41. 特殊調査室
蒼からもたらされた情報によって、特殊調査室はにわかに騒然とした。現在の当主……理事長には複数の悪魔が憑いているというのだから当然の反応だ。
確かに悪魔を複数従わせることが出来れば恐ろしいほどの力を得ることが出来るだろう。しかしそれだけの悪魔に隙を見せずに使役することは難しい。何もどの悪魔も絶対に契約に従うという訳ではなく、それは各々の悪魔の性格に依る所が大きい。勿論契約を破れば悪魔もそれ相応の罰を受けることにもなるが。
そして当然のことだが、契約を行うにはそれだけの贄が必要だ。現代社会では人間一人とてその死を隠すのは容易ではない。それをやってのけるということは、虹島の力で他方に圧力を掛けているのだろうと簡単に推測できる。
勿論証拠があるわけではないが、“虹島の分家”としての蒼の発言は信憑性が高いと判断され、調査室でも今まで贄にされた可能性のある人間について調査された。
「やっぱり贄には分家の人間が使われた可能性が高いな……」
「事故死、これも事故死……怪し過ぎますもんね」
署内で速水と共に近年死亡した分家の人間を調べていた悠乃は小さく嘆息しながらパソコン画面に記された死因を見つめた。杜撰なほどあっさりと事故死と表記されているものの、それが今まで何も不審に思われていなかったという事実が問題だ。もしくは怪しんだ人間がいても握りつぶされていたのかもしれない。……警察にも圧力が掛かっているのだろう。
これらの分家の人間が全て当主によって命を落とした訳ではなく本当に事故に遭った人もいるだろうとは思うが、それでも一度心臓が止まった蒼のことを思い出せば贄以外にも当主の“研究”によって殺された人がいると考えるのが自然だ。
「速水さん」
「ああ、どうだった?」
「口を割りましたよ」
調査室のメンバーの一人が部屋に入って来る。同僚の彼は確か月島に話を聞きに行っていたはずだ。彼は悠乃の姿も目に留めると、二人の傍までやって来て報告書を取り出した。
今まで黙秘を続けていた彼だったのだが、当主のやっていたことを聞き出そうとした途端急にぺらぺらと喋り出したというのだ。曰く、悪魔のことも全て当主にさせられていたことで、自分は被害者なのだと。
「つくづく小物だな……あの男」
速水も呆れかえった表情を浮かべた。
「今までは当主に怯えて何も言わなかったようですが、警察が虹島の調査に乗り出したと知って罪を擦り付けようと思ったんでしょうね」
「悪魔憑きになった経緯はともかく、あの余罪の数々はどう考えてもあいつが自分の意志でやったとしか思えないけどな。……当主については何と言っていた?」
「やはり数体の悪魔を保有していると。悪魔を知る分家の人間はその所為で当主には絶対に逆らえないようにさせられているらしいです」
「……質の悪い恐怖政治だ。だが――」
問題は、確固たる証拠がなければ立件が難しい所だ。魔法陣などの証拠があるとすれば勿論自宅だろうが、虹島の家宅捜索なんてとても令状が出るとは思えない。まして下手に深追いすればこちらが悪魔に口封じされるだろう。逃さないためには慎重にならざるを得ない。
「速水さん、どうしますか?」
「……悠乃、虹島楓は当主とはあまり良い関係ではないんだったな?」
「何というか……多分、他の分家の人達と一緒ですごく恐れているんだと思います」
「……彼が協力してくれたら家の中にあるだろう証拠も手に入れやすいんだがな」
しかし楓の傍には悪魔――黒木がいる。こちらを警戒している彼を出し抜いて楓を説得するのは難しいだろう。まして楓が当主に報告してしまったらお終いだ。現状こちらの方が遥かに確率が高い。
「分家の人間に接触している以上、こちらの動きが多少なりとも伝わっている可能性が高い。悠乃、虹島楓との接触には十分気を付けてくれ」
「……あの、具体的にどういう対応を取れば」
「無理に探ろうとせず、普通の生徒として接してくれればいい。……そろそろ上層部からストップがかかりそうだし、まずはそちらも説得しないといけないからな。向こうが妙な動きをしたら報告してくれるだけでいい」
全くあの狸爺どもが……と速水は嘆息した。虹島の息が掛かった連中にも、いい加減悪魔の恐ろしさを分からせないといけない。利益ばかりに目を向けて虹島を探ることに不満を示す連中も、相手が何体もの悪魔の力を好きに扱えると――自分たちなど面白半分に消すことが出来ると知れば目を覚ますだろうか。
「上の方は俺が何とかする。今別の任務に就いてるやつらももう少ししたらこっちに合流するように話を付けてあるから、戦力が揃えば悪魔ごと一気に叩くかもしれない。それは覚悟しておけ」
「……分かりました」
