4. 生徒会
「……お」
「どうしたの?」
蒼の態度に釈然としないまま屋上を後にした悠乃は、教室まで戻る道中で不意に声を上げた彼を見上げた。蒼はやや目を細めて遠くを見ており、彼女もそれに倣って彼の視線を追う。
すると廊下の先から三人の生徒がこちらへ向かってくる所で、蒼は彼らを目に留めると何かを思い付いたかのようににやりと笑みを浮かべたのだ。
何か悪いこと考えてるのかな、と悠乃が予想していると彼は少し歩く速度を速めて、近付いていた生徒に向かって心底意地の悪い表情で「おやおや?」とわざとらしく声を上げた。
「こんな所に会長サマが来るなんてなあ? 随分と生徒会はお暇らしい」
「……朝日か」
蒼が声を掛けたのは悠乃も昨日の式で見たことがある、噂の生徒会長だった。虹島楓というその生徒会長は、後ろに女子生徒と男子生徒、一人ずつを連れて二年の廊下を歩いて来た。クラスメイト達が言っていたように、間近で見ると更にその整った容貌が際立ち、人気なのも頷けると悠乃は一人納得する。
三年生である彼がこの場所を通るのは多少不思議であっても別に不審に思うほどのことでもない。しかし蒼は挑発するようそう言った後、酷く不快そうに眉を顰めて楓を睨み付けるようにする。同じように楓も蒼を目に止めると、嫌悪感を露わにして低い声を出した。
「暇なのはお前の方だ。いちいち俺に突っかかって来ることしかしない、本当に懲りない男だな」
「お前がその不愉快な面見せて来なければいいだけだろ? この似非フェミニスト野郎」
「女性を弄んで楽しんでいる下種野郎にだけは言われたくないな」
とんでもなく仲が悪い。悠乃が困惑半分呆れ半分で彼らを見守っていると、蒼の後ろに佇んでいた悠乃に気付いた楓が蒼から視線を外して彼女に向かって笑いかけて来た。蒼に向けていた表情とは雲泥の差である、とても穏やかなものだ。
「おっと、連れの子がいたのか。初めまして、俺は生徒会長の虹島楓だ。見ない顔だけど、新入生かな?」
「いえ、二年の鏡目悠乃と言います。昨日からこの学校に編入して来て……」
「成程、それなら分からないこともあるだろう。何か困ったことがあったら遠慮なく生徒会を頼るといい。……例えば、この男に迷惑を掛けられているだとかね」
「悠乃、耳が腐るからこいつの話は聞かなくていい」
爽やかな顔で悠乃に話し掛けていた楓に、蒼は不愉快そうにそう言って口を挟む。そうしてまた言い争いを始めた二人を止めるべきかと悠乃が悩んでいると、不意に「二人のことは放っておいていいわよ」と声が掛かった。
見れば、先ほどから楓の後ろに控えていた二人の生徒が悠乃の傍へとやって来ていて、淡々とした声色で彼女に話し掛けたのは女子生徒の方だった。楓同様、悠乃はこの女子生徒のことも昨日入学式の折に見たことがあった。
「確か副会長の……」
「夕霧小夜子、三年よ。こっちは黒木……まあ、気にしなくてもいいわ」
小夜子と名乗った彼女はさらりとした長い黒髪を揺らす美人だった。話し方は淡々としていて人形のように表情が動かないが、楓と蒼のやり取りを見る目は、悠乃同様少々呆れたものに見える。
そして彼女に紹介された黒木という男子生徒は、一言も口を開くことなく悠乃に向かって静かに会釈しただけだった。見るからに大人しそうな雰囲気の少年で、少々幼い顔立ちをしている。恐らく悠乃と同学年か、一つ下と言ったところだろう。
「先輩……蒼君と会長って」
「去年からずっとこんな状態よ。犬猿の仲ってやつだから無理に仲裁に入らない方がいいわね。鏡目さん……ひとつ、忠告しておくわ」
「何ですか?」
「――朝日蒼には関わらない方が賢明よ」
「え?」
二人の騒がしい声に紛れるように小さく呟かれた小夜子の言葉に悠乃は思わず聞き返す。しかし小夜子はまるで聞こえなかったかのように悠乃から離れると「楓様、もうすぐ授業が始まります」と楓に告げて彼を促した。
「……そうだな。それじゃあ鏡目さん、何かあれば気軽に声を掛けてくれ」
「は、はい」
思い切り険悪な空気を出す蒼をスルーして悠乃に微笑みかけた楓は、そのまま小夜子と黒木を連れて悠乃達の前から去って行った。
楓達の姿が小さくなると、蒼は自分が呼び止めたにも関わらず「ようやく行ったか」と呟いて醸し出していた不穏な空気を霧散させる。
「蒼君……会長さんのこと、嫌いなんだよね」
「生理的に合わない。ああいう外面よくにこにこして良い子ちゃんぶってるやつみると虫唾が走る。……まあ、だが今回は少しくらいなら感謝してやってもいいけどな」
「感謝?」
