40. 一連托生
「速水さん、生徒と職員の中にいる分家の人間を全て洗い出しました」
「ああ助かる。見せてくれ」
警察署内で、速水は部下に手渡された資料に目を落とした。虹島高校の生徒も教員も数が多い、全てを調べるのに随分時間がかかってしまった。ずらりと並んだ名前のリストを見て、この中の一体どれだけが悪魔に関わっているのだろうかと頭が痛くなった。実際の所、噂が周囲に漏れていないことを考えるとそこまで多くの人間が関係している訳ではないだろうが。
「……ん?」
「何か問題がありましたか?」
「いや、そうではないんだが……」
本当は大問題だが、速水は動揺を隠して部下を見送る。見間違いかと思い再度リストの中にあった名前と指でなぞると、そこには間違いなく“朝日蒼”という名が印字されていたのだ。
「あいつ……!」
思わず机を叩きつけたくなる衝動を押さえて立ち上がる。「少し出てくる」と部下に告げた速水は署を出ると車に乗り込んで蒼の家へと走らせた。
ついついアクセルを踏む足に力が籠る。警察官がスピード違反で捕まるなんて馬鹿らしいことをするわけにはいかないと、速水は自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をして冷静になれと頭の中で唱え続けた。
さんざん怪しいとは思っていたがまさか分家の人間だったとは。歯噛みしながら高校近くにある蒼の自宅へと急ぐ。決して綺麗とは言い難いアパートの傍に車を止めた速水は、ちらりと資料で部屋番号を確認して高い音を立てながら階段を駆け上がった。
蒼はいるだろうか。先に連絡を取らなかったのは当然逃げられる可能性を考慮したからだ。速水は鋭い視線を扉に向けてインターホンを押す。すると中から話し声が聞こえ思わず眉を顰めた。微かだったが聞き覚えのある声に思われたのだ。
「あれ、おっさん?」
「速水さん?」
外れて欲しかった予想が的中してしまった。扉から顔を出したのは蒼、そして彼の背後からひょっこりと悠乃の姿が見えたのだ。蒼は片手でシャツのボタンを面倒臭そうに留めており、そして奥にいる悠乃は何故か泣き腫らしたように目を真っ赤にしていた。
「……殺す」
二人を見比べた速水はおもむろに懐の拳銃に手を掛ける。それを見た悠乃達は一瞬きょとんと目を瞬かせたが、速水が本当に拳銃を取り出すと流石に悠乃が飛びつくように速水の腕を押さえに掛かった。
「な、何やってるんですか速水さん!」
「止めるな悠乃! 貴様うちの娘をよくも手籠めに……!」
「……なんかすげえ誤解してるんですけど」
とんでもない勘違いをされていると知った蒼はいっそ笑いたくなる。目の前に迫る黒い銃口見れば流石に本当に笑うことはなかったが。
悠乃が必死に誤解だと弁解したおかげでようやく速水は落ち着いたが、それも結構な時間がかかった。真昼間の蝉の大合唱に紛れていたからまだよかったが、他の人に見られていたら本当に面倒なことになっていただろう。これ以上は近所迷惑になると、蒼は渋々速水を自宅へ上げることにした。
「……とりあえず、本当に何しに来たんですかあんたは」
呆れた蒼の声に速水はようやく本題を思い出す。暑い室内で蒼に向かい合った速水は、先ほどと同様に視線を鋭くして彼を睨んだ。
不穏な空気を察して悠乃が怪訝そうに速水を見上げる。
「速水さん……?」
「朝日蒼、君は虹島の分家の人間だったらしいな」
「……ええ、そうですね」
「開き直るつもりか、何故黙っていた! 答えろ!」
蒼に掴みかからんばかりの気迫でテーブルに両手を着いて叫ぶ。後ろ暗い所があったに違いない、むしろ蒼は最初からあちら側だったのかと疑うように答えを待っていると、彼は一つ溜息を吐いて仕方なさそうに口を開いた。
「そりゃあ……こうなるって思ってたからですよ。分家の人間なんて言ったら、おっさんは真っ先に俺を疑い始めるでしょうから」
「虹島がやっていたことも全部知っていたのか? どうして最初に伝えなかった。そうすればもっと早く――」
「証拠も何も無い状態でただの高校生一人が喚いて、それであんた達は動くんですか? そもそも俺は悪魔なんて端から警察が信じるなんて思わなかったし、それを調査するような部署があることだって知らなかった。知った後だって、あの虹島を俺一人が告発した所で調査なんてしなかったはずだ。万年人手不足とか言ってましたよね?」
「……」
確かに、蒼の言う通りだった。だが、蒼は違和感が多すぎる。悪魔が見えないと否定し続けたことも、目的も明らかにしないまま悠乃の捜査に介入していることも。彼が言っていることが全て疑わしく思えてくるのだ。
それは速水が蒼に対して疑心を持ちすぎているということでもあるし、蒼があえてそのような言動を取っている所為だとも言える。
「速水さん、蒼君は私達の敵じゃありません」
そして悠乃は、逆に蒼を信じすぎている。割って入って来た悠乃に速水は少々の苛立ちを覚えた。どうしてそこまで蒼に肩入れするのか。速水は努めて冷静な声で彼女に向かって機械的に言葉を投げかけた。
「悠乃、捜査に私情を交えるな。朝日蒼が分家の人間だと意図的に黙っていた。そしてそんな人間が今まで捜査に加わっていた。……こちらの情報が向こうに筒抜けでもおかしくないんだぞ?」
「でも」
「悠乃……そういえばお前、驚いてなかったみたいだが知ってたのか? 彼が分家の人間だと」
