと態勢を整えた悠乃が、まるで彼女に似つかわしくないものを手にしてクロを見据えていた。

 一般人が持つはずのない鈍い色の鉄の塊、拳銃だ。



「見えるだけのただの人間かと思ったが……これは予想外だ」



 クロの足元がふらつく。心臓部分を打ち抜いたらしい弾丸がただの弾ではないと感覚で分かる。銃声も殆ど聞こえなかったのだ、銃も特殊なものなのだろう。強制的に魔力を封じ込められるようなそれに、クロは大きく舌打ちをした。

 ただの人間どころではない。鏡目悠乃は、何者だ。



「クロ……さん、話を聞いて下さい。会長を狙った犯人が、今また会長を殺そうとしているかもしれないんです!」

「……なんだと」

「今は戦ってる場合じゃないんです。だから早く生徒会室へ行かないと――」


「っははははは!!」



 楽しくて堪らない、そんな様子のあまりに場違いな笑い声が響いたのはその時だった。



「え?」

「あはははは、死ね!」



 その男は、突然廊下の窓を割って現れた。



「五十嵐君!?」

「何でお前がここに」



 外から窓を蹴破って入って来た男――五十嵐はひたすらに耳障りな笑い声を響かせながら一番近くにいたクロに飛び掛かる。反射的に槍を薙いで五十嵐を弾き飛ばしたクロだったが、五十嵐は壁を蹴って衝撃を押さえ、器用に着地して見せた。まるで、野生の獣のような動きで。

 五十嵐は再びクロに襲い掛かる。訳も分からずクロも応戦するものの、人間離れした動きに少々翻弄されていた。

 その隙に悠乃は蒼の元へと走り寄った。



「蒼君!」

「大丈夫だ、見た目よりも酷くない。――ちょっと貸せ」



 近寄って来た悠乃に蒼の手が伸び、彼女の携帯を奪い取る。そのまままだ理緒との通話が繋がってるのを確認した彼は、早口で十一桁の番号を理緒に伝えた。



『何なのいきなり!』

「覚えろ、んでおっさんに事情を説明しておけ」

『ちょっと!』



 理緒の反応をまったく意に介さず、蒼は再度同じ番号を――速水のアドレスを口にしたあと電話を切った。



「はははは! お前黒木だろ? 今なら分かる、お前のことも気に入らなかったんだよなあ!」

「お前ら……グルだったのか!」

「え、何言って」

「やけに悪魔に詳しいと思ったら爺さんの手先だったわけだ。……殺す」



 やたらと自分を攻撃する五十嵐にそう結論付けたクロは、先ほどよりもずっと殺気を色濃くして槍を構える。悠乃達の否定の声など、全く聞こえていないようだった。

 楓を介せばクロをこちらの味方に出来るかもしれない。だからこそ悠乃は追撃を掛ける前に説得しようとしたのだが、もはや彼は話を聞いてくれそうもない。



「黒木、死ね!」

「お前が死ね」



 背後から飛び掛かった五十嵐を、振り向きざまに一閃。五十嵐の踏み込みが早かった所為か、殆どクロに肉薄する直前で薙ぎ払われる。おかげで引き裂かれてはいないが、横っ面に槍の柄が直撃して嫌な音が響いた。先ほどの悠乃よりもずっと強く壁に叩きつけられた五十嵐は、そのまま白目を剥いて気絶してしまう。



「さあて、勿論楽には殺させない」

「……悠乃」

「蒼君は下がってて」



 悠乃は満足に動けない蒼の前に立ち、息を呑んで銃を構える。震えてしまいそうになるくらいの殺意。遊園地で目の前に見たあの悪魔の姿が蘇りそうになりながら、彼女は覚悟を決めるように引き金に力を入れようとした。

 同じようにクロも槍を振り上げ、そして悠乃に向かって振り下ろそうとする。――互いに攻撃しようとする、その直前のことだった。


 踏み込もうとしたクロの動きがぴたりと止まり、瞬間漂っていた殺気が霧散したのだ。



「……小夜子」



 大きく目を見開いたクロが小さく呟くと、彼は悠乃達など目に入らないと言わんばかりに大きく翼を広げて彼女達の横を通り抜ける。全速力でその場から飛び去った彼を思わず悠乃達が振り返ると、クロはそのまま廊下の奥、階段を上に登って姿を消した。


 その先にあるのは悠乃達が向かおうとしていた場所、生徒会室だ。




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