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47. 兄妹

 悠一は妹――悠乃のことをそんなに好きではなかった。すぐに騒ぐわすぐに怒るわ、そしてべたべたと甘えて来るわで正直鬱陶しいと思ったことは数知れない。しかしながら実の妹だ。そうは言いながらも決して嫌いにはなれなかったし、気まぐれに構ってやるととても嬉しそうに笑う妹に悪い気はしなかった。

 そんな妹は、もう存在しない。



「……悠一」



 速水の声に我に返った。悠一が部屋の中を見回してみれば蒼の姿は既にない。言いたい放題言ってとっとと部屋を出て行ったらしい。



「俺があいつを守ろうとするのは、間違っていたんでしょうか……」

「守りたいという気持ちは決して間違ってない。だけどその方法と、言葉を間違えただけだ。……俺も、だがな」



 速水が苦く笑う。彼だって悠一と同じだ。悠乃を守りたいと思うあまり、彼女の気持ちを犠牲にしていた。それでも守れるのならばと、悠一の言葉を否定しなかった。



「危険に晒してでも、心を守るか……はは、随分過激なやつだ」

「あいつは、悠乃の何なんですか」



 悠一からすれば蒼は初めて会った人間で、そして初対面であれほど痛烈に噛み付かれるなど予想外だった。



「朝日君はなあ……正直俺にもよく分からん」

「何ですかそれ」

「だが確実なのは悠乃が朝日君を心底信頼していて、彼もお前に食って掛かるぐらい悠乃のことを大切に考えてくれているってことだな。……かなり耳が痛い言葉だったが」



 さんざん好き勝手言われ、そのことに苛立ちも反論もある。が、全く言い返せない部分があったのも確かだ。自分の言動が悠乃を傷付けているというのは、悠一も嫌というほど自覚していたのだから。



「悠一。悠乃を守りたいなら、大切ならちゃんとそう言ってやれ。でないとあいつはいつまでもお前に憎まれたままだと思い込むぞ」

「……言えません」

「どうしてだ?」

「言える訳がないです。大切なんて、そんなこと。……全部あいつが悪いんだって自分から突き放した癖に、今更どの口が言うんですか……」



 悠一は悠乃を捨てた。両親が死ぬきっかけになった妹が憎くて、頭に血が上って酷いことを言った。「お前の所為だ」と、そう言ったあの時の言葉は取り消すことが出来ない。

 だというのに今更、唯一の肉親を失うのが怖くなったなんて手のひらを返すなど虫が良すぎる。悠一は謝っても許されない言葉を口にした。もう昔のような普通の兄妹ではいられないのだ。


 電話口で聞こえてくる怯えた声。やかましい怒鳴り声も我が儘も、もう聞くことなど出来ない。悠一が、悠乃をそんな風にさせてしまったのだ。



「どの口だって? そんなのお前のこのだんまりな口しかないだろうが!」



 強く手を握りしめ、後悔に打ちひしがれていた悠一の右頬を突然痛みが襲った。近づいて来た速水に行き成り引っ張られたのだ。普段あまり悠一に対して強く言わない速水にしては珍しい行動だった。



「……速水さん」

「お前以外に誰が言うんだ。あいつの兄は……悠乃が憎まれてでも傍に居たいって思う兄貴は、お前しかいないんだ」

「……」

「何でもいい、ちゃんとお前が考えてることをあいつに伝えてやれ。それで悠乃の言葉もちゃんと聞くんだ。お前たちは言葉が足りなさ過ぎるんだよ」



 悠一は速水に急かされるように無理やり携帯を持たされる。困惑している間に勝手に捜査されて一度も掛けたことのないアドレスが表示された。



「少し時間を」

「そんなことしたらお前、結局掛けないで――と、驚いた」

「!?」

「まさか向こうから掛かって来るとはな」



 速水が発信する前に携帯が音を立てて鳴り始める。画面に映る名前は今しがた見ていたアドレスと同じもので、悠一は酷く動揺しながらも一度息を呑んでゆっくりと通話を開始させた。