数には数を。特殊調査室の面々は確かに多くはないが、皆対悪魔の戦闘を経験して来た者達ばかりだ。今回の任務で初めて悪魔と戦った悠乃は、自分も出来る限りのことをしようと意気込んだ。
自分の為、そして蒼の為にも虹島がやっていることを終わらせなければ。
「私、ちょっと射撃訓練して来ます!」
思い立ったが吉日、と悠乃はパソコンの電源を落とすとそう言い残して部屋を出て行った。やる気に満ちたそんな彼女の後姿を安堵と不安が織り交ざった表情で見ていた速水に、報告に来ていた部下が思い出したように話しかける。
「そういえば速水さん、後に合流するメンバーに悠一がいたような気がするんですけど」
「……ああ、いるな」
「言わなくてよかったんですか?」
「言いそびれた」
「はあ……」
七年顔を合わせていない兄妹。会おうと思えばいつだって会えるのに悠乃は罪悪感から口に出さず、悠一は心配しているのは分かるが何を考えているのかよく分からない。
そんな二人は今度こそ絶対に会うことになる。が、どうにも悠乃には言いにくかった。滅多にない電話ですらあれだけ萎縮しているのを見ると直接会ったらどんな反応を示すか、速水は少し怖かった。そしてそんな妹の姿を見た悠一の反応も、だ。
懸念しているのだ。悠一の心のうちに、まだ悠乃に対する恨みが残っているのではないかと。だから会わないようにしているのではないかと。
「まあ……なんとかなるだろ」
あの兄妹が互いに思い合っているのは確実で、だからこそ速水は自分に言い聞かせるようにしてとりあえず心配事に蓋をすることにした。それよりも目下、もっと頭の痛い連中を相手にしなければならないのだから。
「この学校広いだろ? しばらくの間は皆迷うんだ」
「ええ、すごく広いですね……」
夏休み明けの始業式、それが始まる一時間ほど前のこと。まだ生徒も殆ど登校してきていない校舎内では、二人の男女が話をしながら廊下を歩いていた。男――氷室は隣を歩若々しい女性に校舎を案内しており、そして女性はそれに耳を傾けながらきょろきょろと辺りを確認している。
「二週間しかないから全部の校舎を覚える必要はないけど、矢代先生も色々な所を探索してみると面白いと思うぞ」
「はい。あの……先生って、私はまだ」
「教育実習生でも、生徒に教えるんだから先生だろ?」
矢代雪菜、それが彼女の名前だった。彼女はこれから二週間虹島高校で教育実習を行うことになっている大学生だ。黒いセミロングの髪と切り揃えられた前髪はいかにも真面目だという雰囲気を作っており、少々硬い表情を見た氷室は彼女の緊張をほぐすように軽く笑いかけた。
「うちのクラスの生徒はいいやつが多いし、そんなに緊張しなくても大丈夫だ。気楽にやればいいさ」
「気楽に、ですか」
「そうそう、俺も教育実習やった時はすげえ緊張してたけど――」
氷室からしてみれば自分の受け持つ生徒に悪い人間などおらず、問題児として他の教師から敬遠されがちな蒼だってそれに当てはまる。だからこそ他の教師が聞けば首を傾げる発言だったのだが、勿論雪菜はそんなことを知らない。
そこから続けられた昔話に雪菜が軽く相槌を打ちながら窓の外を眺めていると、不意に彼女は足を止め、ほんの一瞬だけその表情を険しいものに変えた。
「あれは……」
「ん? ああ、あれは理事長の家だな。学校の敷地と隣接してるんだが、あっちもすごいお屋敷だよなー」
感心するようにそう言った氷室の声に雪菜はしばらく屋敷を見つめてから歩みを再開させた。足を進めながら彼女は窺うような……どことなく探るような視線で氷室を見上げ、口を開く。
「ここは虹島が経営しているんですよね? 縁故採用も多いと噂で聞きましたけど……氷室先生も?」
「いや、俺はよそ者だけど、確かに親戚の先生や生徒は結構話には聞くなあ。特に今の生徒会長は理事長の孫なんだ」
「それは……孫、だから選ばれたんですか」
「違う違う、ちゃんとした信任投票で決まったよ。それに虹島は理事長の孫だからってそれを笠にしてふんぞり返ってるわけでもないし、高校生とは思えないくらい立派なやつだよ」
「そうなんですか……」
安心したような、しかしどこか期待外れにも見えるその表情の僅かな変化には氷室は気が付かなかった。よそ者と虹島の縁者との間に格差があるのではないかと雪菜が懸念していると勝手に思い込んだ氷室は、安心させるように「大丈夫だ」と声を上げた。
「別に親戚だからってその先生や生徒が贔屓されてる訳じゃないし、全く気にしなくても平気だよ。少し大きな学校だけど、他の高校と違うこともないからな」
「……はい」
何か言いたげに氷室を見ていた雪菜だったが、それに全く気付かず快活に笑う彼に雪菜も返事をするだけに留まった。




