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45. 小夜子


「止めろ、娘を離せ!」

「――っ」



 十年以上経った今でもあの光景は目に焼き付いている。自分に向かって必死に駆け寄ろうとする父親、異形の者に押さえつけられた黒い悪魔、ゆるりと笑みを浮かべて楽しげにそれらを観察する老人。

 両手足を縛られて猿轡を噛まされていた自分――小夜子は何も出来ずに唯々見ていることしか出来なかった。



「願いは――」



 老人が笑む。












「本当について行かなくていいのか」

「職員室に行くぐらいで何言ってるんだよ。俺が戻ってくるまであとは頼む」



 夕方の生徒会室では黒木と楓がそんな押し問答を繰り広げていた。職員室へ用がある為生徒会室から出て行こうとしている楓に、心配して一緒について行こうとしている黒木。しかし楓は頑なに首を横に振ってそれを拒んだ。いつもならば勝手に着いていくことに何も言わないというのに、その様子に同じく室内にいた小夜子が首を傾げた。



「楓様、どうかしたんですか?」

「……いや、なんでもない。とにかくすぐに戻るから心配するな」



 楓はそう言うと扉から外に出ようと足を踏み出し、そして出て行こうとした直前で一旦黒木を振り返った。



「クロ、頼むぞ」

「……はいはい」



 肩を竦めた黒木を見た楓は今度こそ生徒会室から出て行く。それを見送った二人は定位置である席に座り、楓に任された文化祭の仕事の続きを始めた。

 かりかり、とペンを走らせる音だけが静寂を引っ掻くように聞こえる中、ちらちらと黒木を窺っていた小夜子はややあってペンを持つ手を止めると「ねえ」と黒木を呼んだ。



「何だ?」

「楓様、何があったの?」

「……」



 何が、と言っている時点で小夜子の中では何かしらのことが起こっているのは確定しているようだ。問い詰めるような目に黒木は呟くように小さく声を上げる。



「小夜子が鋭いのか楓が分かりやすいのか……」

「何のことよ」

「とりあえずお前がいない間に色々あったんだが……ひとつは、五十嵐をどうにかする為にあいつらと一時的に手を組むことになった」

「……あいつらって、まさか朝日達?」

「五十嵐の症状自体は向こうでどうにかする方法を知っているらしい。だが肝心の五十嵐が見つからないからな、お互い探すことになったんだ」



 小夜子も楓も悪魔に関する知識は疎い。頼みの綱である黒木が分からない以上、向こうに頼るほかないのだ。だが小夜子は不満げに眉を顰めてみせる。正直な所、冷たいようだが彼女は――そして黒木もだが――五十嵐のことを彼らに協力してまで助けたいとは思っていないのだ。



「楓様は、優しいからどうしても助けたいのよね……」

「爺さんが仕出かしたことだ、負い目もあるんだろ」

「……楓様は何も悪くないのに」



 虹島本家の人間としての責任か、楓は背負い込み過ぎているのだ。何よりも楓を優先する小夜子にとってはそれを見ているのが歯がゆくてたまらない。



「それともう一つ……楓が、何者かに狙われた」

「え?」

「犯人は分からない。だが、明らかに事故ではないだろうな」



 小夜子の目が大きく見開かれる。すぐさまその時の詳しい状況を聞いた彼女は、酷く不安そうな顔で先ほど楓が出て行った扉へ視線を投げかけた。



「……一緒に行けばよかったのに、どうして楓様はクロが着いていくのを嫌がったのかしら」

「さあ、少し一人になりたかったんじゃね? なるべく人の多い場所を通ってくるだろうし、まあすぐに戻ってくるだろ」



 あいつも馬鹿じゃない、と言いかけて黒木は口を閉じた。いやあいつは馬鹿だったと思い直してしまったのだ。楓も自分が――虹島の人間が狙われていることは理解しているだろう。しかしそれでも黒木を置いて行ったのは、自分の最大級の弱みを守るためだ。相手も目的も分からない以上、何も狙われる可能性があるのは楓自身だけではないのだから。


 しかしそれを自分に頼むとは、と黒木は内心で大きく溜息を吐く。彼の役割は楓を守ることだというのに。



「楓様をお守りしないと」

「……なあ、小夜子」

「何?」

「お前は、どうして楓を守ろうとするんだ」

「どうしてって、それは」

「楓を守るのは俺の契約だ。仮にお前と楓の両方が危ない状況になれば、俺は契約者のお前よりも楓を優先することになる」



 黒木は小夜子を窺うようにじっと見つめる。悪魔であるクロの契約者――悪魔憑きは楓ではなく小夜子だ。だがクロが交わした契約――酷く理不尽な状況下で行われたその内容は、楓を守ること。

 そして、その時の契約の生贄は……彼女の父親だった。



「むしろお前、俺と楓を恨んでねえの?」

「……そう、ね。恨んでたわ。でも、いつの間にか恨むことが出来なくなってた」



 小夜子はそう言って黒木に微笑んで見せた。その表情に嘘は見えない。彼女と契約した当初に向けられた憎悪の目は、もう随分と見ていない。



「クロは当主に無理やり契約させられてその対価を取っただけ。楓様だってあの家に望んで生まれた訳じゃない。……お父さん以外にもいろんな人が贄にされてるでしょう。選ばれたのだってたまたまあの人の目に留まってしまったから。だから、二人を恨む気はもうないわ」