「――もしもし」













「たく、ホントにあいつは人使いが荒いのなんの……」



 本来の予定よりも大幅に早く任務を終わらせると宣言した悠一にさんざんこき使われた和也は、くたくたになる足を引き摺って警察署内へと入った。悠一はもう先に来ているだろう。目の前の自販機に目を止めた和也は、報告は任せて何か飲もうかと思い財布を探すために鞄を開けた。

 次の瞬間、和也が曲がり角から飛び出して来た何かに思い切りぶつかられて大きくよろめいた。



「うわ、何だ!?」



 空いた鞄の口からいくつかの資料が飛び出す。しかし和也は荷物よりもぶつかって来た存在の方に気を取られた。



「ちび?」

「先輩……ごめんなさいっ!」

「お前何が……って、おい、ちょっと待て!」



 和也が目にしたのは、今にも泣きそうなほど顔を歪めた悠乃の姿だった。彼女はぶつかって来たことを謝ったものの、すぐに和也に背を向けて出入り口の方へと走っていく。

 追いかけようとしたが思ったよりも早い。和也が疲労困憊だったのも手伝ってなかなか追いつかなかった。



「だああ、コウ! あのちび捕まえてくれ!」

「良いのか?」

「いいから!」



 和也が声を上げるとすぐに彼の傍に深紅の髪と翼を揺らした麗人が現れる。紅い悪魔――コウは優雅に首を傾げてみせると、途端に翼をはためかせて和也を追い抜く。そして数秒後、コウは悠乃の両脇に手を入れてひょいっと抱え上げてしまった。



「え……えっ?」

「これで良いか?」



 驚きで悠乃がぽかんと口を開けている間にコウは悠乃を宙にぶら下げて和也の元へと運んでくる。悠乃と目を合わせた彼は、何があったのか尋ねようとして……その直前で一旦口を閉じた。

 悠乃は調査室の方から走って来た。和也よりも早くあの部屋を訪れているであろう人物を考えれば、悠乃が今にも泣きそうになっている理由など聞かずとも想像出来る。



「先、輩」

「あー……ちび」

「はい……」

「ちょっと面貸せ」



 考えて末に出た言葉に、問い詰められると思っていた悠乃はきょとんと目を瞬かせた。













「ほい」

「ありがとうございます」



 一旦外に出た二人は、傍にある公園のベンチに腰掛けた。今にも夕日が沈みそうになっており、既に遊んでいる子供の姿は人っ子一人見受けられない。

 和也が買ってきた紅茶の缶を受け取る悠乃は少しばかり落ち着きを取り戻したようで、和也の傍で悠乃を観察するコウを物珍しそうに見つめた。



「えっと……鏡目悠乃です。和先輩の悪魔、ですよね?」

「左様、我はコウだ。そなたのことは知っている」

「そうなんですか? あ、でもどうして今まで……」

「知らぬのか? そなたの兄が絶対に会わせるなと言ってきたというのに」

「え」

「コウ……お前な、もう少し空気読め」



 いきなり悠一の話題になったことで再び悠乃の表情が沈む。額に手を当てて疲れたように和也が声を上げるが、しかしコウはよく分かっていないようだった。



「先輩、どういうことですか……兄さんが」

「……お前の前で悪魔を見せるなって言われてたんだよ。流石に俺もどうかと思ったが、あんな人殺しそうな顔で言われたら頷くしかないっての」



 仕方なく和也が答えると悠乃は俯いて両手を握りしめた。必要ないと、無理だと言われた先ほどの言葉が蘇る。悪魔に関わることすら否定されていたのかと、悠乃は零れ落ちそうになる涙をそっと拭った。



「悠乃……お前、今度はあいつに何言われたんだ」

「……」



 和也の問いに逡巡した悠乃は、ややあって大きく息を吸ってからぽつりぽつりと話し始めた。また任務を外されそうになっていること、足手纏いだと言われたこと、何もするなと彼女の行動の全てを否定されたこと。……そして、それに対して嫌だと言ってしまったこと。


 何度も言葉を途切れさせながらも最後まで話し終えた悠乃は、和也が何と言ってくるか急に恐ろしくなった。和也は悠乃の先輩だ、悠乃に対して悠一と同じようにいらないと思われていても可笑しくないのだ。