悠乃の質問に吐き捨てるように即答した蒼は、しかし少し考えるように沈黙した後さらに言葉を付け加える。先程の二人の姿を見てまるで感謝という言葉がそぐわないと悠乃が首を傾げていると、蒼は少し機嫌を戻したように笑って「昨日のことだよ」と口を開いた。
「入学式であいつの面見てすげえ苛々してたんだよ。それでつい、教室ですまし顔してた悠乃に足引っ掛けちまったんだけど……そのおかげで思わぬ拾い物をしたからな」
「……」
悠乃にとってはまったく良いことではなかったのだが、蒼は複雑な表情をしている彼女を見ても全く気に留める様子もなかった。
そうして悠乃達は、魔獣を召喚した人間を調査し始めた。まずは被害者である白鳥和泉の周辺を調査するべく、悠乃は彼女が所属していた陸上部へ体験入部をして他の部員から話を聞くことにした。
しかしここで誤算だったのは、白鳥和泉がまともに部活に参加しない幽霊部員だったということである。他の生徒にそれとなく話を聞いても、蒼と同様芳しい返答が来ることはなかった。
「お、鏡目! 入部しに来たのか?」
そして更に陸上部の顧問が担任の氷室であり、悠乃がもう入部を決めたと勘違いしてしまったのも大変だった。彼に悪気はないものの、悠乃の話を聞く前に一人で早合点してしまったので誤解を解くのに時間が掛かってしまった。
「すみません……まだ悩んでいるので」
「そうか……」
あからさまにがっかりした顔をされて、悠乃が悪い訳ではないのに若干の罪悪感が湧く。
「まあ陸上部も候補に入れておいてくれるとありがたい。部員も皆いいやつらばっかりだから、鏡目もきっと仲良くなれるぞ。……仲良くなるといえば、鏡目が朝日と仲良くなるのは意外だったな。よく話してるだろ?」
「はい、あの……落し物を、拾ってもらって。それで」
「そうかそうか、朝日もいい所があるな」
まさかその落し物の所為で軽く脅されているも同然ということまでは勿論悠乃も口に出さない。間違った解釈をした氷室はうんうんと頷きながら「あいつはちょっと問題児だけど、悪い奴じゃないんだ。このまま仲良くしてやってくれ」と蒼を擁護するように言った。
そんな蒼はというと、同学年の生徒への聞き込みをしていた。悠乃とは違い一応和泉と面識があった蒼の方が彼女について尋ねても不思議に思われないので話を進めやすいというのは利点で、彼はまず噂が好きそうな女子生徒に狙いを付けて話を聞き始めたのだが……またもや誤算が発生する。
というのも、白鳥和泉という女子生徒は蒼の言う通り本当に“軽い女”だったのだ。他の女子の恋人を奪うなど日常茶飯事で、そうして奪った男もすぐに飽きて振ってしまっていたという。その所為で恨みを買うことも多かったようで、話を聞けば聞くほど容疑者が膨れ上がるという困ったことになってしまったのだ。
そして実際捨てられた男子はどうなのかというと……他の男子からの蒼の評判が非常に悪かった所為で碌に話を聞くこともできなかったのである。
「悠乃、調査の方はどうだ?」
「……まだ、あまり」
調査開始から一週間が過ぎた朝、悠乃は速水と朝食を共にしながら捜査の経過報告をしていた。報告というには簡略的だが仕方がない、まだ殆ど収穫はないのだ。
ちなみに、白鳥和泉の転校理由については皆把握しておらず、「男女関係でトラブルがあった」「麻薬をやってたのがばれた」など皆好き勝手に言っているらしい。それだけ素行がよろしくなかった生徒だということだが、これではますます犯人が特定できない。
「速水さん、魔獣を召喚した犯人が学校関係者だっていうのは間違いないんですよね?」
「学校が春休みなのに被害者は制服を着ていた。悠乃の話だと部活にも碌に来ない生徒だったんだろ? 誰かに学校に呼び出された可能性が高い。それに高校の話を聞いた時のあの被害者の態度は尋常じゃなかったからな、大方間違いないだろう」
「そうですか……」
悠乃は味噌汁を啜りながら思考を巡らせる。速水の言った通り、和泉は春休みに襲われた。だからこそ新学年になってクラスも変わり、彼女が所属していたクラスもなくなって、余計に情報が得られにくくなっているのだ。学期中に起こった事件ならばもう少し有益な情報があっただろうと思ってもどうしようもない。
「そういえば悠乃、今日その協力してくれてるっていう生徒をうちに連れて来られるか?」
「今日ですか?」
「ああ、ようやく時間が取れたからな。一応確認はしておきたい」
悠乃は潜入捜査官だ。不審な行動を取る訳にもいかず真面目に授業も受けて周囲と同化していなければならないので、どうしても調査する時間が少なくなってしまう。だからこそ蒼の協力は、きっかけや彼の真意はどうであれ助かっていた。
速水の言葉に頷いた悠乃は、さて今日はどうするか、と考えながら朝食を食べ終えた。