「……」

「楓様を守るのは私の意志よ。いつか絶対に、あの家から……当主から解放してみせる」

「分かった。……けど無理するなよ。お前が死ねば俺も消える。楓を守れるやつはいなくなるんだからな」

「分かってるわよ」



 小夜子の強い意志の籠った眼差しが黒木を射抜く。それを見ながら、黒木は何とも言えないもやもやとした思いが胸の中に充満する感覚を覚えた。


 まだ彼女は知らないことがある。彼女が悪魔憑きに、父親が贄に選ばれた本当の理由を。耐え切れなくなった楓から打ち明けられなければ黒木も知らずにいたそれを知ったら、小夜子は一体何を思うだろうか。



「……ところで、楓のやつ遅くないか」













「それでは、各部活の使用教室はこれで決定ということで」

「ああ、助かった。運動部が中々決まらなかったからなー」



 楓は職員室で、文化祭で使用する教室の割り当て表を提出していた。それぞれ第一希望から第三希望まででなんとか全て収まったその表を運動部を総括している氷室に見せると、彼は感心したように声を上げた。



「虹島は本当に働き者だな。先生も見習わないといけない」

「いえ、生徒会長として当然のことですから」

「そんなことない。虹島ほど立派に会長の仕事をやってるやつなんて見たことないからな、もっと胸を張っていいと思うぞ?」



 朗らかに笑ってそう口にする氷室に、楓も自然と小さく笑みを浮かべた。

 氷室はこの学校では珍しいタイプの教員だ。分家の人間が多く採用されている虹島高校では、生徒であっても本家の血を引く楓に対して恐れを抱いたり酷く気を遣っていたりする教師が多い。分家の人間でなくても、周囲の空気を読んであまり楓に関わらないようにしている教師もいる中、氷室はそれらを全く気にせずに一人のただの生徒として楓に接してくれる。ただ単に彼が周りの空気を一切読めていないだけかもしれないが。

 そんな氷室のことを、楓は結構気に入っていた。



「それでは失礼します」



 会釈をして職員室を後にする。黒木達に早く戻ると言った以上あまり長居するのもよくない。行きよりもすれ違う生徒の数が随分と減ったのを感じながら、楓は少し足を速めて生徒会室への道を進んでいた。小夜子のことは黒木に任せてあるが、それでも心配だ。


 楓自身が狙われるのは慣れている。祖父が積極的に分家を始めとする人間に恨みを買っているのだから、楓が同じように恨まれるのは仕方がないと半ば諦めている。

 だが小夜子に関しては違う。彼女は被害者だ。いくら楓の傍にいるからと言って一緒くたに危険に晒すなんて絶対にあってはならない。もうこれ以上、自分の所為で彼女を不幸にしたくない。



「だが、一体誰が……」



 そう考えるものの心当たりが多すぎる。楓が知る祖父の所業はごく一部に過ぎない。楓の知らぬ間にも、虹島を恨む人間はどんどん増えているのだろうから。


 祖父に怪しい人物と言われて真っ先に蒼の名前を挙げた楓だったが、彼に関しては少なくとも違うだろうとは思っている。蒼が自分を嫌っているのは周知の事実だが、彼は正面切って嫌味を言ってくるタイプだ。密かに花瓶を落として怪我をさせるなんて、あまり蒼がやるとは思えなかった。

 それに楓も蒼のことは気に食わないが、彼が性根が腐った人間だとは感じていない。むしろ逆だ。楓からすれば、彼はあえて偽悪者ぶっているようにしか見えない。



「……ん?」



 そんなことを考えながら歩いていた時、不意に楓は視界の端に過ぎったものに目を奪われた。廊下の奥へと消えて行ったその生徒は、彼が何度も目にしたことがあった人間……それも、見つからないと言われていた存在だったのだから。



「五十嵐……!」



 見つけた。楓は今しがた見た五十嵐の背中を慌てて追いかける。普通の人間には見えない彼を楓は捉えることが出来る。しかし一度見失ってしまえば再び見つけるのは難しいだろう。完全に魔獣化してしまうまでの時間は刻一刻と迫っているのだから。


 足を滑らせそうになりながら廊下を走る。五十嵐が消えた廊下の角を曲がり、その先の廊下を疾走していた楓は、再び視線の先に五十嵐の姿を捉えた。



「待て!」



 声を上げるが振り向く様子もない。楓はなんとか追い付こうと必死に足を動かし、そして五十嵐を追って階段を降りようとした。しかし次の瞬間、楓は背中に強い衝撃を受けると共に、全身に浮遊感を覚えたのだ。



「っ!?」



 驚愕に声も出なかった。気が付けば彼の体は思い切り階段に叩きつけられ、そして全身を打ちつけながら踊り場まで転がっていったのだ。受け身を取る暇もなかった。混乱し痛みに混濁する意識の中で唯一分かったのは、誰かに突き落とされたという事実だけだ。

 楓は知らなかったが、悠乃が黒木に突き飛ばされた時とは比べ物にならないくらい、本当に殺す気だと言わんばかりに強く背中を押された。


 踊り場に転がり落ちた瞬間、楓はぼやける視界の中で階段上に薄っすらと人影を見た。しかし男かも女かも判断する余裕もなく、楓は全身の痛みだけを感じながら意識を失う。



「虹島!」



 最後に聞いたのが誰の声だったかも、彼には分からなかった。



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