 しかし和也の反応は全く異なるものだった。顔を覆うようにして深い深いため息を吐いた彼は、次の瞬間大きな声で思い切り叫んだのだ。



「あーもうっ! ホントにめんどくせえなこの兄妹!」

「同感だ」



 コウもうんうんと無表情で頷いている。彼らの反応に困惑の表情を浮かべた悠乃を見ながら「大体な」と和也は言い聞かせるような口調で腕を組んだ。



「悠一にそんな権限あるわけないだろうが。……まあだから速水さんに直談判したんだろうが、あの人もそんな一調査員の意見で人辞めさせる人じゃないだろ」

「でも、兄さんは私が続けること嫌がって」

「だから何だ? お前は悠一の言いなりにならなきゃ生きていけないのか? それにちゃんと嫌だって言い返したんならいいじゃねえか。何が問題なんだ」

「それは――」

「二人とも、待て」



 急にコウが会話に割って入って来たかと思えば、彼は静かに公園の入り口の方へと目を向ける。誰もいないそこに向かって「出てきたらどうだ」と声を掛けるコウに首を傾げた二人だったが、すぐに現れた人物に目を瞠った。



「蒼君……」

「……よう」



 少し悩んだ後短く声を発した彼は、一度躊躇うように足を止める。しかし結局悠乃達の元へとやって来た彼は酷く警戒した様子でコウを睨んだ。



「可笑しな魂が来たからすぐに分かった」

「お前……」



 ようやく悠乃を見つけたかと思えば他の悪魔と――よりにもよって警察側の悪魔と一緒にいるのを目にした蒼は、出るに出れずに二の足を踏んでいた。見つかったから仕方なく出て来たがどう口止めしたものか、と考えているとそれを察したように和也が「心配するな」と声を掛けて来る。



「普通の人間じゃねーってことは速水さんには黙っててやるよ」

「……何が目的ですか」

「そう警戒するなって。ただのお兄さんの気遣いだ、邪険にするもんじゃねえよ。……それにしてもなんだ? このタイミングで来るってことは、お前も警察署にいたのか?」

「ええまあ」



 知られた以上蒼にはどうすることも出来ない。口封じでもしてしまうかと一瞬物騒な思考も過ぎるが、悪魔が憑いている以上しない方が賢明だと判断して諦める。どうにでもなれと半ば自棄になった。今の蒼は少々頭に血が上っていたのだ。

 蒼は和也とは反対側の悠乃の隣に勢いよく腰掛ける。



「蒼君……その、何か言ってた……?」

「知らん。俺はあの野郎に言いたい放題言ってきたけど」

「ええ……?」

「お、悠一になんか文句でも付けて来たか? やるじゃん、何言ったんだ?」

「黙秘します」



 憮然とした態度の蒼に、和也が楽しそうに笑う。



「じゃあついでに妹の方にもなんか言ってやれ。この兄妹手が掛かるのなんのって」

「……悠乃、お前は一体何がしたいんだよ」

「何がって」

「あのバカ兄貴の言葉に一々びくびく怯えて傷付いて……いつまで続ける気だ。任務を続けたいなら、やりたいことがあるんならあいつの言葉なんて気にする必要ないだろうが」

「……」

「それでもまだ何か言ってくるようなら俺が黙らせてやる。あいつ気に食わねえし」

「……私、は」

「あーちょっと待った!」



 ようやく悠乃が自分の言葉を口にしようとした所で和也がストップを掛ける。蒼が無言で睨みを利かせると「怒るなって!」と宥めるように言ってから悠乃に携帯を持っているかと尋ねた。



「ありますけど……」

「成程。そういうことか」

「朝日少年は分かったか? 悠乃、言いたいこと全部、悠一に直接ぶつけてやれ」



 言われるがまま携帯をポケットから取り出した悠乃は、身を乗り出して画面にタッチしてくる和也におろおろと困惑しているうちに勝手に一度も掛けたことのない兄のアドレスへ発信され、酷く動揺した。