「悠乃が知ったのはついさっきですよ、俺が自分で言うまで何も知らなかった。今日こいつがここに来たのだってそれを話す為だ。おっさんが俺を疑うように、俺も警察を信用してない。……だけど、こいつは別。それだけのことです」
「……」
蒼が庇うように先んじて速水の言葉に答える。そんな彼の言葉に悠乃は少し驚きながら、しかし内心速水に全てを打ち明けたくてたまらなかった。蒼を疑って欲しくない。
だが蒼は自分の正体を警察に知られたくないと言いながら悠乃にだけは教えてくれた。その信頼を裏切ることなど出来ない。
事実、蒼の体のことを知って誰もがそっとしておいてくれる訳じゃないだろう。特に権力を持つ人間や研究者は、悪魔の力が備わった人間を放置しておくだろうか。蒼の言う通り実験体にされるかもしれない。もしくは危険だと判断されて捕縛か、最悪の場合もあり得る。
いずれにせよ今までのように自由に……蒼の望むようには生きられると思えない。
だからこそそれだけは速水にだって言えなかった。そして、悠乃は必死に頭を捻った。
「――速水さん」
「何だ」
「蒼君を疑うのは……虹島側だと見るのは早計です」
ようやく言葉を絞り出した悠乃は、出来るだけ感情的にならないように言葉を選んで速水を見上げた。論理的に、合理的に、と必死に思考を回転させながら。
「だから、それはお前の」
「蒼君は虹島の内部を知る有力な情報源です。今までだって捜査に協力的でしたし、月島先生を捕まえたのは蒼君です」
「それがこちらを油断させる為の罠だとしたら?」
「……そうですね、そうかもしれません。けど、それだって本当の所は蒼君しか分からない。だからいくら考えても無駄です。蒼君が何て言おうと、速水さんが疑うのなら一緒ですから」
「……」
速水が口を閉じたのを見た悠乃は更に言葉を重ねる。
「疑わしきは罰せず、ですよね。蒼君が持つ虹島の情報は警察にとって有用です、利用しない手はない。でも万が一の為に、蒼君に監視を付けることを提案します」
「監視? 悠乃、まさかお前」
「私がその役目を負います。私情なんて挟みません。もし彼が虹島に着いた場合……私が全ての責任を取ります」
「……本気、か」
「本気ですよ」
睨み合うように速水と悠乃の視線が交錯する。必死にしがみついて来た警察官としての居場所を、蒼の為に賭けると言っているのだ。悠乃は知った、蒼が今までどんな思いで生きてきて、そしてどんな思いで虹島を壊そうとしているのかを。
だから悠乃は蒼をその立場を――大事な大事な兄との接点を賭けてもいいと思えるほどに、信じている。
「おっさん」
不意に今まで黙っていた蒼が急に口を開く。悠乃の覚悟を見るようにじっと視線を向けていた速水がようやく蒼を振り向くと「前にも言いましたけど」と何てことない風に言いながらちらりと悠乃に視線を送った。
「俺の言葉なんてまるで信じねーとは思います。俺だって絶対に警察を裏切らないなんて保証はできない。でも俺は……こいつを絶対に裏切らない」
「……ひとつ聞きたいことがある。君の目的は、何だ」
「虹島をぶち壊すこと。俺が望むのはたったそれだけです」
「……そうか」
速水はややあって立ち上がる。その目にはこの部屋に来たばかりの時の鋭さは既に鳴りを潜め、何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。蒼への敵意は、見えない。
「速水さん……」
「悠乃、言ったからには覚悟しろ。朝日君の監視は任せる。少しでも怪しい行動を取るようなら逐一報告するように」
「は、はい!」
「それから朝日君」
「何ですか」
「今回の案件は既に大規模になりつつある。内部捜査は悠乃だけだが、調査には他の人員も動員されている。……だから、君を正式な外部の協力者としてこれから他の捜査官にも伝えることになる」
「正式にって、それじゃあ速水さん……」
「情報提供、ご協力願おうか」
「……ま、しょーがないですかね」
警察組織として、蒼の存在を認めると言ったようなものだ。蒼にとっては一長一短だが、本格的に虹島をつぶそうとするのなら悪い話ではない。
頷いた蒼を確認した速水は話は済んだと玄関へ向かう。……が、靴を履いた所で振り返り「悠乃、なるべく早く帰って来るんだぞ」と低い声で言い残してようやく外に出た。
室内も暑かったが直射日光が当たる外は当然暑い。煩わしい蝉の声を聞きながら階段を降りた速水は一度蒼の部屋を振り返って小さく息を吐いた。
「俺も、悠乃のことを言えないな」
私情を挟むなと言いながら、結局彼女には甘くなっている自分がいた。
「随分啖呵切ったけど、いいのかあんなこと言って」
速水が去って行き沈黙が続いた室内で先に口を開いたのは蒼だった。何故悠乃はあんなことを言ったのか。あれだけ居場所が無くなることを恐れていたというのに、蒼は分からなかった。
「前に蒼君が言ったでしょ?」
「何の話だ?」
「私達はお互いに利用し合うんだって。私は蒼君から沢山のことを教えてもらった。本当なら警察の私に言うべきじゃないことも。だから私も、それ相応のものを返さないとって思っただけだよ」
蒼が悠乃に話すことで負ったリスクを悠乃も同じように背負った、そういうことだ。
「後悔するかもしれないぞ?」
「しない、絶対に」
「……自信満々に言ってくれる」
迷いもせずにはっきりと口にした悠乃に、白旗を振ったのは蒼の方だった。