「まだ心の準備が……」

「んなもんいらねえって。お、繋がった繋がった」

「あ」



 画面が通話中に切り替わるのを見た悠乃が青ざめる。すぐに蒼が耳に携帯を持ってくるのを和也は楽しそうに眺めており、コウも静かに見守っている。味方はいないと理解した悠乃は覚悟を決めざるを得なかった。



『――もしもし』



 耳元から聞こえてくる声に息を呑んだ。



「兄、さん」

『ああ……』

「その、急に飛び出してごめんなさい」



 ひとまず謝罪を口にする。なんにせよ勝手に会話の途中で出て行ったのは悠乃だ。しかしそこから先の言葉が出て来ない。



『……』

「……えっと」



 蒼と和也、そしてコウの無言の圧力が伝わって来る。そして何故だか小さく何かを悠一に怒鳴っている速水の声が聞こえて来た。



「あの、ね……兄さん。私、兄さんに憎まれてるのは分かってる」

『それは……』

「だから、これから言う我が儘が聞くに堪えなかったらすぐに切ってほしいです」



 ばくばくと心臓の音が煩い。悠乃は落ち着かせるように何度も深呼吸をした後、一度蒼を見た。



「今まで言われっぱなしだったんだ。好きなだけ言ってやれ」



 蒼の言葉に少しだけ勇気が出た悠乃は、携帯を強く握りしめてようやくはっきりとした声で話し始めた。



「私が警察官に向いてないなんてよく分かってた。でもどうしてもなりたかったの。兄さんみたいにお母さんたちの仇を取るなんて強い決意はなくて、ただ兄さんに置いて行かれて一人になるのが怖かったから……。会えなくても、それでも兄さんと同じ仕事をしてるんだって、少しでも近くにいるんだって安心したかった」



 訓練や勉強に手を抜いたつもりはない。だがそんな理由で警察官になったことを兄に知られれば失望されるかもしれないと恐ろしくてたまらなかった。



「そんな理由でなったの。兄さんが辞めろって言うのも正しいかもしれない」

『……』

「本当は、もっと酷いことまで考えてた。私が兄さんに認められるくらいすごい人になればいつか許してくれるんじゃないかって……昔みたいにどうでもいいことで喧嘩して、笑って、そういう普通の関係に戻れるんじゃないかって馬鹿な期待してたの」

『悠乃……』



 通話はまだ続いている。切られていない。その事実に安堵と緊張で声が震えそうになった。



「でも、今は少しだけ変わった」



 今、警察官を辞めたくないのはそれだけじゃない。



「今までの理由も勿論あるけど……それだけじゃなくて警察官を続けたいって、この任務を途中で降りたくないって思うようになったの。もうお母さんたちみたいに悪魔に傷付けられる人達は見たくない……人間の身勝手な都合で苦しむ悪魔も見たくないって思ったから」



 悠乃の言葉に蒼が目を見開いた。そんな彼を見て悠乃は自然に小さく微笑む。悠乃は任務を降りる訳にはいかない。蒼の虹島への因縁を断ち切るのに協力すると約束したのだから。



「だから私止めたくない。この仕事、頑張りたいの」

『……』

「兄さんが止めろって言っても止めたくない」



 先ほど泣きそうになりながら告げた言葉とは違う、はっきりとした反論。言うべきことを全て言い終えて悠乃は力が抜けそうになった。それでも否定されるかもしれない。そうだというのに心は随分と晴れやかだった。



『悠乃』



 長い沈黙が続いた。それでも辛抱強く待っていた悠乃にようやく声が聞こえて来た。



「はい」

『……分かった、勝手にすればいい』

「……はい」



 悠一がどんな表情でその言葉を口にしたのかは分からない。だが突き放すような言葉に少しだけ心がちくりと痛んだ。

 再び速水の声が聞こえ始める。一応結果的に許可されたのだ、落ち込む必要はないと悠乃は自分に言い聞かせるようにして電話を切ろうとした。

 しかしその直前に、速水の声に混じって再び聞こえて来た兄の低い声に彼女は動きを止めた。



『……悠乃』



 続けられた声は淡々としたものであるのに、悠乃には酷く苦しげなものに聞こえた。



『頼むから……死ぬな』




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